迷宮へ転移しようとする。

しかし、スキルが発動している感覚があるにも関わらず、移動する気配がない。

理由は分かっている。一緒に転移しようとしているキマイラに邪魔……というよりも荷物になっていて移動することができない。

『無理無理! そんな量の瘴気を持った魔物が迷宮との境界にある壁を越えられる訳がないじゃないか』

そういう理由で迷宮へ連れて行けないらしい。

おそらく、迷宮核の口調からして最初から分かっていた。

そのうえで黙っていた。

迷宮核曰く、人は危機的状況に陥ることでさらに強くなることができるらしい。奴にとっては、キマイラとの戦闘は多少の苦戦があって初めて試練になるようだ。

だが、それなら致命的な隙を晒す前に教えてほしい。

頭の前に張り付いた俺はキマイラにとって格好の的と言ってもいい。

キマイラの二つの頭部、尾の大蛇が俺へ狙いを定めて大きな口を開ける。

攻撃は――ブレスだ。

3ヶ所からの同時攻撃。

手を放してキマイラの頭を蹴ると後ろへ跳ぶ。至近距離で受けるよりはマシだ。

それに……時間もできた。

シルビアの投げた何十本というナイフが大蛇に突き刺さり上を向き、アイラとイリスの剣によって狼と山羊の口も閉じられる。

だが、既にブレスはキャンセルできるような状況ではない。

狼と山羊の口の中で爆発が起こり、大蛇の放とうとしていた黒いブレスが空に向けて放たれる。

……危なかった。

「助かったよ」

「いえ、問題はありません」

「本当にどうするの?」

「迷宮へ連れて行かずに大規模な魔法でも撃つ?」

迷宮ならば周囲一帯を焼き尽くすような魔法が使える。

実際にワイルドコングはそれで倒すことができた。

問題は、キマイラにも同じ手段が通用するのかどうか、という事だ。

「奴の体を見てみろ」

溢れ出る瘴気が体から溢れ出しているせいで黒い煙のような物が見える。

キマイラにも保有している瘴気を制御できていない。しかし、自由自在に使うことができていない、というだけで膨大な量の瘴気を保有できている事には変わりない。

効率は悪いが、ワイルドコングと同じように鎧のような運用ができる。

そうなると耐えられてしまう可能性がある。

「俺だって魔力は無限に持っている訳じゃない。可能な限りは抑えたいところなんだ……」

無限に使える訳ではない。

対してキマイラは無限に使用することができる。

キマイラの尾が地面に突き刺さる。

普通の人間には分からないだろうが、キマイラは尾を通して地中にある瘴気と魔力を吸い上げて自分の力に変換している。

それこそ目の前にいるキマイラが普通のキマイラとは決定的に違う点。

潤沢にある魔力を補給することによって無限に戦い続けることができる。

キマイラが奪い取るせいで迷宮が吸収できるはずの魔力が少なくなっている。

補給を終えたキマイラが大きく開けた口を向ける。

「馬鹿の一つ覚えみたいにブレスを吐くなんて」

アイラとイリスが左右に分かれて回り込む。

同時に俺も正面から駆ける。

ブレスは、その特性上正面に対してしか撃つことができない。しかも、キマイラの弱点とも言うべきか首から二つの頭が飛び出しているせいか可動範囲が狭い。

キマイラが誰を狙うべきか迷う。

剣を抜く。迷っているキマイラは隙だらけだ。

狼の頭部に向かって振り抜かれた剣が空を斬って地面に突き刺さる。

「どこへいった?」

目の前にあるはずの頭部がどこにもない。

首は一歩踏み込めば斬れる場所にある。

だが、肝心の頭部が両方ともない。

「二人とも、横!」

シルビアが叫ぶ。

ただし、それは俺に対してではなくアイラとイリスに対するもの。

咄嗟に二人がいるはずの左右を見れば、狼と山羊の頭部がブレスの準備を終えた状態で宙に浮いていた。飛んでいる訳ではない。首から瘴気で作られた鎖のような物で繋がっていた。繋がっている先が狼と山羊であることを思えば、まるで首輪のように見える。

森の中にいながら何キロも先にあるデイトン村まで蛇で攻撃することができたのは大蛇の頭部との間には瘴気しかなかったからだ。

失敗した。

瘴気のみの状態からでも一瞬で肉体を再構成できるキマイラにとって肉体は物理的な攻撃を与えるための器でしかない。

頭部もブレスを放つ為の砲台でしかない。

「アイラ、イリス!」

二人が足を止めて宙に浮いた頭部へと向く。

同時にキマイラからブレスが放たれる。

どっちを助けに行くべきだ?

さっきはアイラとイリスを二手に分かれさせて注意を逸らしていたというのに今度はこっちの方が迷わせられることになった。

迷っていたのは2秒。

頭上から俺にも瘴気のブレスが大蛇から浴びせられる。

「……仕方ない!」

正面に向かって突っ込む。

その行動は、ブレスを回避できない状態に陥ることを意味していたが、全ての攻撃を【壁抜け】ですり抜ける。

そのまま真っ黒な瘴気に覆われた頭部のない首に向かって手を伸ばす。

普通のキマイラと変わらないなら心臓のある位置に魔石はある。魔石させ奪うことができれば倒すことができる。

「……これも、ダメか!?」

指先が僅かに沈み込んだ直後、硬い壁でもあるように進めなくなってしまった。

転移ができないのと同じように擦り抜けるのも不可能だ。

それでも潜り込むのには成功した。

「ふんっ!」

苛立ちをぶつけるように下から掬い上げるように殴る。

胴体が宙に浮かぶ。同時に二つの頭部と尾が悶絶していた。

「……なるほど。胴体だけは共有しているのか」

宙に浮いた頭部が噛み砕こうと牙を向けながら飛んで来る。

後ろへ跳んで回避すると立っていた場所を通り過ぎていくが、すぐに方向を変えて戻ってくる。

正面から獅子の胴体が突っ込んでくる。

頭部がなかったとしても巨体に突っ込まれれば無事では済まない。

「――【壁】」

一瞬にして石壁が頭部と胴体の前に出現する。

飛び交っていた頭部は壁にぶつかり悶絶し、その直後に胴体が当たったことでさらに悶絶していた。

迷宮の『非破壊』の特性を持つ壁だ。キマイラの突進がどれだけ強力だったとしても壊せるような代物ではない。

「この……!」

「さっきはよくもやってくれたわね」

イリスの剣が狼の頭部を斬り付けると表面が氷に覆われ、アイラの剣が山羊の頭部を深々と斬り裂いた。凍った狼の頭部と斬られたことで血を流す山羊の頭部が地面に落ちる。

「二人とも無事か?」

「なんとかね。どうにか間に合ったおかげでブレスを斬ることができたわ」

「私も【迷宮結界】があったおかげで助かった」

二人とも生き残る術があったからこそ信頼することができた。

そして、キマイラの注意が俺だけに向いている間にタイミングを計って攻撃を仕掛けてくれた。

本来なら重傷になってもおかしくない傷。

だが、首から飛び出した瘴気の鎖が改めて地面に落ちた頭部に繋がると二つの頭部が消える。

すぐに新たな頭部が二つ生える。

「うわ……あんなのどうやって倒せばいいの?」

瘴気がある限り頭部や尾を何度でも再生させることができる。

以前にやった事があるように跡形も残らないほどの威力を持つ魔法を撃つ。それもキマイラの持つ瘴気を考えれば失敗に終わる可能性が高く、失敗した時には魔力不足で戦闘継続が難しくなる。リスクを考えれば迂闊にはできない。

キマイラが前足を振るう。

爪から斬撃が飛ぶ。

回避すると後ろにあった木がズタズタに斬り裂かれていた。

「グルルル……!」

キマイラが唸りながら何度も前足を振るう。

攻撃を何度も回避しているとキマイラの感情が分かった。キマイラにとって俺たちとの戦いは狩りでしかない。ところが、一向に倒せない現実に苛立っていた。

このキマイラは生まれたばかりだ。

しかも、親に鍛えられた訳でもないため思考が子供みたいになっている。

だから、ムキになって斬撃を回避して近付くシルビアに気付けない。

シルビアが目前まで近付いたところで山羊が角を向けて頭突きをする。軽く跳んで頭突きを回避すると背の上に着地して斬る。

だが、深く斬ることができない。

尾の大蛇が鞭のように撓りながら襲い掛かる。

大蛇を紙一重で回避すると胸の前にいる大蛇の胴体を掴んで引き千切る。

シルビアの背後には宙に浮いた二つの頭部。ブレスが同時に放たれるが、背後が見えているかのように気配を感じ取っていたシルビアが上へ跳ぶとブレスは森を吹き飛ばすだけに留まる。

キマイラがシルビアを見失う。

その瞬間、キマイラの体に何本ものナイフが突き刺さる。

数は少ないが、全てのナイフが突き刺さると同時に魔法効果を発揮する特殊なナイフだ。あるナイフから炎が吹き上がり、別のナイフからは風の斬撃が周囲に荒れ狂い肌をズタズタに斬り裂く。

魔法効果が終了するとキマイラが倒れ込む。

それでも、体に瘴気が満ち溢れると傷付いた体を治療する。

「見つけました」

シルビアはキマイラの体に瘴気が溢れる瞬間を待っていた。

膨大な力が荒れ狂う中心を見抜く。

瘴気の収束地点である魔石は、やはり胸の左側にある。

一直線に加速して駆けるとナイフを突き刺す。【壁抜け】による効果は瘴気によって弾かれてしまう。だが、物理的な方法なら届くかもしれない。

しかし、威力が足りない。

シルビアは突き抜ける事を即座に諦めると短剣から手を放して離脱する。

キマイラに突き刺した短剣には自爆の効果を持たせてある。せめてもの攻撃として短剣を爆発させる。

かなりの威力があるはずなのだが、キマイラに負傷した様子は見られない。

おまけにズタズタになっていた体も補充した瘴気で癒えている。

「よく、あんな芸当をして安定していられますね」

再生するキマイラを見ながらシルビアが呟く。

迷宮にも再生する魔物はいる。しかし、キマイラのようにエネルギーだけで肉体を何度も再構成していると安定しなくなる。

それは、迷宮にいる魔物で確かめていたので知っていた。

しかし、キマイラはバランスを崩すようなことはない。

元の4つの体を合わせた歪な姿になるとこちらを睨み付けてくる。

「シルビア、お前のおかげでキマイラを倒す方法が見つかった」