Do You Think You Can Run After Reincarnating, Nii-san?

Prologue of Rachel Unlocked by Nightmare - Part 1

ミンミンと蝉が鳴くその季節に、わたしはその二人と出会った。

その日、わたしは地方から引っ越してきたばかりで、友達がいなくて、内心ちょっと不安で。

そんなときに、マンションのお隣の部屋に、同い年の兄妹が暮らしていることを知ったのだ。

『――ねえ! お名前なんてーの?』

訛りの入り交じった話し方で、いきおいそんな風に訊いたのは、嬉しかったからだ。

一目で友達になれると思った。

子供というのは不思議なもので――あるいは当時のわたしだったからかもしれないけれど、そういうのが直感でわかってしまうのだ。

男の子のほうが名乗った。

『きょ……京也。結城京也』

『きょうや……きょうやくん……んじゃ、きーくんだね。よろしく!』

思い返してみれば、あのときのきーくんは子供ながらに『初対面なのに馴れ馴れしいなこいつ』という顔をしていたけれど、当時のわたしの強引さには抗えなかったようで、ぎゅぎゅーっと一方的な握手を受けるがままだった。

『そっちの子は?』

きーくんの背中には、ちっちゃな女の子が隠れていた。

見るからに人見知りっぽい、彼の妹。

当時4歳だった彼女に、わたしは目線を合わせた。

『こいつは――』

と、きーくんが紹介しようとしたときだ。

女の子がきーくんの背中からこそっと顔を覗かせて、か細い声で言ったのだ。

『……××……です』

きーくんが驚いた顔をしていたのを、よく覚えている。

きっと彼女が自分で名乗ることが、とても珍しかったのだろう。

当時のわたしは、それに気付いてかどうか、いっとう嬉しくなった。

『うん! よろしくね、××ちゃん!』

勢い込んで言うと、彼女はまたささっとお兄ちゃんの後ろに隠れてしまったけど、わたしは満足だった。

きっと仲良くなれる。

その直感の正しさを確かめたからだ。

『それで、君は?』

きーくんに言われて、わたしはまだ自分が名乗ってないのに気付いた。

『わたしはね……亜沙李(あざり)、っていうの』

わたしは照れ笑いをして誤魔化しつつ……初めて、兄妹に名前を教える。

『薬守(くすもり)亜沙李(あざり)! アサリじゃなくて、あ・ざ・り!』

これが、わたし――薬守亜沙李と、結城兄妹との出会いだった。

小学校に上がって最初の夏。

7歳の夏の日のこと。

世界さえ超えて連なる、因果の始まり。

◇◇◇―――――――◇◇◇―――――――◇◇◇

『えー、では、完成をしゅくしましてー……ばんざーい! ばんざーい!』

完成した雪だるまの前で、わたしはテレビで見た政治家の真似をした。

小さい頃のわたしは、テレビの真似ばかりしていたと言う。

多かれ少なかれ、子供というやつは見たものを真似するものだけれど、わたしのそれはその中でも過剰だった。

さすがに記憶がおぼろげだけれど、たぶん、当時のわたしは探していたのだ。

有り余るエネルギーを注ぐに足る何かを。

特に何が好きということもなく、特に何かやりたいわけでもなく。

何でもいいから何かないかと、自分にできることを探していた。

こればかりは、特に何の因果もなく、わたしという魂がそういう星のもとにあるということなのだろう。

したいことがわからず。

自分だけの何かがなく。

だから、誰かを真似することしかできない。

2回もの生に渡って同じことを繰り返しているのだから、これは筋金入りだと言わざるを得なかった。

対して、きーくんは優秀な子だった。

勉強もスポーツも上の中くらいでこなして、人当たりも悪くない。

わたしが思いつきで変なことを言っても、仕方ないなあって顔をしながらちゃんと付き合ってくれる。

すごいなあ、って、わたしはいつも思っていた。

何でもできる。

だからきっと、何にでもなれる。

けれど、彼は決して、何かを極めようとはしなかった。

そこそこにこなし。

まあまあにやり過ごし。

残ったエネルギーを、わたしや××ちゃんに振り分けるのだ。

彼は、お為ごかしでもお世辞でもなく、優しくていい人だった。

そして、××ちゃん。

彼女は、極度のお兄ちゃん子だった。

いつも兄の背中にぎゅっと掴まっていて、少しでもきーくんがいなくなると『お兄ちゃんどこー?』と泣き始める。そういう女の子だ。

小学校に入ってからは多少マシになったけれど、根本的には変わらなかった。

わたしときーくんは、確か小4くらいまでは一緒にお風呂に入っていたけど、あの子は結局いくつまで入っていたのか。

高校の頃に『妹がまだ俺と風呂に入りたがって……』ときーくんに相談された覚えがある。

その頃には、彼女も中学生の立派な女の子だ。

まったくおかしいとは言わないけど、オブラートに包まずに言えば、極度のブラコンの行動であることには違いなかった。

そんなお兄ちゃん子も、わたしにだけは懐いてくれた。

『あざり』という名前が言いにくかったのか、『ありお姉ちゃん』と呼んで――最初は『あーりお姉ちゃん』だったのが短くなったのだ――兄ほどじゃないにしろベッタリだった。

わたしも、彼女を実の妹のように可愛がった。

一人っ子だったというのもあって、わたしの感覚としては、本当の妹とあまり変わらなかった。

だから、なのだろう。

わたしときーくんが、関係を一向に変えようとしなかったのは。

『周りの言うことなんて気にしちゃダメだよ。なーんにもできなくなってつまんないよ?』

『別に気にしてるわけじゃないって。いちいち反論するのがめんどくさいだけ』

『反論しなきゃいいのに』

『言われっぱなしはムカつくだろ。あいつら、お前のことまでバカにするんだ』

小学生も高学年になった頃――きーくんが周りの目を気にしてわたしから距離を取っていた頃に、そんな会話をしたのを覚えている。

きーくんが真剣な顔で、わたしのために怒った顔をしたのを覚えている。

それを見て、自分の胸が、どうしようもなく高鳴ったのを、覚えている。

もっと構ってほしいと思った。

もっとお話ししてほしいと思った。

もっとわたしを見てほしいと思った。

けれど。

『ま、わたしのことはいいんだよ』

と、わたしは言った。

『わたしなら色々あるんだなーってわかってあげられるから、別にいいんだよ。でも、××ちゃんはそうじゃないでしょ?』

わたしたちは、幼馴染みである以前に、男女である以前に。

彼女の、姉と兄だったのだ。

そして、きーくんに彼女ができた。

中学の頃のことだった。

◇◇◇―――――――◇◇◇―――――――◇◇◇

『兄さんに彼女ができました』

と報告してきたのは、本人じゃなくて妹の××ちゃんだった。

小学校高学年になった彼女は、以前の人見知りが鳴りを潜め、礼儀正しい社交的な女の子に成長していた。

成績優秀でスポーツも万能。

わたしのほうがちょっと惨めになるくらいの、超小学生級の優等生だ。

ただし、お兄ちゃん子――もとい兄さんっ子は相変わらずだった。

……いや。

あるいは、悪化していたのかもしれない。

このときのわたしは、それどころじゃなくて気付きもしなかったけれど。

『……へえ~……』

と、わたしはなぜか平然ぶった返事をした。

『そっ……かぁ。きーくん、やるなぁ~』

『いいんですか?』

××ちゃんは、まっすぐな視線でわたしを見た。

『いいんですか?』

誤魔化しは許さない。

そんな意思を込めるように、彼女は同じ言葉を繰り返した。

『……きーくんがいいんなら、いいんじゃない?』

嘘だったけど、本心だった。

よくはない。

だけど、きーくんが決めることだ。

『……そうですか』

温度の下がった彼女の表情と声に滲んだもの。

それは失望――ではなく。

安堵に見えた。

『その程度だ(・・・・・)ってことですね』

それだけ言って、彼女は背を向けた。

そして、スカートからスマホを出して、何かの画面を見た。

あの画面は……。

『…………わたしも、ですけど』

××ちゃんは小さくそう呟くと、足早に去っていった。

一瞬だけ見えた彼女の瞳は、雪の結晶よりも冷え冷えと凍りついていた……。

それから3ヶ月後、きーくんはあっさり彼女と別れた。

フラれたらしい。しかもLINEで。

わたしはその話を聞いてけらけら笑ってみせたけど、内心では『なんだその女』とキレていた。

きーくんを雑に扱われたことで、わたしの気持ちまで馬鹿にされたように思えたのだ。

陰湿さとは無縁の女子を自負するわたしは、だからって相手の子に嫌がらせをするようなことはなかったけれど、本当はビンタくらいしてやりたかった。

小学生のわたしだったら、たぶん実際にそうしていただろう。

しかし、中学生のわたしは多少なりとも大人だったので、大人らしく大人しく、我慢をしたのだった。

……けれど、あの子はどうだったんだろう。

どんな風に思っていたのだろう。

超優等生に成長した彼女は、けれどどこか危なっかしいところがあった。

わたしの直情傾向ときーくんの優等生ぶりを足して10倍くらいにしたような、氷河を力尽くで進む砕氷船めいた空気を帯びていた。

実際、一度だけだけど、彼女が問題を起こしたことがあった。

同じクラスの女子を、不登校にしたのだ。

殴ったわけではない。

いじめたわけではない。

その場面を見たわけではないけど、彼女は淡々と、冷然と、その子を否(・)定(・)し(・)続(・)け(・)た(・)のだと言う。

つまり、口先だけで、心をぽっきりとへし折ってしまったのだ。

なんでそんなことをしたのかと訊くと、彼女はこう答えた。

『兄のことが好きだなんて気持ち悪いって言われたんです』

静かな――あまりに激しすぎて静かに感じる怒りが、その目に籠もっていた。

『きょうだいのことが好きで、何がいけないんですか?』

わたしは――答えられなかった。

その凍てつくような怒りを前にして、薄っぺらな道徳を説くことはできなかった。

その件について、結局彼女は、反省を見せることさえなかった。

反省すれば、大切な何かへの冒涜になる。

そう言わんばかりに、反省文の1行さえ書くことはなかった。

……そんな子だったから、わたしもきーくんも、まだまだ彼女から目を離せなかったのだ……。

そうした事件のあった中学時代を終え、高校に入る頃、わたしは引っ越すことになった。

およそ8年に及んだ結城家との近所付き合いは、終了することになった。

幸い、引っ越し先はそう遠くなく、わたしはきーくんと同じ高校に通うことになった。

彼とはクラスメイトとして、そして幼馴染みとして付き合いを続けたけれど、家が離れたことによって、必然的に××ちゃんとの接点は少なくなってしまった。

……きっと、それがいけなかったのだ。

すぐ近くからきーくんが――そして、少し遠くからわたしが。

二人で、二人の目で、彼女を見ていなければならなかったのだ。

栓のないことだけれど。

そうすれば、きっと――

彼女が悪魔と化すことは、なかったのだ。

◇◇◇―――――――◇◇◇―――――――◇◇◇

高校3年間。

わたしはきーくんと、一介の高校生として過ごした。

文化祭で騒いだり、体育祭で応援したり、修学旅行でこっそり話したり。

その間、中学生の××ちゃんは何の問題も起こさなかった。

一分の隙もない優等生として、とてもうまくやっていた。

少なくとも、きーくんからはそう聞いていた。

だから。

3年をかけて……わたしたちはゆっくりと、肩の荷を降ろしたのだ。

放っておけない妹の、姉と兄という荷を。

わたしたちはまず、ただの幼馴染みになり。

ただのクラスメイトになり。

ただの、女の子と男の子になり。

そして――

――卒業式の日だった。

人気のない、夕焼けが射し込む教室。

照れてしまうくらい、ベタなロケーションだった。

わたしは躊躇うことなく、彼に告げた。

『好きです』

緊張はなかった。

心の準備は、3年かけてやったから。

出会ってから11年。

このときのことを考えていたから。

『ずっとずっと、好きでした』

正面のきーくんは、それを聞いてほのかに微笑んだ。

それは、安心したような顔。

たぶん、今のわたしと同じ顔。

不安なんてどこにもなかった。

あるべきものが、あるべき形に収まる。

予定調和の答えを、わたしは待った。

きーくんは迷いなく答える。

『俺の彼女になってくれ』

――わたしたちは、彼女と彼氏になった。

そして数日後、彼は妹と共に姿を消した。