◆アゼレア/フィル◆

アデラ・エイトキンを打倒したあと。

私たちは、フィルが手懐けた魔物にダンジョンを調べさせて、先に進む道を見つけた。

意外だったのは、最初にアデラが出てきた扉がトラップだったこと。

不用意に足を踏み入れていたら、閉じ込められて水責めを喰らっていたみたい。

こすっからい奴らね。

「直接行ける範囲はあらかた調べてみたけど、やっぱり他のみんなはいないみたい。全体がいくつかの大きなエリアに分かれてるんじゃないかなあ?」

「どうにか連絡を取る方法はないのかしら。せめて無事を確認できればいいんだけど……」

「ん~……壁をすり抜けられるような子がいたらな~……」

そのとき。

ふわ~……っと。

半透明の、風に飛ばされたシーツみたいなものが、目の前を横切った。

左の壁から右の壁へと消えていく。

「…………」

「…………」

血の気が引いていくのを感じた。

今の……お、おば、おば―――

「お化けだーっ! ちょうどよかった! お友達になっちゃおう!」

「む、無理っ!! 無理だから!! 私、お化けだけは―――」

パキッ、パキッパキ。

右の壁からラップ音がした。

「ほらっ、あっちだよ! 行こうアゼレア!!」

「いやああああああっ!! やーめーてーっ!!!」

結局このあと、私は幽霊の魔物と戦わされた。

どうにかこうにか倒すと、他の魔物と同じようにフィルの言うことを聞くようになった。

意外と知能の高い魔物で、私たちが普段からたまに使っている暗号も簡単に覚えてみせた。

言葉は喋らないけれど、これなら他のみんなと連絡が取れるかもしれない。

私たちは、フィルによって『ゴーちゃん』と命名されたその幽霊に、他のみんなを探しに行かせてみることにした。

◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆

◆ルビー/ガウェイン◆

そいつは、ふわ~っと現れた。

「…………」

「…………」

強風でベランダから飛ばされたシーツに、目と口を描いたようなやつだった。

しかも、向こう側の景色が透けて見えている。

……オバケ?

全然怖くねーけど。

「なんだ、こいつは……」

「敵意がある感じじゃねーよな」

魔物はどいつもこいつもあたしたちに気付くなり襲いかかってくるが、こいつにその気配はない。

しばらくあたしたちのことをじーっと見つめると、

パキッパキッパキッパキッ。

パパパキッパッ。

パッパッパッ。

パキッパキッパパッ。

パパキッ。

パキッパパキッパキッパッ。

と、ラップ音らしきものを奇妙なリズムで鳴らし始めた。

なんだこりゃ。

「……ん……?」

待て、このリズム……。

「もしかして、これ……J信号か?」

「なに? ジャック信号か?」

ジャックが使い始めた信号だからジャック信号、またはJ信号。

授業中に内緒話をするときとかに使っていた信号だ。

「コ・チ・ラ・フ・イ・ル……『こちらフィル』!?」

解読してみれば、奇妙なリズムのラップ音は、フィルからのメッセージだった。

――こちらは無事。

――敵を一人撃破。

――ジャックとエルヴィス未発見。

概ねそんなような内容だ。

フィルの精霊術【無欠の辞書】でこの幽霊を手懐けて、連絡係として使ったんだろう。

普段は色ボケのくせに、やっぱり頭は切れるんだよな、あいつ。

「わかった。こっちも無事だ。ジャックと王子様はまだ見てねー」

そう言うと、飛ばされたシーツみたいな幽霊は頷いて、壁の中に消えていった。

残りの二人を探しに行くんだろう。

「どうする?」

「近くでいったん待機しよーぜ。フィルが合流できる場所を見つけてくれるかもしれねー」

「確かに、勝手に動いて再び見失われても面倒だな」

ダンジョンの中だと王子様の『王眼』もだいぶ範囲が狭まるみてーだし、走査能力じゃフィルが一番だ。

あたしらが無暗に動いてもいいことはねー。

……あと、そろそろ足治して、ガウェインの背中から離れてーし。

「ほら、さっさと行け!」

「わかったから頭を叩くな!」

あたしたちは休める場所を探して歩き出す。

……ジャックと王子様は未発見、か。

取り越し苦労ならいいんだけどな……。

◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆

◆エルヴィス◆

顔に熱い風のようなものが当たって、目が覚めた。

気を失っていたみたいだ……。

まだ意識がはっきりとしない。

頭の中にもやがかかっているようで……。

時間を経るにつれ、記憶が蘇ってくる。

自分の信じられないような凡ミス。

傍に現れた、女の子のような人影。

そして、人のそれとは思えない、異形の笑い声――

そうだ、ジャック君は……!?

ジャック君が引きずられていく光景が蘇るに至り、ぼくはようやく目を開けた。

すると。

眼前に、唾液に濡れた牙があった。

……は?

と、一瞬、思考が凍る。

そういえば、意識を取り戻した瞬間から、熱い風が顔に当たっていた。

それは、風ではなかったのだ。

それは――

獲物を前に唾液を滴らせる、狼の魔物の息だった……。

「―――ッ!!」

毒が多少は抜けたのか、身体も動くようになっていた。

けれど、鈍い。

手足の大部分が、まだ痺れている。

ぼくが飛びのくのよりも、狼が飛びかかってくるほうが早かった。

反射的に、左腕で顔を庇った。

普通のそれよりも何回りも大きな狼は、容赦なくぼくの左腕に噛みついた。

「うっ……ぐぅあああっ!!」

激痛が走った。

結界は効いている。

出血はない。

それでも鋭い牙に腕を貫かれる痛みは、さほど変わりはしなかった。

振り払おうと左腕を振り回すが、狼はがっちりと噛みついて離れない。

放せっ、放せっ……!

そう必死になりながら――

ぼくは、ようやく状況に気付く。

狼は、一匹ではなかった。

無数の。

数多の。

大量の。

狼の群れに、ぼくは囲まれているのだった。

結界が効いているとか、死にはしないとか、そんなものは関係ない。

爛々と光る、大量の眼光――

完全に獲物を見るそれが、全方位から突き刺さってくる。

この状況は、生物として、本能的に、恐怖でしかなかった。

しかし、その恐怖は、まだどこか朦朧としていた意識を、完全に覚醒させてくれる。

明瞭とした意識が、『王眼』というぼくだけの感覚器官と接続した。

自分も巻き込んでしまうけど――

背に腹は代えられない!

周囲半径5メートルの上方空間、その大気の質量情報にアクセス。

デフォルト設定だったそれを、何倍もの数値に書き換える。

級位戦の実況をしていた人曰く――

――『クレーター・クリエイター』……ッ!!

ズズンッ……!!!

と、足元の地面が半球状に凹んだ。

周囲の狼たちが鳴き声を上げて潰れると同時、ぼく自身の身体にも凄まじい重圧がかかる。

メキメキメキ!

と、骨が折れたような音が聞こえたのは、きっと気のせいだ。

地面が割れる音と聞き間違えたのに違いない。

けれど、圧迫された内臓から込み上げた吐き気は本物だった。

「うっ、げぇええぇっ……!!」

大気の質量を元に戻した直後、ぼくは割れた地面に吐き散らかす。

まるでズボンのポケットを裏返すように、身体の中身が裏返ってしまったかのようだった。

お腹の奥からすっぱいものが止め処なく湧き出てくる。

本当に内臓が潰れたわけでもあるまいに、感覚だけでこの有様。

やっぱり本調子ではないらしく、加減を間違えたようだ。

しかしおかげで、周囲の狼は全滅した――

口を拭いながら、ぼくはふらふらと立ち上がる。

左腕は動かない。

噛みつかれたときのダメージで部位霊力が切れたらしい。

他の部位にもダメージは蓄積している。

だというのに―――

「……rrrr……」

「gggg……」

―――低い唸り声を上げる狼の群れが、ぼくを遠巻きにしていた。

あれだけじゃなかったのだ。

近くの狼に遮られて見えなかっただけで……。

「いやっ……やっ、たすけっ……ぇぇぇええ!!!」

不意に、どこからともなく悲鳴が聞こえた。

よく見れば、狼の一部が何かにたかっていた。

黒い体毛に覆われた狼の身体の隙間から、白い腕が助けを求めるように伸びている。

あれは――きっと、ぼくに瞬殺されて、霊力切れのまま放置されたガス使いの悪霊術師だ。

なまじ結界が効いているから死ぬこともできず、ガブガブバリバリグチャグチャと、狼に貪られ続けているのだ。

なんなんだ、この狼は。

前はこんな、遺跡っぽい雰囲気に合わない狼の魔物なんていなかった。

置き去りにされたぼくを処理するために、ダンジョンマスターであるアーロン・ブルーイットが差し向けたのか?

まだ仲間がいるのに?

冷えていく自分を感じた。

怒っているのだろうか?

わからない。

ただ、苛立たしさを感じていた。

ぼくがくだらない凡ミスなんかしなければ、こんな状況にはならなかった。

ぼくが注意を怠らなければ、ジャック君が連れていかれることもなかった。

なんてことだ。

なんてことだ。

なんてことだ!

こんなことは許されない。

こんなことは、エルヴィス=クンツ・ウィンザーには許されない。

ぼくは最強を宿命づけられた。

他の誰も寄せつけない、圧倒的な最強を望まれた。

なのに―――!!

「――ぁあぁああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」

苛立ちのままに蜃気楼の剣を振るう。

狼が数十匹という単位で宙を舞った。

「どけ……!!!」

しかし狼は次から次へと現れる。

ぼくの行く手を塞ぐ。

「どけ……ッッッ!!!!」

もう一度蜃気楼の剣を振るうと、天井から大きな瓦礫がガラガラと降ってきた。

知ったことじゃない。

ぼくは無数の狼に向けて、一歩、足を踏み出した。

ジャック君を助け出す。

どこに行ったかなんて知らない。

あの女の子のようなものが何だったのかなんて知らない。

それでも、やる。

やらなければならない。

それが、母様が産んだエルヴィス=クンツ・ウィンザーなのだから―――!!

無数の狼が咆哮した。

その重奏に比べては、ぼくの叫びなんて囁きに等しい。

けれど、それでも。

踏み出した足を戻すつもりは、毛頭なかった。

◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆

◆ジャック◆

頭が、くらくらする……。

空気が、妙に冷たい……。

薄っすらと瞼を上げると、まだ薄暗かった。

どこだ、ここ……?

視界は暗く霞んでいて、光景をうまく見て取れない。

ただ、両方の手首に、何か、冷たい、腕輪のようなものが回っていることが、感覚で……。

……これ、手錠、か……?

ほんの少し、腕を動かしてみると……。

……じゃらり。

鎖のような音が、した……。

「……きまし……か?」

目の前に、誰かが立った。

暗くて、よく見えない……。

シルエットから、女の子のように見えた。

たぶん、同い年くらいの……。

「……く…………ね! ずっ……あい…………です!」

女の子の声は、断片的にしか頭に入ってこない。

わかるのは……どうやら、俺に特段の好意を持っているらしいことだけだった。

「あれか………ぱい………た……す! …………と…………んみ…………な…………に!」

パズルのピースのような、バラバラの声。

それが。

あるとき。

偶然――

――噛み合う。

「…………兄さん(・・・)…………」

あ。

あ  あ  あ  。

ああああああ  !   アアアアアアアアア     AAAAAA     !ああああああ      !!!!!!あ!!!!!!!  あああああああ    !!!!!!      あああああああああ  ああああああああああ    !!!!!!!      ??????????????   !!!!!??!?!?!?!??!!!!!!――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――プツンッ。