「え、借金……?」
俺は、朝早くから訪れた村長の家で告げられた言葉に思わず言葉を失ってしまった。
村長がたぷたぷと肥え太ったお腹を揺らしながら顔を険しくして詳しい事情を説明してくれる。
「そうなんだ。君の父親がどうやら村のお金を使い込んでいたらしいんだ」
「いや、でも……」
父は真面目な人間で、仕事も村の治安を守る兵士だ。
外から襲い来る魔物の脅威から槍を持って村人を守り、村の中では非番であるにもかかわらず酔っ払いの喧嘩の仲裁を行うなど忙しい毎日を送っていた。酒も付き合い程度に飲むぐらいで、賭け事につぎ込んでいる様子もない。
そんな父親がお金を使い込んでいるなど言われても信じられない。
まして、自分のお金ではなく、有事の際に貯金しているお金に手を出しているなど……
「クライス、数日前から帰ってきていないよね」
「はい。三日前からです」
クライス――というのは、俺の父の名前だ。
父が三日前の仕事を終えて以降の足取りが掴めない。
その日は、村唯一の入り口で門番をしていたらしく、村人の多くがその姿を目撃しているし、仕事を終えた父が詰め所に入っていく姿を目撃している人がいることまでは、この三日間で調べられた。
しかし、その後の行方が分からない。
「実は、三日前の休憩の時にクライスと話をさせてもらったんだ。その時に村のお金を保管している金庫からお金がなくなっていることについて相談させてもらったんだ。その時は、調査に協力してくれると快く引き受けてくれたんだ。だが、今思えば、どこか思い詰めていたような表情をしているようにも思えた」
村のお金がなくなったとなれば一大事だ。父の性格を考えれば間違いなく調査を引き受けることになる。
ただ、お金がなくなっていることを告げたその日のうちに姿を晦ましてしまった。
敏い人間ならば父が逃げ出したと考えてもおかしくない。
「それに金庫の暗証番号を知っている人間は限られる。クライスもその一人だ。状況証拠でしかないが、君の父が金庫からお金をくすねており、それが発覚してしまったために逃げ出したとしか思えないのだよ」
「そんな……父はそんな散財するような人じゃありません!」
「そう思っているのは家族だけだよ。今回の一件があって隣村の村長と相談した時に知ったんだが、隣町の酒場にはよく顔を出していたそうだよ」
「え……」
その言葉は父の真面目な姿しか知らない俺にとって予想外だった。
だが、仕事の関係上、月に何度か隣町へ相談へ赴くこともあったため絶対にないとは言い切れなかった。
「クライスの行方が気になるところではあるが、早急に対処しなければならない問題は村のお金がなくなっていることだ。どこかからか用意しなければならないからね。昨日伯爵様と相談した結果、伯爵様からお金を借りることになった」
伯爵様は、この辺り一帯の領地を治めている領主様だ。
村から馬を半日走らせた場所に伯爵様が管理している街があり、その街の一番大きな館に伯爵様も住んでいる。
昨日、村長の姿が見えないと思ったら伯爵様の所に行っていたのか。
「どうにかお金を借りることはできた。問題は、誰がお金を返すのかということなんだが……クライスの行方が分かるまでは君たち家族に払ってもらうことになった」
「なんで!?」
君たち家族――ということは、俺だけでなく母や妹も含まれることになる。
「それがお金を借りる条件だったんだよ。信用の置ける者を保証人とすることでどうにか約束を取り付けることに成功したんだ」
「そういうことですか……」
これは、断ることができなくなってしまった。
伯爵の所には、兄が騎士として仕えている。兄は父と同じように真面目な人間で、腕も立つということで伝手を利用して伯爵の騎士団に仕えることがどうにかできた。騎士団に入団するなど簡単なことではない。本人の実力だけでなく、人格などが評価されて初めて入団することができる。
もしも、家族が伯爵から借りたお金を踏み倒した、などとなれば信用問題に関わり、兄は騎士団にいられなくなる。
伯爵としては、自分の騎士団に家族が所属しているために踏み倒すようなことがないと安心できている。一種の人質だった。
「数日後には、家の中にある金目の物も売り払って借金返済に充てるつもりでいるから」
「え、金目の物なんて……」
贅沢を好まない父がいたため金目の物などあまりない。
「ああ、少しでも借金返済の足しになればと考えただけだから」
しかし、この言葉が借金返済の目途が立たなければ金目の物を売り払うという意味が含まれている。
家の中にある物の中で一番高価な物は何か?
母が料理上手ということで台所にある物にはお金を使っている。兵士の父や騎士団に入団した兄がいたため家にはいくつかの武具が置かれている。探せば他にも色々と出てくるだろうが、一気に借金返済できるような代物ではない。
いや、一番高値で取引される物が残っていた。
母と妹だ。
まだ12歳の妹は、そこまで高値で取引されないかもしれないが、まだ20代と言っても問題ないほど見た目は若い母ならば娼婦など取引先に困ることはない。
家族が売り払われる。
それだけは絶対に避けなければならない。
「それで、いくら借金をしたんですか?」
「ああ、具体的な金額を教えていなかったね」
そう言ってテーブルの横に置いておいたケースから一枚の契約書を取り出した。
そこには、取引を行った人物である伯爵と村長の名前が書かれていた。そして、借金の返済を行う者が俺であることがしっかりと記載されていた。
そして、一番の問題である金額が――
「金貨10枚!?」
兵士として仕事をしていた父は月に金貨3枚を貰っていた。しかし、その金額は家族5人がしっかりと暮らしていけるだけの生活費を含めた金額だ。今は兄も仕事をしていて、家を出ているため生活費は少なくなっているが、それでも貯蓄できる金額は金貨1枚あるかどうかである。
「君もつい先日に成人したばかりだ。真面目に仕事をしていれば、いつかは返済できる金額だよ」
この世界では、15歳になると成人と認められ仕事に就くことができる。
それまでは、村の手伝いなどしかしてこなかったが、父に倣って村の安全を守る兵士になろうかと考えていた。そんな矢先に父の失踪事件が起こってしまったため仕事先である詰め所の方にはまだ顔を出していなかった。
たしかにいつかは返済できる金額だ。
しかし、父と同じような金額を貰えるようになるのは何年も先の話である。
そんな時間を掛けていては母と妹が売られてしまう可能性があった。
「分かりました。返済については、家族と相談して決めたいと思います」
「そうしてくれると助かるよ」
村長の自宅を後にすると家路を急ぐ。
急ぐ理由は、周囲から向けられる視線が原因だ。
「なんでもクライスさん、村のお金を使い込んだらしいわよ」
「わたしたちが村長に渡したお金なのよね」
「そんなお金を使うなんて最低ね」
村の主婦たちが噂する声が聞こえる。
小さな村だ。事件が起これば噂が広がるのなんてあっという間だ。
だが、気に入らない。噂をする中には、父に助けられた人だっているにもかかわらず、誰も父の無実を信じている人がいない。
中でも一番気に入らない視線は、村長の自宅を出る時に向けられた幼馴染からの視線だ。
幼い頃は一緒に遊んでいる間に「将来は結婚しよう」などという拙い約束までしたことのある間柄であるにもかかわらず、まるで裏切り者を見るような蔑んだ視線を向けてきた。
故郷であるにもかかわらず、非常に居心地が悪い。
「はぁ~、母さんに説明するのが面倒だな」
父が行方不明になってから目に見えて落ち込んでいる母にこんな話をしなければいけないことを考えると憂鬱な気持ちになった。
こうして、俺――マルスの借金返済生活が始まった。