Drop!! ~A Tale of the Fragrance Princess~ (WN)

Breathing is an important time.

大書架に寄る際、コーデリアは時折シルヴェスターとヴェルノー、それからクライヴに菓子を差し入れるようになった。そして時間が合えば一緒に食べることもあるし、紅茶も振舞われている。

シルヴェスターから初めて紅茶を振舞われた時、コーデリアはそれが想像以上に美味しかったことに驚いた。もともとジルが几帳面そうな性格をしているのは知っていたが、それでも王太子自ら淹れる紅茶があまりにも美味しいというのは意外でしかない。なにせ、相手は生まれながらの王族だ。

(淹れたことがないほうが普通なのに……)

とはいえ幼少期からの行動を思い返してみれば、淹れられても不思議ではない。たとえその横で『ジルが淹れる茶も美味いだろう』と、自分の手柄のように言っているヴェルノーが全く淹れられなかったとしても、『ジル』であればなんとなくわかる気がする。

しかし、だからといってコーデリアも毎回お茶を振る舞われているわけではない。

あくまでも『時間が合えば』だ。

たとえば今日は事前にヴェルノーから忙しい日だと聞いていた。だからコーデリアは差し入れを行ったあとは長居せずに大書架に向かうつもりだ。

一応日を改めて訪ねるという選択肢もあるのだが、あいにく数日後にはコーデリアはパメラディア領に出向く予定がある。店の関連のこともあり、出立前に大書架に来ることができるのは今日が最後だ。

(殿下は以前疲れた時ほど甘いものがより美味しいと仰っていたし、ヴェルノー様はいつでもお喜びになれるし……渡すだけなら今日でも問題ないわね)

時間も大してかからないし、悪いことではないだろう。

しかしそこまで考えたコーデリアは、はっとひとつのことに気が付いた。

(……ご本人の前では殿下ではなく『ジル様』と、お呼びしないと)

もちろん周囲の状況を見てということが前提だが、コーデリアはなるべく『ジル』と呼ぼうとは努力している。だが意識はしていてもふとしたときに『殿下』との敬称がでる。これはもう反射のようなものなので、慣れるまでは仕方がないと思っている。

ただし、それはあくまでコーデリアの考えで、シルヴェスターの考えは違っていた。

シルヴェスターは呼びにくいなら慣れるまで呼べばいいと考えたらしく、コーデリアが『殿下』と呼ぶと何回かに一度『呼ぶ練習、してみようか』と提案する。

『ジル様』と呼ぶこと自体に抵抗がなくとも、呼ぶ練習というのは恥ずかしい。そのため呼ぶ練習の阻止につとめるならば、コーデリアが呼び間違えないというのが一番早い解決法になるのだ。もっとも、まだまだ時間との戦いにはなりそうではあるのだが。

しかしそうこう考えているうちに正面から歩いてきた人影を見て、どうやらコーデリアがシルヴェスターの元に向かわずともよくなったらしいと知った。

なぜなら、正面からやってきたのはヴェルノーだったのだ。ヴェルノーに菓子を渡せば皆に届くし、行って邪魔をすることもない。一石二鳥の名案だ。

コーデリアはいつもの挨拶をヴェルノーに行い返答を受けた後、手にしていた菓子を手渡した。

「こちら、皆様で召し上がってくださいな」

しかし菓子を受け取ったヴェルノーは不思議そうな表情を浮かべた。

「寄って行かないのか?」

「お忙しいでしょう。お邪魔はいたしませんわ」

そもそも忙しいといっていた本人が何を言うのかとコーデリアが首を傾げれば、ヴェルノーは何か意味ありげな表情を浮かべていた。

「あっさりしているな?」

「あっさりも何も、執務の邪魔をするような真似はできませんもの」

それくらい、ヴェルノーだってわかっていることだろう。むしろヴェルノーであれば邪魔をされたときの気持ちまで分かるのではないか。

コーデリアはそう思ったが、決して口にはださなかった。

こういう時に浮かべている、今のようなヴェルノーの表情は大概ろくなことを考えていないと物語っている。だから探らないことこそが自己防衛だ。

そう判断したコーデリアは余計なことを言う前にと、急ぎ大書架にへと足を向けた。

※※※

しかし大書架への道中、コーデリアは今度は木箱を抱えいるクライヴと出会った。

相変わらずクライヴは眉間にしわを寄せ、神経質そうな様子である。

(……いや、あれはお荷物が重いというお顔かしら)

よく見るとクライヴの指先が白くなり、少し震えているような気がする。邪魔になってはいけないと、コーデリアは大きく道を譲り、そして足を止めさせるのも申し訳ないと思ったので一礼した。

しかし、それに気付いたクライヴはコーデリアの考えに反して足を止めた。

「いらっしゃっていたのですか」

「ごきげんよう、クライヴ様」

「ごきげんよう。殿下の元へは、この後?」

方向からコーデリアの目的地が大書架であることが分かっただろうクライヴは、質問でありながらもほぼ確信を持った様子でそう尋ねた。ヴェルノー同様、コーデリアの大書架訪問と茶菓子の時間はセットのように考えられているらしい。

だからコーデリアは苦笑して首を横に振った。

「今日はお忙しそうですので、またの機会にさせていただこうかと思います。ですが、先ほどヴェルノー様にお会い致しましたので、お菓子はお預けさせていただきました。クライヴ様も是非一緒に召し上がってください」

コーデリアの言葉に、クライヴは眉間の皺を深くした。

しかしコーデリアは特に気に触るようなことは言っていないはずだ。

不思議に思ったコーデリアが首を傾げそうになっている中、クライヴは口を開いた。

「私やヴェルノー殿のことは気にせず、殿下にだけ差し上げていただいても結構ですよ。手間もかかるでしょう」

そう言ったクライヴの表情は大真面目だった。

その言葉にコーデリアは目を瞬かせた。

コーデリアはそれほど大量の菓子を作るわけではなく、一人分でも三人分でも変わらないと思っている。だが、よくよく考えればクライヴが菓子作りを知るわけがなく、手間がかかると思っていても不思議ではない。普通の一般的な貴族であれば、まず菓子どころか料理をする機会も珍しいのだから。

「お気遣いありがとうございます。でも、クライヴ様。私は決して殿下だけにお作りしているわけではございません。『殿下にも』が正解です」

「そうなのですか?」

「はい。だって、私は友人の息抜きのお供を持ってきているだけですもの」

むしろ、どちらかと言えばシルヴェスターよりヴェルノーのほうが菓子菓子と言っている気もしなくはない。ただ、それを口にすればクライヴが目じりを吊り上げそうな気がしたので黙っておいたが。

しかしコーデリアの言葉に、クライヴは面食らった様子であった。

(そこまで驚かなくてもいいと思うのだけれど……?)

クライヴも普段から一緒にお茶を飲むこともあるので、現状のコーデリアとシルヴェスターの関係が友人以外に形容できるものではないことを知っているはずだ。だからむしろ何を驚くことがあるのかと思えば、クライヴは大真面目に呟いた。

「失礼。もしや……とは思っていたのですが、本当にまだお返事はなさっていなかったのですね」

「……というのは?」

「諸々の調整が終わるまで、隠していらっしゃるだけなのかと」

その言葉にコーデリアは吹き出しそうになったが、ぐっとこらえた。

諸々の調整とは、いったい何のことを指しているのだろうか。

むしろ、彼はいつも見ている光景に何を思っていたのだろうか。ずいぶん現実とかけ離れたものを想像されていた気がするのだが……。

しかしそうしてコーデリアが考えている間にクライヴもまた何か考えているようだった。

「……では、大書架の用事が終わりましたら、私を訪ねてください。しばらくは第三書庫で作業をしております。貴女がいらっしゃった折には通すよう、話をつけておきます」

「え? あの、なにか私にご用事が?」

コーデリアにはクライブに頼まれる用事に心当たりはない。

むしろ今まで個人的な頼まれごとを受けたことはないと思うのだが、特に大書架への訪問を急いでいるわけではないので、何か用事があるならそちらを優先してもいいくらいだ。

そうすればついでに、重そうな荷物を運んでいるクライヴの手伝いもできるだろう。男性に対してそれを申し出ることはどうなのだろうと思わなくもないが、こうして話をしている間にもクライブの手は常に辛そうに小刻みに震えている。だから少しくらい手伝ってもいいはずだ。

しかしクライヴはそんな指先の事情を感じさせない様子できっぱりと言い切った。

「いえ、優先いただくほどのものてはありません。単にお茶を飲んでいきませんかという誘いですから」

「え? ……お茶、ですか?」

「殿下自らお茶を淹れる余裕はなくとも、飲むくらいの休憩はしたほうがいいでしょう。友人が訪ねてきたというのであれば、後で休むとは言っていられませんし」

コーデリアが遠慮したことを主張するクライヴに、コーデリアはまたもや驚かされた。

クライヴの主張は、むしろ邪魔しに来いということらしい。ヴェルノーも寄って行かないかとコーデリアに声をかけていたので、シルヴェスターの忙しさというのは一刻を争う修羅場ではないのかもしれない。

けれど、それはあくまでも二人の意見であり、シルヴェスターが集中しているというのであれば邪魔になりかねないと思う。だから現場を見ていないコーデリアは『では、お邪魔いたします』と言えるだけの材料が揃わない。

しかしそれを見越してか、クライヴはコーデリアの顔色を窺うことなく話を続けた。

「殿下は集中しすぎると本当に休まれません。ご友人であれば、殿下のためにもお茶くらい付き合ってくださってもよいでしよう」

「ですが……」

「今の殿下の状況をわかりやすくいえば、貴女の父君のようなものかと思いますが。休めと言われても休まないとお聞きしていますので」

それは完全に休みを挟んだほうがいい状態だ。

そう、クライヴの説明でコーデリアは理解した。先ほど想像したよりは忙しいのかもしれないが、休憩を挟まなければパフォーマンスも落ちてくる。

もっとも、冷静に考えればそもそも規則に忠実であるタイプのクライヴが言うのだから間違いはないのだろうし、反論できる余地も思い浮かばないのだが。

(でも、当初警戒されていたことを思えば、すごい変化ね)

昔は警戒心を解いてもらうためにエルヴィスを引き合いにだしたこともあったが、それでもシルヴェスターに近づこうとしたら確実に逆鱗には触れていただろうと思う。

もちろん、当時は近づく気なんて更々なかったのだけれども。

「では、了承ということでよろしいですか」

「あ、……はい。でも、改めてなんですが……殿下の友人と言うのは、すごい言葉ですね」

「今更でしょう。それに、先ほどは迷いなく言い切られたではありませんか」

「その言葉を訂正する気はありませんが、あえてあまり深く考えたことがございませんでしたので」

しかし改めてそう思ったところでまったく焦る気持ちが湧かないのは、おそらくシルヴェスターがジルであったという衝撃を先に感じてしまったことがあるからだろう。今後、たとえ予想外のことが起きたとしてもたいていのことには余裕を持って接することができるだろうと思わされるくらい、驚いた。

しかしそう言ったコーデリアに、クライヴは呆れたような言葉を投げた。

「深く考えた上で友人と仰るなら少々殿下が不憫だと思いますから、それでよろしいかと」

さらっと言われた言葉は、コーデリアにとって少々居心地が悪い。

別にシルヴェスターに色の良い返事を白と言われているわけではないのだが、その不憫の原因が自分にあるとするなら、なんだか申し訳ない。ただ、申し訳ないと思うのもおこがましい話をなのかもしれないが。

「別に私はどちらに転んでもよいと思いますよ」

「……え?」

「顔にでていますよ。あまりストレートに顔に出す方ではないのに、よほど、この手の話題は苦手なのですね」

指摘は受けたものの、自分の顔がどのようになっているのかわからない。しかしクライヴはそれ以上そのことは説明しなかった。

「いずれにしても殿下自身、どう転んでも友人である貴女に決意を委ねたいと願っているのですから、別に想いが実らなくても本望でしょう」

雑かつ酷い物言いは、シルヴェスターに対する普段のクライヴの言葉とはいささか異なっている。どちらかといえばヴェルノーが言いそうな言葉にも聞こえた。

そのらしくない言葉は、コーデリアを思いやってのものなのだろう。

なので、ここはコーデリアもその思いやりに流されることにした。

「では、今日は私は友人としてお茶をお淹れさせていただけませんか? クライヴ様にはお出ししたことはありませんが、それなりに上手に淹れられるんですよ」

「興味はありますが、それはいけませんね」

「……いけませんか?」

まさか即答で却下されるとは思っていなかったので、コーデリアは目を瞬かせた。

そんなコーデリアには対し、クライヴは真顔で言い切った。

「またの機会にしてください。どうせなら、仕事が落ち着いたときに淹れると仰ったほうが、殿下の気合いもより入るでしょう」

休憩はとって欲しいが、気合いを込めてしっかりと働いてほしい。クライヴの考えはそういったところだろうか?

アメとムチとはこういうことを言うのかと、コーデリアは苦笑した。

「では、またの機会にさせていただきますね」

「そうしてください」

幸いに時間はこれからまだまだたくさんあるし、今日でなければいけない理由はひとつもない。ひとまず今日は、次にお茶を淹れる約束でもしようかとコーデリアは思った。