素材の状態を確認すると、胸の中心に穴が開いている以外は問題がない。

「うん。終わったぞ!」

振り向くと後ろでイリスが呆れていた。

さらに、冒険者たちは口を大きく開けて呆然としていた。

魔物たちまで動きを止めて同じようなことをしている。まさか、自分たちのボスであるワイルドコングがここまで簡単に倒されるなど全く思っていなかったのだろう。

「さて、後は残りの魔物を片付けるとしようか」

『え……えええぇぇぇぇぇ!?』

あれだけ難易度が高いと言われておきながらあっさりとワイルドコングを倒してしまったことをようやく受け入れて冒険者たちが声を上げる。

ちょっと異様な力は見せてしまったけど、そろそろ俺の持っている力が異質であることを見せてもいい時期だ。

「これを持って帰れば、迷宮の魔力の足しになるだろ。森の中にいる奴が妙な事をしているせいで迷宮に供給される魔力の量が少なくなっているんだよな」

迷宮は、侵入した冒険者から魔力を得るだけでなく、周囲の土地から得ることもできる。だが、森で異変があってからというもののデイトン村のある方向から得られる魔力の量が極端に減ってしまった。

主として迷宮の収益が減るのは見過ごせない。

ワイルドコングを【魔力変換】すれば、お釣りは十分に返ってくる。

「マルス!」

イリスが叫ぶ。

その意味を考えることなく前へ跳ぶ。

嫌な気配を後ろから感じたからだ。

「まさか、生きているのか!?」

咄嗟にワイルドコングが生き返ったのか、と警戒する。

しかし、倒れたワイルドコングから感じられる魔力の反応は死んでいる、と告げている。

さらに言えば、感じられる嫌な気配は全く別なものだ。

それは、地中から飛び出して姿を現した。

「蛇……?」

細い蛇にしか見えない。

大きなワイルドコングの指よりも少し細いぐらいで、ヒョロヒョロとした動きからは絡み付いたところで相手を絞め殺せるようには見えない。

だが、何かがある……

そんな気配を感じながら蛇を見ていると、ワイルドコングに齧り付いた。

とても強靭なワイルドコングの肉を貪れるとは思えない弱々しい噛み付き。数秒、齧ったままでいると再び出てきた地面へと戻って姿を消してしまった。

「一体、何だったんだ?」

何をしに出てきたのか分からない。

出てきたはずの場所を確認してみるが、そこに穴のような物はなく、妙な魔力の残滓が感じられるだけだった。

だが、変化はすぐに起こった。

――ドクン!

「……っ!」

異様な気配がワイルドコングの死体から発せられる。

まるで、心臓が鼓動するような気配を感じているとワイルドコングが立ち上がる。

――GUOOOOOOO!

大きく吠えると誰もが動きを止めていた。

そして、肌が黒く変化すると両肩の付け根から肉が盛り上がり、新たな腕を上から生やす。

4本の腕を持つ大猿。

それが、変化したワイルドコングの姿だ。

しかも、俺の手で吹き飛ばされてできた穴がいつの間にか塞がっている。

ワイルドコングが吼えながら突っ込んでくる。

「イリス――」

「分かっている!」

突進を回避する為に横へ跳ぶ。

すると、ワイルドコングはそのまま奥へ走って行く。

走る先には魔物と戦っている冒険者たちの姿がある。

「な、なんだよこいつは……!」

「逃げろ!」

逃げる冒険者たち。

「へ?」

だが、中には現状を受け止め切れていない者もいる。

「さっさと逃げな!」

叫ぶルイーズさんだったが遅かった。

呆然と立ち竦んでいる冒険者に手を伸ばして片手で体を掴む。

元々あった2本の手で二人の冒険者を掴んでいた。

――グチャ、バキ、ベギ!

嫌な音が聞こえてくる。

「この……!」

「放しやがれ!」

捕まった冒険者のパーティメンバーなのか3人の男が剣やハンマーを手にしながらワイルドコングに飛び掛かる。

ワイルドコングは冒険者をチラッと気にしただけで新たに生えてきた2本の腕を使ってハンマーを手に突っ込んできた冒険者を弾くと剣を手にした二人の冒険者を叩き潰した。まるで虫でも叩き潰すような動き。

「た、助け……」

掴まれていた冒険者も地面に大きな血溜まりを作って動かなくなった。

服や装備が血の中に落ちて、肉がワイルドコングの口の中へと収まる。

「化け物が……」

そんな姿を見て戦っていた魔物は歓喜していた。

自分たちの勝利。

誰もが疑っていなかった。

だが、喜んでいた魔物たちも次の瞬間には絶望の底へ叩き落とされた。

――グチャ!

上から叩き落とされたワイルドコングの腕によってコボルトが潰されていた。

食べやすい大きさに潰された肉を貪る。喰らうことで力を増すことができるのかワイルドコングの持つ魔力が強くなっていく。

今のワイルドコングにとって食糧にさえなれば人間でも魔物でも構わない。

「【火球(ファイアボール)】」

ルイーズさんの手から放たれたファイアボールがワイルドコングの胸に当たる。

ワイルドコングにはダメージがないらしく、熱を浴びた胸をポリポリ掻いていた。

「【火槍(ファイアランス)】、【火鞭(ファイアウィップ)】」

さらに火の槍がワイルドコングの膝辺りに当たると爆発を起こし、体勢が少し後ろへ傾いたところで足元を払うように動かされた火の鞭によってワイルドコングが転倒させられる。

「【炎の輪舞(フレイムロンド)】」

ワイルドコングを中心に炎が地面から吹き上がり、中にいる者を焼き尽くす。

全てルイーズさんの魔法だ。

冒険者を引退してギルドマスターとして活躍していたはずなのだが、前線を退いていた今でも十分に戦える。

「やった!」

「さすがは元ギルドマスター!」

焼かれる光景を見ていた冒険者が歓喜する。

「チッ、どうなっているんだい」

対照的に魔法を使用したルイーズさんの表情は暗い。

見れば吹き上がった炎を押し退けながらワイルドコングが炎から脱出していた。

「どう思う?」

イリスに確認する。

「耐久力が異常。おそらく原因は、身に纏っている瘴気のせい」

「だよな」

黒く変色した体。

黒い理由は、溢れ出る瘴気を身に纏っているため。

「イリス、ちょっと動きを止めていろ」

「了解」

剣を地面に突き刺すと冷気が地面を走り、ワイルドコングへと到達すると、足元から氷で覆い尽くしていく。

炎から脱出したところで氷に動きを封じられたワイルドコング。

動きを封じられた相手に接近して触れるのは非常に簡単だ。

「ちょっと、こいつは引き取りますね」

「何をするつもりだい!?」

あまり派手な真似はしたくない。

ワイルドコングの強靭な体を焼き尽くす為にも、そう言っていられない状況だ。

「【転移(ワープ)】」

触れていればスキルの対象にすることができる。

変化したワイルドコングを連れて迷宮へ転移する。

行き先は、地下55階――砂漠フィールドだ。

見渡す限り砂の海が広がっているだけで、何もない場所。

ここなら派手な魔法を使っても周囲に影響を及ぼすこともないし、誰に見られることもない。

「どうやら生半可な攻撃力の魔法を使ったとしても今のお前を倒すには不足しているみたいだ」

【炎の輪舞(フレイムロンド)】は上級魔法。

威力は他の上級魔法に比べれば低い方なのだが、魔力の操作性を要求され、完全に制御することができれば炎を一か所に留めて相手を蒸し焼きにするのも難しくない魔法だ。

にもかかわらずノーダメージというのは明らかにおかしい。

瘴気によって耐久力が上がっているのか、回復力が異常になっているのか。

どちらにしろ、もっと強力な火が必要になる。

「もう、素材の状態を気にするとかはナシだ」

ワイルドコングを地上に置いて飛び上がる。

取り残されたワイルドコングは唯一の生き物である俺に向かって手を伸ばす。

「【劫火日輪光(フレイムサンブライト)】」

天に向かって腕を掲げると手の上に50メートルの炎の球が生まれる。

炎の球をワイルドコング目掛けて落とす。

まるで太陽が落ちてくるような光景。

思わず逃げようとするワイルドコング。

だが、すぐに逃げられるような場所へ転移するような真似はしない。

ワイルドコングと一緒に転移した場所は蟻地獄。砂を飲み込み、迷い込んだ冒険者を捕食する魔物が窪んだ渦の中心におり、ワイルドコングが落ちて来るのを待ち構えている。

どうにか逃れようとするワイルドコング。

しかし、蟻地獄から抜け出す為には空でも飛べない限りは専用の装備でもなければ脱出は不可能だ。

もちろんワイルドコングは空も飛べないし、専用の装備も持っていない。

やがて、太陽が蟻地獄に落ちる。

全てを焼き尽くす炎が蟻地獄内にあるもの全てを焼き尽くす。

瘴気で身を守っていたおかげでギリギリ生きていられたワイルドコング。

だが、許容限界以上のダメージを負ったせいで身動きが取れない。

そうこうしている間に蟻地獄の中心へと引きずり込まれる。

そこには食事の時間を楽しみに待っていた魔物がいる。【劫火日輪光(フレイムサンブライト)】から身を守る為に瘴気を使い果たしたワイルドコングは、自分が献上された魔物を喰っていた時のように迷宮の魔物たちによって貪り尽くされた。