国境を越えた帝国軍が最も近い都市であるクラーシェルへと進軍する。

数万の軍勢が街道を進む。

街道には金品を狙った盗賊や腹を空かせた魔物が現れることがあるが、さすがに数万の軍勢が相手では誰も手を出さなかった。

帝国軍の進軍速度はゆっくりとしたものだった。

彼らの予想では、既に先遣隊が奇襲に対応できなかったクラーシェルを占領した後で、自分たちは占領された街を拠点に侵略をすればいいだけだと思っていた。

「しょ、将軍!?」

そこへ斥候に出ていた部隊の隊長が駆け付けた。

「何事だ!」

軍の総指揮官である将軍ではなく副官が慌てた様子で近付いて来た部隊長を一喝していた。

しかし、部隊長に怒られたことを気にしていられる余裕はなく、ただ自分が見て来た光景を報告する。

「フロード村へと赴きましたが、そこで……その……」

「一体、何があったというのだ!」

「言葉にはし難い光景が広がっておりました。敢えて言うなら『地獄』かと」

「……何を言っている?」

斥候部隊の隊長も自分の見た光景を言葉にできずにいた。

俺の発案でやったこととはいえ、ちょっと引いてしまうほどの光景だ。

「とにかく非常事態です。フロード村へと急いでください」

「分かった」

斥候部隊の隊長が数万の軍勢をフロード村へと連れて行く。

そこで見た光景に彼らも言葉を失くしていた。

「なんだというのだ、これは……」

彼らの目の前には村の至る所に放置された帝国軍兵士(・・・・・)の死体。

なぜ、こんな所に兵士の死体が?

それに数が異常だ。

「おおよそですが、3000人以上の死体が放置されています」

「うっ……」

数を聞きながら死体の様子を確認していた将軍が胃からこみ上げてくる物をどうにか抑え込む。

死体は強力な衝撃を叩き付けられて体の一部が吹き飛ばされていたり、首を斬り飛ばされたり、体を両断されて臓物を体の傍に撒き散らしていた。

あまりに悲惨な惨殺死体。

昨日の内にフロード村で準備をしていた支援部隊を襲撃した俺たちだったが、クラーシェルとは違って殺した兵士たちの死体を腐らないように処置を施しただけで後片付けは一切していない。

彼らが見ているのは無謀にも俺たちに挑んで来た兵士の成れの果て。

「一体、何があった!?」

「私にも分かりません。我々がフロード村に辿り着いた時には既にこのような状態になっていました。おそらくフロード村を拠点にしていた支援部隊の者たちだと思うのですが……」

なにぶん数が多いせいで斥候部隊も未だに把握し切れていない。

シルビアが首を斬り飛ばした死体なんかは顔が綺麗な状態で残っている物もあるので確認できないわけではない。

現に……

「おい、トルマじゃねぇか!」

村の入口付近に転がっていた生首の顔を見て兵士の1人が声を上げていた。

「知り合いか?」

「はい。同じ村の奴で、今回の戦争には徴兵されました。配属された部隊が別だったんで心配だったんですが……」

徴兵されただけで友達だった彼らには申し訳ないが、これも全ては戦争を始めた帝国が悪い。

「支援部隊は壊滅したのか」

「ですが、気になることがあります。死体の状態を見ると死後それほど時間が経っているようには思えません」

「どういうことだ? 先遣部隊の連中なら昨日の内にクラーシェルへ攻撃を仕掛けているはずだ。ここにいるはずがないだろ。考えられるとすれば逃げ帰ってきたところを襲撃されたのか?」

残念ながら彼らは昨日の内に殺されている。

死体が腐敗しないように魔法で周囲を氷で覆っていた。

俺がギルドマスターと報酬について交渉をしている間にフロード村へ先行させたメリッサに解氷させたので解けた水の跡も含めて冷凍されていた痕跡は何も残っていない。

彼らには数時間以内に殺された死体にしか見えないはずだ。

「どうしますか将軍?」

騎士の1人が尋ねる。

彼の視線は軍の後方へと向けられており、将軍も同じように視線をそちらへ向けると蹲って地面に吐いている兵士たちの姿があった。

死体など見慣れていない領民たちにとって3000人以上の死体が放置された村は耐えられるような物ではなかった。

「なんだよ、これ……」

「簡単に勝てる戦争じゃなかったのかよ」

「ハンソンの奴、勝手に死にやがって」

どうやらトルマと呼ばれた兵士の死体以外にも知り合いを死体の中に見つけた兵士がいたらしく嘔吐だけでなく涙を流している。

「お前たち、しっかりしろ!」

将軍が一喝するが、兵士たちに反応がない。

戦いや死体に慣れた将軍や騎士たちだからこそどうにか耐えることができているが、目の前に広がる地獄絵図は農民に耐えられるものではない。

そろそろいいかな?

『何を言っている?』

「誰だ!?」

ちょっと低くした声を魔法の力で届けると将軍が真っ先に反応した。

兵士たちは反応してくれない。

『お前たちはメティス王国民を同じ境遇にしようとして戦争を仕掛けてきたのだろう? それが逆の立場になっただけだ。戦争とはどちらかがこのような目に遭わなければならないのだ。お前たちが始めた戦争によって、自分たちが地獄へと叩き落とされた。それだけの話ではないか?』

「あ、ああ……」

兵士たちから嗚咽のような声が漏れる。

今さらに自分たちが何をしようとしていたのか理解していたみたいだ。

帝国軍が奇襲に成功していれば目の前に広がる地獄絵図がクラーシェルで広げられることになっていたはずだ。

自分たちが地獄絵図を作り出すはずだった。

そんな事実に今さら気が付いたみたいだ。

『自分の罪を理解したな。ならば罰を受けるがよい』

「待て! 貴様は何者だ!?」

『これから死に逝く者に名乗る必要があるか?』

わざわざ声を低くしているのは天罰っぽくする為だ。

こんな演出をする必要性はない。

空に向かって火球を放って炸裂させる。

「なんだ……合図か!」

晴れた空には鳥すらおらず、炸裂した火球が炎の花を空に咲かせていた。

それは、予めギルドマスターに伝えていた合図。

『罰を受けるがいい』

『うおおおぉぉぉぉぉ!』

俺からの合図を受けたクラーシェルの冒険者や兵士から構成された500人の軍勢がフロード村のある方へと突撃してくる。

「数万の軍勢に対してあんな少数での突撃だと!? おい、戦闘準備だ」

将軍が隣にいた副官に戦闘準備をするように言っている。

しかし、副官がそれは無理だと言う。

「どうした!?」

「将軍、兵士の士気がガタ落ちです」

副官の言葉に視線を後方へ向けると突撃されているにも関わらず地面に蹲ったままの軍勢が目に映った。

軍隊においては物資もそうだが、何よりも士気が重要になる。

士気を失くした軍隊などただの的でしかない。

「俺たちは、なんてことを……」

「神様を怒らせたんだ……」

俺のそれっぽく言った言葉を聞いて帝国軍兵士が罪の意識に苛まれている。

こんな状態では戦うことなどできない。

「……撤退する」

「将軍!?」

「こんな状態で戦うことができると思っているのか!?」

「ですが、戦果も挙げられずに帰還すれば我々の立場は悪くなるばかりですよ!?」

「これ以上部下を失う方が今の立場を悪くする。今後のことを考えて少しでも立場を良くしたいのなら1人でも多く連れ帰れるよう全力で逃げろ」

「は、はい……!」

騎士たちがどうにか兵士たちを奮い立たせて逃がそうとしている。

しかし、気力を失くした兵士たちは全く動けずにいた。

「貴様ら、故郷で待っている者はいないのか? 帰りたいと思わないのか!? 今は生きて帰ることだけを考えろ!」

「帰る……」

将軍の言葉に1人が顔を上げる。

視線の先では既に近くまで迫って来たクラーシェルからの兵士たちがいた。

このまま接敵すれば間違いなく殺される。

そう思わせるだけの気迫がクラーシェル側にはあった。

――殺される。

「いやだ。俺には帰りを待っている家族だっているんだし、無事に生きて帰れたらプロポーズをするつもりだった相手もいるんだ」

気力を取り戻した兵士が来た道を戻る。

それに続くように他の兵士も持っていた武器を捨てて身軽になると全力で離れていく。

「将軍、我々も」

「分かっている。勿体ないが、確実に生き延びる為だ。物資の類は全て置いていけ」

「了解」

荷物になる物資をその場に置いて逃げていく。

戦うこともなく俺たちは本隊が持っていた物資も手に入れた。