Dungeon+Harem+Master

LV184 "Twelfth Hierarchy"

洞窟亀を退治した苦労もあってか、第十一階層をほどなく踏破し終えた。これも、すべてネリーから受け取った「かくし路」の秘図のおかげである。いまだ、低階層であるとはいえ、一階層降りるのに数日を要していたことを考えれば、休憩も入れて十時間程度で攻略し終えるとは、蔵人たちにとっては快挙といっていい成果であった。女たちの足取りも疲れを感じているはずなのに、どこか軽い。気分が肉体を凌駕しているのである。とはいえ、先の長さを考えれば無理をしてもあまり意味はない。

蔵人は、第十二階層へ降りると、すぐに手頃な野営地を見つけて、テントを張った。背後を壁際に取り、できるだけ周りが見渡せる平坦な場所がベストなのだ。テントの四方に溝を掘り、岩から染み出してくる水気に備えた。

それから、簡易的なカマドをこしらえると煮炊きをはじめさせる。そもそもが、野天においては、真夏だろうが真冬だろうが例外なく火を焚くことはあたりまえなのだ。真夏でも、天候の変化や朝夕においては信じられないほど気温が下がることがある。ましてや、ここは地上の常識が通用しないダンジョンである。特殊な光を発するコケの自生していない場所では、基本的に闇である。現代人の都市生活者にはあまり馴染みがないが、真の闇夜というものは、深く、それだけで心に恐怖心を呼び起こすものである。特に、このダンジョンでは、生物の分布が未知数で、学術的にも、どこにどんなものが棲んでいるかよくわかっていない。

夕食を兼ねた栄養たっぷりのエネルギー食をとり終えると、一同は、見張りをメリアンデールが作成したゴーレムに任せて、テントに潜り込んだ。無論、火を絶やさないため、内部では交代で立てているが、今日は多めに結界を張ったことによって、警戒をややゆるめた。テントの中は、一応、内張りを二重にしてあるので、人いきれで少し暑いくらいだった。

蔵人が、シュラフの上でゴロゴロしていると、各々はそれぞれ寝支度にかかっていた。化粧を落としたり、着替えたり、髪を梳いたり。もちろん、本眠するわけではないが、できるだけリラックスしたほうが疲れは取れるものなので、あえてそうしろと全員に通達しておいた。なんとはなしに、視線を動かしていると、長い髪を丁寧に手入れしているレイシーと目が合った。彼女は、なんとなく恥ずかしそうに笑うと、あまり意味はないのに隠れる素振りを見せた。レイシーとは、銀馬車亭でいっしょに暮らしていたこともあり、また、幾度も肌をかわしているのであったが、こういう初々しい仕草を見せつけられると、ちょっとこそばゆい気分になった。

(そーいや、これぞまさしくハーレムってやつだもんなぁ。テントの中は女の匂いでプンプンすらぁ。俺も、なかなかこの生活に慣れたってことかな)

蔵人はチョットの隙を盗み取って、嫁たちと「健全な愛」を交わしあっていたが、さすがに、まだ全員と乱交をおっぱじめる気にはならなかった。

(第一、女を抱いてる途中でモンスターに襲われておっちにましたじゃ、世間さまに顔向けできねーしな。我慢も覚えにゃ。……ああ、クソ。意識したら、また息子が元気になってきやがったぜ。ちくしょうめ)

事実、この中の女たちは、ロムレスの法律的にも蔵人の歴とした妻であり、慣習的にいって無理やり押し倒してもなんの問題もない。むしろ、ロムレス教的には、ばんばん種を打ち込んで子供を作ることが推奨されているくらいである。チラと視線を動かすと、ジッとこちらを見ていたポルディナが、わずかにニコリとほほ笑んだ。匂いたつような媚態を目にすれば、脳の芯が煮え立つようにクラクラする。隣に顔を返せば、薄化粧に直したばかりのメリアンデールがもの欲しげに人差し指を咥えながら、膝を崩していた。白く輝く膝小僧が健康的である。一度はじめれば、たぶんキリがないだろう。蔵人は、とりあえず自制を利かせると、無理やり自分を押さえ込んでシュラフに潜り込んだ。

「……いくじなし」

放っておいていただきたかった。

「おーい、もう寝るぞ。電気消せー」

「はいなー」

ヒルダの声と共に、ランタンの灯火が、フッと小さくなる。無論、安全のため完全な闇にはしないが、かなりムードのある雰囲気程度に明度は絞られた。これは、妙な気分になってもしょうがないだろう、といいわけは立つ。

(だって、ぼくたちまだ若いし、愛し合ってるんだもん)

この場合、蔵人の愛=性欲である。いわずもがな。

「いっておくが、この中で不埒なマネをしてみろ。許さないからな」

蔵人を警戒してか、一番端で寝転がっているヴィクトワールの敵意が篭った声が響く。

同時に、明りを消した闇から一斉に激しい舌打ちが聞こえた。

周囲から発せられるムンムンとしたなんとも形容し難い怒気に、ヴィクトワールが怯える気配を感じ取り、ちょっとだけ気の毒に思う蔵人であった。

もちろん、トイレに立ったふりをして、時間差で上手く楽しんだのはいうまでもない。

翌朝、朝食をすませて各自が出発準備をしていると、ポルディナに靴ヒモを結ばせている蔵人のもとへと珍しくヴィクトワールがやってきた。

「なあ、おまえ。……なんでもない」

「なんだよ。奥歯にものが挟まったようないいかたしやがって。聞きたいことがあるなら、なんでも話してほしいな。このお兄さんに」

「くっ……!」

ヴィクトワールは昨夜のことを思い出したのか、急に顔を赤らめて片手で隠す。

白い肌がサッと朱に染まっていくさまは、見ていててからかい甲斐のあるもだ。

(ふん。おめーのいいたいことはわかってる。昨日のアレのことだろ)

結局のところ、蔵人は大車輪もかくやというハッスル具合で、ヴィクトワールを除く女たちと一巡した。おかげで、今朝は、少し腰が痛い。はじめは、声を抑え気味に楽しんでいたのだが、後半は女たちも、ダンジョンという非日常性で興奮したのか、蔵人がむしろ引くくらいのテンションで大声を出していた。

(特にレイシーがすごかった。と、いうか、ヤってる俺が恥ずかしいんだよ)

独り身を無理に決め込むヴィクトワールにはずいぶんとキツかっただろう。

「だが、俺の愛を拒むおまえが悪いのだよ」

「なにをいっているんだ! まったく、前後の文脈に繋がりがないではないか。このっ、このっ。淫獣がッ!! もう、頼むから、私の近くに寄らないでくれないかっ。これ以上は、もうたくさんだっ」

蔵人の足元に跪いていたポルディナがフッと鼻先でせせら笑った。彼女は、なぜか昨日よりもむしろツヤツヤした顔色で、あからさまに目の前で騒ぐ女を見下しに入っていた。

ヴィクトワールの頭から機関車のように湯気が出る錯覚を幻視して、女って怖ェな、と再認識する蔵人であった。

回復したかわからない顔色で蔵人が出発の合図をかけた。

第十二階層の攻略開始である。

異常なほど軽快なペースでダンジョンは踏破されつつあった。蔵人を除いたメンバーは昨日の疲れもまるでないかのように、談笑しつつ歩いている。懸念していたモンスターの登場もない。ほどなく、道筋は砂礫帯へとさしかかった。細かな砂利や小石の散らばった道はとかく歩きにくいものである。だが、現代人とは違った足腰で、女たちは苦もなくひょいひょいと進んでいく。手を貸してやる必要もなく、うかうかすると、こちらが追い抜かれていきそうな気配すらあった。

「よし、中々いい調子だな」

蔵人は自分を鼓舞すると手にした「かくし路」の地図をジッと凝視した。紙片は、細密画のような道筋に朱色の線が引かれており、あちこちに繊細そうな字で書き込みが刻まれている。この世界の文字はまるで読めないが、長らく見続けているうちに、やや角ばった感じのものがネリー、神経質そうな文字がルッジだという程度に見極めはできていた。

細かな石塊が連なる道が終わると、今度は完全に砂だけになった。ランタンを使っても、せいぜい足元程度しか視界は確保できない。魔術で、明りを取ることはできるが、ルッジの負担を思えば緊急時以外はあまり使用できなかった。自然、歩調はやや落ちた。が、女たちは漆黒に包まれた前方を恐るどころか、むしろ楽しみはじめた。

目の前の道は、いわゆる「砂走り」であり、一気に駆け下りることができる具合であった。娯楽の少ない時代である。彼女たちは、蔵人の制止も聞かず、ほとんど走るようにしてすべっていく。考えれば、ルッジとアルテミシアを除けば、ほとんど年代が、中高生くらいなのだ。ちょっとした変わったことや、状況の変化を楽しんでしまうのは本能のようなものである。あの忠義だけでできているポルディナですら、しっぽをヒクつかせて駆け出すのを全力で我慢している。もっとも、数時間が経過すると、皆が一様に飽きはじめた。

「ねえ、まだ、つかないのぉ」

「クランドさんの嘘つき……」

「俺はなんもいってない」

なにしろ砂だらけの傾斜が延々と続く坂である。好む好まざるに関わらず、足元は無理やり前に進むことを要求される。最初は、勢いがついて楽しいかもしれないが、常に訓練を行っているアルテミシアですら鎧の重さが負担なのか、呼吸が荒くなっていた。

「どこか、休むところがあればいいのですが」

「おまえはぜんぜん平気なのな」

「はい。私はへいきです」

ポルディナはいつもと変わらない様子でケロリとしていた。獣人族は、人間に比べればはるかに高い持久力及び耐久力を持ち合わせている。特に、その中でも戦狼族(ウェアウルフ)であるポルディナの身体の強さはずば抜けている。息を長く吐き出し、足取りをゆるめていると、先行していたルールーが注意喚起を促す指笛を鋭く吹いた。

「それにしても、噂どおり、退屈させないダンジョンであるな」

剣を引き抜くヴィクトワールの背中が砂の中へと深く沈み込んだ。

「明りを――」

素早くポルディナがランタンの光を斜め下に向ける。

そこには、灰色の海で蠢く五つほどの影が確かに見えた。砂の塊。やがて、人間ほどの大きさに膨れ上がるとゆくてを遮るよう、放射線状に広がっていった。脇に控えていたルッジが素早く敵影を断定した。

「サンドマン。ダンジョンの砂礫帯に生息するモンスターさ」

砂男の異名を取るモンスターは、すべるようにして一気に距離を詰めていた。

「やっ!」

間近にいたルールーが素早くナイフを投げつけるがサンドマンは刃が到達するより前に音を立てて砂の中へと潜っていった。

ほぼ同時に、残りの影がグレーの海に埋没していく。

ルールーは突出しすぎている。そう断じてポルディナを前線に投入しようとしたとき、立っていたルールーの身体が一気に腰深くまで飲み込まれていった。

「やっ、いやっ……」

いつもの冷静さはどこへやら、ルールーは小娘のように怯えきったまま両腕を無闇矢鱈と振り回しはじめた。

(そうか。ルールーは、カナヅチだ。だから、溺れた錯覚で動けなくなって……!)

「いま、いくぞ!」

蔵人が反射的に飛び出すと、たちまち目の前の砂がモコモコと膨れ上がった。

サンドマンは人をあざ笑うかのように両手を広げてとおせんぼをしている。

「どけってんだよ、このクソ野郎がッ」

黒獅子を引き抜くと真っ向から叩きつけた。が、砂男は、なんの手応えもなく姿をざあと崩すと、再び砂の海に逃れてしまった。歯噛みしている暇はない。走り出そうと一歩踏み込むと、足首を掴まれた。結果として、顔面をしたたかに打ち据えるハメになった。

「んべっ!?」

「なにをやっているんだッ!」

叫んだヴィクトワールが駆け出すよりも早く、いつの間にか側面に回り込んでいたアルテミシアが砂を蹴って飛び上がった。聖女の槍(ホーリーランス)の穂先が砂の中へと垂直に立てられる。腹の底が冷えるようなおぞましい叫びが流れ、砂地は徐々に赤みを増していった。ヴィクトワールもアルテミシアを見習って剣を垂直に落とすが、サンドマンは危険地帯にとどまり続けるほど知能が低いわけではないようだった。

「あたしに任せて!」

ここで進み出たのがレイシーである。彼女は目をそっとつむると、喉を枯らして、とても人間では出せないような音域の声を出した。

「なんだこの声はッ」

「み、耳が」

「みんな! 耳を塞ぐんだッ!!」

ハーフセイレーンであるレイシーは自在に音域を変化させ、状況に応じて声質を自在に操ることができる。誰に習ったわけでもない。彼女は、ダンジョンに身を投じることによってその才能を開花させつつあった。

ハウリングにも似た独特の音は、地中に向かって放射され、同時に、こそこそと逃げ隠れするサンドマンを残らずあぶり出す結果となった。

ほどなく、砂に潜った異形の生物たちは、自らその身を地上に露わにすると、耳朶から赤黒い血潮を噴出させ、間を置かず絶息した。

サンドマンの正体は、この洞窟内に棲まう独自の進化を遂げた“砂猿”であった。

無毛であり、灰褐色の肌を持つ彼らは、砂地を通る生物を地中深くの巣穴に引き込み、貪り喰らう性質を持っていた。いまや、サンドマンは、残らず地上へ引きずり出され、無情にも四肢をピンと突っ張らかせて絶命している。苦痛のために、眼球は飛び出し、剥き出しになった牙の間から長い舌が外へ放り出されていた。

トドメを刺す必要もない。完全すぎる勝利であった。

「もうしわけございません、クランドさま」

「いや、いいってことよ。そのうち、平坦な場所に着いたら一服しよう」

サンドマンを破ったのち、蔵人は腰の抜けて動けなくなったルールーを背負いながら、砂地を下っていた。背後では、またもやMVPとなったレイシーが皆の祝福を受けて、恥ずかしげに身をよじっていた。

「それにしても、レイシーはすごいっ」

「私はやればできる子だと思ってましたよ!」

「頼もしいな。これじゃあ、もう、私の出る幕もないな」

メリアンデール、ヒルダ、アルテミシアが立て続けに褒めまくると、レイシーは顔をくしゃっとほころばせて、素直に喜んでいた。

「そう。えへへ、なんか照れちゃうな。てれてれ」

「ふ、ふん。あのくらい、なんだ! 別に、どうってことない。それに騎士たるものだな。かような外法を使わずとも、正々堂々たる剣技によって決着をつける方が重要なのだ!」

「ヴィクトワール。君は、人の功績を認めることのできる素直な心を養ったほうがいい」

「にゃ、にゃんだとおおっ!」

「……ま。誰しも、自分以外の誰かが、あきらかに自分よりまさっているとは認めたくないでしょうから」

「ポルディナ! お、おまえは、私がレイシーに嫉妬しているとでもいいたいのかっ」

「ふぅ」

「なんだそのため息はっ。許さない、許さないぞっ」

ヴィクトワールが頬を真っ赤にして怒鳴っている。蔵人は、顔をヒクつかせながら、とりあえずたいしたケガもなく切り抜けられてよかったと、心から思った。

濃く塗り込めた墨の塊を破るように突き進んでいくと、やがて果てに出た。細かな砂が消え、赤い土と、洞窟独特のコケむしたゴロ岩が増えてきた。

「やった……!」

よほど同じ風景にうんざりしていたのだろう。誰となく安堵の声が出た。

「もう疲れたよー。休もー休もー」

ヒルダが両足を投げ出してジタバタしだした。常時なら、誰かしら彼女の無作法さを咎めたりするのであるが、さすがに二十時間を超える連続行動に疲れたのか、一様に青い顔であえいでいた。蔵人も、まさか、あの傾斜を降りきるのにここまで時間を費やすとは思っていなかった。ほとんど、荷物と化していたルールーを背から降ろすと、この場で野営の支度をはじめた。もはや手馴れた調子でテキパキと動き、火を起こして、食事の準備をする。ここでも、ほとんど疲れを見せないでこまめに動くのはポルディナだけであった。

(そう考えると、ここまで“買い”の娘もなかったな。一千万P(ポンドル)じゃ安いくらいだったな……)

蔵人は、岩の上に腰を下ろしながら、誰よりも熱心に動いているポルディナの姿を見ながらそう思った。器量は抜群で性格は従順そのもの。気回しが素晴らしく、プロポーションは最高。抱いてよし、仕えさせてよし。非の打ち所がない女だ。もっとも、蔵人は、ポルディナの根底に流れている、愛情をはるかに超えた想いを知る由もない。彼女にとって、蔵人という存在は、神に対する信仰よりも、深く、重く、尊い。ポルディナは、ベルベーラ族の慣習として、ディアブリノという土着宗教を重んじていたが、おそらく蔵人が捨てろと命じればあっさり捨てていただろう。それは、別段、彼女が信仰心に薄いわけではなく、あらゆる事象と比べて、蔵人が第一に来るからである。ポルディナにいわせれば、蔵人という存在は、どれほど思いやっても足りないほど、大きく動かしがたい芯である。そんなことを知らない蔵人は、ポルディナのことを「ま、少しは愛してくれていると思うけど……」程度にしか思っていない。彼は、常に自分のことを過小評価する癖があり、それは幼き日の原体験に由来するものであった。

「あまいー、しょっぱいー、おいしいー」

「こら、ヒルダっ。スープとデザートをいっしょに飲み込まないのっ」

蔵人は、疲れきったヒルダが椀の汁と果物を同時に詰め込むのを呆れた様子で見ながら、さじを操った。疲労しきっているときは、甘いものも塩っ辛いものもとにかく旨いのだ。失われた塩分やミネラル、糖分を身体が欲しているからである。蔵人は、よく煮込まれてトロトロになった、鍋の実である鶏皮のゼラチン質の部分をもにょもにょと、よく噛んで味わった。それほど手の込んだ味つけではないが、身体に染みるような塩気が唾液を誘う。

「クランド、焼いたとりさんもどーぞ」

「おおう、あんがとな。レイシー」

「えへへ。どういたしまして」

蔵人は、手渡された串焼きをがぶりと噛むと、口中に広がる肉の脂味に舌鼓を打った。

なにが楽しいのか、レイシーはにっこり笑いながら、食いっぷりを眺めている。

「おう、そういえば、レイシーは先日のボス戦と合わせて大活躍だったな。褒美を取らそうぞ。ちこう寄れ」

「へへー。なにかな、なにかな」

蔵人はレイシーを膝の上に乗せると、串焼きのよく焼けた肉を千切って、幼子をやしなうように食べさせてあげた。

「ほら、あーん」

「あーん。もぐもぐ、おいしいっ」

一同は、突然にいちゃつきだしたふたりを呆然と見ながら、あきらかにモノ欲しげな顔で直視してきた。実は、これも蔵人の姑息な作戦であり、功を立てた将を賞するように、わざと差別化を図ったのであった。せこいやり方であるが、あおりは成功したようだった。

メリアンデールに至っては、蝋人形のように精気をなくした昏い瞳で、レイシーをガン見している。そんな嫉妬には、もはや動じないのか、レイシーはこの特別な扱いを見せつけるようにして、主の寵愛を一心に受ける姫のように、余裕を漂わせていた。

「……忠告だが、いつか、おまえ刺されるぞ」

「はーん? だいじょぶだよ、俺って無敵だし」

「己を過信しすぎだ」

すでに食事を終えていたヴィクトワールは剣の手入れをしながら、片目を開いて告げる。

彼女は、ゆっくりとブーツを脱ぐと、顔をしかめていた。

どうやら、あまりサイズの合わない、しかも探索向きではないヤワなものを履いていたらしい。ブーツから抜いた足首は酷く擦り切れ痛々しい。ヴィクトワールは美麗な顔に苦悶を浮かべながらジッと耐えていた。

「ずいぶん、痛そうだな」

「放っておけ。それとも、まだからかい足りぬというか」

「なわけねーだろ。よし、ちっと待ってろ」

「なんだ?」

蔵人はポルディナに命じて荷物から布の包みを持ってこさせた。

素早く布をほどくと、おどけたように両手を広げた。

「ほらほら、じゃじゃーん」

「靴か……」

それは上品な皮革で造られた女物のブーツであった。薄茶色のアッパーは、油で丁寧に磨かれ、ぴかぴかと光っている。真っ赤なひもは目にも新しく、どこか優雅ですらある。

「なんだ。靴を自慢しようというのか。イヤミなやつめ」

「な、わけねーだろ。プレゼントだよ、プレゼント。フォーユー」

「ふ、ふん。私の歓心を買おうと思って適当に買ってきたのだろうが、そんな行為は意味がないぞ。見よ。この靴ですら、店で合わせてきたのに、このザマだ。おまえの買ってきたものが、私の足に合うわけがなかろう」

「だいじょぶだいじょぶ。リサーチ済みでごぜえますよ、お嬢さま」

「どうやってだ」

「夜な夜な、おまえさんが寝静まった頃を見計らってだな……ああっ。ウソウソ! ハナに頼んで測ってもらっておいたんだよ! な。覚えがあるだろ?」

「確かに、そんなことがあったような――」

「ま、ま、ま。モノは試しといいますです、はい。履いてみてくんねぇ」

ヴィクトワールは靴擦れにしっかりテーピングした上で、蔵人の熱意に押し負けする格好で用意されたブーツを履いた。カカトに痛みが襲うと決めつけ、おそるおそる足首を屈曲させるが、硬いはずの皮革は特殊な製法で縫い合わされ、はじめて履いたとは思えないほどにピッタリしていた。

「……痛くない」

「なんだ、似合うじゃないか。うらやましいことだ」

アルテミシアが、やさしげな垂れ目をさらにくにゃりとさせ、心底うらやましそうにつぶやいた。それを見ていた一同から、きゃあきゃあと歓声が上がった。

日頃、嫌った素振りを見せていた蔵人の心遣いもさることながら、ヴィクトワールの性格上素直に礼はいいづらかった。彼女は、無言で腰を下ろすと、ブーツのひもに指をかけてほどきはじめた。

「ありゃ、脱いじゃうの?」

「こんなものもらういわれはないッ」

ヒルダの言葉が終わらぬうちに、ヴィクトワールは激しく怒鳴った。静かに成り行きを見守っていたポルディナの眉間に、厳しいシワが寄った。

「なあ、君。いくらなんでも、そのいい方はないんじゃないのか。クランドは好意で靴を用意してくれたんだぞ」

一言、いってやろうと前に進み出たポルディナよりも素早く意見をしたのは、冷静なはずのルッジであった。予想もしていない方向からの非難に、一瞬、気圧されるが、ヴィクトワールはそっぽを向くと、無言でルッジの言葉に不快の意を表する。蔵人は、これまで、あまり取り立てて女たちに贈り物をしたことのない男であった。

今回、ヴィクトワールのために用意したブーツは、ダンジョン攻略上必要不可欠だと思って、特別に誂えたものである。

だが、事実を知らない女たちは、蔵人のまるで特別扱いをするような態度も気に入らなければ、それを無碍に扱う目の前のヴィクトワールも許せなかった。面と向かって蔵人をなじる事はしない。惚れた弱みだ。いきおい、怒りの対象は、誰よりも美しく、飛び抜けてお嬢様然とした、いわゆる「お高くとまった」女に向けられることとなった。

あなたは不快ですと、明白に示されてその場に留まることができるほど、ヴィクトワールの精神も成熟していなかった。なんのかんのいって、彼女も日本でいえば高校を出たばかりの子供に近い年齢だ。

おまけに、男をめぐっての鞘当てなど、男所帯が長かった騎士団生活では練りようのない経験だった。

いつもなら、どんなときでも無条件でヴィクトワールを擁護する存在であるハナも、この場にはいない。

このような場合、男よりも女のほうが、はるかに陰湿な態度をハッキリと示すものだ。蔵人も、突如として湧き出した陰惨な雰囲気にどうしていいかわからず口篭ってしまう。

ヴィクトワールが集団の敵意に対して取ることのできる行動はただひとつしかない。

その場から、逃げ去ることだった。

「バカバカしい。こんな茶番劇、もうたくさんだ」

もとから履いていた靴にひもを通し終えると、無理に強がって見せた。

それが、蔵人を愛する嫁たちにとっては、さらに忌々しいものに映ったのか。

「――そのいいかたはないんじゃないですか。クランドに謝ってください」

見上げるような形でメリアンデールが、ヴィクトワールのゆくてに立ちはだかった。

そこには、先ほどまでの、命を賭けて労苦を共にした、仲間としての感情はない。

凝り固まった男女間の捻くれた情だけが、醜く露出していた。

メリアンデールは特に武芸に秀でているわけではない。揉み合いになれば、あっさりとねじ伏せられてしまう程度のか弱い存在だ。彼女は静かにキレていた。瞳は、深い沼の底のようにどんよりと濁り、押し殺した声はいまにも爆発しそうなほど、くぐもっていた。

「どけ」

「きゃっ」

だが、不快な感情ならヴィクトワールも充分に感じていた。怒りの中よりも、孤立してしまったという、怯えが濃い。彼女は、悪手ともいえる対抗手段で、メリアンデールの肩を突いた。どこか、転ばせてやろう、くらいの思いはあったかもしれない。その中には、別段、メリアンデール個人を嫌うなにかがあったわけではないが、悪いときには悪いことが重なるものだ。足をもつれさせたメリアンデールは、あろうことか、変なふうに倒れて、突き出ていた岩で額をパックリと切ってしまった。

「い、つぅ」

「メリー!」

メリアンデールは切れた額から血を流しながら、青ざめた顔で自分を見るヴィクトワールの中に、追い詰められた幼子のような恐怖を読み取った。そこで、悪夢から覚めた。

「わたしは、だいじょうぶだから。ね」

「なにいってるんですか! ひどいです、こんなのっ。こんなことって!」

「ボクは、見損なったぞヴィクトワール!」

「ああ、ひどいよ。すっごく、血が出てるっ。なんでこんなことするのよっ。信じらんないっ! ヴィクトワールのばかっ」

「だ、だから、わたしはへいきですってば」

「ううん。よくないよ。ここは、いってやんきゃダメだよ。あたしに、任せてっ」

「ちがっ! そうじゃなくて――!」

メリアンデールがかばえばかばうほど、周りはヒートアップする。

罵声の嵐に耐え兼ねたヴィクトワールは、今度こそ顔を伏せながら、脱兎のごとく駆け出していく。頬には、わずかにきらめく透明な雫が散っていた。

蔵人は、瞬間、逡巡したのち、彼女を追うことに決めたのだった。