Dungeon+Harem+Master
LV233 "Receptionist Nelly's Log"
受付嬢の朝は日の出とともにはじまる。志門蔵人の妻であり、職業婦人であるネリーは、冒険者ギルドで労働に従事している。見習い期間を含めればかれこれ七年にもなる。
比較的、回転が速いといわれる組合のなかでも、かなりの古参であるといえよう。夫である、蔵人と同衾している日だろうが、彼女は体調不良でない限り、ほぼ毎日決まった時間の朝五時には起床する。
妻となり、組合の寮を出て屋敷に移り住んでからは、通勤時間というものが生まれてしまったが、自家用馬車があるゆえ不自由はまるでない。
洗顔や化粧、身繕いを終えると、すでに時計は六時を指している。自室でも火は使えるので、朝食は自分で作る。食材は、毎朝、契約している農家から新鮮な肉や卵、それに野菜が届くので問題はない。足りないものはたまに買出しに行ったりしている。ダンジョンに潜っていないときは、基本的に人手は足りすぎるほどあるのだ。
週のうち半分かそれ以上は、早出なので、家族とともに朝食をとることは少ない。ネリーは、商家の生まれとはいえ、かなりいいところのお嬢さんであったが、ひとり暮らしが長いので大抵のことはできる。
蔵人が起きていれば、朝餉も一緒にとるが、そうでなければ無理に起こしたりはしない。ネリーは蔵人の寝顔を見るのが好きだった。身支度を終えると出勤だ。子供たちは早起きなので、半分くらいは顔を合わせる。行ってきますのキスをすると、馭者のサントスに命じて市内に向かう。
「おはようサントス。今日もお願いね」
「へい、奥さま。今日もずいぶんと、よい日和で」
シワだらけのサントスはキセルを置くと、慣れた手つきで馬を走らせた。目の玉の飛び出るほど値の張った馬車ではあるが、やはり乗り心地は極上である。居眠りをする暇もなく、赤レンガが目立つ組合の事務所に到着する。
基本的に、ネリーの所属する総務課は人員が限られている。受付は、ネリー、デシデリア、ユージェニー、アネッサの四人しかいない。特にアネッサは、補助的立場なので、そう考えると、実質三人で回していることになる。
いずれも、顔で取っているといわれるほど顔立ちが整ったものばかりで、ネリーはなかでも「ふふん、私が一番」と密かに思っている。全員、ネリーより年下の十代だ。受付嬢は、身入りのいい冒険者に見初められるとすぐに仕事を辞めるので、三年といつく者がいない。
ネリー自身は、結婚したからといって、特に今の仕事を辞めるつもりはなかった。ちなみに、ネリーたちが仕事を休むと、男の職員たちが受付を代行するので、そのときは冒険者たちから恨みを込められた目で睨まれることが多いらしい。
(ま、私の知ったこっちゃないのですけど)
受付の仕事は多岐に渡る。組合の事務所には、市政を兼務している貴族階級の重鎮も数人ほど常駐しているので、日々、彼らに面会を乞う人間は多い。ネリーは、アポイントを確認して来訪者を選別し、面倒な人間は上司のゴールドマンに丸投げしたりすることもある。
基本的に、人の出入りが尋常じゃないくらいに多いので、常に忙しいといえば忙しいのだが、もっとも多忙な時間は、医者と同じで朝である。
「いらっしゃいませ、冒険者ギルドシルバーヴィラゴ本部にようこそ。本日は、どのようなご用件でしょうか」
「お約束はいただいておりますでしょうか」
「A塔二百二号室は、階段を登って右手になります。係員の指示に従ってお進みください」
「面会票はこちらになります。住所、請人、お名前、タグ番号をご記載ください。見本はこちらになります。わからないことがありましたら、お気軽にお尋ねくださいませ」
「こちら、四枚複写になっております。記入ミスは、こちらで組合の訂正印を押しますので、どうぞ、そのままわたくしどもにお渡しください」
「お客さま、こちらに記入漏れがございます。恐れ入りますが、改めてご記入願います」
スマイルスマイルスマイル。作り笑顔の嵐である。業務は八時スタートであるが、ネリーのサービスゼロ円スマイルは一時間程度しかもたない。スタートダッシュの重要来客対応を一通り捌ききると、能面のようになっている。
「課長、ちょっと席外します」
「またぁ? 困るよネリーくうぅうん。僕がこの時間立つと冒険者に睨まれるよおおっ」
直属の上司であるゴールドマンが禿頭頭を光らせながら泣きごとをいう。
ふん、知るか。私の集中力は短いのだ。
午前九時くらいから客層が変わる。変わるので、ちょっとひと息入れる。特に冒険者はアホが多いので体力の消耗が激しいのだ。
組合の事務所内にも、飲食のできるカフェが幾つかある。ネリーはここで、立ち飲みながら、軽くお茶をする。甘いお茶請けもあるが、あまり長居をしたい場所ではない。身内の目があると、くつろげないので、長く過ごしたいときは、だいたいは事務所の向かいにある“夜雀亭”にゆくことにしている。ここには、かなり高確率で蔵人が出没するので、会ったときはたかる。そして、蔵人はだいだい、“夜雀亭”の女給にちょっかいをかけているので、チクチクと釘を刺して遊ぶ。
(さー、働いてやるかなっと)
喉を潤すと、再び受付に戻る。今度は、冒険者相手の仕事がはじまった。彼らは、だいたいにおいて子供と同じようなものである。ワガママで要領を得ないことをいい、ときに感情を爆発させる。ネリーは手馴れた感じでそれらを相手してゆく。
攻略依頼の斡旋。
ダンジョン攻略のポイント。
事務上の手続き。
生命保険の勧誘。
ときには、恋の悩み相談まで受ける。そして、だいたいがかなり投げ遣りなアドバイスをして暇を潰す。
昼食の時間である。ネリーはそれほど量を食べない。ひとりのときは、さらに少ない。だいたいは、応接室で出前をとってすませる。パン食にサラダ、紅茶とデザートくらいが多い。この間も、受付に冒険者が山のようにやってくるが無視。待たせる。無慈悲な女王のように待たせる。受付のテーブルが騒がしくなると、「ちっ。うるさいな」などといいつつ、昼食を切り上げ対応に入る。このときは、いつにもまして態度が素っ気なくなる。
午後二時くらいを過ぎると、だいぶ落ち着いてくる。基本受付嬢は受付を離れることができないので、「退屈だなー」と思いながら、脚を見えないところでブラブラさせたり、マンウォッチングしながら時間が経過するのを待つ。
「ネリーくうぅうん。暇なら、ちょっと事務仕事手伝ってくれないかなああっ」
背後の事務室から課長のゴールドマンが青い顔で懇願してくるが、無視。
「つーん」
「頼むよー、終わんないんだよおっ」
「つーん」
「これじゃ、今日も残業だああ」
「私、受付嬢ですから」
ほほほ、と上品に笑うと、ゴールドマンは肩を落とし、トボトボと部屋に戻る。
かなり暇になる。この間、数名ほど、堂々と口説いてくる冒険者が現れる。適当にあしらってやる。が、なかには、思いつめて「お、お、お、俺といっしょになってくれええっ。俺は、アンタのためなら、妻も子も捨てられるうう」とかいってくる、ネジの外れたキ印がいるので、警備の人間を呼んで対処させる。ネリーは日に一度自分の美しさを再確認させられるが、彼女にいい寄る人間はなぜか低劣で最下層な男が多い。冒険者でも、若くて普通に男前の少年などは、モジモジして、世間話くらいしかしてこない。ちょっと不満がある。
「今日も来たぞっ! 今日こそは、アレクセイに会わせてもらうからなっ!」
来た。
誰も呼んでないのにアホが来た。
ここんところ、連日事務所に押しかけてきて、五英傑のひとりであるアレクセイを出せと騒いでいる、新種の困ったちゃんを見て、ネリーは目をそらした。
ベリーショートに、右耳へドロップイヤリングをした女騎士は、鳳凰騎士団所属のカステラ・カステルマーニョと名乗っていた。
「とにかく、エトリアのアレクセイに会うまでは、何日だって日参するからなっ」
このカステラという女は、ここ最近、一日と空けず事務所に通ってアレクセイを待ち受けているが、風の噂を耳にしたアレクセイはまったくここに近づかなくなったので、遭遇することもない。
――別に、事務所に来るのは勝手だけど、大声でそこらじゅうの冒険者に食ってかかるのはやめて欲しいんだけどなあ。
このカステラという女騎士は、アレクセイを待つ傍ら、やたらとそこいらをうろついている冒険者たちに片っ端から喧嘩を売っていた。いや、本人は、鳳凰騎士団として身なりや行儀、言葉遣いを注意しているだけだというのだが、彼女は注意の仕方がかなりトンチンカンで、おまけに一方的な決めつけが多く、やたらと決闘騒ぎを起こすハメになっていた。
「歩き方が悪いっ」
だの、
「大の男が、そのだらしない服の着方はなんだっ」
だの、
「昼間から酒を喰らうとは、おてんとうさまに恥ずかしくないのか。鍛え直してやるっ」
だの、もう、喧嘩をバーゲンセールにきてるとしか思えない荒れ狂いっぷりであった。
「カステラさん、ちょっといいですか」
「なんだ、ネリー嬢。君にはいつも世話になっている。なんでもいってくれ」
「あのお、実にいいにくいんですけど。気を落ち着けて、聞いてもらえます」
「ああ、なんでも」
「もう、来ないでくれます」
「……なぜ?」
「迷惑」
カステラはだらだらと汗を流すが、表情を変えずに額を拭うと、小さくうなずいた。
「これには、理由がある。聞いてくれるか」
「あ、私の意見はガン無視?」
「実はな、エトリアのアレクセイにはだな、そのお、大事な話があってだな」
「はあ」
カステラは、背中の腰の部分で両手を組むとモジモジしだした。
――ははあ、これはひょっとすると、ひょっとして。
ネリーは年頃の女性であり、当然他人のゴシップは大好きである。わざわざ名指しで、しかもまるで男なんて縁がありませんよ、と生き方で体現している鳳凰騎士団の女騎士が顔を赤らめるようなことは、ただひとつしかない。ネリーは、真剣な顔つきを作ると、いかにも親身そうな雰囲気を漂わせて、カステラの次の言葉を待った。
「さあ、いっちゃってください。私は職業柄口固いですから」
「あの男には、わたしの一番大切なものを捧げたのだ!」
「え、あ? それって」
「その、いろいろあって、あの男とは決闘になって。で、その大事な部分を、あのそのぉ」
カステラそこまでいうと、火がついたように顔を真っ赤にすると、両手でサッと覆い隠した。
――あちゃー、実はそんなんなってたんですねー。さすが、アレクセイさん。
ネリーはいい笑顔でにっこりした。
「だ、だからなっ。この際だから、そのお、ケジメをつけてもらおうと。その、わたしは、いままで男性とおつき合いしたこともないし。このことを父上に話したら、どうしても家に連れて来いと。すべてはそれからだって」
カステラは顔を隠したままそこまでいうと、いやんいやんとばかりに腰を左右に振った。
そういえば、ネリーが知るところ、カステラの実家であるカステルマーニョ家は、ロムレスでもかなりの家格を誇る、武闘派の軍人家系で、私兵だけでも常時千人ほど養っていると聞いたことがある。その上、アレクセイはとうに結婚をしているのであるから、この先がどうこじれるか興味がわいてほかならない。これが、自分に関係することならどひゃあ、と驚きもしようが。
「あの、カステラさん。私、アレクセイの住所知ってますよ。お教えしましょうか」
「それはまかりならんっ!」
「なんでですか。あ、その個人情報の保護とか、そういう意味合いで?」
冒険者はいろいろな人間に恨みを買うことが多いので、ギルドの掟としては、基本、個人の情報を漏らすことは許されないとしている。ネリーは、カステラはお堅い性格なので、たとえ自分のことであっても、そのような横紙破りはしないほうがいいと考えているのか思った。
「違っ。ただ、そのお。ギルドで偶然会ったって風にしたら、いいかなって。そう、思って」
――カステラもじもじかわいいです。
ネリーはこのもじもじも、やがて突きつけられる現実という大きな壁にぶち当たって七転八倒するかと思うと、身も震える快感を覚えた。
「あのお、うまくいえないですけど。頑張ってください。私、応援してます」
「そ、そうか。うんっ。うん。ネリー嬢はいいやつだな。是非、披露宴には出席してくれたまえ」
「え、ええ。それは、それはもう」
ひとつ、楽しみができた。このくらい楽しいことがないと、人間生きていけませんよ。
ちょっとだけ満足してカステラが帰ってゆく。ま、どうせまた明日もくるだろうが。
そうこうしているうちに、受付に波が来た。冒険者たちという、大きなうねりだ。
「ようネリー。今日も美人だな。メシ食いに行かねえ」
「あいにくと夕飯は家族と食べることにしてますので」
「ネリーさん、ネリーさん。四階層のホブゴブリンが倒せないよおお」
「諦めろ」
「ネリー。君はいつ見ても薔薇のような美しさだ。だが、薔薇は手折られるためにあるのさ」
「あは。ここは病院じゃありませんよ」
「最近、ちょっと調子が悪くてさ。攻略も上手くいかなくて」
「そんなときのための生命保険です。死亡後も、ご家族は安心。ぜひ入りましょう、すぐ入りましょう、いますぐ入りましょう」
「情報って売れるんですかっ」
「坊や、お帰りはあちらよ」
波をうまーく捌くと、今度はおやつの時間になった。長時間、阿呆の相手をしていると、さすがに肩がこる。ネリーは、両肩をぺきぽき鳴らしながら、事務所を出て、向かいの“夜雀亭”に向かった。入口には武張った鎧を着込んだ番兵がふたりほどしかめっ面で立っていたが、ネリーの姿を見ると、たちまち相好を崩して近寄ってきた。おいこら、守りはどうした。
「ネリー、休憩時間かい。いつもお疲れさま」
「それはお互いさま。毎日、お互いに大変ね」
「僕らも仕事がなければ一杯つき合いたいんだが、いつも残念だよ」
「うふふ。あとで差し入れにくるわ」
「ホント? マジ? やった!」
番兵はいずれもギルドの職員で、四角いカニのような顔の方がロベルト、細長い馬面はアスキスといった。ずんぐりとしたロベルトは、顔を真っ赤にしながら早口でどうでもいい話題をまくし立てている。口数の少ないアスキスも負けじとネリーに話しかけてくる。
なんというか。どうでもいい男でも、チヤホヤされて気分が悪かろうはずもない。適当にあしらったのち、おもむろに話題を切って足早に立ち去ると、ふたりとも飴玉を取り上げられた子供のような顔をした。ここでは、やはり自分こそが女王なのだ。
カフェに到着すると、通りの見渡せる奥の席で、いつものメニューを注文する。空を見上げれば、日は高く、屋内に篭っているのがもったいないくらいだ。
歩道の脇の樹の下で、あまり毛並みのよくない赤犬が、舌をだらりと伸ばしながら休んでいる。近所の商家の子供だろうか、三人ほどが集まって、しきりに赤犬へとまとわりついていた。どうも、残飯を与えているらしい。
赤犬は、旺盛な食欲を見せてそれらを平らげると、王が臣下に許しを下すような顔つきで、わん、と一声鳴いた。
ネリーは運ばれてきた焼き菓子をかじりながら、熱い茶をちびちび飲んだ。強い独特の芳香が口内いっぱいに広がってゆく。甘いものを食べると、一時的に、ジンと脳みそが痺れて疲れが消え失せてゆく感じがする。
ネリーは、しばしぼうっとしながら、長い自分の髪をいじりながら枝毛を探す。この間、数人ほど若い男が、席をいっしょにしていいかと訊ねてきたが、丁重にお断りする。結構な美形であったが、わずかな休憩時間を初対面の男と過ごすのはいささか気詰まりだ。
カップの底をスプーンでちゃりちゃり弄んでいるうちに、爪が伸びているのに気づいた。さすがに受付で堂々と手入れをするのは憚られる。
そうこうしているうちに、時間は過ぎ去っていった。
ネリーは店の壁時計をちらりと見ると、重い腰を上げて店を出た。カフェで買っておいた軽食を番兵のふたりに渡すと、彼らは飼い犬のように尾を振らんばかりにしてよろこんだ。ふふ、愛いやつらよ。
さて、退勤時間まであと少しだ。だが、冒険者たちは、どこにこれほど隠れていたのか、というくらいにゾロゾロと受付にやってくる。
初心者中心のクランが、五人ほど連れ立ってやってきた。ネリーは基本的な注意点だけを簡潔に教えて、余裕があれば武器よりも、防具や道具類を充実させるようにと告げた。
クランの少年たちは、まだあどけない顔つきで、年齢も十代半ばくらいだろう。訛りが酷かったので、ここよりもはるか南部の出身者であると推察できた。ダンジョンに常時潜る冒険者たちの生還率は極めて低い。たかだか五人で、農夫に毛が生えたような体つきの子供たちでは、もう一度会えるかどうかは難しいところだ。一応、生命保険の加入を勧めたが、組合の加入料を支払うのが精一杯でそこまでの余裕はないと、困った顔でいっていた。
低階層のモンスターでも、不意を打たれて囲まれれば熟練した冒険者でもあっさりと死ぬことが多い。特に、視界の利かない闇のなかでは、人類とはまるで比べ物にならない生命力を持つモンスターと殺し合うこと自体がバクチに近い。そういう意味では、ソロで何度か潜って平然とした顔つきで戻ってきた蔵人という存在が稀有なものであるのだが。
ネリーは細かな書類仕事をこなしながら、受付対応をこなしつつ、本日の訪問者数を日誌に記録してゆく。これは、毎日のことだが、一日にどれくらいの人間が訪れているのか把握する必要がある、という上司の指示に従ってやっている。あまりに多ければ、受付の人員を増やすという話になっているらしいが、ネリーの知るところ、入ってから受付者がふたりになったことはない。無意味な記録なのでやめたいのだが、かつて、一度適当な数字を改竄して報告したら見事にバレてお小言をちょうだいした。誰かが見張っているのか、と疑心暗鬼になってしまう。
「ネリーくん。暇なら、この書類――」
「やりません」
バッサリ切る。ゴールドマンは、顔を青ざめさせながら、ウロウロしている。正直なところ、彼が回してくる事務仕事は契約範囲外なのだが。あまりにも、かわいそうな顔をしているので、しょうがないな、という気分になった。
「できる範囲までですからね」
「わ、わわ。助かるよー」
ハゲが泣き出しそうな顔で情けない声を上げた。ゴールドマンは、これでも若い嫁さんを貰っているらしい。まあ、なんとなく愛嬌のある顔なので、まったく不思議、とうわけでもない。
ネリーは、しばし書類仕事に没頭しながら、片手間で受付も捌く。このへんの時間になると、仕事を切り上げて帰り支度をしたいので、「もう来るな!」と、いいたいのだが、なかなかそういうわけにもいかない。
受付では、少量であるが金のやり取りも行なわれるので、漏れがないようにキッチリやらなくてはいけない。職員のなかには、金に困って事務所の銭函に手を出す愚か者もいないではないし、少量の銅貨で疑われても面白くないのでかなり神経を使う。
「ちゅうちゅうたこかいな、と。終わり」
「早いなー。君は! いつも助かるよー」
「このくらい課長ひとりで片づけられないのですか。無理なら、人員を増やすよう上に申告してくださいよ」
「いや、それは、ちょっと難しいかなって。あはは、わかるだろ。ねえ……?」
「全然わかりません。もう、業務自体終了なので、これで帰ります」
ひと睨みすると、ゴールドマンはうつむいた。彼は事務処理にかけては、かなり優秀であるのだが、いかんせん上がそれに頼りきりで、ほかを増やそうとしない。なんでもできるというのも不幸なものである。夜番に引き継ぎを行なって、事務所を後にする。春なので、まだ外は明るい。
「お待たせしやした。お乗りくだせえ、奥さま」
「ありがとう」
馭者のサントスが駆ってきた馬車に乗り込むと、事務所の前にいた冒険者たちが、ものすごい顔をする。
うん。そうだ。そうなのだ。この七百万P(ポンドル)もするモデナ社製の馬車は、王国貴族や大商人くらいしか乗りえないものであり、一介のギルド職員にはオーバースペックなのだ。
ネリーは、自分が嫁いだことは、もちろん組合や上司にも報告したが、夫はなぜかシルバーヴィラゴ有数の大商人だと勘違いされている節がある。
(ま、真実がアレ、であるとはとても告白しにくいので。でも、勘違いさせたままにしときましょう)
ネリーは羨望の眼差しを背に受けて、ちょっとばかり誇らしい顔で、仕事場をあとにするのだった。