Dungeon+Harem+Master

LV246 "Preliminary Matches"

蔵人は予選が間もなくはじまる前の控え室で入念に最終チェックを行っていた。武器は持参したものを使用することはできないので、愛刀である“黒獅子”はルールーに預けてある。

白いブーツはおろしたてであるのでまだよく馴染んでいない。膨らんだズボンの裾が絡まないように、しっかりとゲートルを巻いた。鼻のあたりがいまだズキズキと疼く。糞。

あのフンベルトとかいうやつの一撃がよほどこたえたようだ。蔵人はかぶった紙袋の上から鼻の軟骨のあたりを人差し指でそっと押した。

うし。軟骨は潰れていない。たとえへし折れていたとしても、紋章の力ですぐに回復するが、痛みまでが消え失せるわけではないので、ちょっとばかり陰鬱な気分になる。

このように、長丁場の戦いの前には腹のなかに少しはものを入れておいたほうがいいかなと、と思うが闘技場の外まで出て行って食べ物を購っている暇はない。

ぐるりと控え室のなかを見渡すと出場者の誰もがナーバスになり、悠長にものを食っている人間はいなかった。まあ、水っ腹ぶん殴られて悶絶するよりかはマシかな、と思ってベンチに腰かけていると目の前に、硬そうな黒パンが差し出された。ふと視線を上げて、その人物に気づき、まだなにも食ってはいないが、喉が詰まったようになる。

「よ。オレはクリスってんだ。よければ、これ食ってくれよ。えーと、確か名前は」

「パピルス仮面だ」

「そうだなパピルスさんよ。空きっ腹じゃさぞ辛かろう。どうだ」

「んんん。それは、ご好意はありがたいが」

蔵人は、目の前にほとんど今回の原因となったヒルダの間男、アンドリュー州軍兵士クリス・ハーティアを目にして動揺を抑えきれなかった。

「さっきさ。アンタが受付の子を助けようとしてたの見てたんだ」

「お、おう」

「オレはさ、今回の試合に賭けてんだ。だから、あのとき。保身に走っちまった。情けねえ。本当なら、秩序を守る戦士として、あのデカブツ野郎を止めなきゃならなかったのに。それなのに、オレはさ。よぎっちまったんだよ。アタマのなかにさ。

もし、ここで揉め事を起こしたらどうなる。出場ができなくなったらどうなるって……。オレは自分が情けねえ。涙が出るよ。死んだオフクロにも誓ったはずなのによ。卑怯な男にはなるなって」

「ま、まあ、人それぞれ大切なものはある。なにかを優先するときはなにかを捨てる覚悟が必要なんだ。おまえは、ただより重要なものを選んだだけであって、自分を恥じることはない。それに、もし私があのときあの男を止めなくても大会の警備兵がなんとかしただろう。私がしたことなど、ほんの些細な自己満足にしか過ぎないよ」

(とか、いってみる。つーか、こいつはアホのなのか? なぜ俺の声に気づかんのだ?)

「いやそういってもらえると嬉しいよ。なにか、心のつかえが取れたよ。ほら、売店で買った安もんだが、遠慮なく食ってくれって」

「青年よ。ともに励もうぞ」

「ああ。もし、どこかで戦うことになっても。正々堂々と勝負しようや、パピルス仮面さんよ」

クリスはニッと男らしく笑うと、先に闘技台で身体を慣らすといって恥ずかしげに控え室を後にした。なんだ。話してみれば、なかなかなにさわやかないいやつではないか。

(だが、俺はどうあってもヒルダを手放すわけにもいかんし。うーんどうしたものかなぁ)

「クラン、もといパピルス仮面。ちょっと!」

「ん……? どわっ!」

声に視線を上げる。そこには顔をパンパンに腫らしたヒルダの首根っこを引っ掴んだまま険しい表情をしているネリーの姿があった。

蔵人はひっくひっくとしゃくりあげるヒルダを抱きかかえながら、控え室を出て廊下の隅に陣取った。なぜなら多数の参加者たちの好奇の視線に耐え切れなくなったからだ。

「――まあ、要するに、ヒルダは最初からなにもかも承知の上で俺を出場させ、なおかつ賭けの対象にしていたと。そーゆうこと?」

「しゅびばせーん。でもでも、だってだってぇ。私、悪気があったわけじゃないんですよおう」

ネリーの執拗な尋問の前ではヒルダは無力だった。つまるところ、彼女は蔵人が路地裏で襲いかかったときには、すでにそれが何者か完全に理解していたのだ。

これは、厳しいようだが、妻が夫の半ば資産の一部とされているロムレス世界において、確実な背信の有責となる。

現に、ただでさえ夫がある身の上で、親しい男性を作っていた。それがたとえ奉仕活動の一環であるとしても、出るとこに出れば裁かれるのは妻であるヒルダ側なのである。

「あなたの余計なやり口でクランドは受けなくてもいい恥辱を人前で晒すことになったの! わかってるの、ホントに!」

ネリーは蔵人がいざこざをさけるためフンベルトの股をくぐったことをいっているのだろう。

ヒルダはマジギレしているネリーにあわあわ怯えながらさらに抱きついてきた。

美人が怒ると怖いというが、まさにその典型だ。蔵人はいきり立ったネリーをどうどうといなしながら、ヒルダの小さな背中を撫でつつついい聞かせた。

「わかった。わーかったから。もう、ネリーがこっぴどく叱ったから俺からいうことはねえよ」

「しゅき! クランドしゃんやさしいっ。ヒルダ、だいしゅき! しゅきしゅきっ」

「おい、やめろ。鼻がつく」

「あのねー。ヒルダ。あんた、自分の今の状況わかってるの? あんたは、教会に公認された夫とほかの男を天秤にかけたのよ。ロムレスの法に照らせば、よくてエクスポイントの農場行き。悪ければ――これ」

ネリーは手刀を作るとシュッと自分の首筋に当ててみせた。ヒルダはひっと短く叫ぶと、蔵人の袖にすがって、追い詰められた小動物のように瞳を潤ませた。

「もうそのくらいにしておけっての。ヒルダ。俺も悪かったよ。おまえの気持ちを考えず、無理強いしすぎた。今後はお互い気をつけるってことで、手打ちにしねえか?」

「うんっ。うんっ。もう、私賭け事やめますっ」

「――それは、嘘だな?」

「うんっ。うんっ。正直、流れでいいましたっ。でもっ、でもでもっ。努力はしてみますっ」

「はあっ。これじゃ私がタダの意地悪みたいじゃないの。……で、どうするのよ」

「どうするのって」

「大会のほう。もう無理して出る必要ないんでしょう? 栄誉だなんだっていってるけど、貴族連中やお偉方からしてみれば見世物以外のなにものでもないわ。いちいち危険を冒してまで出場する意味合いなんてないと思うのだけれど」

「うん。まあ、とりあえずここまできちまったからさ。出てみるよ。それにさ――」

「それに?」

「なんとなく、自分の力を試してみたいんだ。今の俺がどこまでいけるかって知りたい」

肉の熱気がうず巻く控え室を出ると、視界が不意に開けた。頭上にはぐるりと周りを囲む観覧席が立ち並び、大枚を払ってチケットを得た観客たち、約三万人が割れるような歓声を沸き立たせていた。蔵人は、一瞬だけ場の空気に呑まれかけたが、紙袋の覆面をガサゴソいわせながら咳払いをすると、ズラリと続く列へおとなしく並んだ。

受付で、紙箱に入ったクジを引く。色は赤と青の二種類である。どうやら参加者だけでも三千人は超えているらしい。予選の割り振りであろうか。蔵人は、続いて武器庫の中で得物の選択を迫られた。

基本、大会において真剣の使用は禁じられているので、刃引きをした模擬剣を選んだ。もっとも、刃を潰してあるといっても鉄の塊だ。打ちどころによっては簡単に即死しかねない。よくても不具者コース一直線だ。

蔵人の後ろにいた男は、使いべりのしなさそうな巨大な鉄棒を選んでいた。あ、やっぱそっちに変えますといいたかったが、グズグズしているうちに後列のおっさんたちの圧力で、前に弾き出された。無念なり。

ここで大会職員の手によりボディチェックが行なわれる。暗器や余計なものを持ち込まないように、点検は綿密になされている。蔵人は手ぶら同然だったので手回り品の預けも特にない。受付が終わった後、目の前にでんと据えられている、石造りでできたふたつの巨大な武闘場をボーッと眺めていた。

――そういえば、あれからシズカとメリーには会っていないな。蔵人は思う。これだけの人ごみだ。仕方ない。確実に出場しているだろうヴィクトワールもとうとう控え室では見なかった。

どんな感じで予選は行われるのかなぁ、と思っていると、出場者の真ん前に作られた壇上へとヴィクトリアが軽やかに上り、開会式の宣言を長ったらしくしゃべりだした。

周りには、臨戦態勢そのものといった重武装の騎士たちが、少なく見積もっても千人ほどは長槍を揃えてあたりを睥睨している。

本身を持たない三千の参加者が突如として襲いかかっても、すぐさま鎮圧できるようにとのことだが、自分の命が明らかにゴドラム教団によって狙われているとわかっている時期に、ここまで多人数の前に姿を晒せるというのは、彼女も並々ならぬ胆力ではない。

「――よって参加者一同は正々堂々武技を競い合わせ、精一杯戦っていただきたいと思います。大ロムレスにおけるとこしえの繁栄と王の御稜威(みいつ)が地上の端々まであまねく行き渡ることを願って、ここに銀星杯武闘大会の開幕を宣言します」

物思いに耽っていると領主代理であるヴィクトリアのありがたい訓示が終了していた。

「で、そういえばさっき引いたクジの存在はなんなんだろうか」

「参加者の皆さんに申し上げまーす。先ほど引いていただいた赤クジをお持ちの方は、右手にあります闘技台にお上がりくださーい。青クジをお持ちの方は左手の闘技台の方へおあがりくださいませー。なお、時間が予定より押していますので速やかに移動をお願いしまーす」

「なんだなんだ」

「これに上がれってか」

「俺たちゃ三千以上はいるんだぜ。いくら広いっていっても、隙間すら見えねえじゃねえか」

「なんだなんだ。いってえなにがはじまるってんだよう」

大会職員のアナウンスに従って全員が円形をした石畳が敷き詰めてある闘技台によじ登った。

なるほど。ここで試合が行われるわけだな。確かに、個々で戦うには広すぎる盤上ではあるが、全員が一斉に登るというのは、まず不可能に近いだろう。まさしく立錐の余地もないというところだ。次第に、参加者たちのくすぶっていた不満は抑えきることができずに爆発を迎えた。

(臭い……それに暑いし。オイオイ、オイイィイイ! 誰だよ今、俺のケツもんだやつうぅ? いる! 確実にこのなかにはホモォなおじさんがいますよォオオ! 大会の職員さーん! なにやってんのオオ! ここに、セクハラされてる好青年が居ますよおお!)

蔵人は「こんな屈辱に負けないッ」などと無言で耐えていたが、そのうち周囲の参加者たちが激しく地団駄しながら声を枯らして叫びだした。

「おい、さっさとなんでもいいからはじめろやああっ」

「俺ら少なくねえ参加費払ってるんだぜェ!」

「運営ッ。仕事しろよおおおっ」

「ママーママー。ここ怖いようっ」

「えー。では参加者の皆さんが残らず壇上に上がっていただけたようなのでルールを説明いたします。まず、予選におきましては、その闘技台から落ちた時点で失格。戦闘不能状態に陥いった時点で失格。以上にございます。なお、故意による殺害は直ちに出場資格を剥奪させていただきますが、結果としての事故は致し方のないこととして処理させていただきますので、あらかじめご了承ください」

職員は、よく響き渡る明瞭な声でルール説明を終えると、「ん?」と不思議そうな顔つきで、黙りこくった参加者たちの顔を直視した。もっとも髭面の中年なので、かわいげというものはどこにもなかったが。三千を越す闘技者たちは、一様に凍りついたがごとく息を潜めている。

「どうされました? もう、試合ははじまっておりますよ」

その言葉によって戦いの火蓋は切られた。まず、早々に脱落したのは、闘技台の外側に位置していた不運な参加者たちであった。彼らは、ほぼ自慢の武術を見せることなく、おしくらまんじゅうよろしく、ドドッと雪崩のようにリングアウトで退場する運びとなった。その数、赤と青、合わせて五百名ほど。

続けて、密集地帯による有無をいわせぬ近距離戦がはじまる。混み合った状態での殴り合いでは、長ものを持っている人間ほど不利になった。

ここで輝きを見せたのは、武器を使用しない素手の戦闘を得手とする「ストライカー」たちである。あちこちで、激しい呻き声が立ち昇る。

蔵人は、必死で群集たちの足元をくぐりながら四つん這いで移動していた。これは案外に見つかりにくい。そうしていると、同じことを考えていたのか、前方から這ってくる小柄な影が見えた。

「ああ、こりゃどうも」

「あ、いえいえ。どういたしまして――ってその声クランドですかっ?」

素っ頓狂な声を上げて目を真ん丸くしているのは、ドロテアに拉致されてこの半月ほど姿を煙のようにかき消していたメリアンデールの姿であった。

「おわっ。おまえ、マジで大会に参加してたんかいっ」

「クランド、クランドッ。やっぱ、わたしには無理ですようっ。こんなバトルロイヤル勝ち抜くなんて不可能ですうう!」

蔵人は必死でしがみついてくるメリアンデールの頭を撫でこ撫でこしてあげると、まずは再会のチューをかましたが、紙袋の上からなので彼女のやわやわした唇の感触は味わえなかった。

「と、とにかく俺について来い。まずは、敵の数が減るまで逃げて逃げて逃げまくるんだ。さすれば道は開かれんっ」

「はいっ。わたしはクランドについていきますっ」

ふたりは懸命に争う闘技者たちの足元を縫うようにして逃げまどっている。これが、正しい格闘家の道なのだろうか、と問われれば、有識者ではなくとも首を捻らざるを得ないだろう。

一方青クジの闘技台では、不運にもそちらに割り振られた参加者たちがヴィクトワールとシズカの剛剣によって矢継ぎ早に葬り去られていた。

実名ではさすがに参加できなかったヴィクトワールは蝶の仮面で素顔を隠し“マダム・バタフライ”のリングネームで、八面六臂の大活躍を見せつけていた。なにせ、彼女が右に左にわずかに動くごと、バラバラと無数の男たちが昏倒してゆく。

これを見逃すシズカではない。彼女は、小柄な身体を生かしたスピードを十二分に発揮して、ほとんど敵に動く暇も与えず、剣を烈風が吹き荒れるように振り続ける。

ここまで目立った実力を発揮して、互いに気づかぬわけはない。刃引きとはいえ鉄棒が強烈に噛み合う音は凶悪だ。ふたりは自然と呼び合う形で、闘技台の中央で対峙すると、どちらからともいわず無言で斬り合いをはじめた。

彼女らを除けば、青の闘技台で目立った戦士といえば、レモネード・アラミタという北国出身の棒遣いと、“大嵐”の異名を持つマルチャーノという槍術の天才が着実に他の参加者の数を減らしてゆく。戦いの開始から、ほんの数十分も経たないうちに、赤と青の闘技台の数は半減していたが、ここからがやはり長かった。

前回までの大会では、時間をかけてひとりづつ競い合わせていたのだが、今回は開催者であるヴィクトリアが賞金を釣り上げたため、長期にわたって闘技場を商工ギルドから借り受けることができなかったのである。今回のような、大がかりなイベントがない限り、この闘技場は主に奴隷である剣闘士を競い合わせているため、会場の使用料はべらぼうに高いのだ。

つまり、開催費のほとんどを賞金に回したため、できる限り日時の圧縮を余儀なくされたのであった。

――クソ。だんだん人が少なくなって来やがったせいか、逃げづらくなってきたぞ。

蔵人は、一転して苦戦を余儀なくされていた。なにせ、かぶっている紙袋と白装束が目立つかどうかは知らないが、ほかの参加者はこぞって蔵人に的を絞ってきたのだ。

すでにメリアンデールともはぐれており、遠くでなんとか逃げ回っているのは見えるが、助けている余裕はなかった。

「死ねッ」

「くっそ! こっちばっか狙ってくんなや、このクソデブが!」

蔵人は巨大な手斧を叩きつけてきた巨漢の足元をゴロゴロと転がりながら、思う存分長剣を脛目がけて薙いだ。ごきっ、と骨が叩き割られる音が鳴って大男が「あいいいっ」と間抜けな悲鳴を上げた。が、試合はバトルロイヤルだ。息つく暇もなく、右に左に動き続けなくてはならない。

それでも、もう五十人ほどは打ち倒してやったか。呼吸は荒いが、スタミナは残っている。怒声をほとばしらせながら戦い続ける闘士のなかでひときわ目立った動きを見せているのは、美麗な青一色の服を着た、ナイスミドルな銀髪の中年男性だった。

「あれが、ヴェイセルか……!」

「さすが連続三回優勝の男だ。貫禄からして違いやがるッ」

斬り合っていた男たちが手を止めて、中年男性に見入っていた。

ヴェイセル・ブロムストランド。今回、下馬評でもっとも優勝の呼び声が高い高名な騎士は、踊るように優雅な足さばきで、向かい来る男たちを次々とこともなげに打ち倒していた。

(やるな。なんというか、洗練された剣の使い手だ! 近寄るのやめとこーっと)

たとえ決勝戦に進めなくても、ヴェイセルに一太刀なれど入れられれば、このロムレス大陸で名を轟かせることは充分に可能な男なのだ。鴨が葱をしょってきたどころではない。

また、今回の大会では、当然ながら各地の名士やお忍びで観覧を行う大貴族も少なくはない。剣以外に能のない男たちがなりあがるには、文字通りヴェイセルに引っ掻き傷のひとつでもつけて、自らの存在を誇示しようと躍起になるのは当然といえた。

それを嘲笑うかのように、ヴェイセルの剣は冴え渡っていた。巨漢のオークが数トンもあろうかという戦斧を真正面から振り落とした。しかし、ヴェイセルは銀色の瞳を静かに輝かせると、ほんのわずかな動きで剣を合わせて、落ち来る斧の軌道を変えてみせた。

オークが状況を把握するコンマ数秒の速さでヴェイセルの右腕が閃いた。オークは、目にも止まらぬ早突きで喉元を抉られたのか、ごふりと赤黒い血を吐きだしながら前のめりに倒れる。

「さ。次の私の相手は、どなたかな?」

まさしくヴェイセルにとっては作業に過ぎない。泰然自若と構えるその姿には王者の風格すら漂っている。なので、蔵人は彼の戦いに目を奪われていた男たちの背後に忍び寄ると、続けざま脳天へと打撃を加えて気絶させた。

「あら、ずいぶんと卑怯な戦い方をするじゃない」

「あん? 卑怯もクソもあるかよ。勝ち残りゃいーんだよ勝ち残りゃ」

女の声に舌打ちしながら振り向いた。

――おっと。これまたエロいおねーさんじゃないですかああ!

蔵人は、目の前で健気にレイピアを構えている、ほとんど露出狂といったビキニアーマーを装備した栗毛の女戦士を目にすると、即座に股間の海綿体へと血を走らせた。

「確かにあたしも同感ね。勝てばいいのよ。勝てば!」

「うわっと。おおっと、ちょ! タンマ! 待って、待てったら」

「とおっ! やあっ。ハッ!」

女戦士は極めて高い水準に到達している剣技で蔵人に挑んできた。もう、周りで残っている参加者の数は残り少ないことを考えると、相当な実力者なのであろう。事実、彼女の踏み込みやレイピアの突きの鋭さは、あたりどころによっては致命的なダメージを受けかねない。

そもそもが、蔵人は防御がそれほど得意ではないのだ。そうでなければ、強敵と戦うごとにあれほど大きなダメージを受けずに済んでいるだろう。いくら覆面で顔を隠しているとはいえ、こんな予選で負けるわけにはいかない。

蔵人は、キッと表情を改めると(※無論紙袋のなかなので誰にもわからないが)果敢に攻め込んでくる女戦士を打ち倒してやろうと涙を飲んで剣を持つ拳に力を込めた。

「たっ! えいえいえいっ!」

うむ。しかし。

「えーい! 逃げるなあっ。このおっ」

だが、これはいかにも。

蔵人は一歩踏み込むごとに、大きく揺れる女戦士のたわわな双丘にジッと見入っていた。

荒々しく乱れる呼吸。谷間に流れてゆくエロチックな汗の粒。喉が渇くのか、ときどきチラチラ唇を舐めるピンク色の舌が視界に入るたびに、なんというかモゾモゾした胸のざわめきが蔵人を捉えて離さないのだ。

(やばい。揉みたい。しゃぶりたい。無理やり押し倒して、ふふん。これでどっちが上だか理解したのかね女戦士くん、といいながら泣き喚く唇を無理やり奪って、あのムチムチした両足を押し開いて、無理やり変な棒を入れたり出したりしてぇ……!)

「あんた、なかなかやるみたいねっ。この技は決勝に進むまで使いたくなかったんだけどッ」

女戦士はフェンシングのような突き一辺の構えを解くと、レイピアを青眼に構え直した。

ぶるんぶるん。ぶるぶるん。蔵人は、ぽわぽわ揺れるおっぱいに夢中でそれどころではない。

というか、彼女はなにもしていないのにチャームの魔術にセルフでかかっているようなものだ。

「必殺剣。ミラージュダンス!」

「おおっ、おっぱいが増えた!」

女戦士はぶるぶると身体を小刻みに動かすと、陽炎のような偽身を幾つも作り出した。

だが、蔵人にとっては揉みほぐすべき対象が増えただけに過ぎない。

「はぁ? なにいってんの、あんた」

「それ、突貫ッ!」

「んきゃあああっ」

蔵人は剣を投げ捨てるとルパンダイブよろしく組み打ちに入った。まさか、女戦士も自分が「必殺」とかいっているにもかかわらず、いきなり得物を放り捨てて掴みかかってくるとは思わずに、不意を突かれて簡単にその場に押し倒されてしまう。

「堪忍な。お嬢ちゃん堪忍やでぇ。あんたがこんな男を誘うようなカッコするのがわるいんや!」

「やだっ、やだっ。あたし、まだはじめてなのにいいっ! こんな変な覆面野郎とはじめては死んでもいやああっ」

蔵人は女戦士のブラを剥ぎ取ると、ぷっくりとしている桜色の蕾を乳房ごと躊躇なく掴んだ。

まさしく大会はじまっての不祥事である。見かねた職員たちが壇上に這い上がり、蔵人を制止しようとするが、頭に血が上っている男たちはなにがなんだか分からず、誰彼構わず斬りかかる。

観覧席のお客さんは、これを見るやいなや、批判が続出するかと思われたのだが、予想に反してけっこうウケていたのだった。

そもそもが、このような血なまぐさいショウを大金を支払ってまで見たいと思う人間がこれしきのことでブーイングを行うわけもない。

「いいぞ、兄ちゃんっ。自慢のもの突っ込んでやれッ」

「そこだっ、そこそこっ。ハハハ。これは、下手な決勝よりもずっと興味深いですぞ」

観覧席のあちこちから海嘯のような笑いが沸き立った。

「あ、頭が」

一方、超VIP席にて遠見の魔術で、唯一パピルス仮面の正体を認知していたヴィクトリアは軽いめまいを覚えて、椅子の背もたれへとぐったり寄りかかる。

「きゃー! きゃー! きゃー!」

女戦士は露わになった胸を両手で押さえながら、ぴょんと自ら場外へ飛び降りて貞操を守った。

「あちゃー。逃げられちゃったかぁ」

大会職員は、さも残念そうに呟く紙袋をかぶった怪人に、侮蔑の視線を向けながらぷいと横をわざとらしく向いてまで見せた。

「はは。なんでぇなんでぇ。こーいうお楽しみもなきゃ人生おもしろくねーだろうがよ」

くるりと振り向くと、そこには表情を失ったメリアンデールが幽鬼のように立っていた。

表情が暗い。蔵人は、えへえへと笑いながら頭に手をやると、あろうことか、両手で肩をドンと押された。

あれ? なんでだろうな? なぜ、この僕が宙をふわりと舞っているのだろうか。

神さま、教えてください。今なら、セブンのドーナツ奢りますから。

「はい、お兄さん失格ねー。ご苦労さまでした。お帰りはあちらですよ」

職員の事務的な言葉が脳に浸透するまでに、数秒かかった。気づけば、蔵人は円形の闘技台から外へ押し出され、芝生の上に尻もちをついていた。

待った待った。状況がわからない。

「あるぇー? もしかして、メリーさんや。怒ってますか?」

「……クランドのばか」

ざんねん。くらんどのぼうけんはここでおわってしまった。

旧ファミコンふうに呟いても、彼の心には乳白色の濃い霧が立ち篭めており晴れることはなかったという。

参加記念として、銅製のメダルを職員からもらい、トボトボと控え室に続く通路を歩いてゆく。

顔を上げると、敗残者の怒りの込められた一撃で、あちこちに真新しい壁の傷がやたらと増えていた。蔵人もレンタルした模擬剣を石壁に思いきり叩きつけたが、惨めさだけが募った。

「クランド……」

ふと、顔を上げると、心配そうな顔をしたネリーがとまどったふうに近づいてきた。

ええ、いいですよ。どうせ俺は口先だけの男なのさ。ああ、ああ。いつもどおり罵倒すればいいだろうよ。「なんとなく、自分の力を試してみたいんだ」とか、得意のモノマネで俺を笑い飛ばしてくれや、いや、マジでホントにそうしてくれよう、と蔵人は千々に乱れた心の傷の深さに自分でも驚いていた。

「ね。怪我なかった? 大丈夫? 歩けるかしら? 残念だったけど、でもクランドなりに頑張ったから、それで、もういいじゃない。忘れましょう。ね」

――うおおおっ。おまえは俺の母ちゃんかよっ! 

蔵人の考えとは百八十度違ってネリーは慈母のようなやさしい笑みを湛えていた。袋を顔から剥ぎ取って胸に飛び込む。甘い、ミルクのような匂いがして心が静かに凪いでゆく。

「もお、クランドは赤ちゃんになっちゃったのかなー。さ、行きましょ。だいじょぶよ。誰も、気づいていないから。へいき、へいきよ。私がついてるから。ね」

それから、数時間後、予選の激闘は終わりを告げ、決勝に続く八人の勇士が選出された。

青の組。四名。

シズカ・ド・シャルパンチエ、得物は曲刀。

レモネード・アラミタ、得物は棒。

マダム・バタフライ(※ヴィクトワール・ド・バルテルミー)得物は剣。

マルチャーノ、得物は槍。

赤の組。四名。

メリアンデール・カルリエ、得物は剣。

シトラス、得物は棒。

ヴェイセル・ブロムストランド、得物は剣。

レジス・ドパルドン、レジス流格闘術創始者であり得物は素手。

計八名によって最強が争われることとなった。

――蔵人は運命に翻弄されるようにして予選で敗退した。