Dungeon+Harem+Master

LV191 "Get in the pumpkin carriage"

「じゃあ、とにかく、彼が貴重な生活費を蕩尽しないように、監督お願いしますね」

先ほどの愁嘆場どこへやら、ネリーはあからさまに疑った目で蔵人を見ると、豊かな胸を前に突き出して、腰に手を当てているヴィクトワールにすべてを託した。

「うむ。任せておけ。素材はちゃんと換金して無駄遣いなど断じてさせぬからな」

ヴィクトワールは今回の冒険で入手した、高価なモモイロヒウチボタンダケをはじめとする、薬草類及び鉱石類を包んだ布袋を背負いながら、鼻息を荒くする。蔵人は手鼻をかむと、荒んだ表情でへへっと笑った。

「人をロクデナシみたいに、ねー」

「ねー」

蔵人とヒルダは顔を見合わせながら、ねっ、と仲よく首を傾けた。

ネリーの瞳。スっと冷徹に細まった。ヒルダの表情。怯えが濃く浮かんだ。

「……あなたたちは絶対に素材の換金に同行させませんからね」

「なんだとー! 俺はあるじさまだどー。偉いんだどー」

「あーはいはい。あなたは、とーっても偉いわ。偉いから、みんなの生活費ってものも少しは考えてちょうだいね」

「やだやだ。ヒルダはともかく、俺は一家の主だ! 戦果を確認する権利がある!」

「ちょ! クランドさんっ。私をナチュラルにハブらないでくださいっ」

「はぁ。だからわざわざ主がこんな瑣末なことに気を煩わさくなくてもいいようにと、取り計らっているというのに。健気な妻の心がわからないのですかね」

「わかった! ヒルダはあげるからっ。煮るなり焼くなり好きにしていいから!」

「ちょ! ヒルダさんは断固同行を希望しますよっ」

ネリーはぐいとヒルダの頭を押さえつけると、眼光鋭く睨みつけた。金銭に異様なまで執着するヒルダも、一歩も譲らない。彼女の場合、あわよくばクランドにねだっておこぼれを少しでも貰おうとするさもしい考えから解脱できない悲しさがあった。

「じゃ、ポルディナお願い。これも、長い目で見れば、クランドのためなのよ」

「ご主人さまを拘束するなどという行為は、天地がひっくり返ってもできません」

ポルディナのしっぽがお尻からピンと水平に突き出される。

そう簡単に懐柔されないわよっ、といったところか。

「ハァ。じゃ、今晩の閨の順番、代わってあげるから。そのギャンブル依存症だけでもお願いよ。」

「観念しなさい」

ポルディナはくるりと反転すると、怯えるヒルダに向かって両手を広げた。

「ぎにゃー! 鬼がふたりの仲を引き裂くううっ!」

「ヒルダ!? ヒルダーッ!!」

蔵人の三文芝じみた芝居もむなしく。ポルディナは、機敏なフットワークで左右に激しく動きながら幻惑し、ヒルダを壁際に追い詰めた。手練の狩人の動きである。

「どこ掴んでるんだよう!」

「無駄な抵抗はおやめなさい」

「くう。美少女に、金と力はなかりけりってことですねっ」

「造語は精神疾患の前駆症状ですよ」

ネリーは笛をピッピッと軽快に吹き鳴らし、ヒルダの身柄をポルディナに拘束させた。

無論、ここで危惧しているのは、せっかく苦心してダンジョンで集めた素材類をクラン内の危険人物たちがわたくしすることであった。

「なんでよー! あの、くっさくて汚くって、こわーいダンジョンで耐えてきたのも、生きて地上に戻って、ひと勝負するためでしょーが! 特に、キノコさんたちの入手に関しては、私に、権利があるはずですー。断じて分け前を寄越すべし。富の収奪と集積はんたーい。資本家は労働者に報酬を平等に分配せよー」

「よくも、まあ、この娘は次から次へと。ポルディナ。それ、一足先に屋敷に運んどいて。メリー、ヴィクトワール、アルテミシア。それを現金化したら、すぐに都市銀行に叩き込んどいてちょうだい。銅貨一枚も情けを見せちゃダメよ」

「あはは。とりあえず、がんばりますよ」

メリアンデールは苦笑を浮かべながら応えた。

「ギャンブルさせろ! 車輪がッ、轍がッ、戦車が私を呼んでいるのだー!!」

ヒルダは、半ば号泣しながらジタバタ暴れるが、ポルディナの剛力の前には赤子も同然であった。周囲を歩いていたレンジャー職の少女が、激しくビビリながら尻もちを突く。

「もう、矯正施設に入れたほうがいいかしら」

レイシーが狂乱するヒルダを見ながらため息を吐いた。

「教会はそれを兼ねていたのだが」

アルテミシアは兜を脱ぐと小脇に抱え、癖のついてしまった髪の枝毛をいじっている。

「……とりあえず、換金はヴィクトワールたちに任せて、ボクらは先に屋敷に戻ろう。ネリー、君は、いま勤務中だったね。どうする?」

「早上がりして宴席の用意をしますよ。それに、皆や子供たちも首を長くして待ってますからね。じゃ、クランド。私は、帰る支度をしますから、これで行きますけど。くれぐれもわけのわからないものに手を出してはいけませんよ。信じてますからね」

「ああ。任せとけっ」

蔵人は、ふんがっ、とばかりに胸を拳で叩き、ニッと白い歯を見せた。

ネリーの心配は、それでも拭えなかったが。

「さて、と。私も帰りますかね」

ネリーは直属の上司であるゴールドマンに早退の申告をすると、超過勤務を厭わない相棒であるアネッサを呼び出して引き継ぎを行い、速やかに帰途についた。泥まみれになっていたルッジたちは、街の公衆浴場で湯浴みをしてから戻るといっていたので、単独の帰宅となる。座り心地のあまりよくない乗合馬車にゆられながら、蔵人たちが持ち帰った戦利品の精算を、素早く頭の中で処理した。

(モモイロヒウチボタンダケが百五十本ほど。買い叩かれても、七百五十万は固い。そのほかの薬草類や鉱石は量は少なくても、合わせて、たぶん、三十万ほどにはなるけど……)

都合、八百万P(ポンドル)の大金が手に入ることだろう。日本円にして、約八千万円程度である。ネリーは、別に金に汚いというわけではないが、顔をほころばせずにはいられいなかった。

もちろん、そのお金でなにか贅沢をしたいというわけではない。ネリーは若い娘である。

それなりに物欲はあるが、実際問題家計を考えれば、無計画に使えるほど無神経でも考えなしでもなかった。

これまで手入れの行き届かなかった屋敷の保全や修理、庭木の剪定、揃いきっていない調度品の更新、など雑多なものに回せることがうれしかったのだ。

屋敷の大きさには、自ずから格というものが存在する。特に、元貴族が所有しており、蔵人が娶った妻のほとんどが上流階級の人間に属するところを鑑みれば最低限の体裁は繕わなければならなかった。

これからを考えれば、いまは、ほとんど没交渉に近いが、子供でも生まれるようになれば、素知らぬ顔で生きていくというわけにはいかない。

親族知人が屋敷に立ち寄ることも当然のごとくある。その際に、みすぼらしい家の中を見られるということは、とうてい我慢のならない恥辱であり、引いては主である蔵人の名を汚すことになる。

殿方を立てるよう幼い頃から教育を受けてきたネリーの中には、日頃の言動とは異なって、そのような封建主義的思想が骨の髄まで染み込まされているのである。

血肉にも等しいこの倫理に、宗教的にも縛られている彼女らにとって、それは現代人が想像する以上に絶対であった。

(クランドには恥をかかせられません)

ネリー自身、地元において有数の塩商人であった名門ブラックバーン商会の出である。

押しつけられた婚約者を嫌って、自活すると息巻き、家出同然で飛び出してきたものの、母や弟たちは、常に地方都市にいったネリーのことを心配し、手紙を絶やさない。そういった面では、繋がりは消えていなかった。現に、屋敷に入った際には儀礼的に、実家より祝いの使者が訪れていた。もっとも、親族は誰ひとりとして顔を出さなかったけれども。

また、今回、アンドリュー伯の媒酌で嫁いだことにより、父はいっそう態度を硬化させているらしい。実父は、大の貴族嫌いなのだ。実力本位でのし上がってきた男にすれば、なにかにつけ上納金をせしめるだけの存在を蛇蝎のごとく嫌うようになったのも当然の帰結である。また、問題なのが、実父は蔵人のことを、アンドリュー伯の有力氏族であると勘違いしているらしい。無理もない。王都でも五本の指に入る大貴族が、氏素性も知らぬゴロツキ同然の男に娘を嫁がせるなどと考えられない。この点では、ネリーも、実は蔵人のことをいいように思い込んでいた。彼は、王都から来た元有力な没落貴族であるだろう、と。ロクに自分のことを語らぬまま娶る蔵人も蔵人であったが、ネリーもある意味惚れた弱みがあった。若い娘は好きになってしまえば、頭の中がお花畑になってしまうらしい。もっとも、蔵人もこれだけの美女を虜にする独特の人間力があったというのも、謎といえば謎である。

人と人との縁とは、本人同士でも理解できない不思議な力があるものではあるが。

ネリーの実父の話に戻る。

彼は、死んでも会いにこないとあちこちに公言しているらしい。

が、本音のところ、やはり一人娘の婚姻は気になっているらしかった。身の軽さを信条とする父が、出張と称して遠方から単身乗り込んでくる可能性も否定できない。

そのときに、みすぼらしいさまを見られるのは心苦しかった。

それに必要なのは外面だけではない。エルフの子供たち。その問題だ。

(あの子たちもどんどん大きくなっています。服だって、せめて替えを含めて、何着かそれなりのものを誂えてあげたいし。お金はいくらあっても足りないですね……)

引き取って養育しているエルフの子供だけでも三十二人。これを食わせていくだけでも、相当なものだった。

彼女たちは、また、いままで長い間、大人から忍従をしいられてきたせいか、不思議なくらいわがままをいわず、いいつけをよく聞く子である。ときに、シャレにならない悪戯をすることもあるが、叱れば心の底から反省する素直さがあった。

これらを全員養育し、外に出して恥じない教育を施し、しかるべき家に縁づけることまで考えれば、金はどれだけあっても足りない。

習い事を習わせ、最低限の礼儀作法を教え込み、一定の知識を習得させるには、労苦だけではなく、根源的な覚悟も必要であった。

ネリーにはそれだけの覚悟があった。

それが、蔵人を含む、なんとかなるさ的なお気楽軍団との決定的な温度差でもあった。

――このことは、のちのち尾を引いた問題になるのであったが。

「とか、なんとか考えてるうちについちゃいましたね」

ネリーは停車場からしばらく歩いて屋敷の門をくぐった。

見れば、入口付近の草むらで、子供たちが三人ほど戯れていた。彼女たちは、目ざとくネリーを見つけると、きゃっきゃっと笑いながら転がるように駆け寄り、脚にしがみついてくる。よくなついた子犬のようなかわいさがあった。

ひとりひとりを抱き上げると、甘いミルクのような匂いがふんわりと漂う。

これはもう、母性本能をかき立てずにはいられないかわいさであった。

自分が腹を痛めて産んだわけでもないのに、全員がいとおしくてしょうがない。

すべて、エルフ族であったが、種族の差などなんら気にならないほど、情が移ってしまっていた。

「おかえりー」

「おかえりなしゃーい」

「ネリー。ネリー。もう、今日はお仕事おしまいなのー」

「ただいま、みんな。今日は、ちゃんといい子にしてたかしら」

膝を折って目線を合わせると、子供たちはクリクリしたどんぐり眼を輝かせていた。

ひとり暮しが長かったせいか、こういう出迎えは、ジーンと胸が熱くなる。

「今日はね、クランドが帰ってきたの。だから、お仕事はおしまい」

「クランド……!」

子供たちの感情はその名を聞いた途端爆発した。

まるで蜂の巣をつついたように狂喜乱舞する。

この家において、蔵人の存在は別格だった。

手にしていた人形や棒きれを放り投げての狂いようである。

疾風のごとく子供たちが屋敷の中に駆け込むと、狂気はたちまち屋敷中に伝播した。

「クランドが戻ったのか!」

「遅かったのう! どこじゃ!! どこにおる!?」

シズカをはじめとする女たちまでが度を失って玄関に躍り出てくると収拾はいよいよつかなくなった。

ネリーは苦心して、彼が遅れて戻ることを告げ、祝いの席を設けることを提案すると、各自がそれぞれ宴の支度に取りかかった。無事帰宅したことを祝う宴席の準備に奔走している途中でルッジたちが戻った。

そうこうしているうちに、ときは瞬く間に過ぎる。

日はとっぷりと暮れて、残光が鈍いオレンジ色に大地を染めはじめた。

(おかしい。ギルドの換金ショップによって、昼食を済ませて、どこかで湯浴みをしていたとしても、帰ってくるのが遅すぎる……)

ネリーは厨房をポルディナに任せると、外の様子を見に行った。ちなみに、シズカはとっくの昔に姿を消している。きっと、待ちきれずに街まで探しに出て行ったのであろう。

玄関を抜けて石畳の通路を駆ける。門柱のそばまで来ると、遠景の彼方に土煙を上げて疾駆する四頭立ての馬車が見えた。黒っぽいシルエットは、赤茶けた夕日の残光にゆられながら、徐々にその輪郭をはっきりさせていく。

「まったく、なにかあったかと思ったじゃないですか。もう」

地響きを立てて近づく馬車の窓から、見慣れた男が身を乗り出してしきりに手を振っていた。紛うことなき蔵人である。ネリーは、長く息を吐き出すと、凄まじいスピードで迫る馬車の異様さに、魂を奪われた。

(これ、軍用馬のスレイプニル種じゃないですか……!)

堂々たる体躯の肥馬である。雪のように白い二頭と、闇のような黒さの二頭は見るものを圧倒する威容を誇っていた。なまなかな貴族でも早々持ち得ない名馬である。おまけに、それらの引く車は、黒い塗りと繊細な装飾が極めて美しい豪華なものであった。

ネリーは仕事柄、冒険者組合(ギルド)の赤レンガ事務所前に貴人を迎えることが少なくなかったが、これほどまでに金のかかった一流品の車を見たことは数えるほどしかない。

「これ、モデナ社製の馬車ですよね。大貴族御用達の」

馬の手綱を取る馭者は、六十すぎの品のよい老夫であった。男は、かぶっていた帽子を素早く脱ぐと、人懐っこい笑顔を向けてきた。

「イエース! オフコースッ!!」

ネリーが呆気に取られていると、降り口からタラップをかける前に、蔵人が馬車の窓からひらりと飛び降りた。

「旦那さま。そのような降りかたは危のうござりますぞ」

「旦那さま?」

馭者の言葉に軽い違和感を感じながら、ネリーは眉をひそめた。

「まあまあ、いいってことよ! いま、けえったぜ!」

「あのですね。あれほど無駄遣いしちゃダメっていっておいたのに。そりゃ、目的を達して浮かれたい気持ちもわかりますが、たかだか家に帰るのに、わざわざこんな高級車をチャーターする必要ないじゃないですか。いくらしたんですか? 五万、いや七万くらい?」

「ノンノン。七百」

「え、ウソでしょう。こんな高級馬車が、たった七百ぽっちで借りれるなんて……」

「うんにゃ、七百だよ。七百万だ!」

「え……」

「七百万P(ポンドル)。馭者込みでな! いやー、安くていい買い物したよ!!」

蔵人がいい笑顔でニッコリとほほ笑んだ。ネリーは、天地が急激にひっくり返ったような錯覚を覚え、よろよろとすぐそばの門柱に手を突いた。七百万P(ポンドル)とは、日本円にして、約七千万である。素封家や大商人でも、わずかな時間で購入を決めるのは躊躇する値段だといえよう。

(え? でも、それって、素材の売却金が八百は超えてたってことで。え、でも、これだけの名馬込みで七百万は破格のお値段じゃ。で、でも待って。その値段のものを断りなしに、なんの相談もなく、まるで八百屋で大根を買うみたくスパッと使い切るって……。屋敷の修繕、将来の蓄え、とか。えーと……。あ! これは、たぶんジョークですよね。だって、今回は、お目付け役にヴィクトワールやアルテミシアをわざわざ。は、そうだ! 肝心のふたりは!!)

「ヴィクトワール、アルテミシア! これって、本当は冗談なんでしょ――!?」

「ほーらほら、白星号。ここが今日からおまえのたちの家だからな。いい子にするんだぞ」

「うむ。さすが、私の選んだ黒竜号。これからは、ロムレス神の教えを胸に共に正道をまっとうしようぞ。はは、こら舐めるな」

「なにやってんだ、アンタらは――ッ!!」

そこには、馬たちの鼻面を満足そうに撫でている、ヴィクトワールとアルテミシアのゆるみきった笑顔があった。

「ど、どうしたのだ。ネリー。なにか、私の白星号に問題が」

食ってかかるネリー。ヴィクトワールがとまどったように、数歩下がった。

「勝手に変な名前つけて悦に入ってるんじゃないー! こぉの、おバカメイドがッ!!」

ネリーは自分でも驚くほどの声量で叫んでいた。小憎らしいことに、目の前の女たちは毛ほどの動揺も見せない。胆の太さは、やはり尋常ではなかった。

「うむ。ヴィクトワール。やはり、ネリーは自分で名前をつけたかったんだ。ははっ。きっとひと目見て、この馬のよさがわかったのだろう。それに、白馬だから白星号とは、ちょっと安直すぎるだろうといったはずだ」

アルテミシアがさもありなん、といった風に訳知り顔でうなずく。

「え。それをアルにいわれたくないな。そっちこそ、黒いから黒竜号とかって。悪いが、王都の騎士団にその名前の馬は、百匹はいると思うぞ」

ヴィクトワールが唇を尖らせる。

「あはー。いっそのこと、黒王号ってのはどうでしょうかね? アルテミシアさまにはお似合いのような気がしますがー」

いつの間に来たのか、ハナが勝手にクチバシを突っ込んでくる。

「俺は松風がいいと思うぞ。オートマチックに雑魚敵を踏み潰してくれそうで。どうだ?」

「勝手に話を分裂させないでっ!! てか、これっていったいなんなんですかっ! 説明してくださいッ。説明しろ、この穀潰しどもーッ!!」

蔵人の弁解じみたいいわけがはじまった。

要するに、女、屋敷、と順調に手に入れた最後の締めくくりとして、特権階級のステータスでもある「車」がどうしても欲しかったらしい。

「信じて送り出した夫が、因業商人の口車にドハマりして超豪華馬車に乗って帰ってくるなんて……。もう、ホント、無理。実家に帰ろうかなぁ。帰っちゃおうかなぁ」

ネリーはくたくたとその場に両膝を突いて肩を落とした。

なんとなく、遅くなった時点で嫌な予感はしていたのであった。

ただ、ここまで的中すると、ガッカリ感は半端ではなかった。

目の前の男が、激しく焦りながら、自分の機嫌を取ることに熱中しはじめる。

それを見ながら、ああ、でも自分は結局許してしまうんだろうな、と思うと、なにがあっても嫌いになれない自分自身がむしろ情けなかった。

「わー! ちょっと、待った。マジでごめん、マジで。でも、聞いて。俺の話も聞いて」

蔵人は滾滾とネリーを膝詰めで説いた。

ここが切所とばかりにヴィクトワールたちもネリーの周りをぐるりと囲んで、馬車の有用性を戸板に水を流すごとく、並べ立てる。最終的な結論として、半ば洗脳される形で、ネリーは馬車の購入を認めざるを得なかった。

夕食のどんちゃん騒ぎを終えて。

蔵人は、いまだ飲み続けるドロテアたちを放っておいて、ひとっ風呂浴びに、浴室へと向かっていた。久々の家に気がゆるみ、足取りは危うい。

姫屋敷の風呂は、特注で誂えさせた露天である。

時期は、いまだ春を待たず、少し冷え込めば、チラホラと白いものが舞う時候だ。

「こういう寒い時期に熱い風呂に入るのはこたえられねえやなァ。っと、くらぁ」

蔵人は脱衣所でのろのろと服を脱ぎ、いざ、ざんぶと熱い湯に飛び込もうと思ったところで、岩堀の湯殿からかすかな声を聞き、動きを止めた。

(なんだぁ。先口がいるのか? えーと、確か先にメシ食い終わったのは、メリーとカレンと、ルッジと。えーと、あと誰だっけかなぁ)

酒精のほどよく回った頭がいつも以上に動作を錆びつかせている。

――よし、ここは、ひとつ驚かせてやろうかいな。そんでもってその場の流れで、仲よく身体の流しっこをだな。げへへ。

蔵人は、真っ白な湯気に身を隠しながら、ばちゃばちゃやっている岩盤の背後に回り込んだ。さすがに、風が吹きつけて少し冷えるが、アルコールで火照った身体にはちょどよいくらいであった。

「――んで。結局、あんたはクランドたちの足を引っ張りまくったわけね! 情けない!」

「はい。一切、申し開きする言葉もございませぬ」

おや、と首をかしげ、蒸気に目を凝らして見れば、そこには跪いたルールーを烈火のごとく叱りつけるカレンの姿があった。

「泳げないだけじゃなく、そのっ。ずっとクランドにつかまって水場は歩いていたっていうじゃない。うらやまし――じゃ、なかった! 戦士が利き腕を常に封じられることがどれだけ危険かだなんて、あなたが一番よく知っているはずでしょう! あたしは、満座の中で、あの犬っころにさんっざん馬鹿にされたのよ! ステップエルフの面目丸つぶれよ! いったい、この先どうやってみんなと顔を合わせればいいと思う? ねえ。いってごらんなさい? さあ、早くッ!!」

(ひええぇ。とんでもない場所に居合わせてしまったんじゃないかな、僕ちん)

カレンはキンキンした声で、ルールーをなじっていた。どうやら、自分はルールーが主筋であるカレンによって、懲戒を加えられている現場を目撃してしまったようだ。

普段は姉妹のように仲よくしているようであるが、その血筋と主従関係は歴とした違いがある。

特に、今回の探索に関して、ルールーはかなり足を引っ張っていたことはさすがの蔵人も否定できなかった。

たぶんポルディナだけでなく、ほかの何人かが、蔵人が席を外していた際に、かなり大げさにルールーの足でまとい具合をカレンに報告したのであろう。忘れていたようであるが、カレンはロコロコ族の姫であり、ルールーはその侍女風情に過ぎない。

おそらく、蔵人が気づかないだけで、女同士のやっかみなどは幾らでもあったのだろう。

幸か不幸か、今回はたまたま蔵人が目撃したことによって、その事実が顕在化しただけである。

常日頃、冷静沈着な表情を崩さない年上のお姉さん的立場の女性が、いまにも泣き出しそうな青い表情でうつむいているのを見るのは、神経的に「クル」ものがある。

(女同士の話に俺が首を突っ込むわけにもいかないしなー。どうしよう)

蔵人は心情的にはルールーを弁護してやりたい気持ちがある。彼女は、それが当たり前だというように、自ら進んで汚れ仕事を行い、愚痴ひとついわずに勤めてくれている。

現に、今回も、水場のない場所では周囲の警戒や、敵の早期発見、地形の探索など陰日向に誰よりも心を砕いてくれたのだ。

が、いま、ここで出て行ってあからさまにルールーをかばえば、カレンやほかの女は絶対に蔵人の目の届かない場所で報復するだろう。陰湿的に思えるが、それが女というグループの中の秩序を守る明文化されてはいない法である。

「あーはいはい。そこまでそこまで。カレン、ルールーを虐めるのはそこまでにするのだ」

「リザ。悪いけど、今回の件に関しては口出ししないでくれる。これは、ロコロコ族の問題だから」

「小さい小さい。そもそも、いまここでルールーの失態を責めても、なにも改善はしないのだ。それよりも、いま、リザたちが行うのは、これから先の冒険を見据えて、なにが問題なのか。なにを正していくべきか。これからどうやって、みんなの足を引っ張らないようになれるかをいっしょに考えることだと思うのだ」

「くっ、リザの癖に……!」

(悪い、カレン。いま、俺もリザの方がおまえなんかよりも、ずっと姫さまらしいことをいっている気がするぞ)

「リザさま」

「じゃ、じゃあそこまでいうんなら、案のひとつくらいは持ってるんでしょーね!」

「たうぜんなのだ。カレンは考えなし、なのだなー。ほら、おちっこチビっちゃう前に降参しておくか? このリザさまの英知あふれる策に!」

「きいいいっ。なんかムカつくぅううっ!! リザのくせにリザのくせにいいいっ!! さっさとアイデアとかをいってみなさいよおおっ!! おもいっきりこき下ろして、けっちょんけっちょんのぎったんぎったんにしてやるんだからねっ」

(おいおい。聞く前から全否定するつもり満々かよ。どこの暴君だ)

「アイデアとは常にシンプルイズベスト。つまりは、ルールーが泳げるようになればいいのだっ。これですべて解決! よよよいよい。なのだっ」

「はあ? じゃ、じゃあ、あたしたちを呼び出したって理由は」

「うむ。今日から、ここで泳ぎの練習をする。次の冒険までには、すすいのすいっと魚のように泳げるようリザが仕込んであげましょうっ」

「あのね。それを考えなかったと思う? ルールーは、せっかくの温泉があるってのに、いっつも浸からず、湯をひたしたタオルで身体を清めることしかできないくらい、水が嫌いなのっ。そんなん、バカでも思いつくわ! あたしがとっくに試してダメだったことを!

ばーか、ばーか! リザのでべそー!」

「で! いうにことかいて、この白っこめえええっ。ふ、ふん。だが、そんな安い挑発に乗るリザさまではないのだ。さ、ルールー。立って、立って。いまから、リザが、おまえをエルフ界のスーパースイマーに鍛え上げてやるのだ」

「え? あ、それって拒否は」

「できません」

「じゃ、とりあえずふたりともリザが用意した戦巫女の正装に着替えるのだ」

「ねえ、それって本気でいってるの? てか、ここってお風呂場だから、そんな着なくてもいいんじゃ……」

「カレンのばかっ」

「いだっ! ちょ、え? なんで? なんで、いまあたしぶたれたのっ!?」

「この戦巫女装束は、心を常在戦場に置くため、あえて虚飾を排したいにしえから伝わるエスペラ神の教えによる尊いもの。特別に用意したリザに感謝を捧げるのならともかく、どの口開いて批判をするかっ」

「なに? あたし、あたしが悪いの? え、えーと、ごめんなさい」

「ほら、わかったらとっとと着替える着替えるっ」

「ううっ。ぜったい納得いかないし、これってただのエロビキニだよう……」

(でも、ちゃんと着替えるんだ。てか、あの水着の面積、裸よりエロいな。にしても、ナイスだぞ、リザ。おまえは、俺の気持ちをよーくわかってる。くくく)

「んで、着替えたけど、どーすんの」

「どーすんのって、そら、実地で覚えるしかないのだ! さ、ルールー。カモンベイベッ」

「え、いやですけど」

「……」

「……」

蔵人が見守る中、カレンとリザは無言でルールーを湯船に叩き込むと、無理やり頭を押さえつけ、数をカウントしだした。

ルールーはがぼがぼと、しばらくもがき、やがて力づくで脱出してふたりを睨みつけて抗議した。

「ぶはっ! な、なにをするんですかっ」

ふたりはそれに応じず、前後を挟むと、再び押さえつけようと無言で両腕を上げた。

これには、ルールーも怯えを隠せず、顔をクシャクシャにした。

「なにかいってくださいよおおっ!!」

「だって、あんた、こうでもしなきゃどうにもなんないでしょ!」

「愛なのだ! リザたちの愛なのだ! まずは、水に慣れることが大事なので我慢して!」

(うーん。これは、まさしくいじめ以外のなにものでもないなぁ……)

それにしても、これ以上この場で潜んでいるのも限界であろう。蔵人は、濡れた犬のように小さく身体を震わせると、意を決して洗い場に躍り出た。特に深い考えというものはない。寒くて我慢できなかったからだ。

「クランド!?」

「いつからそこにいたのだっ!」

「クランドさま……」

「うー。まぁまぁ。俺のことは気にせずにね。さぶいさぶい。おら、リザこっち来い」

「クランドー。って、寒っ。身体が氷みたいなのだ!」

蔵人は湯船に飛び込むとリザを呼んで身体に引っつかせて暖を取る。リザは、蔵人の肉のあまりの冷え切りように、驚いて叫んだ。

「おらっ、離れんじゃねえやい。肉布団肉布団」

「だあああっ、寒いっ。冷たいっ。離すのだー!」

「やだね」

「……ねえ、クランド。どこいらへんから見てたの?」

「おまえらがルールーを拷問しはじめたところ」

「拷問なんてしてないっ! っていうか、そこからなの。あは、ま、まあ別にいいけど。ってよくなーい! なに、こそこそ覗いてんのよっ。入口に、クランドは入っちゃだめっ、って張り紙しておいたでしょう!」

「俺、字ぃ読めないもんね」

「くっ、くううっ。あーいえば、こうゆう。ふ、ふん。ま、なんにもないし、あたしはルールーの訓練で忙しいからかまってあげられないけど、こんなところでよかったら、ゆっくりしていけばっ!」

「おお、いわれなくてもゆっくりしていくぞ。それとな、ルールー」

「は、はいっ。クランドさま」

「無理しなくていいから」

ルールーは傷ついたように顔を伏せた。カレンに叱責されずとも、自分が足を引っ張ったことをよほど悔いているらしい。健気な女であった。

「いきなり魚のように泳げなんて無茶はいわないけど、ちょっとづつ慣れてけばいいのさ。人間、苦手なことなんていくらでもあるし、例え克服できなくったって、おまえには立派にできることがいくらでもあるよ。カレンやリザも、こいつのこと長い目で見てやってくれな。俺からも、頼むよ……」

カレンとリザは気まずいような顔で互いを見やり、唇をへの字にした。

やはり、蔵人がルールーの肩を持ったことが気に入らないらしかったが、夫でもあり一家の主人でもある男が頭を下げているのを見て、無下にもできないと感じたのだろう。不承不承納得した様子を見せた。女心は複雑である。

「ふ、ふんっ。まあ、あんたがそこまでいうなら考えてあげないこともないけどねっ。あたしってば、すっごく寛容なんだからっ」

「リザも、まあ、それなりに協力するのだ」

「カレンさま、リザさま、クランドさま。ありがとうございます。私、がんばりますね」

「ちょっとづつ慣れてこーな」

その後、訓練の成果があって、ルールーは泳げないまでも、少々の深さの川なら怯えることなく渡渉できるようになった。人間とは成長できる生き物である。