特設ステージのある広場は人で溢れ返っていた。

メンフィス王国の人にとって『巫女』は恵みを齎してくれる本当に特別な存在であり、一般人が『巫女』の姿を見られる機会は限られている。

今日みたいな儀式が行われる日でなければ見ることができない。

大人も子供も一緒になって『巫女』が現れる瞬間を隣にいる人と話しながら心待ちにしている。

「では、行ってきます」

「行って来い」

覚悟を決めた表情のノエルがステージへ向かう。

他の見送る側に立っている人たちも頷いている。

昨日と今日で散々言い含めた結果、既に舞を終えた後の事を心配した様子は見られない。

俺たちにできるのは送り出すことぐらいだ。

ノエルがステージに姿を現すと騒がしかった会場が一気に静かになる。

ステージの端では既に補佐の為に巫女たちが待機している。

彼女たちの手にはそれぞれ笛などの楽器が持たれており、ノエルが所定の位置に着くと音楽が奏でられる。

静かな音楽が流れる。

神に奉納する為の音楽に観衆が聞き入っている。

初めて舞を見る人たちは呆然とした表情のままステージを見ており、何度か見たことのある者でも魅入られずにはいられなかった。

――シャン!

そこに鈴の音が響き渡る。

ハッとした表情の観衆の目が舞台の中央にいるノエルへ向けられる。

――シャン!

ノエルの持った鈴が音を鳴らす。

耳に届く鈴の音は人々の興奮した気持ちを落ち着かせている。

音楽はあくまでも『巫女』の舞の演出の一つでしかない。

音楽に合わせて扇子と鈴を手にしたノエルが舞い始める。

練習している姿は初めて会った時だけでなく、その後も護衛のついでに何度か見せてもらったことがあるが、扇子と鈴、なによりも本番用の衣装を着ているノエルの姿はまさに神に近しい。

本気で舞っているノエルは凄まじい。

最初はゆっくりとした動きだったが、徐々に動きを激しくさせて行き、まるで何者かと戦っているような動きへと変わって行く。

人々を見守る神だったが、安らかな心とは反対に激しい戦いのような心を持ち合わせていることもある。

ノエルが信仰している女神ティシュアもまた大地に恵みを齎すと同時に狩りの神も兼ねていると言われている。そのため、神に奉納する舞も獲物を狩っているような激しさが求められている。

そんな激しい動きに観衆はすっかり魅了されていた。

「あれは……」

最前列に見覚えのある狐耳の家族が見えた。

ノエルの両親と妹だ。

妹の方はキラキラとした視線をノエルへ向けているが、両親の方は複雑な表情で娘の舞を見ていた。

「仕方ないですよ。自分の娘があんな苦しそうな表情をしていれば親なら辛くなるはずです」

シルビアは俺がノエルの家族を見ている事に気付いた。

ノエルの表情が苦痛で歪んでいる。もちろん『巫女』としてそのような表情を観衆に見せる訳にも行かず、彼女のそんな様子が見られるのは俺たちのようにステージの袖から近くで見ている者や最前列で見ている者ぐらいだろう。

舞は相当な負担を強いられることになる。

激しく舞ったことにより玉のような汗が飛び散る。

そして、しばらくすると以前にも見たように光の球が舞い始めた。

だが、以前の比ではない量の光の球が舞っていた。

この光は神気。

世界で唯一『巫女』だけは祈りを捧げることによって女神ティシュア限定ではあるものの神気を生み出すことができる。

神に選ばれた少女は、それだけで特別な存在となれる。

女神ティシュアが自らの選んだ少女が自分の為の舞を奉納し、舞に感動した女神の想いが形になったとも言われている。

詳しい原理については分かっていない。

だが、今はノエルの舞によって力が生み出されている、という事実だけでいい。

「見て!」

舞に見惚れていたイリスが真っ先に気付いた。

ノエルの周りを浮かんでいるだけだった光の球が持っていた扇子と鈴へと集まって行く。

「こんな事は今までなかったはずです」

ミシュリナさんも知らない現象らしい。

練習の時も舞っている最中に光の球が躍っているように浮かんでいることはあった。けど、道具に集まるようなことはなかったはずだ。

光が扇子に集まったことによってノエルの扇子の動きに合わせて光の軌跡が描かれる。

光の線はいつまでも残り絵を描いているようだった。

「これは、凄いな……」

「そうなんですか?」

近くにいた獣王も驚いている。

「俺が子供の頃――先々代の『巫女』が生涯で一度だけ今のノエルと同じ事を為した事があった。どうして、そんな事ができたのか後から聞いてみたが、彼女にも分からなかったらしい。だが、奇跡を成功させた『巫女』として彼女は生涯敬われることになった」

どうやら目の前で行われている舞は奇跡に等しい物らしい。

こんな光景を見たことがあるのは先々代の『巫女』が一度だけ成功させた舞を見たことのある人物だけ。今、会場にいる人物の中にどれだけの人が見たことがあるのか。獣王のように高齢の人物でなければ見たことがないのは間違いない。

ほとんどの人が初めて見る光景に息を呑んでいる。

それは、観衆だけでなく補佐の巫女たちも同じだった。

彼女たちの演奏が止まっている。

奏でられていた音楽が消えてしまったが、そんな事を気にしている人物はいない。

シャ―――――ン!

鈴の音が鳴らされる。

音のない世界で多くの人の心に響き渡っていた。

彼女が舞っている最中はどこにも敵視している人物はいなかった。

☆ ☆ ☆

ノエルの舞が始まってから10分程度の時間が経過していた。

そして、いよいよノエルの舞が終わりを迎えた瞬間、最後に鈴が鳴らされた。音が広場全体へ広がるように響き渡ると同時にステージに残っていた光の軌跡も弾けるようにして消えた。

パチパチパチ。

会場中から拍手が鳴り渡る。

その行動には素晴らしい舞を見せてくれたノエルに対する賛辞が含まれていた。

会場中からの拍手を受けてノエルが綺麗な所作で頭を下げる。

「さて、ここからは俺たちの仕事だ」

ノエルの舞によって生み出された神気。

そのエネルギーは吸い寄せられるように大神殿内にある女神像へと向かい、そのまま大地を豊かにする為に使われず、王城の地下牢に描かれた魔法陣へと向かって行った。

「お手数をお掛けします」

ミシュリナが頭を下げて来る。

「ま、これをノエルが望んだ以上は報酬として叶えるだけです」

ノエルを生かすだけなら実は簡単だ。

このままアリスターまでノエルを連れて【転移】で逃げ帰ってしまえばいい。メンフィス王国から追手が掛かるかもしれないが、遠く離れた外国の辺境まで人を派遣しているほどの余裕があるとは思えない。

だが、それをノエルが望まなかった。

これまで『巫女』として国に仕えて来たノエルにとって神獣が暴れて国に災いを齎している状況で投げ出すことなどできなかった。

だから――俺たちの手で解決する。

「――来た!」

地下牢に待機させていたサファイアイーグルと感覚を共有する。

サファイアイーグルの視界を通して地下牢の床に描かれた魔法陣が強く光っているのが見える。そして、広い地下牢を埋め尽くすほどの強い光が溢れる。

光のせいではっきりと見ることはできないが、巨大な蛇や虎、人の形をした魔物の影が見えた直後に影はどこかへと消えていた。召喚された直後に指定された場所へと転移したのだろう。

「さて、準備はいいな」

俺の言葉にメリッサとイリスが頷く。

だが、まだ動くタイミングじゃない。

ステージへと視線を移動させると激しく肩を上下させて疲れた様子を見せていたノエルがこちらへ戻ってこようとしていた瞬間だった。

そして、観衆が次々と倒れ始めた。