Dungeon+Harem+Master
LV300 "There's an End and There's a Beginning"
とりあえずカレンを伴ってアパートに移動するとリザとドロテアはすでに帰宅していた。
「これはさすがの俺も怒ったね。よし、おまえらそこに座れ。説教してやる」
「クランド。これらにニホンの言葉は通じないぞ」
ヴィクトワールがすかさず突っ込んだ。
「わーってるよ。ケジメだケジメ。てか、ペナルティを与えんといかんな」
「顔が下卑ている。ふん。どうせ、これにかこつけて、ふふふ、不埒な要求をするのだろうが、こいつらにはあまり意味はないぞ。むしろ、うむ。こほん逆効果だ」
「うーん。でも、とりあえず説教はするよ」
蔵人は絨毯の上にリザ、カレン、ドロテアを正座させて言葉が通じる通じないの関係なしに、懇々と人の道を説いた。
開始してしばらく。リザあたりはあくびを噛み殺す余裕があったのだが、正座が長引くにつれ、一同の顔色が徐々に悪くなっていく。
「な、なあ。このくらいにしておいてやったらどうだ?」
「んーにゃ。まだまだ俺はこいつらにいいたりないことがある。続けるぜ」
日頃の椅子で生活している民族にとって正座の態勢は結構に効くものだ。カレンは涙目でぎゃあぎゃあ叫んでいるが蔵人は陰鬱な笑みを口の端に浮かべたまま正座を解くことを許さなかった。
「ドロテアが反省しておる。そろそろ許してくれんかの、と伝えてくれと」
「いーや。まだまだ。カーニバルははじまったばかりだぜ」
蔵人はベッドの上にどっしり尻を据えてサディズムに染まった顔で、苦痛に耐える三匹のエルフ娘たちをニヤニヤと見つめている。
「なあ、あからさかまにリザの様子がおかしいんだが」
「……実は気づいてた」
リザは頬を赤くポッポッと染めながら悶え、自分の腿と腿とをこすり合わせている。あきらかに性的快感を得ている様子だった。褐色の肌もどこか色を増して妙に淫靡な雰囲気である。隣に座っているカレンが踏みつぶした便所虫を見るような目でじりじりと距離を取っているのが見えた。
「もうやめておいたほうが」
「やめるか」
蔵人はどこか虚しさに包まれながら、今回の件は水に流した。
正座のし過ぎで痺れてしまったエルフ娘たちは、一様に転がって呻いていた。ポルディナは彼女たちの脚をまるで虫けらでも見るかのような目で追いながら定規の先で、つんつん、と断続的につついて弄んでいる。
ぼうっとその様子を見ていると、蔵人の腹の虫が「グッグオー」と盛大に鳴いた。
「そういや昼飯まだだったな」
「どうでもいいがもの凄い音しているな」
「ほっとけよ」
「そうしたいのも山々だがこんな至近距離では無視もできない」
ヴィクトワールが呆れ果てたようにお茶の入ったペットボトルの蓋を閉めながらいう。
「なんだ。こんだけいるから、まだ昼だけど鍋でもやるか」
「鍋、か。それもいいのだが。食材はどこで調達するのだ。市はとうに終わっているのでは?」
ヴィクトワールの問いは異世界人として至極当然のことだった。現在の時間は、昼の二時半過ぎに差しかかっていて、ロムレスではこんな時間に食材を買うのは少し中途半端だった。魚も肉も野菜も、鮮度がよくて安いものは朝早くに並べられる。
現に、屋敷の家事を集中的に行っていたヴィクトワールにとっては当然の疑問でもあった。
「この国じゃ二十四時間好きなときに好きなもんがいくらでも買えるんだよ。金さえあればな。てことで、ちょっくら買い出しに行かねばな。と、荷物持ちが必要だが。あーダメダメ。おまえら、ぜんっぜん懲りてねぇな」
蔵人が上着に袖を通すと同時に、カレン、リザ、ドロテアが我先に挙手をする。
「ちょっとポルディナと行ってくる。ヴィー。そいつらを死んでもここから出すなよ。もう、探すのめんどいからな」
「ま、まあ、それは構わないが……」
ヴィクトワールは胸の先で両手の人差し指どうしを「つんつん」と突き合わせながらつい、と目を逸らせもじもじしている。
(行きたい素振りをするツンデレ騎士ちゃんもまたよし。が、今回はお留守番してもらうっきゃない。エルフ大捜索網はもう飽きたよ)
「絶対連れてかないからな」
「そ、そこまでいわなくたっていいだろーがっ。第一、私はおまえといっしょに行きたいなどこれっぽっちも思って――」
蔵人はヴィクトワールにつき合っていると日が暮れそうだったので、彼女がすべて喋り終わる前に扉を閉めて出て行った。
さて、蔵人が向かったのはアパートから歩いて五分ほどの場所にある〈マックスバルゥ〉である。
この大型スーパーマーケットは日本全国鬱陶しいくらいに展開しており、しかも二十四時間営業を常態としているつわもので蔵人もちょくちょく利用しているお気に入りのスポットであった。
「こっちだよ、ポルディナ」
蔵人は目を見開いてしっぽを逆立てているケモノ娘の手を引きながら店内に入った。ポルディナは、店のなかにところ狭しと並べられた、もの、もの、ものの圧倒的かつ暴力的な物量に気圧され酸素を求める金魚鉢の金魚のように口をパクパクさせていた。
「ふふふ、どうだね。我が国の豊かさは……いやいやこれくらい当然のことよ」
蔵人はポルディナが目をきらきらさせながら尊敬の眼差しを受け、軽く陶酔した。この男と店舗の豪華さは一ミリグラムとて関係ないのに。
「よし。じゃあ、パパッと買い物をすませてやつらの度肝を抜いてやろう。ついてこい」
ポルディナはこくこくとうなずくとカートを押しながら蔵人のあとをついて回った。
(こんな寒い日は鍋物が一番。そうだ。今日は安くて美味い鳥鍋にしようか。となると、必要な具材は……)
蔵人は鳥腿肉と、肉のツミレ、焼き豆腐に長ネギ、白菜、マイタケ、シイタケ、春菊を無造作に掴むとポンポン籠に投入した。
「そうそう。これこれ。最近はダシが丸ごと売ってて楽だよなー」
パック入りになっているちゃんこの素を忘れずに購入すると、ビール、リキュール、ウーロン茶を買い、ソフトドリンクなどもぽんぽんとカートに搭載していく。
蔵人は本来人を集めて陽気にどんちゃん騒ぐのが好きなのだ。特に寒い日に仲間と飲む酒は格別である。
「おなごはなぜかワインが好きなんだよな。こいつらも買っとくか。あとはポン酒と焼酎、ウイスキーも買っておこう。ん。ポルディナを連れてきてよかったな。ちょっとひとりじゃ持ちきれそうもなかった」
こうして店内の食料品売り場を回る間も、ポルディナは整然と陳列された膨大な品々に激しいショックと、それに伴う主婦的好奇心から彼女にしては珍しくあちこちで足を止め、雑多な商品に視線を転じている。
先ほどから彼女は異様な速度でしっぽを左右にぶんぶんと振っていた。恐らく「こんなにたくさんものがあるなんて目移りしちゃうよう!」とでも思っているのだろう。
巨大スーパーはポルディナにとって恐らくアミューズメントパークのようなものなのだ。
「この調子じゃ、一日中はおろか、三日四日ここに置いといても退屈しないって顔だな」
ポルディナは蔵人の視線を感じると頬を赤らめてなにごとかをいった。たぶん、いつになく浮ついた自分を戒め強く恐縮していると推察できた。蔵人は会計の前に、もう一度ゆっくり店内を見て回ると、ようやくのことアパートに戻った。
「昼飯のつもりが、なんだか早い夕飯の時間になっちまったが、ま。いいか。ここから長く飲めると思えば、逆にラッキーってことで」
蔵人は調理を女たちに任せると、まずコタツの毛布を剥いで場所を作った。ここは室内でエアコンもあるし鍋を食い終わったらそこらに布団を引いて酔い潰れた者から寝ればいいのである。
肉と野菜を切り分けてボウルに取り、土鍋をカセットコンロにかけてようやくのこと夕飯がはじまった。
「んじゃ、まあ、久々の日本ってことでみなも無事そろったことだし、適当にカンパーイ!」
「……とりあえず事態はなにひとつわかっていないのだが、まあいいか」
ヴィクトワールがぶつくさいっているが蔵人はすべて聞き流した。ドロテアに至っては酒が飲めるとあってか、異様なまでにテンションが上がっていた。
キンキンに冷えたビールを一気に呷った。蔵人は喉を鳴らして一気に飲み干すと立ち上がって豪快に笑った。
「だははっ。うまいっ、うまいなっ! あったかいとこで飲むビール最高ッ!」
「確かに。しゅわしゅわしておいしい」
ヴィクトワールが静かに同意しているのを見てついつい頬がほころんでしまう。蔵人は自ら鍋奉行を買って出て、ひとりひとりの椀にぐつぐつ煮えた鶏肉だの、焼き豆腐だのネギだのをよそってやった。
「で、七味とポン酢をほどよくかけた鍋肉が――かあっ。うめーっ! んでんで、おっかけてビールを飲めば、もうなんにもする気が起きねーなっ! なっ!」
蔵人がふざけてリザにじゃれかかったりドロテアの胸を触ったりして酒宴は徐々に熱を帯びていく。
「な、なあ。もう少し静かにしないか? ここは安普請だろう」
「うるせーっ。おまえも飲めや。ほーら、ハイソなお嬢さんがお好きそうなワインもわざわざ買ってきてあげたましたことよ?」
「う、飲む、けど」
ヴィクトワールは簡単に陥落した。
もちろんこのあと騒ぎ過ぎて両隣と階下から苦情が出たが蔵人は必殺のアイアンクローでまとめて解決した。
明けて元旦。三が日を遠く過ぎ、世間さまが正月気分を忘れて労働に励むようになる頃。クレジットカードの引き落としを見て蔵人はうんうんと唸っていた。
「なにか問題でもあったのか」
白のブラウスとボーダースカートを着たヴィクトワールがデスクで椅子に腰かけアイボリーのティーカップを置いた。
「金、調子に乗って使い過ぎちまった……」
年末だから、とか。正月だから、とか。蔵人は久々にひとりではない正月に羽目をはずし過ぎて、貯金を残らず浪費し、残高に残った金額はスロットを打ったら三十分で溶けてしまいそうなほどになっていたのだった。
「なんだ。金がなくなったのか。そのくらいのことで大の男が大騒ぎするな。まったく」
「あのなぁ。いっちゃあなんだが、俺の貯金のほとんどはおまえたちの贅肉になったんだよ」
蔵人はパッと手を伸ばしてヴィクトワールのおなかを触ろうとするが、すんでのところでぺちっと手のひらを叩き落された。
「ひゃっ。人の腹を、無遠慮に触ろうとするなぁ。スケベっ。変態っ。破廉恥漢めっ」
「いだっ、いだだっ。蹴るなってば! けど、ぜんぶ事実だろーがっ」
「……そ、そんなにまずいのか?」
蔵人はベッドの上で固まってうつらうつらしているカレンとリザ、それになにごとかとコタツから首を伸ばすドロテア、そしてシンクで洗い物をしているポルディナを順に見ながらふうっとため息を吐き肩を落とした。
「ま。なんとかするさ。おまえらの分の食い扶持くらい。気にすんなって」
蔵人はその日から日雇い土木のアルバイトをはじめた。彼は、金がないときしょっちゅう力仕事をしてイケない場所で遊ぶための軍資金にしていたので苦にはならなかったが、それでも日給はせいぜい一万ちょっとにしかならなかった。
本人は「ま、そのうちロムレスに戻れるだろ」くらいに割り切ってやっていたのだが、ただ養われるだけ、そしてこの世界の人間ではないので、なにもできることがない鬱屈は日に日に溜まっていった。
特に身を切るような寒い日でも、小雪がちらつくような暗い曇天の下でも蔵人はなきごとひとついわず、実に献身的に労働に骨身を砕いた。
ヴィクトワールは元々情が深く感じ入りやすい性格の女である。彼女は蔵人が屋敷で常日頃、縦のものを横にもしないぐうたらぶりを見ていただけに、思うところは相当に強かったのだろう。そして、とうとう限界が彼女のなかにやってきた。
「出迎えごくろー、ってなにやってんだっ。全員そろってっ。びっくりしたなー」
ある夕方。蔵人が力仕事を終えてアパートに戻ってくると、女たちは全員がびっしりと狭い玄関口に正座して思いつめた表情をしていた。
「クランド。なにか私たちにできる仕事はないだろうか」
「……いや。その話はしたじゃん。この国じゃ戸籍もパスポートもないような外国人女を雇うところなんて、アングラ系だけだっての。俺はテメェの女房を売るほど甲斐性なしじゃねえぜ」
「でも、クランドばかりに働かせるのは心苦しい……! これはみなの総意だ。身体を売る以外にも、なにか、汚れ仕事でいい。そういった安くて人が好まぬような私たちにできる仕事はないのだろうか。私は……おまえの力になりたいんだ」
蔵人は軍手を取り外して冷たくなった両の拳に息を吐きかけながら、薄暗い玄関口で立ち上がったヴィクトワールの決然とした瞳を見返した。
「そこまでいうなら、なにもないわけじゃないんだが」
その日から数週間が経過した。蔵人は無精髭をこすりながら、ベッドに寝ころびながら目を落としていたコミックから顔を上げた。壁時計に視線を移動させると深夜の二時を過ぎていた。
「お。もう、そんな時間か。そろそろお迎えの時間だね」
ゴムのたるみ切ったスウェットにドカジャンを羽織ると黒のニットをかぶって、アパートの駐車場に留めてある白のワゴン車に乗り込んだ。
すでに走行距離は十万キロを超えているので滅法安かった。都内の駐車料金はバカ高いが、もはや蔵人がそれらを憂う必要はない。
「これというのもみなさまのおかげだな」
じゃらじゃらとやたらにアニマルを擬したストラップのついたキーホルダーを手のひらで弄ぶ。すべて女たちの趣味だ。彼女たちは小金が入った途端やたらと部屋じゅうを飾りつける習性を発揮しただでさえ狭苦しい部屋がさらに息苦しくなったのはいうまでもない。
二月の深夜だ。小雪がちらつきそうな寒空の下、蔵人は繁華街に向かってワゴンを走らせた。
サイドをすりそうな小路を無理やり押し入るようにして入ってゆき、〈スバル〉という安っぽい看板を出しているスナックの前に留めた。ハザードを焚いて、外に出る。刺すような寒さに蔵人はぶるると首をすくめる。
「こいつらを回収しねぇと酒も飲めんからなぁ」
ぎっと安っぽい扉を開くと薄暗い店内で立ち話をしていた夜の蝶たちがいっせいに蔵人を見て顔を輝かせた。
「あら、蔵人ちゃん。毎日お迎えごくろうさま」
六十年配の厚化粧をしたスバルのママが酒焼けした声をかけてくる。
「おう。まったくこんな時間まで働かせるなんて法律違反だな」
「無理やり頼み込んでそのいいぐさはないでしょうに……」
脂粉を漂わせながらスバルのママは呆れ果てたようにため息を吐いた。
「ママのいうとおりだ。おまえは無礼過ぎるぞ」
横合いから白いコートを羽織ったキャバドレス姿のヴィクトワールが赤らんだ頬を近づけてきた。
「そういうなって。ちゃんと送り迎えという崇高な仕事に邁進しているじゃないか」
蔵人は一杯引っかけて陽気なエルフたちがまとわりつくのを押しのけながら、そっとヴィクトワールの尻に手を伸ばすが寸前でぴしゃりとやられた。
「この店はお触り不可。そうであったな、ママ」
「そういうこと。蔵人ちゃんもお家に帰ってからヴィクトワールちゃんたちとなかよししてね」
「そんなことするかーっ!」
「痛いよっ。なんで今殴ったんだ?」
照れ隠しに手が出たのだろう。蔵人の隣で待機していたポルディナが両者の間に割って入ると、犬歯を剥き出しにして「がうっ」と吠えた。
「ごしゅじんさま。だいじないか?」
「お、おう。特に問題はないぞ。守ろうとしてくれたのか、よしよし」
蔵人はカタコトの日本語で喋るポルディナの頭をやさしく撫でた。
そう。蔵人の「ないわけじゃない」手、というのは、ぶっちゃけ彼女たちを知り合いのスナックで働かせることであった。
このスナック〈スバル〉は蔵人行きつけの店であり、ほとんど時代から取り残されたような個人経営を未だ行っているつわものだった。
当然のことながら、ヴィクトワールたちキャストの給料は日払いであるが、コンビニの時給なんぞは比べものにならないくらい「いい……」のである。
ママ曰く、地元の生活安全課の上の急所を握っているのである程度の目こぼしは問題がないとのことだった。
「ポルはごしゅじんさま、むかえ、うれしい」
「うーん。しかし半月かそこらでここまで喋れるとは優秀なやつめ」
「ポルちゃんはお店のお客さんにかわいがられてるものね。カレンちゃんやドロテアちゃんは、ちょっと照れがあるみたいで日本語まだまだだけど」
スバルのママがいうとおり、ポルディナはかなり積極的に酔客と会話することによって驚異的な速度で日本語を習得しつつあった。契約の紋章の言語翻訳能力に頼りきりであった蔵人からしてみれば、ほとんど驚嘆すべき吸収力である。
「ん。それにくらべて巨乳エルフちゃんはだらしがないですなぁ。今夜も沈没コースか」
蔵人はソファで仰向けになってイビキをかいているドロテアを見やった。彼女はかなりの呑み助であり客が勧めた酒を断りはしない。よって、三日に一度の割合で潰れている可能性が高いのだった。
「ドロテアちゃんはまったく喋れなくても売り上げに協力してくれてるからねぇ」
スバルのママがいうとおり、たわわな乳房をほとんど露出しているようなドレスを好んで着ているドロテアはこの店で人気ナンバーワンの嬢になりつつあった。
と、比べれば美人でもあまり愛嬌がるといえないヴィクトワールに自然と目が向いてしまう。
「なにか私に文句でもあるのか?」
「い、いや。別に」
彼女はほかの者と違ってなまじ日本語が達者なこともあってか、東欧系好きな酔客からの反応はイマイチであった。ポルディナやドロテアはそれなりにチップを稼いでくるのだが、つんと澄ましたヴィクトワールはその際立った容姿の冷たさもあってか男を自然と遠ざけてしまう部分があった。
「クランド。稼ぎの悪い鵜にエサをやる必要はないのだ。よって、今夜はリザさまの奢りでラーメンを啜りにいくことを提案するのだ」
「おまえは馴染み過ぎなんだよな……」
蔵人はすでにツッコむ気力が薄れるほどリザの卓越した言語能力に驚き疲れていた。このどこかアホっぽい行動によってどこか頭悪いキャラが定着していたリザは、たかだか三週間程度でほぼ完璧な日本語を身につけていたのだった。
リザがいうには、元々ダークエルフという種族自体が、多種多様な言語を操るのを得意としたマルチリンガルであり、基本新規の言語を習得するのは「むしろ得意……」だということだった。
蔵人がリザを観察していた結果、彼女はとにかくありとあらゆる人に片っ端から話しかけていた。
東欧系の顔立ちに黒人に近い褐色の肌を持つリザの特異なキャラクター性。それと言葉に表しにくい愛嬌のよさは際立って初対面の人間からも警戒心を解くのに役立っていた部分が大きい。
言葉をより多く使い、強烈な好奇心でオウムのように繰り返し、それこそ繰り返し口に出すことによってリザは魔術的な速さで日本語をほぼマスターしてしまった。
「ん? クランド。なにかリザの言葉、おかしな部分があった? 間違っていたら教えて欲しいっ。どんどん修正するのだ―」
「いや、そんだけ喋れれば生粋の日本人とイントネーションもほぼ変わんねーよ。声だけ聞いたら、もうぜんぜんわからん」
「お褒めに預かり恐悦至極なのだー」
「リザ。おまえ暇だからって時代劇見過ぎじゃね」
蔵人はワイワイガヤガヤ深夜のお店で仲よく談笑している異世界の娘たちを見ながら、奇妙な安堵感に包まれていた。
(すまねぇ。俺が不甲斐ないばっかりに。でも、正直すっごく楽チンです)
蔵人も当初は自分の女たちをグレーゾーンである夜の女に落とすことは躊躇があったが、スナック〈スバル〉はそういったエロ全開を主眼とした店ではなく、どちらかといえば近所の商店主や学生及び普通のサラリーマンが飲みに来る場所だったので苦渋ののち彼女たちを斡旋したのだった。
人はこれをヒモ野郎というが、この時点で蔵人は己のことをクズであると認識することを意識的に拒否していた。
(人間には適材適所ってものがあるんだ。すまない。おまえたちの稼いでくれた金、けして無駄にしない。二月の中山記念は必ず取って見せるから……!)
蔵人はポケットのなかで握りしめたスマホを熱い気持ちで握り締めるのだが、すでに立派などこに出しても恥ずかしくない最低ゴミクズ野郎にジョグレス進化していたことはいうまでもなかった。
「クランドさまっ。クランドさまっ。しっかりお気をお持ちくださいませっ!」
「無駄だ。私の幻術は、本人たちが見たいと思っている幻想を見せるもの。彼らは幽玄の世界で徐々に生活を構築し、確実に成功していく。自分の作り出した楽園から逃れられる者はいない。もはやこの世界に戻ろうなどとは、微塵も思い至らぬ境地に到達しているだろうね」
エルフのルールーは寝転がったままなにごとかの動作を寝たまま行ってる蔵人たちへとしきりに起きるよう刺激を与え続けていた。
ヤドカリ賢人は捻じれた身体に広がった無数の瞳をゆっくり開閉しながらふわふわと踊るようにその場で左右に揺らめいていた。
「おまえがッ――!」
「だから懲りないエルフくんだね」
ルールーは眦を決して短剣を投擲するが、ヤドカリ賢人のまわりにある目に見えない防御壁に弾かれ激しく歯噛みした。
「エルフよ。君がこの場に戻って来てから断続的に六十時間以上経過している。小用を除いて数十分の小休止を入れたのは二度ほど。そろそろ長期の休みを取らねば、死もありうる。私としては睡眠をとることをお勧めするが、どうだ」
「黙れ黙れ黙れ――ッ! きさまが、きさまが妙な術を使ってクランドさまや姫さまたちを陥れているのだろうがっ」
「ほら、腰がふらついている。視線も上手く定まらない。彼らが君の問いかけに応えることはありえない。いいや、彼らはこのまま眠り続けて生を終えたほうがよっぽどしあわせなのかも知れない。これから先の過酷な状況を思えば」
ルールーは悔しそうに拳を地に強く打ちつけると、その場に跪いて額をこすりつけるように頭を下げた。
「頼む……! クランドさまたちを目覚めさせる方法を教えてくれっ。ください……この身はどうなってもいい……どんな痛苦も私が引き受けるから」
「答えはノン、だ。残念ながら試練に入った挑戦者を助ける方法は、この私にはない。これがただの冒険者であれば、今まで意図せずに踏み入った冒険者と同様三十層における記憶を消去して送り返すこともできななくもないが、こと、勇者に至っては許されていない(・・・・・・・)のだ」
「……クランドさまは天下無敵の豪傑だ。このような幻に、負けるわけがない」
ルールーは蔵人の上着をくつろげると自分の上着を脱いで、上半身の裸体を晒した。
「なにをするつもりだ」
「ロコロコ族の秘術だ。私の魂をもってクランドさまを幽界よりお助けする」
ルールーは自分の白い腹を見せるとためらいなく短剣を十字に振るって、赤々とした血潮をどっと放出させた。
「馬鹿な。そんなことは意味のない自殺行為。迷信だ。術式も感知できない。理解不能だ」
ヤドカリ賢人がぶるっと全身を震わせる。
ルールーは青ざめた表情で蔵人に覆いかぶさると凄絶な笑いを浮かべた。
「笑いたければ……笑え……私は……いつでも……クランドさまに……命を捧げ、る」
「どうしたクランド? こちらはもう準備できたぞ」
「――づ。いや、なんでもねぇ」
蔵人は高い椅子に腰かけながら帰り支度の整った一同を従えたヴィクトワールに視線を向けた。
強い疼痛が頭を襲った。脳裏に線の細い女の苦しそうな顔が浮かんだ。
(思い出すのが、正解なのか?)
手にはカウンターに置かれた青色の瓶が知らず握られていた。これから運転しようというときに一杯やる阿呆もいないはずだ。
(だとしたら、俺はなにを――?)
「ワリィ。ちっと頭が急に痛くなってな」
「大丈夫か? 運転、できそう?」
蔵人は脳裏の生じた、ほんの小さな粟粒程度の疑問に促されるよう、手にした酒瓶をヴィクトワールに向かって投げつけた。
「なにをするっ!」
指呼の間ではあれど、さすがはヴィクトワールといったところか。素早く右手を差し伸べると飛んできた酒瓶をいとも容易く受け止めると、媚びたような顔で笑った。
「どうしたのだクランド。今日は疳の虫でも騒ぐのか……」
瓶をテーブルに置いたヴィクトワールがヒールをコツコツ鳴らしながら寄って来る。
蔵人は野獣のように身体全体のバネを使うと手にしたフォークで無防備なヴィクトワールの喉笛を深々と抉った。
女たちが。スバルのママが。絶叫を上げた。
「な――にを?」
ヴィクトワールは血反吐を吐きながら白いコートを汚して蔵人にすがりついてくる。
「聞こえたんだよ」
「なに、が」
「ルールーが俺を呼ぶ声がよ。長い――夢を見ていたようだ。猿芝居は終わりにしようや。洞穴の賢人さまよ」
血濡れたフォークを投げ捨てると、あたりの世界がぐにゃりと歪んだ。狭苦しい場末のスナックは、回転するバケツに絵の具を垂らしたようなマーブル状に変化しサイケデリックな景色に置き換わっていく。
「いつ、感づいた」
ヴィクトワールだったものは、今やヤドカリ賢人に変形し目の前に佇立していた。
「感づいたわけじゃねぇ。正確にいえばな、思い出したんだよ。記憶の断片を。クラシックカーの2000GTに考えてみればナビがついてるほうがおかしいんだ」
「それをおかしいと思わせないよう、君たちの神経を麻痺させていたのだがな」
「ルールーの声で目が覚めたんだ。十時間くらいたっぷり寝たあとみたいに頭ンなかがスッキリしてやがる。兆候はあった。思い出せば、この数ヶ月、俺が乗ったことのない路線を使おうとしたり、通ったことのない道を選ぶとアクシデントや通行止めが必ずあった。この世界は、すべて俺の記憶に依拠しているんだろう。だから知らない場所に差しかかるとエラーが検出される。自明の理だ。あの2000GTもダチの家の雑誌でちらっと見たことがある。値段は俺の思い込みだろうな」
「合格、か。実力ではない、と私はいわない。運は勝負ごとにおいて決定的な地力であるからね」
「守護獣さんよ。そんで、今度こそ正々堂々と勝負してくれるんだろうな」
「しかし、君はあの寸前まで競馬で一山あてようと思っていたんだろう」
「それは――」
「種明かしをすれば、この世界は私が作った虚構であるが、現実となんら変わることはない。君は、競馬を買えば万馬券だし宝くじを買えば必ず一等が当たる。相当な譲歩だが、これを知って、つらく苦しみしかないあの世界にまた戻れる気になれるかい? 今なら、君が求めていたものが、ここですべてそろう」
「おっとと。そいつには乗らねーよ。わかりきった未来も、誰かが用意した道も歩くのは御免だ。おまえが用意した書き込みだらけの路線図は必要ない。俺の世界は真っ白なままだ。その先のページを埋めていくのが生き甲斐ってやつだろ」
「ならば、早く目覚めるがいい。今なら、まだ間に合うだろう」
――そして、現実にようやく回帰した。
「ここ、は……?」
蔵人が起き上がって目蓋をこすると、そこは最初にヤドカリ賢人と遭遇した狭い隧道であった。
「勝負は、君の勝ちだ。勇者クランドよ」
「あっ、てっめ――ルールー? おいっ。ルールーっ!」
蔵人はべったりした冷たくなった血液と青い顔でぐったり横たわっているルールーに気づくと動転した様子で彼女の剥き出しになった腹に手を当てた。確かに怪我はしているようだが、すでに厚いカサブタが傷口を覆っておりその奇妙さに顔が自然と歪んだ。
「傷はふさいでおいたちょっとしたサービスだよ。それと、これだ――」
ヤドカリ賢人は無数の複眼のひとつを瞬きさせると、なにもない虚空から白く輝く宝玉が一際目立つ首飾りを発現させた。受け取った蔵人は困惑しながらも、それを手のひらで弄び低く呻いた。
「こいつは」
「それこそが君たちが求めていたこの三十層の古代十二神器(ロスト・ハイウェポン)、〈真実の答(アンサー)〉だ。使いどころを間違えなければ強力な武器となろう」
「なんでここまで……」
重ねて訊ねようとすると、激しい地響きが起き、同時に倒れていた女たちが次々と目を覚ましはじめた。
「どうやら託された時間はここまでのようだ。健闘を祈るよ。次代の勇者くん」
このまま悠長に話をしている暇はない。ヤドカリ賢人に訊ねたいことがらは無数にあったが、蔵人の生前本能がこの場所が長くもたないことを強烈に訴えかけてくる。
「くそっ……撤退だ」
「もはや、出会うことなどありえないと思っていたのだがね」
ヤドカリ賢人は逃げ出していく蔵人たちの背を見つめながら、ゆっくりと身体をゼリー状に溶解させていった。
かの王に託されたものは、確かに送り届けた。無数の瞳は今やぱちりと閉じられヤドカリ賢人は、この世界に発現して、はじめて安息というものを貪りはじめていたのだった。
「まぼろしから、心地よい夢から覚めるときは誰しも苦痛を伴うものだ。それを、着古した衣を脱ぎ捨てるように、なんのためらいもなく捨て去ることができるとは。少なくとも精神力は、その域に達しているようだ。そして、間違いなく、運にも恵まれている。クランド。ロムレスの勇者よ。ついに我らが待ち望んでいた男となりうるのか、あるいは。おまえは本当に、それを掴みうることができるのか。
〈禁じられし迷宮の王《ダンジョンハーレムマスター》〉の座を……!」