神の降臨――降神。

この世界とは別の存在する空間にいるとされている神。

そんな存在が現世に干渉する為には二つの方法がある。

一つは、ノエルがそうだったように『巫女』として神の言葉を人々に届けること。女神ティシュアはしていなかったが、神の中には代理人である者の体を利用して自由に動き回る者もいる。

もう一つは、何かしらを依り代に神を構成する高エネルギーを憑依させて実体を与えること。この依り代には適合率から神像が選ばれる場合が多い。

マルセーヌが行ったのは後者の方だ。

「どうして、そんな事をしたの?」

ようやく気分を落ち着かせたノエルが尋ねる。

それでも、まだ完全に落ち着けた訳ではなく体がガタガタ震えていた。

「降神は、神に仕える者として最も禁止されている行為のはず」

神に会うのは神職者にとって最大の望みでもある。

けれども、現世に降臨した神は基本的に人間側の意図した通りに動かないというのが常だった。そのため徹底的に禁止されている。

「私も降神なんてするつもりがなかったんです」

マルセーヌが女神ティシュアからメンフィス王国が見捨てられた事件のあった日から何があったのか語る。

「あの事件の後で、商人をしていた父や兄は真っ先に国を捨てる決断をしました」

誰の目から見てもメンフィス王国が衰退するのは見えていた。

利に聡い商人たちは真っ先に国を捨てて新天地で商売を行うことを決めた。

今でもメンフィス王国に残っているのは、ほとんどの人が故郷を捨てられない人たちだ。

「最初はレジュラス商業国で商売を行おうと考えていました」

しかし、既に商業組合による支配体制が確立されてしまっているレジュラス商業国では一から始めなければならず、一念発起するのは難しかった。

そこで、レジュラス商業国を通り過ぎるとエストア神国までやって来た。

「言い訳をするつもりはありません。それまでの慣れない旅のせいで私は疲れていたんです」

マルセーヌは神殿を避けるようになっていた。

だが、商売の上手く行っていなかった父親と兄が神殿の関係者を家に連れて来てしまった。目的は、マルセーヌを利用することで神殿と縁を作って商売に繋げる事だった。

その際に元巫女の家族だとしか言わなかった。

娘だと知らず、老いた姿しか見ていなかったため母だと勘違いしてしまった。

「これでも『巫女』候補として神に対する適性は高かった訳ですから神殿の人たちの役に立つことはできました」

神殿側の要求は、『巫女』の真似事をしてもらうこと。

メンフィス王国の主神であった女神ティシュアが消えたことによって神に対する心が離れ掛けていることに対して危機感を……同時に、この機会に少しでも信者を増やそうと考えた。

最も手っ取り早い方法として考えたのがマルセーヌに頼る事だった。

「ただ、今ではどんな理由があろうと受け入れるべきではなかったと後悔しています」

言われるまま信者たちの前で祈りを捧げたマルセーヌ。

なまじ適性があっただけに神の力が神像に宿って実体を得て現世で動き回るようになってしまった。

「さらに厄介だったのがその時に老いていた私の姿が元の姿に戻ってしまったことです」

神の力の影響を受けてしまった影響なのか生命力が戻り、若々しい姿を取り戻していた。

「その後、その時の私の姿を評価してくれた神殿の方たちの意向もあって神殿で働かせて頂くことになりました」

神殿関係者の意向としては、優秀な巫女であるマルセーヌに少しでも居て欲しいという好意からの提案だった。

その提案をマルセーヌも受け入れた。しかし、マルセーヌが受け入れたのは神像を依り代に降臨してしまったアルサムをどうにかする方法を見つけることだった。

「けど、半年以上の時間が経過しても有効な手立ては見つからなかった」

俺の言葉にマルセーヌが頷く。

上手く行っていない事は状況を見れば分かる。

「私のように罪深い者が神に対してどうこうしようなどおこがましいのです」

再び俯いてしまったマルセーヌ。

その姿からは本当に後悔しているのが分かる。

以前の彼女は実家の思惑や『巫女』になりたいという想いもあって枢機卿に賄賂を贈るなどする人物だった。その事を裏からこっそりと知った俺たちとしては印象が最悪だった。

けれども、こんな姿を見ていると評価を改めざるを得ない。

ただ、深い関係でない俺たちから慰めても効果的ではない。

同じように貶めようとしていたノエルから慰められても逆効果になる可能性がある。

彼女が欲しいのは許しだ。

本来なら神に仕える清廉な乙女であらなければならなかったにも関わらず目先の欲に負けてしまった。

巫女として致命的な失敗を赦してくれる人なんて……

「私が赦しましょう」

「え……」

後ろの席から聞き覚えのある女性の声が聞こえて来る。

その女性は俺たちの座っている席の隣まで来る。

「人間なんて欲深い生き物ですからね。多少は欲があった方がいいのです。それでも私は人間が好きですから人間の味方をしていました。それなのに私と適性の高い女の子ほど真面目な娘が多いせいで『巫女』は清廉潔白でなければならない、なんていうイメージが根付いてしまったのです」

「今、店の中にいる人の中で最も欲深い方が言いますか」

女性の両手にはどこで買って来たのか知らないが、陶磁器の食器やら日保ちする漬物の入った袋があった。どれもエストア神国の名産になった物だ。

大量の作物によって生活に余裕ができた人々は次に名産になるような物を作るようになり、他国よりも多く得られる火の魔石を利用して陶芸をしたり、大量に余った農作物を漬物にしてみたりしていた。

「いえ、面白そうな物があったからつい買ってしまって」

「この料金はノエルが出すんですよ」

「……ゴメンね」

「構いません」

女性の生活費は全てノエルが出していた。

いや、食費や居住費などを必要としないから本来なら費用など全く掛からないはずなのだが、女性には色々な物を買い漁る癖があった。女性が買い物をする度にノエルの財布からお金が減って行く。

「もしかして……」

マルセーヌが女性の正体に気付いた。

やはり、『巫女』候補だけあって気配に気付けるらしい。

「ティシュア様、ですか?」

「正解です♪」

「ええと……たしかに神殿で見ていた神像や降臨された時と同じ顔をしているのですが、なんというか格好が……」

歯切れの悪い言い方をするマルセーヌ。

しかし、その意見については俺も同意だ。

神像や現世に降臨した時のティシュアは白いドレスのような物を着て物静かな神々しい気配を放っていた。

けれども、今のティシュアはグレーのスーツに長かった髪をアップにして赤い縁の眼鏡まで掛けている。おまけに買い物をして楽しんだせいで若々しい……と言うよりも幼い少女のようにも見える。見た目だけなら完全に別人だ。

「いや~私が人だった時に比べて随分と栄えるようになりましたね」

ティシュアは本当に楽しそうにしていた。

本来なら神であるティシュアは現世に留まることができない。留まることができたとしても現世に干渉する事はできない。

唯一の例外がノエルの傍にいる時だけだ。

傍、と言ってもノエルがアリスターにいる間は効果範囲がかなり広い。迷宮眷属となったノエルと迷宮の影響下にあるアリスターの魔力は相性が良く、ノエルと深い繋がりがあるティシュアにも相性が良い。

おかげで自由に遊び回られて困っている。

どうやら久し振りの自由を満喫せずにはいられないらしい。

そして、遊び回られると金を使う。

その金は残念な事に神が金を稼ぐ手段がない以上、ノエルが支払わなければならない。

ノエルも『巫女』だった頃の癖が抜けないのか神のお願いを聞かずにはいられない。

そうして出来上がったのが目の前にいる現代の影響を受けまくったティシュアだ。

今回も神気に溢れる土地へノエルが来たことによってエストア神国でも自由に動き回ることができるようになっているみたいだ。

「さて、よろしいかしら」

「は、はい!」

相手が神だと知ってガチガチに緊張するマルセーヌ。

対照的にティシュアの方は隣に座ると馴れ馴れしく肩に手を回して肌と肌が触れ合う距離まで近付く。

この神様はどうしてこうなってしまったんだろう?

「いい? 人間なら今よりも少しでも良い暮らしをしたい。もっと上の地位を目指したい。そんな欲求を持つのは当たり前なの。貴女の行った手段は間違いだったかもしれないけど、その欲求だけは決して人として間違った物じゃない。たしかに何もなければノエルは死んでいたから、その場合は私も貴女の事を赦しませんでした。けど、今のあの子が幸せそうにしているから赦します」

「幸せ、なのですか……?」

「もちろんです。今のあの子は、虐められると頬を紅くして瞳をウルウルとさせてしまう少女なのですから」

「ちょっ……! 何を言っているんですか!?」

「事実でしょう」

ティシュアから指摘されて視線を逸らすノエル。

ノエル自身も自覚があるだけに強く否定できない。

まあ、それまでに肉食系の女性ばかり相手にしていて虐めている側になってしまった俺からは何も言えない。

「私も真面目だと思っていた娘にあんな性癖があるなんて思っていませんでした」

「ち、違うんです……」

シュンと耳を下に向けて落ち込むノエル。

神から加護まで授かっている身だけに色々と筒抜けになってしまっている。

「そういう訳で私は貴女の事を赦します。もしも、自分で自分の事を赦せないのだとしたら罪を償いなさい」

「罪を償う?」

「今回の一件、解決する為に彼らに協力しなさい」