聖貴色。

それは神の憑代たる『加護持ち』たちがその身体から放つ、霊力の様態のひとつである。霊光が発する色相からその背景となる神の神格を問うもので、その対応色相は『青』であるとされる。

「…身体から発する霊力は、その量を増すことで光を強くします。そして神性の高低によって霊光は色を違えるのです」

無学な辺土の民を教化しようとする僧侶の説法はよく聞くことがある。教え諭すようにカイに語りかけ続ける権僧都の姿は、まさにそれであった。

「もっとも神性の低い霊光は『暗赤色』を示します。やや高まれば『赤色』、そして『黄色』へと遷移し、『聖色』……『白色』を呈するようになります。『聖貴色』はさらにその上、最上の霊光色と言っても過言ではない、稀有なものなのです」

「………」

「一度、隈取を見せていただけませんか」

権僧都は言った。

『無紋』であることを堅守していたカイであったが、よくよく考えれば『加護持ち』でなかったあの真理探究官も、オルハ様との手合わせの時にはしっかりと《二齢》の隈取を顕していた。

先の『加護持ち』たちが入り乱れての乱戦で、カイが彼らと伍していたことは明白で、隈取を顕すことのできるレベルにまで至っていることはもはや誰の目にも明らかなのだろう。権僧都だけでなく、ほかの坊さんたちもその瞬間はカイを食い入るように見つめてくる。

むろん高位の僧侶らに取り囲まれているカイは、ほかの『加護持ち』たちからも視線を集めてしまっていた。

「隈取? そんなのはない」

それでもカイは、ふてぶてしくもうそぶいた。

そうして全員掛りで取り押さえられる前にと身を逃れさせるように立ち上がり、一歩後ろへと下がった。

「ばかな! そんなはずはありません。隠し通せるなどと…」

「そんなもの、出たことはない」

「あれだけの霊圧を示しておいて、空言(そらごと)を」

「知らないものは知らない。…帰る」

権僧都の目配せで坊さんの一団が取り囲もうとしたので、カイはもはや関わり合う必要もないと逃げを打つことにした。この場を逃れたところで根本的な解決になどならないことは分かっていたが、根掘り葉掘りされるに任せるよりも野鼠のように逃げ続けるほうがましだと判断した。最悪州都のどこから身を隠して、ご当主様らの帰還を指折り数える事態さえも受け入れた。

権僧都……なんだか偉そうな肩書きを持つ坊さんであったが、武技においてはそこまでのものはないように感じる。不意討ちとはいえカイの手出しをいくつもまともに食らっている。

好戦性をあらわにしたカイに、仕方なさげに身構えを取る権僧都であったが、取り巻きの坊さんたちに何事か意見を言われて、言葉を交わすうちに意気阻喪したかのようにその目から強い光を失せさせた。

耳の良いカイもわずかながらにその会話を拾っていたが、「しょせん《三齢》程度」とか、「本命を見誤りませぬよう」とか、よく分からないことを言い合っていた。

なにより「そろそろお時間です」という言葉に権僧都は反応して、高僧らしからぬ落ち着きの失い方をした。何か大切な用でも忘れていたのか、先ほどの乱闘で手放していたのだろう錫杖を坊さんのひとりから受け取って、手荷物の確認を始める。偉そうなくせに少々抜けているらしい。

そういえばこの坊さんたちは、もともと別の場所へ行こうと三ノ宮の廊下を歩いていたのではなかったか。

「残念ながら時間が許さないようです。また時間を改めてお話いたしましょう」

権僧都は居住まいを正し、軽く一礼をする。

もう金輪際合うつもりなどないと雄弁に語っているカイの目つきに、権僧都は細い目元をおかしそうに緩めた。

「そんな嫌そうな顔をしないでください。同じ『御技使い』を求道(ぐどう)する者同士、知見を交換し合うのは決して無駄なことではありません。…では参りましょう。伯とのお約束の時間に間に合わなくなりそうです」

そうして踵を返した権僧都。

警戒を解いたカイがじっと見送る中、坊さんたちの一団は草試合の会場から去っていく。その異様な集団が姿を消すなり、遠巻きにしていた『加護持ち』たちはそちらを指さしてあれこれと噂し始める。

「ありゃあたぶん、州都に来ている探究官だな」

「例の『預言』を探っている坊主たちが伯家にも入り込んでるのか…」

「ああ? 宴の神前法要で呼ばれた送り坊主じゃないのか」

「気付かなかったのか? ずっとわしらの草試合を見物しとったんだぞ」

いくつもの視線が、胡乱げに坊さんたちの消えた入口のほうに向けられている。どうやら辺土のほかの村でも、ラグ村と同じく真理探究官が出没していたようである。

敬うべき僧侶相手だというのに好意的な意見が出てこないあたり、領地の内情を根掘り葉掘り調べて回る彼らを皆が不愉快に感じていたのだろう。

そんな胡散臭い坊さんたちへの関心が、必然的にいままさに食いつかれていたカイへの興味に切り替わっていく。まわりからの視線が集まり出したのに気づいたカイは、さっさと退散するべく歩き出した。

本人評価ではさりげなさを装っていても、客観的には怪しげでしかないぎこちない足運びで歩くカイの背中に、「おう!」と突然声が掛けられた。

まるで友人にでもするような親しげなその声に、カイはつい反応してしまう。

見ればガンド・ヨンナである。

まだ二十歳前後であるだろう、骨相の太いいかつい大男が手を振って近づいてくるのを見て、カイはおのれではない別の対象者がいるのではないかと思って、首をめぐらせて反対側を確認してしまった。

「おめえだよ、他に誰がいるんだっつうの」

「…用があるのか」

「いんや、別に。…それよりまた厨房いかねえか? 腹が空いちまってよ」

「なんでオレが……って、そういえばオレも用事の途中だった」

オルハから言い付かっていた用事をふいに思い出して、急ぎ足になるカイ。

その横に当たり前のようにヨンナが並び、自分の拳がいかに強いか、殴られて無事だったやつは村にはいないとか、自慢半分の取りとめもないことを喋りだした。聞くつもりがなくとも地声が大きすぎて嫌でも耳に入ってきてしまう。

カイはラグ村とそう変わりのなさそうなガンド村の情報をそぞろに聞き流していたが、ガンド村が直面している外敵の脅威が、毛色の変わった亜人種によってもたらされているという話になり、つい聞き入ってしまった。

辺土の東西半ばにあるガンド村には、白牛人(ブラガント)族という亜人たちがしつこく攻め寄せてきているという。豚人(オーグ)よりも大きな種族が、大岩も砕く角で人族の軍勢を草を踏み荒らすように蹴散らすのだという。

カイは亜人世界についてかなり詳しくなりつつある。むろん白牛人(ブラガント)族についても予備知識があった。

(辺土の半ばくらいで、大森林の向うは白牛人(ブラガント)族の領分になるのか…)

聞きかじった情報と符合するのに少し興奮する。

白牛人(ブラガント)族は、北限の大族である豚人族に、西方で対抗している強力な種族である。カイが興味を持ったと察して、ヨンナは嬉しそうに白牛人(ブラガント)族とのどつき合いがいかに大変か、腕一本を犠牲にして角をたたき折った戦いで、あわや討ち取られる寸前になった体験を手振りしながら熱心に語った。

ヨンナの無邪気さにやがてカイも気持ちを解いて、村に1000の灰猿人(マカク)族が攻め寄せたときに、おのれが八面六臂の活躍をした当時のことなどを話して聞かせた。ヨンナはほんとうに子供のようにカイの話しに目を輝かせて、「すけえすげえ」と手を叩いて喜んだ。ガンド村にもラグ村の戦役についての噂は届いていたようである。

そうして厨房で盥(たらい)一杯のお湯を手に入れたカイは、同じく手に抱え込めるだけのパンを手に入れたヨンナとそこで別れようとしたのだが……相変わらず当たり前のようについてくる大男に、「うちは婚礼前の姫様がいるから、遠慮してくれ」と至極まっとうな要求をした。

しかしヨンナは「だからじゃねえか」と言って、にたにた笑いながらついてくるのを止めない。部屋には絶対に入らないと言うので、仕方なくヨンナを伴ってカイは部屋へと戻ったのだが。

モロク家が滞在している部屋の前には、なぜか大勢の人垣ができていた。

滞在の客たちばかりではない。三ノ宮で働く下働きの者たちや、白姫様の世話を焼いていた伯家の侍女と良く似たお仕着せ姿の女たちの姿も散見される。明らかに高位者の護衛と分かる槍持ちの兵士たちの姿もあり、普通でないのは鈍いカイでもすぐに分かった。

「誰かきてんのか」

「知らない。なんか騒いでるな」

人垣を強引に掻き分けていくと、お高い連中からお叱りや苦情なんかもいただいたが、カイの姿を見て中から呼ばわる声が掛かると、率先して皆が道を開けてきた。なぜかヨンナもついてきている。

そうして「殻つき!」と苛立たしげに呼ばわるオルハ様の姿がカイの目に入り、部屋の中がかなりの人口密度となっていることが分かった。

部屋の入口近くには、外にもいた護衛と思しき兵士たちが居並び、その壁の向うにまた焚き付けのお香の匂いをプンプンとさせた女たちの背中が並んで見える。白姫様のお世話係かとも思ったのだが、それだけでは勘定が合わないくらいにやはり人数が多い。

盥のお湯が水音を立てると、近くにいる者たちがぎょっとしたように身体をよじって避けていく。そしてようやく厚みのある人垣を抜けたところで、こちらを仁王立ちで睨みつけているオルハ様と、血の気の失せた顔ですがるような眼差しを向けてくる白姫様の姿を間近に見ることとなった。

白姫様が椅子に座り、その横にオルハ様が立っている。

そのふたりが向かい合っているテーブルのこちら側には、色鮮やかに染められた布を贅沢に仕立てたたっぷりとした服を背に流している女性と、その家人らしい男たちが取り澄ました様子で椅子に腰掛けていた。男の中のひとりは貴族位を示す立派な法衣を身につけて、偉そうに足を組んで投げ出している。

カイに後ろに控えて立つように言って、オルハ様はその後ろから当然のようにくっついてきた大男にぎょっとしたように目を見張った。むろんヨンナのことをオルハ様が知るわけがない。

問うわけにもいかない空気が、不審者であるヨンナの存在を許容してしまった。にやにやしながら抱えているパンを遠慮なくもしゃもしゃしているヨンナに、声を荒げたのは法衣の男だった。四十がらみのその男は、弛みがちな頬をもみ上げから続く手入れのされた顎鬚で飾っている。太い唇が開閉して「礼儀知らずの田舎者が」と言葉を吐き出すと、手にしていた鉄扇を手のひらのうちで叩いた。

その男と並んで坐っている着飾った女は、白姫様と同じぐらいの年頃であろうか。隣の男との血縁関係を示すように、厚ぼったい唇がヒクヒクと動いて、相対する者たちを小ばかにするような笑みの形を作った。

「辺土伯様からはすでに因果を含まれておるのだろう。辺土の木っ端領主風情ごときがいつまで突っ張る」

肉付きのよいその豚のような男は、中央貴族だった。