Dungeon+Harem+Master

LV192 "Preach Maid Knight Love"

雲ひとつない蒼穹が広がっていた。

早朝。姫屋敷の邸内。

短く刈り込まれた芝生の広場でふたりの女が向き合っていた。

ヴィクトワール。

シズカ。

ひとりはお仕着せの裾の長いもの。

もうひとりは、身体にぴったりした黒の上下を着込んでいた。

ヴィクトワールは百六十八。シズカは百五十四。身長差は十四センチ。

当然、身体の重さも、五、六キロヴィクトワールの方が重い。

ふたりはいつものように剣を抜かず、無手で対峙していた。

検分役として、ハナがニコニコしながら両者を見守っている。

「では、はじめてくださいねー」

なんとも気の抜けた声が流れた。

同時に、ふたりはある程度の距離を保ちながら、円を描くように回りはじめた。

激しいコマが回転するように、両者は素早く移動する。

踏み込んだ足のつま先で、折られた草々が千切れて、風に舞った。

スピードではシズカ。パワーでは体格のいいヴィクトワールが断然勝る。

先に仕掛けたのはシズカだった。

彼女は弾丸のように地を蹴ると、真っ直ぐ突っ込んできた。

ヴィクトワールは、ふ、と軽く息を吐くと、腰に力を込めて峻烈な手刀を繰り出した。

シズカは素早く身を沈めると、両手を地面について長い脚を旋回させた。

刃風に似た風音が唸り、伸びきった蹴りがヴィクトワールの左側頭部を襲った。

素早く左腕を立ててガード。ビリビリとこん棒で殴られたような衝撃が走る。

間髪置かず反撃の右蹴り。シズカの左脇を狙った脚がムチのようにしなった。

インパクトの瞬間。シズカの小さな身体が勢いよく背後に倒れる。

彼女は衝撃を殺すために自ら背後に飛んだのだ。

ならば追わずにはいられない。

ヴィクトワールは大地を強く蹴り込むと、飛び上がって右足を槍の歩先に見立てた。

痛烈なジャンプキックだ。

だが、シズカは躊躇などしない。

両腕を交差させると十字受けで飛び蹴りを真正面から受け止めた。

「くうっ」

ヴィクトワールは背後に飛び退ってトンボを切ると、軽やかに着地した。

再び構えを取ると、両者とも膠着状態に入った。

「やるな」

「おまえこそ、なかなかのものだ」

真っ青に滲んでいた空にチラホラと雲が乱れ飛び、不意に暗くなった。

「というか、組手はそろそろこのあたりにしておきまして。ポルディナさまに頼まれたお買いものにいきませんかー」

ハナが、両手を口の前で丸く筒状にして、ピョンピョン飛び跳ねている。

ふわりと、乱れたスカートの裾に巻かれ、千切れた青草が舞っていた。

「む。そうか。もう、そんな時間か。そうするか」

「そうだな」

ふたりは構えを解くと、額に汗を薄くかきながら得心した様子で歩き出した。

買い物である。

通常屋敷では、肉や野菜など出入りの商人に毎日配達させているが、大所帯であるがゆえ、なにかしら足りなくなることが、なくもない。

その場合、おおよそはポルディナが進んで街まで買いに出かけているのだが、今日はたまたま、小エルフの四人ほどがまとめて風邪を引いてしまったため、手が足りなくなったのであった。

ぽくぽくと歩きながら街を目指す。いまだ季節は冬であるが、今日は日差しが出ているせいもあってか、思った以上にあたたかであった。

「タマゴに油に医薬品に、布と紙と筆記類か……」

ヴィクトワールがメモを見ながらつぶやく。

「まぐさや薪、木材も注文しておかないとダメですねー。厩が長い間使っていなかったから手を入れないとまずいらしいですから」

「こういうときこそ、馬車を使えばいいのでないか」

シズカが表情を変えず、ポツリといった。

「馬車ちゃんはですね、ルッジさまが研究所に出かけられるために使用していますので」

「近いからいいではないか。それに、歩くのは健康にいいのだぞ」

「ふん」

「あっ! なんだ、その態度は。私がせっかく歩み寄りをしてやろうとだな。やさしい気持ちで話しかけているのにっ。だいったい、シズカ。おまえは普段から、協調性というものが欠如しているぞ。そんなことでは、この先、みんなと仲よくやってはいけないかもなんだからなっ」

「ハナ、あとで手芸屋によっていいか。新しい編み棒と糸を購入したい」

「はいですー。なんですか、今度は勇者さまにマフラーでも編んで差し上げるのですか」

「無視するにゃよおおおっ。無視されるのが一番悲しいんだああっ」

街道を歩いてリースフィールド地区に入ると手早く雑事を済ませる。

話の流れで、少しお茶でも飲んでいこうということになり、三人はちょっとお洒落な喫茶店を見つけ、駄弁ることにした。それなりに、会話が弾むのはやはり女だからであった。

「あ、お嬢さま、またそんなにミルクと砂糖ばっかりお入れになってー。それ以上お乳大きくしてどうするんですか。もー。世界のおっぱい独り占めですか、もー」

「う、うるさいなっ。甘いほうがおいしいんだよ。それに、人を肉のかたまりみたくいうなっ。誰がおっぱいお化けだ!」

「おう。茶を飲むときにズーズー音を立てるな。こっちが恥ずかしい」

「音なんて立ててないだろうっ。……立ててる?」

「あはは」

「笑ってごまかすなよう。いや、本当に。自分では完璧だと思っていたのだが。ね、ねえ」

「そう思ってるならそうなんじゃないでしょうか。お嬢さまの中では」

「なんだよ、その不安にさせるようないい方は。あっ、こらっ。どこにゆく!?」

「化粧直しだ。いちいち聞くな」

「あ、ハナもちょっとお供しますー」

シズカとハナが仲よく連れ立って不浄にゆくと、ヴィクトワールはひとり寂しくぽつねんとその場に取り残された。ガラス張りの外は、燦々と日が照っており、散歩日和といえよう。店内に視線を伸ばすと、やはり男女のカップルが比率的に多かった。

「……あいつは、こんな店は好まないだろうな。量が足りないっ、とか文句をいいそうだ」

ヴィクトワールは誰かと店に行ってみた場合を想像して、ひとりクスクス笑いをもらす。

それから、ハッとしたようにあたりを見回し、顔を真っ赤にして激しくかぶりを振った。

「んなっ。なにをバカなことを想像しているんだ。ったく、なんであんなやつのことなんかを。おかしいな。なんで、なんでなんだ。最近変だぞ、私は……」

もがもがと、謎の掻痒感に襲われ身悶えしていると、入り口のドアを蹴破るような音がして、ベルが騒がしく鳴り響いた。

「いらっしゃいませ、あのお客さま、入店する際には、もう少し静かに」

「るっせーんだよ! ボケがッ!! どけやっ!!」

「あいいいんっ」

視線を転じれば、そこには屈強な三人ほどの大男が店員を蹴り飛ばしていた。

どの男も、見上げるような巨躯である。

目測でも、たぶん百九十より低いということはないだろう。

衣服の上からでも、発達した筋肉の盛り上がりが分かる。

使い込んだ革の胸当てや腰にぶち込んだ凶悪なロングソード。

三者とも、暴力を生業にしてきたものが発する独特の殺気を放っている。

明らかにこの店の客層とは違う異質さに、店内の客すべてが怯えを見せた。

(たぶん、冒険者だろうな。まったくマナーのなっていないやつらだ)

ヴィクトワールが眉をひそめながら茶を啜っていると、男たちの背後から、小男がぬるりと前に進み出た。

歳の頃は四十過ぎだろうか。黒い髪を七三に分け、小奇麗な服をビシッと決めていた。

「こらこら君たち。街のものたちを無意味に脅かしてはいけませんよ」

「こりゃあ、ジェリーさま。へへ、別にオレらは悪気があったわけじゃ。ただ、少しでも早く、いい席をジェリーさまのために取っておきたかったんですう」

「ほう。ペトルよ。なかなか感心な忠義心。僕はすごくうれしいよ。じゃ、早くその席に案内してもらおうかな」

「へへ。おらあっ! ジェリーさまがああ、おっしゃられてるんだあっ! とっとと極上の席を用意せんかあああっ。この店員野郎がああっ」

男の拳一発。メガネ系男子であるひ弱な店員は、再び床に叩きつけられると、もはや恥も外聞もなく、顔中から涙や鼻水を垂らしながら、嗚咽混じりの甲高い声を上げ続けた。

「へぶっ、へぶっ。い、いだっ。ちょっ、いまは満員なんですう。許してくださぁい」

男たちは、亀の子のように丸まって泣き喚く店員を寄ってたかって蹴りまくっている。

一団のリーダーらしいジェリーという男は、別段咎めることもせず、その光景をニコニコ笑って見ているだけであった。

このまま見過ごせないと、ヴィクトワールが立ち上がりかけたところ、それより先に、近くに座っていた女性客が立ち上がって叫んだ。

「ちょっとあんたたち! いきなり入ってきてなにやってんのよ! どーせ、その格好からすればロクデナシの冒険者でしょう。いますぐやめないと冒険者組合(ギルド)に通報するわよ!」

「お、おい。よせよ」

立ち上がった女はまだ若い。二十代前半くらいであろうか。対照的にもう相方の男は怯えきっているのか、青白い顔で激しく身体を小刻みに震わせていた。

「へえ、こりゃ気の強い姉ちゃんだなぁ。胸もデケェし。おい、このなまっ白い青びょうたんは彼氏かよ?」

「アンタになんか関係ないでしょう!」

「ますます気に入ったね。ジェリーさま。どうですか、この女。今日のオモチャにゃちょうどいいいでしょう」

「そうですね。レディ。そんな男は放っておいて、僕たちと今晩つき合いなさい。具合がよければ、面倒を見てもいいですよ。こう見えても、お金はたくさん持ってるんです」

ジェリーがニチャッとした粘液質な笑みを浮かべると、女は不快さを隠さず平手打ちを見舞った。

が、その一撃も、ジェリーの腰巾着のひとりが素早く受け止めて、腕をねじり上げる。

悲鳴が店内に木霊した。

「いたっ。つっ。痛いじゃないっ。離しなさいよッ! エリクっ。エリク助けてっ」

「あ、あああ」

女は半泣きで彼氏の名を呼ぶが、男は腰が抜けた状態で立ち上がることすらできない。

冒険者の男が、エリクの肩を掴んで思いきりゆさぶると、それだけで蛇に睨まれたカエルのように硬直しきってしまった。

「つーわけで、兄ちゃん。この姉ちゃんは今日からオレらの肉奴隷だからさ。テメーは帰れやッ! なっ!!」

「いづっ。は、はいいいっ。帰りますううッ」

エリクはごん、と軽く鼻面を殴られると、財布を丸ごとテーブルに置き、女を見捨てて逃げ出していった。

女は絶望に染まった表情で、無理やりジェリーの隣に座らせられると、白昼堂々身体をまさぐられはじめた。あまりの不快感と強い恐れで声も出せないらしい。

地獄のような凄惨さに、店内は静まり返っている。悪夢であった。

「うーん。なかなかいい胸をしてらっしゃるじゃないですか。今夜は存分になぶって差し上げますよ。なーに、おまえたち。僕が飽きたら、順番に遊ばせてあげますよ。なにせ、最近どうも淡白になりがちでね。こういう気の強いお嬢さんは、僕だけじゃきっと満足させられないでしょうから」

「かっ、そりゃあいいや!」

「さっすが、ジェリーさま話がわかるうう」

「オレ二番予約ぅう!!」

「助け、誰か助け――」

「おまえたち、いいかげんにしないか! その娘をいますぐ放せ!!」

(ふざけるな、いいかげんにしろっ!! ――って、またタイミングを)

ヴィクトワールが立ち上がりかけたところで、タイミングが悪く、ほかの男性客が立ち上がった。

男の歳は、二十代半ばくらいであろうか。見るからに精悍な顔つきをした紳士であった。

身長は百九十を超えている。見るからに巌のような厚い肉は、ならず者たちと比べてもなんの遜色もない屈強さである。

短く刈り込んだ金髪。顔のつくりは、やや大雑把だが、ワイルドな感じでいかにも男らしい頼もしさがあった。

着ている服は、かなり高級な生地を使っている。物腰は気品と落ち着きがあり、一見すると高級役人である。

この男の出現に、男たちはさすがにたじろいだ。冒険者は基本的に下層階級である。領内の役人や貴族と揉めれば、圧倒的に分が悪いし、下手を打てば簡単に冒険者組合(ギルド)から追放される恐れがあるのだ。

ただ、そのへんの街娘や市民をいたぶるのとはわけが違う。特に、ならず者同士ならば幾らでも強硬に出れる男たちは、顔を引きつらせてジェリーを見ている。いくら、なりが大きくても、最終的にはリーダーに頼ってしまう意志の強さがそこにあった。

「は、ははは。これは、少し、僕らも酔いが回りすぎていたみたいだ。冗談は、これくらいにしておいて、と。さ、皆さんお遊びはこのくらいにしておいて河岸を変えますよ」

「待て」

ヴィクトワールは静かにいうと、立ち上がって、争いの渦中に近づいていく。

座っていた席が一番隅だったせいで気づかなかったのか、誰もが美麗なメイドの出現に息を飲んでいた。それもそのはず、その立ち居振る舞いやピンと伸びた背筋、それに他を凌駕する整った容貌は衆目を集めずにいられないほどすぐれていた。

暴虐を止めようとしていた紳士も、ならず者たちも、ポカンと口を開いたまま呆然としている。まるで、白昼に顕現した女神を見るような目つきであった。

「酔っていたなら酔っていたで、店に対してなにかいうことがあるんじゃないか?」

「あ、ああ。そうですね。これは、僕の部下が大変失礼をしました。なりかわり、謝します。それと、これは迷惑料で……。おい、おまえらいくぞッ!!」

ジェリーは分厚い財布をテーブルに置くと、そそくさと店を出ていった。まったくもって貫目違いといったところか。ジェリーは、若い紳士に気迫で飲まれ、手をひとつ出せずに去っていったのだ。

帰り際、ならず者のひとりが「今日のことは覚えてやがれよ!」と、捨て台詞を吐いていったのも、テンプレ通りである。

男たちが残らず消えると、店内の客からは、ドッと歓声が沸いた。

無論、それらは紳士とヴィクトワールを讃える声であった。

「や、やったー! ざまあみやがれってんだ!」

「お兄さん最高! 胸がスカッとしたわ!!」

「メイドさんもナイスアシストだぜっ。うちの息子の嫁に来て欲しいくらいだっ」

「ありがとう、ありがとうな。さすがお貴族さまだぜ」

「メイドさんー。こいつと別れるから結婚して!」

ヴィクトワールは客たちをいなすと、どっかりと席に腰を下ろした男の前に立った。

「なかなか度胸があるでないか。そうできることではない」

「はは。いや、その、なんだ……」

「ん。どうした」

「腰が抜けた」

「……あは」

あまりにも真正直な言葉に、ヴィクトワールはほほ笑まずにはいられなかった。

男は熊のような巨体をどっしり下ろしながら、深く息を吐き出している。

見れば、先ほど助けられた気の強い娘が、瞳をハートマークにしながら、冷たい水を勧めている。

元彼の腰抜けさかげんが際立っていたせいで、即落ちも無理はあるまい、とヴィクトワールは心中でうなずいていた。

「ああ、そういえば私はヴィクトワール。貴殿の行為、感服したぞ。是非名をお聞かせ願いたいな。きっと名のある家の出であろう」

「いやいや、俺は貴族でもなんでもないよ。仕事はただの港湾検査官で、名はブラッド。役人は役人でも最下級の役人さ」

「ブラッドさまは港湾検査官でいらしたのねっ」

「え、あ、ちょっと、君。顔が近いよ」

ブラッドに救われた気の強い娘は、擦り寄るようにして顔を近づけている。ブラッドは若干、背後に退いていた。

「うん? 港湾検査官は、そんなに重職なのか?」

「メイドさん。あなた知らないの? ラージポイントの検査官のお給料って、とーってもいっぱいもらえるのよっ。あ、申し遅れました。あたし、アマンダっていいます。歳は二十一で独身、フリーです! よろしくお願いしますっ」

「え、っていうか、君さっき彼氏と来てたんじゃ……」

「いま、別れました。てか、あんな玉なし野郎、最初からキープでしたからっ。それに、あたし、ちゃんと処女ですし、家事は得意な方ですっ」

「いや、そんなアピールされても困るから。ほら、ちょっといまは、このメイドさんと話してるからさ」

「ううっ。ブラッドさまは、こういう方がタイプなんですか? 正直、あたしじゃ勝てそうもないよう。あ、てかその首輪」

「いや、私は、そういうことだから、彼とどうにかなったりしない、少し、あっち行っててくれないか」

いきなり強烈アピールをしてきたアマンダは、店員の計らいで隔離された。ブラッドは、ふうとため息を吐くと大きな拳で額の汗をぬぐった。

「なんだ、ずいぶんとモテモテじゃないか。あ。私はダメだからな」

「もう、からかうのはやめてくれよ。こんなことは、生まれてはじめてなんだからな。ふう、とさすがに都会は怖いところだなぁ」

「なんだ、この街に住んでるんじゃないのか」

「いや、俺の実家はラージポイント。最近、ようやく長い休暇が特別に取れてね。それで、シルバーヴィラゴにやってきたってところさ」

「いきなりこんなゴタゴタに巻き込まれて大変だな。けれど、あんなならず者の仲裁に入るなんてそれなりに腕は立つのだろう」

「いや、俺なんてぜんぜん。さっきのは、無我夢中でさ」

「ふむ」

ヴィクトワールは困ったように含羞をにじませる男を見て、ある考えにたどり着いた。

――そうか。こいつ、なんとなくクランドに似ているんだ。

無論、クランドと違って下品なこともいわなければ、物腰も洗練された常識人だ。

けれど、この熊を思わせるもっさりとした巨体や、どことなく憎めないような男独特が持つなんともいえないかわいらしさは、アレ、に通ずるものを感じずにはいられなかった。

「うん。そうだ。ヴィクトワール、君はこの街に長いんだよね?」

「いや、そういったわけでもないが。残念ながら去年からだよ。住みはじめたのは」

「あ、ああ。その首輪」

ブラッドはそれから連想される事柄に思いを馳せ、苦しそうな表情になった。

若く、美しい女が奴隷であるというならば、それはもう、ひとつのことしか思い当たらない。家政婦兼性交奴隷である。特に、ヴィクトワールのように上質な衣服と、極端に身奇麗な格好をしていれば、勘違いするのも無理はなかった。

「あのな。おかしな勘違いをしているようだが、別に、私は奴隷ってわけじゃないぞ。これは、その主人の趣味であって。あああ、もおおっ。これじゃ余計に勘違いされる」

「特に突っ込まないでおくよ。というか、俺は知りたいのは、その、君がこの街である程度顔が利く人物を知っているかどうか知りたかったんだけど。どうかな」

「私自体、顔役というわけではないが、手蔓はいくらでもあるぞ」

ヴィクトワールは高く整った鼻をツンと上向きにして、釣鐘型の胸を張った。それもそのはず、彼女はこの領地の姫でありアンドリュー伯の娘である。よほどのことがない限り、無理は簡単に通せる実力者であった。

「その、人を探しているんだ」

ブラッドは暗い表情でうつむくと、巨体を丸めて声を震わせた。あれほど、肉の厚い身体がひと回りも小さくなったような気がする。どことなく、放っておけない感じであった。

「どうした。ここで会ったがなにかの縁。貴公が困っているなら、そのできる範囲で協力するぞ。さ、なんでもいってみよ。弱きものを助けるのも騎士たる勤めであるからな」

「騎士? それはともかく、俺はある女性を探しているんだ。うん、でもこれはやっぱ自分でとりあえずやってみるよ。会ったばかりの君におんぶに抱っこじゃ、アレだしね。それに、ううん。なんでもない。もしかしたら、また、面倒事に巻き込まれるとアレだし」

「そうか。深いわけがあるのだな。ま、本当に困ったら、ここに来い」

ヴィクトワールはそういうと、紙ナプキンに屋敷の住所を書いて手渡した。

「で、探しているのはどんな人間なのだ」

「うん。俺と、結婚を誓った恋人なんだ。でも、ある日、ゴタゴタがあってさ、家を出ていってしまって。母さんとも仲よくやっていたし。本当は、俺がもっと早くに勇気を出してケジメをつけていれば、こんなことにならなかったって」

「そうか。それは、ツライな」

「うん。いまでも、本当は迷ってる。彼女、実のところ、俺が嫌になって飛び出して行ったんじゃないかなって。ホントは、二度と俺なんかと顔を会わせたくないんじゃないかなって。いつも、怯えているんだ」

「喧嘩とかしたのか?」

「ううん。ぜんぜん。彼女は、華のように可憐で、華奢で、やさしくて。聖女みたいだった。いつも笑うときはさびしげに、ちょっと唇をゆがめるだけでさ。いつか、俺が彼女を心の底から笑わせてあげたら、いいなって。そう思っていたのに」

「じゃあ、探すんだ! ブラッド。女っていうものはな。いつでも、誰かに愛されたがっている生き物なんだ。おまえは、ちょっと話しただけでもわかるほど、いいやつだ。どれだけ時間がかかってもいい。必ず、その娘を探し出して、幸せにしろよ! いいか! この私と約束しろ!」

「あ、あはは。君みたいな美人さんにそういってもらえると、自信がつくよ。ありがと。じゃ、そろそろ人と待ち合わせしているんで、行くね。また」

「ああ。君の幸運を願っているよ。ブラッド」

久々によき知己を得たりと、ひとりほくそ笑んでいると、いまのいままで影のように姿を消していたシズカが背後にひっそりと忍び寄っているのに気づいた。

「ずいぶんと遅かったな。腹でも下しているのか……ってどうした! その顔は!!」

シズカの表情。漂白を施された布地のように真っ白だった。ヴィクトワールはいっしょにいたはずのハナを引っ張ると事情を訊ねた。

「どうしたんだ、あやつは。月のものでも来たのか」

「いや、なんかわからないんですけど。急に固まったかと思いきや、彫刻さんになっちゃったんですよー。ピクリとも動かないですし。ハナ、たいへんでした」

「おい。どうした、なにかあったか。話してみろ。ん」

「……帰る」

「だからっ、なんでっ、おまえはことごとくっ、私を無視するんだッ!!」

シズカは怒鳴るヴィクトワールを無視しながら、亡霊のような足取りで歩き出す。

ときどき、目の前の人間にぶつかって歩くので、そのたびに幾度も謝罪するハメになりヴィクトワールは先ほどのいい気分も消えて、ぷうとモチのように膨れた。

「おい。本当に気分が悪いのなら、辻馬車でも手配するか?」

「いい、歩けるから。放っておいて」

「そうもいかないだろうが。まったく、もおおっ」

中心街を過ぎると、途端に人の影が少なくなる。時刻は、昼を回ったくらいか。俄かに空が曇りだし、上空の青空は黒雲に埋め尽くされ、ゴロゴロと雷鳴が聞こえだした。

「これは、一雨来そうですねー。早く帰りましょー」

「うむ、そうだな。シズカの様子もおかしいし」

街道の脇。少し離れた潅木のはしから、よっつほどの大小の影が躍り出た。

先ほど、喫茶店で揉めたならず者たちである。

よりにもよってこんなときに。半ば予想していたことだが、億劫ではあった。

ジェリーがザッと前に進み出ると、追従するように大男たちがそれぞれ得物を手にしながら、凶暴な目つきで、人を値踏みするように上から下まで舐め上げた。

明らかに、ブラッドの存在を恐れた視線の動きであり、その胆の小ささは見ているこっちが嘆かわしさで頭を抱えたくなるようなものであった。

「先ほどは、よくも僕たちに恥をかかせてくれましたね。このお代は高くつきますよ」

「へへっ。あのデカブツがいなきゃ、どうってことねぇんだ!」

「おあつらえ向きに三匹と来てやがるッ。攫って、穴という穴にそそぎ込んでやるぜ!」

「おまけに、どれこれも上玉だ。へへ、ジェリーさま。最初に絡んだ、アマッ子よりも、こっちの方が数段ベッピンだぜ。これこそ、瓢箪から駒ってやつですぜ!」

「どいてろ」

「シズカ?」

いうが早いか、シズカの身体は風のように舞うと、すでに抜刀していた。

反りの大きな曲刀。

軽やかに大気を割って走ると、真正面に立っていた男の顔面を両断した。

絶叫がたちまち響いた。

シズカは、あまりの状況についていけず、棒立ちになっていた男の右脇を駆け抜けた。

ぴゅんっ、と白刃が流線を描いた。

同時に、脇腹を断ち割られた男。

信じられないといった様子でヘソから腰まで広がった赤い血の筋を確認した。

それから、男は、その場に両膝を突き、流れ出る自分の臓物に倒れ込む形で絶息した。

残ったひとりはすでに腰が抜けており、地べたに座り込みながら剣を振り回していた。

シズカの顔。

感情がすっぽり抜け落ち、人形のように虚ろであった。

男が振り回していた右腕が素早く斬りつけられる。

太い血の筋が虚空に舞って、霧のように拡散した。

男は、もはや完全に戦意を喪失し、腹ばいになってあえいでいる。

シズカは、男の背を無造作に踏みつけると、手にした曲刀をすいと落とし込んだ。

刃は、真っ直ぐ男の心臓を貫くと、地面にぶつかって、ざり、と硬い音を立てた。

ただひとり残ったジェリー。逃げようと足をもつれさせ、無様に転倒した。

「ひいいっ。ひいいっ。金、金なら差し上げますう! だから、だから命だけは!」

「黙れ」

見ていたヴィクトワールが唖然とするような素早い動きで曲刀が横に振られた。

ジェリーは首根を断ち割られると、両眼を見開いたまま、ドッと血反吐を吐きだした。

「シズカ……!」

あらゆるものを拒絶するような気配でシズカはその場に立ち竦んでいた。

気の短い女と知っていたが、この感情の爆発は、ちょっと考えられないほど凄まじい。

ヴィクトワールがどう声をかけていいかと迷っていると、シズカは急に地面に手を突くと、激しく吐瀉しはじめた。

黄色い胃液と今朝食べた内容物が、血の混じった泥と重なり広がっていく。

我に返り、サッと近寄って背を撫でると、彼女が細かく震えているのが見えた。

唇がわずかに震え、なにごとかをつぶやいている。

――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

耳を澄ますと聞こえてくるのは、悔恨に満ちた許しを請う声であった。