Dungeon+Harem+Master

LV234 "Etude of Sayonara"

蔵人は居間のソファに寝転がりながら、手元の本に並んだ文字を、目で必死に追うフリをしていた。うん。まったくもってわからない。

部屋のあちこちでは、小エルフたちがキャッキャッと騒ぎ回っている。修道院で子供の世話をよくしていたヒルダ曰く、「男の子より女の子の方が幾分マシ」だそうな。

本日の天候は雨。外で遊べない分、この部屋で鬱憤を晴らしてやろうではないか、というほどに、子供たちは室内を駆け回っている。

ポルディナたちは、夕食の準備に取りかかっており、一番暇そうな蔵人に子守の白羽の矢が立ったというわけである。リネットやドロテア、それにアルテミシアが、幼子たちのおしめを取り替えたりあやしたりしているが、到底、手が足りているとはいえない。

蔵人は器用ではなく、下手に力を入れると泣かれるので特になにごとかを頼まれたりしない。それはそれで寂しいものだが。

ふむ、元気で結構。蔵人がルッジから借りた書物を開いているのは、こうしていると幼児たちには蔵人が知的作業をしているように見えるので近寄ってこないという利点があった。

いつもならば寝そべっている蔵人に対して「腹どーん!」「頭ぼーん!」とばかりに、飛び乗ってくるが、書物を繰って字を追っているときは、不思議と真面目な難しいことをしているんだなぁ、と勘違いしているらしく直接攻撃に出ないのだ。この世界の識字率は恐ろしく低い。ネリーやヒルダが、やや年長の子に近頃字を教えはじめているが、せいぜい自分の名前を書ける程度といったところだ。故に、書物をめくっているだけで、自ずと知的かつ近寄りがたい雰囲気が生まれるのである。書物はイコール知識であり、平民と貴族を隔絶する大きな壁であった。

だが、内実、蔵人はこの世界のロムレス文字が読めない。言語だけは召喚時の紋章契約により、サモナーであるロムレス王女オクタヴィアと繋がっているため、自動でコンバートされているが、文字は目で見ても理解できない。

ロムレス文字は、アラビア語に似た字体であるが、習得するのにある程度の根気と努力が必要とされる。蔵人は、この地に召喚されて早々、努力を放棄していた。

なので、彼がしているのはいかにも理解しているフリをしてページをめくる、「洋書を読めるフリをする愚かな大学生」そのものであった。挿絵を見ているだけなのだ。ほとんど幼児レベルである。もっとも、黙っていればわからない。蔵人はその程度には知恵が回った。

かように、つかの間の休息を楽しんでいる時間に悲劇は起こった。

「ああっ」

「やたー」

「割れたー」

がちゃーんと、陶器が割れる音が鳴った。全員がその方向に注視すると、インテリアとして置いてある壺が無残な姿に変わっていた。駆け回っている途中で、小エルフのひとりがふざけて押し倒したのだ。見れば、今年四歳になるレタという子が腕を伸ばした状態で固まっている。経過を見なくても誰が犯人かは一目瞭然だった。

「ふ、ふ、ふえぇ」

「なにをやっておるのじゃー!」

気の短いドロテアは素早く駆け寄ると、顔を真っ赤にさせながらレタの頭をぺしんと打った。

今更ながら、自分がやってしまったことの大きさや、大人に叱られてかつ打たれたショックで、レタはみるみるうちに、目尻に涙を溜めると、爆発の予兆を顕にした。

――来るな、これは。

蔵人は、本を顔にかぶせると、即座に寝たフリをした。どうせ女どものことだ。グジグジと聞きたくもない説教が、キーキー声で延々と垂れ流されるのであろう。

ハーレム。女ばかりの生活と聞こえはいいが、暇さえあれば愚痴を聞かされて、常に自分の話ばかりを最優先にする展開は、想像と実体験に雲泥の差がある。

「にええええっ!」

「うるさいのじゃ! ぴいぴい泣くではないわっ!」

「だって、だってえええっ」

「レタ! 泣く前に、まず謝るのじゃ。ごめんなさいは!」

ドロテアがレタの泣き声に負けんばかりに大声を張り上げる。彼女の気の短さは、蔵人が人生のなかで知る限りベストスリーに入るほどのものだ。

「レタぁ、わざとじゃないもおんっ。わとじゃにゃいいっ」

「このっ!」

(レタ。あかん。それは一番あかんパターンや。まずは、謝らにゃドロテアは納得しいひん)

ドロテアが怒っているのは、壷を壊したことよりも、まずいい逃れをしようとするレタの態度であった。蔵人は、彼女の叱り方を何度か諌めようとしたが「子供の躾は女の仕事じゃ」といわれれば、なかなか口を挟みにくい。蔵人は我がことのように、レタとドロテアの顔を見ながら、落ち着かずにそわそわしだした。

「ママー。アルママー」

「おお、怖かったか。ケガはないか、レタ」

ひんひん泣くレタは母親同然に甘ったれているアルテミシアに向かって庇護を求めたらしい。

――コイツは荒れるぜ。蔵人は、両手を腹の上で組むと、ジッと息を殺した。アルテミシアは母性の塊である。彼女は万遍なく子供たちを甘やかすが、レタという娘に限っては、ほとんど我が子同然の扱いをしている。起きてから寝るときまで、常にくっついて離れない。レタは、人間とエルフのハーフであり、人種こそ違えどアルテミシアの魂までをギュッと掴んで離さないなにかがあるらしい。当然、元々の母親替わりであったドロテアの、半ばスパルタ式教育とは反りが合わないこと甚しい。蔵人の想像通り、両者は口論となった。

「アルもなんじゃ、そのいい草は! それじゃあ、わらわがいじめてるみたいじゃろうがっ」

「ドロテアもそれほどに怒らなくていいではないか。この子が怖がっている。な、レタ」

「ママー」

「お主もネコっかわいがりすればいいと思っておるのじゃろうが、子育てとはそんなもんではないわ! 叱るときには叱る。って、人の話をちゃんと聞かんかー!」

「いいではないか。それよりも、まず、子供たちにケガなかったことをよろこぶべきではないのか。モノは壊れたら、また買いなおせばいいだけのこと」

アルテミシアは泣き叫ぶレタを豊かな胸のなかで抱きしめると、かばうようにしてくるりと背を向けた。黙っていられないのはドロテアである。般若の形相で両目を大きく開いている。これはまずいと、エルフであるドロテアの妹分であるリネットが止めに入った。

「あ、あのっ。ふたりとも喧嘩しないで。この子たち泣いちゃってます!」

「リネットはすっこんでおれ!」

「ひいいっ」

仲裁に入ったリネット撃沈。

――これは、これは。ますます混沌としてきましたなぁ。

蔵人はページの下でニヤつきながら、高みの見物を決め込んだ。

「だいたい買いなおせいばいいとかそういう問題ではないわっ。アルテミシア! お主、いったい、いつからここの主人になったつもりじゃあ! それを決められるのは、クランドだけじゃっ」

「……クランドならば、私の気持ちをわかってくれるはずだ」

「ふうん。面白い。どっちに正当性があるかどうか、クランドに判断してもらうとするかの」

(おいおい。こいつは風向きが変わってきやがったぜ。想定外、想定外。えっと、俺はどっちの肩を持てばいいんだ。ドロテアをよしとすれば、まあ、この場は収まるだろうが。その場合、アルがなぁ。あいつってば拗ねると、こう、悲しそうな目でジッと無言のまま見つめてくるんだよなぁ。……あれはキツイよ。かといって、アルの肩を持てば、もう、ドロテアのヒステリックぶりは鬼神も三舎退くってくらいだしな。ぬおおっ。俺は、どうすれば)

「……と、いうわけじゃ。そこの狸寝入りしている男。賢明なジャッジを望む」

「ぎくぎくっ」

「クランドさん。それ、口に出しちゃダメなときです」

リネットが、はあっ、と切なげにため息を吐き、「しょうもなっ」という目をした。彼女も成長したのか、最近ちょっと冷たい。

「クランド。私は信じてる」アルテミシアが澄みきった瞳でいった。

見える。視界を塞がれたままでも、不動明王のように業火を背に仁王立ちしているドロテアと、拳をギュッと握って瞳を潤ませているアルテミシアの姿が。

蔵人は、だらだらと背中に冷や汗をかきながら、この難局をいかようにして乗り越えられるか思いつくままの英雄の過去の事績を脳内で紐解きそしてすぐさま絶望の淵へと身を躍らせることとなった。無念。

「……クランド?」

「ぐー」

アルテミシアの震える声に、寝息で応えた。すいませんごめんなさいぼくってそんなにできるおとこじゃないんです。

「起きよおおおっ!」

「にぶるへいむっ?」

ソファごとドロテアにひっくり返された。ここで、「でへへ、僕ちゃんどっちにもいい顔をしたいので選べましぇーん」などとほざいた日には、確実に幽明境を異にするだろう。

故に、ここで取る選択肢は、たったひとつだけ。

「うーむ。この状態で眠ったフリとは。もう、ええじゃろ。こんな腰抜けに決断を迫ったわらわがおバカじゃった。のう、アルテミシア。ここは、女らしゅう、決着をつけようかの」

「そうだな。それが、一番手っ取り早い」

――あるぇー? なんか、いきなり凄いことになっちゃってるんですけどお。ボクの楽しいスイートホームに戦場のヴァルキューレが二体ほど降臨しちゃってるんですけどぉ。

「あわわ。もおお、ドロテアのバカー。なんで、いきなりそうなっちゃうのよお」

「ふん。どいておれ、リネット。そもそも、わらわはアルの甘い指導には辟易していたところじゃ。いってわからなければ、拳でカタをつければよいのじゃよ」

「それは、こちらとて同意見だ。神の名のもとに、少々厳しく躾て進ぜよう」

「――抜かせ」

「こい」

もう、ちょっとこれ以上はシャレにならんからね。蔵人は、身体の上に乗っていた、革張りの黒ソファを弾き飛ばすと、両手を振りながら、両者の中間地点に分け入った。

「ちょーっと待った! おまえらストップストップ! なーんでいきなり殴り合いに移行するかなあ、もおおっ。そんな展開、ここにいる誰ひとりとして望んでいないっての!」

「どけっ!」

「どくのじゃっ! それともなにか。これ以上に、なにか和解する方法でもあると申すか」

「うーん。じゃあ、とりあえず」

「とりあえず?」

「……三人で仲よくエッチするっていうのはどうかな?」

蔵人は、両者から頬に強烈なグーパンを受けた。

「ひどいよおお。俺はただ喧嘩を止めたくて」

「でも、あれはあたしもクランドさんが悪いって思います」

「ううっ。リネットの悪魔! 鬼っ! 人非人っ!」

「そ、そこまで。ふーん、そんな酷いこというクランドさんには、もう、膝枕してあげなんいだからっ」

「あ。あ、嘘嘘。リネットちゃん、優しい。マジ天使。クランド界に現れた女神っ」

「もう。調子がいいんだから」

蔵人は傷ついたふりをして、リネットに膝枕をしてもらっていた。彼女は、どことなくまだ幼い感じがして、蔵人のなかでは男女間の性差をそれほど気にしなくても済む稀有の存在である。

なので、こうして純粋に甘えることができる。蔵人は、しばし青春ぽく、リネットとストロベリートークをしてからおもむろに立ち上がって、肩の関節をポキパキ鳴らした。

「わ、よく鳴りますねー」

「最近、食いもんがいいからな。さ、晩飯だ。行くとするか」

「あの、ドロテアとアルテミシアに謝らなくてもいいのですか?」

「うん。とりあえず、メシ食ってからだな」

「でも、あのふたりも、どうせすぐ顔合わせるのに。ちょっと考えなしですよね」

「お、おう」

リネットがいうとおり、食堂で顔を合わせたふたりはバツが悪そうな顔をした。無論、三者とも、ルッジが間に入ったことで、特に問題なく和平交渉は締結された。

明けて翌日。

蔵人はアルテミシアと連れ立って、市へと買い出しに出かけていた。別段、急に入り用なものができたわけではなく、先日の詫びも兼ねて、といったところか。

アルテミシアは、常に着ている厳しい甲冑姿ではなく、ゆったりとしたローブを羽織っている。

当然のことながら、彼女はついてくると駄々をこねた小エルフのレタを引き連れている。

ニコニコと微笑みながらゆっくりとしたペースで仲よく歩くさまは、種族こそ違えど、歴とした母娘のようにしか見えない。

「たまにはこうして出歩くのも悪くないな」

「……まあ、どうでもいいが、この人ごみだ。手を離さないようにしろよ。そうでなくても、このへんは物騒なんだからな」

「安心しろ。レタの手はなにがあっても離さない。な、レタ。しっかり繋ごうね」

「うん。ママとつなぐー」

「あー、はいはい」

「クランドもー」

「わかったよ。ほりゃ、これでいいか」

蔵人とアルテミシアの真ん中に入れられたレタは右手と左手を預けながら、満面の笑みを浮かべながらそぞろ歩きを楽しんだ。

「どうして屋台で売ってるもんてうまそうに見えるんだろな」

「買い食いもほどほどにしないと。お昼が入らなくなるぞ」

蔵人が串焼きから漂う香ばしい匂いに鼻をヒクつかせていると、アルテミシアが苦笑しながら財布を取り出して銅貨を店のオヤジに掴ませた。

まいどあり、の声と同時に焦げ気味の肉に食らいつく。

(ん。今日は鳥か……。タレは甘めだな)

蔵人が噛み締めるごとに染み出る脂に舌鼓を打っていると、膝下にすがりついているレタが綺麗に編み込んだ長い髪を揺らしながらぴょんこぴょんこ跳ねだした。

エルフはだいたいが濃い味つけが好きだ。蔵人がレタに串焼きをくれてやろうと手を差し伸べる。レタがあーんとばかりにかわいらしい小さな口を開けると、それまで黙っていたアルテミシアが怖い顔で、手の甲をぺしんと叩いてきた。食べられると思っていたレタが悲しそうに顔を歪める。

「クランド。レタに屋台で買ったものを食べさせないでくれ。お腹を壊したらどうするんだ」

「え、だって、食べたそうにしてるじゃん。てか、それをよろこんで食べてる俺って……」

「だ、ダメだ。屋台のものは! だいたい、ホコリとか入っていて衛生的によくないだろう!」

「おい、アル。店のオヤジが涙目になってるぞ。ついでに俺も涙目」

「ママー。レタ、おにくさんたべたいー」

「レタ。もうすぐ帰ってお昼ご飯だから。ね。いい子だから。お腹壊したらどうするの」

「うー、だって」

「いい子にしてたら、デザートをあげましょう」

「う、うん。レタがまんする」

「俺の存在は! 俺は腹痛不可避なの?」

「旦那、ウチはおかしなもん入れちゃいませんよ」

「だろ! だろ!」

「ただ、たまになんの肉焼いてるか、わかんないときはありますけど」

オヤジの瞳が哀愁に満ちた。

「保健所! 保健所呼んできて! この一帯を焼き払えええっ!」

蔵人が息せき切って怒鳴ると、アルテミシアが「怖いねー」などといいながら愚図るレタを抱え上げた。憤懣やるかたなく二本目を注文して、一気に串の肉を噛み千切った。

「ん。なんの騒ぎだ?」

アルテミシアの声に視線を向けると、人ごみが沸き立って、ドッと散った。

「どうせ喧嘩でしょうよ。ここいらあたりじゃ、珍しくもねえんで」オヤジがいった。

子供連れのせいか、アルテミシアが一瞬躊躇した。蔵人は、アルテミシアとレタの頭を交互にさすると、串を咥えたまま騒ぎの中心に寄っていった。

「どうしたんでェ!」

「なんでも、素っ堅気の商人が極道モンに絡まれたみてぇだな」

「へっ、よくあるこったさ。珍しくもねえ。なにを騒いでいるかと思えば!」

「それがどうして、ヤクザモンがいきなりダンビラ抜いたんで、野次馬どもは蜘蛛の子散らしたって寸法よ! 暇つぶしでケガしたんじゃワリに合わねえや」

蔵人は訳知り顔で事情を話す若い職人を見送ると、遠巻きに様子を窺っている人の輪の前列でピタリと止まった。

なるほど、目の前の通りの真ん中では、細身の商人風の男を取り囲む四人ほどの男の姿が見えた。背格好はそれほど大きくはないが、身体に纏った薄汚れた革の胸当てや、腰に差している鞘の使い込み具合から、ある程度年季の入った冒険者であると理解できた。

「ほら見ろ! テメェがとっととおいらに詫び料を払わねえからこんなおおごとになっちまったんだよう。どうしてくれんだオラ、どうしてくれんだオラぁ!」

「そんな横暴な――」

なかでも、赤いモヒカンの男はたるんだ腹を揺らしながら、座り込んでいる商人の脚を蹴りつけていた。眼球は落ち着きなくあたりをギョロギョロと見回している。きっと街の治安を維持する鳳凰騎士団の出現を恐れ早めにケリをつけようとしているのだろう。蔵人は、脳裏に小うるさいベリーショートの女騎士を思い浮かべ背筋を冷たくした。

(んん。ていうか、この強烈な髪型の男。つい最近見かけたような気が……)

「いいか! おいらたちの怖さがわかったら、今すぐ、この場で百億万P(ポンドル)耳を揃えてだな――」

「いいかげん、そのありえない単位を脅しに使うのはやめれ」

「はうっ」

蔵人は無防備な赤モヒカン男の背を蹴りつけると、ぐらりと体勢を崩したところで、追い討ち気味に尻へとカカト落としを叩き込んだ。男は、ぶびっとゆるい水気の混じった放屁を垂れ流すと、顔から地面に転んで死にかけた豚のような声を上げた。

「な、ななな、なにをしやがるっ。って、おまえはっ!」

「あれ。どっかであったっけ?」

「おまえは、あのときの若造――!」

赤モヒカン男はそういうと、強い怯えを全身で表現しながら尻に火がついたチワワのようにその場をぐるぐると回りだした。

「なんだこいつ。なあ、アル。こいつどっかで会ったっけか?」

「クランド。そいつは二十階層で会ったウロボロス兄弟の片割れだ。先週の話だぞ」

アルテミシアは呆れたようにいうと、抱いていたレタの頭を撫でた。

「そうよ。その姉ちゃんのいうとおりよ! 若造。ときに、あのときの黒髪の女はどうした! ほらっ、目つきが悪くてすばしこい!」

「もしかしてシズカか? なら、今日はいないぞ」

「はっ。おまえもツキが落ちたようだな。この前は不覚を取ったが、今回はそうはいかねえぞ。あの女とテメェたちのおかげで、おいらたちのクランは一から出直しよ! だから、こうして毎日コツコツ額に汗して働いてるってのにその邪魔までしようなんて、神が許してもおいらが許さねえぜ! さあ、もののついでだ。有り金残らず置いていけば、半殺しで許してやる」

「おお、それはそれは。ところで、今日は弟さんのほうは?」

「おまえらとあの女のせいで弟は引きこもりになっちまったよ! 借りは返させてもらうぜ」

「残念だったな、モヒカン兄弟よ」

「誰がモヒカン兄弟だ」

「俺に二度絡んで助かったやつはほとんどおらんぞ。今日で、おまえも退場だ。人生という大舞台からな」

「いい感じにシメてんじゃねえ! おいらのナイフ捌きをとくと味わえや! コラ!」

「ふーん。ま、いいや。かかってきなさい。と、いいつつ――!」

「あんぎゃあ!」

蔵人は大ぶりのナイフを持って駆け寄ってきた赤モヒカンこと、オンドシェイ・ウロボロスの右目目がけて、弄んでいた竹串を放った。串は真っ直ぐ赤モヒカンの眼球にどストライクすると、男の突進をたやすく止めることに成功した。

赤モヒカンは顔を抑えながら、再び顔からつんのめるようにして倒れる。蔵人は、倒れ込む赤モヒカンの顔に膝を合わせて、思いきり打ち抜いた。

ゴッと鼻っ柱が潰れる音といっしょに凄まじい絶叫が流れた。赤モヒカンは、うだらあっ、と激しく吠えながら、地面でのたうちまわっている。呆然とした顔で突っ立っている男たちに向かって、指先をクイクイ曲げながら挑発した。

「ふざけやがって!」

「血祭りにしろいっ」

雇われたばかりだろうか。先ほどまでニヤニヤ笑いをしながらやりとりを見ていた男たちが蔵人に向かって長剣を振り下ろしてくる。蔵人は素早く屋台の椅子を差し上げると、丈夫な木材の底で剣の刃を受け止めた。

「おうりゃっ、せいっ!」

「んごぼっ」

蔵人は男の剣を食い込ませたままそのまま奪うと、男の頭に向かって椅子の脚を全力で打ち下ろした。乾いた音が鳴って男の両眼が見開かれる。椅子は脚を残らずへし折って散らばると、男の意識を刈り取った。残ったもうひとりは猛然と剣を両手で握り締めたまま突っ込んでくる。

「ほいよ」

蔵人は素早く突貫をかわすと男に足払いをかけて、そのまま屋台のなかへと飛び込ませた。なかでは揚げ物をしていたのか、多量の油が男の頭から降りかかってゆく。奇妙な吠え声とともに、肉が焼ける嫌な臭いがあたりに漂った。

残ったひとりは、なかなか生存本能に長けていたのか、群衆をかき分けながら一目散に逃げ出していた。

「なかなか素早いな」

ゴミをひととおり片づけた蔵人があたりを見回すと、赤モヒの姿はすでに消えていた。

どうやら逃げ足だけはとびきりに早いらしい。

「た、助かりました。なんとお礼をいっていいものやら」

赤モヒカン一党に暴行を受けていた商人が、立ち上がりながら礼をいう。

「いや、なに」

蔵人が鼻先をかきながら応えると、商人はアルテミシアが抱えていたレタに視点を合わせて、そのまま硬直した。

(え。なに。こいつ、もしかして超・絶ロリコン野郎なの? もしかしてロックオンしちゃったのかなぁ。マジィよな、おい。助けんの早まったかなぁ……)

レタは幼いながらもその容姿のために奴隷商人に拐われた過去のある、つまりはその種の趣味がある人間には垂涎モノの少女なのだ。

かつては、ロクに手入れもされなく伸び放題だった髪や、垢じみた衣服も、今ではおとなたちの手によって丁寧に愛育されたおかげで、見た目だけであれば貴族の子女といってもおかしくないほど整ったものになっている。

この種のことは女のほうが敏感なのだろう。アルテミシアがすぐさまレタを胸のなかに隠して警戒心を露わにした。

「いや、そんな警戒なさらないでください」

商人も自分の無作法な行動に気づいたのか、小さく咳払いをすると、困ったように顔をしかめて取り繕うように微笑んだ。

蔵人は、なんとなくであるが、商人男の瞳に異常な嗜好がないことを本能的に嗅ぎ取った。ただのヤマカンではあるが、商人がレタを見る目は、親が子を慈しむような暖かみのあるような気がしたのだ。

過剰になっているアルテミシアは、それでもレタを商人の視界から隠そうとしていたが、蔵人の「失礼だぞ」の一言に、不承不承頷くと、レタを降ろしてあいさつをさせた。

「こんにちわー」

「これはこれは。おじょうちゃん。しっかりあいさつができて偉いね」

商人は膝を折って背の低いレタの目線に合わせると、やわらかい声音で語りかけた。

商人の名はエドガーといった。歳は今年で二十八。祖父からの代の塩商人であり、数年前まで王都近郊で家督を継いだ兄の手伝いをしていたが、思うところがあって、新天地をこの街に選んで移ってきたとのこと。いうなればのれんわけ、といったところか。近頃は、徐々に商売が軌道に乗りはじめたので、ぽっかりと空いた時間を活用して、主人自ら都市銀行に赴いた帰りに運悪く無法者たちに襲われた次第であった。

「いつもは必ず護衛代わりに供を連れて出歩くのですが。いやはや、失敗しました」

「ここいらへんに限らず盛り場を金持ってそうなやつがうろつくのは論外だぜ。下手な女のひとり歩きなんかより、あんたのほうがよっぽどカモネギだ」

「返す言葉もありませんよ、クランドさん」

「あいつらから見れば、アンタは財布に手足が生えて歩いているようにしか見えてないぜ。女を襲うよりも、ガードの甘い小金持ちを拐ったほうがはるかに安全なんだ。女や酒は奪った金でゆっくり楽しんだほうがいいって、みんなわかってんだからよ」

「面目ない」

エドガーは短く綺麗に刈った金色の髪をかきながら快活に笑い飛ばした。彼は、一見したところ、着ている服の布地もつけている装飾品も一級品だ。つまりは上流階級である。だいたいにおいて、物持ちの商人などは、気位が高い。パッと見はゴロツキのお仲間にしか見えない蔵人に助けられたとしても忌々しそうに金だけを払ってさっさとその場を去りたがるのだが、エドガーは心底感謝しているという態度を崩さなかった。

「で、その忠告ついでに、ひとつあつかましいお願いがあるのですが」

エドガーはニヤリと頬を釣り上げると、その場で蔵人に屋敷まで同道してもらうよう頼んできた。どうやら都市銀行帰りである彼の財布の中身は相当に銅貨で重たいらしい。転んでもタダでは起きないのが一流の商人である。

しばし話して、「これなら大丈夫だ」と蔵人の人柄を見抜いた彼は、ちゃっかり即席の用心棒まで拵えるしたたかさがあった。

エドガーの屋敷は、それなりに大きく、彼の懐具合のよさと商売が順調にいっていることを示すのに充分なものであった。是非に礼をしたいと乞われ、蔵人たちは屋敷の応接間に通された。

「わー、ばふばふー」

「レタ。飛び跳ねてはいけない。ね」

ふかふかのソファの上で楽しそうに遊ぶレタをアルテミシアがにこにこ顔であやしている。蔵人は、背中を豪奢なクッションに預けながら、出された茶を啜っていた。

(うむ。茶を持ってきたメイドさんもAクラスのものだ。お尻も、ぽにょぽにょしてかわいい)

蔵人は、シックな色合いのお仕着せで茶を運んできたメイドの尻ぺたを、アルテミシアに気づかれぬように、つるりと撫で上げながら、必死に屈辱を耐え忍ぶ表情を楽しんでいた。

(やりたい。あの虫も殺さぬような取り澄ました顔つきのメイドを後ろから思うさま責めたい)

想像するのは自由である。蔵人がモヤモヤした煩悩の翼を大きく広げていると、控えめなノックとともにエドガーが姿を現した。見れば、若い女性を連れている。彼女は、線の細いエルフ族であった。

「いや、待たせて申し訳ない。妻にどうしてもあいさつをさせたくてね。こいつめは、化粧に時間がかかりすぎて、今も叱っていたところなのですよ」

「はじめましてクランドさま。エドガーの妻のフロランスといいま……」

優しげな表情で目尻を下げていた婦人の顔が凍りついた。彼女は、ソファで飛び跳ねていたレタに視線を釘づけにしながら、身体全体をまるで瘧にかかったかのように激しく震わせた。

「シーリ……。シーリなのッ!」

「な! ちょっ?」

フロランスは床を蹴るとソファの上にいたレタを胸のなかで抱きしめながら、悲鳴に近い声をほとばしらせた。レタはなにが起きたかわからないといったふうに、フロランスの胸のなかで固まっている。

「やめ、やめてくださいっ! レタが嫌がってる!」

夫であるエドガーが妻を引き剥がすまえに、アルテミシアが吠えるようにして飛びかかった。

アルテミシアは蔵人と背丈もそれほど変わらない。つまりは力が強いということだ。武芸で練りに練った筋骨と、並みの戦士ではかなわないほどの膂力を持っている。たかだか商人の女房を手取りにするなどわけもない。彼女の長くて強固な腕はたちまちにフロランスという女エルフからレタを奪い返した。

アルテミシアは親の敵を見るような目で、フロランスを睨みつけると、もう取られはしまいとばかりに、レタを胸のなかでかき抱いた。

このような場合における母性本能発露というものは相当なものである。アルテミシアはダンジョンにおいて敵モンスターと相対するとき以上の気迫を全身から発散させながら、その場で仁王立ちになり大音声を発した。

「礼をしたいというから待っていればなんという無体な……! 失礼する!」

「待って、待ってください! シーリを! 私のシーリを返してッ!」

「落ち着け、落ち着きなさいフロランスッ」

エドガーが必死に押さえつけるが、フロランスは髪を振り乱して言葉にならない声を吐き続けている。蔵人は、彼女のあまりの形相の変化についていけず、ちょっと中腰になりながらゆるい屁をこいた。

「やめてください。あなたはなにをいっておられるのだ! これは私の娘のレタだ!」

アルテミシアはローブにすがりつくフロランスを振り払うと、風のようにその場を立ち去っていった。蔵人は虚仮のようにその場でバカ口を開けたまま、隣で妻を羽交い締めにしているエドガーをただぼんやり眺めるのであった。