もとより、私はお父様と会話する機会には恵まれなかった。お母様とも然程顔を合わすことも無い。

理由は簡単で、私が出来損ないだったからだ。

小さな頃から怖がりな性格で、好き嫌いも多く、勉強も出来なかった。得意なことなんて何もない。あるとするならば、傀儡の魔術だろうか。

私は運動なんて出来ないし、踊りも下手だが、不思議と人形を操ると思いの外綺麗に動かすことが出来る。何も出来ない私だったけれど、これでお母様を喜ばせることが出来るかもしれない。

殆ど会うことのなかった父と母に褒められる未来に胸を弾ませ、私は魔術を練習した。

でも、私が同じくらいの大きさの人形を操ってみせた時、お母様は恐ろしい顔で怒り出した。

ようやくの機会に、私は毎日練習した人形の舞踊を披露したのだが、お母様にはそれが悍ましく、嫌だったに違いない。

何を言われたのかは殆ど覚えていない。ただ、頬を引っ叩かれ、部屋から廊下に髪を掴まれて引きずり出された事。後は「なんと親不孝な子か」と怒鳴られた事。それだけを覚えている。

私は、何故怒られたのか分からなかった。魔術を学ぶことは八歳からとされていたから、詳しくは知らなかったせいでもある。

けれど、世界が狭かった私には、お母様の言葉は一生忘れられないものとなった。

私は、何をやってもダメだった。

自信が無いから、自分から何かを言ったり、何かを行うことなんて出来なかった。

これならばと必死に練習をし続けた魔術も、結局ダメだった。

むしろ、それが決め手になってしまったのかもしれない。それ以来、お母様は私を見ることはなくなった。お父様は元々会うことが無かったが、時折すれ違うお母様が私を無視するのは、堪らなく辛かった。

でも、自分が悪いのだから仕方がない。だから、私は静かに息を潜めるように過ごした。

やがて、私は誰からも気付かれない存在となっていった。誰からも話しかけられず、ただ無為に過ごす日々。

何もされていないのに、部屋で独りでいると涙が出た。

もしかしたら、お母様は私の魔術適性の結果に期待してくれていたのかもしれない。だから、望む結果じゃなくて悲しかったのかもしれない。

もしそうなら、私はなんて酷いことをしてしまったのだろう。

私を産んでくれたのに、私に期待してくれたのに、私はお母様に何も出来なかった。ただ、失望させただけだった。

なんと親不孝な子だろう。

その言葉が頭の中に浮かんだ時、私は声を出して泣いた。悲しくて、悲しくて、辛かった。

それから二カ月か、三カ月か、それとも半年は経っただろうか。

初めて、お父様に呼ばれた。

毎日泣いて過ごしていた私は、もう呼ばれたことに期待なんて出来なかった。

私には何も無い。体は小さく頭が良いわけでもなく、才能も無かった。だから、呼ばれた理由はきっと私の居場所がなくなるという話だろう。

そう思い、広い部屋の片隅に置物のように立って待っていた。

現れたお父様は、数年前に見た時より少し太っていた。

「お、お久しぶりです、お父様……」

精一杯丁寧にお辞儀をした。声と一緒に、スカートの裾を持つ手が震えた。こんな簡単なことも満足に出来ない私を、お父様はどう思うだろう。

私は、怖くて顔を上げることが出来なくなった。

すると、お父様は叱責することなく、後に続いて現れた誰かと会話をした。どうやら、女性のようだ。

「これがそうだ」

「なるほど。しかし、本当に私で良いのですか。相手を考えるなら召喚状を送り付けても良いくらいでしょう」

「馬鹿を言え。それも時と場合による。何かあってもあれならば痛くはない。話した通りにしてもらう」

「……分かりました。まぁ、相手次第では連れて帰りますよ?」

不機嫌そうな声音でそう言って、硬い足音が近づいてくる。

「やぁ、アルテ・オン・フェルディナット嬢。私はパナメラ・カレラ・カイエン子爵だ。貴女の婚姻だが、話は聞いているかな?」

見た目は強そうな女性だったが、カイエン子爵は優しい目をした人だった。

「あ、その、私は、き、聞いてなく……」

どう答えたら良いか分からず、最後まで言えなかった。しかし、子爵は怒らなかった。

「ふむ……もし、有能な人物であれば、貴女の婚約者とするという話だ。無能ならばこちらから断るので心配しなくても良い」

「……私、いらない、から、家を、出ないといけない、のですか……?」

「そんなことは無い。知っているだろうが、アルテ嬢の兄上や姉上も、もう婚約者はいるのだよ。貴女が最後だ。良い人ならば良いな」

どちらかといえば男らしい、快活な笑い方で笑い、子爵は私の頭を撫でた。頭が振り回されるように豪快に撫でられたと思ったのに、不思議と優しさに溢れた手だった。

鼻の奥がツンとして、私は慌てて涙を堪える。

二年ぶりに、私を見てくれる人に会えたんだ。

それから約三週間の馬車の旅は、人生で一番楽しい日々だった。パナメラ様は良く何かに怒るが、優しい人だった。

私が自分のことを役立たずと言ったことに憤慨したが、叱責した後で抱きしめてくれた。

何度も頭を撫でられ、話しかけられた。

自分でも驚くほど突然泣いてしまったこともある。それだけ嬉しかったからだ。

でも、パナメラ様は怒らず、また頭を撫でてくれた。私はパナメラ様の手が大好きになった。

優しくて温かい、魔法の手だ。

そう告げたが、パナメラ様は鼻を鳴らして傷とマメだらけの手だと笑った。

目的地である辺境の村に着く頃には、私は婚約なんてしたくないと思っていた。

このまま、パナメラ様とずっと一緒にいたかった。

だから、最初に相手となる小さな村の領主の子供に会った時は、あまり近付こうとは思えなかった。

向こうもそのつもりだったのか、パナメラ様とばかり話していた。

また、私のことを見ない人に会った。そう思ったが、全く気にならない。だって、私にはパナメラ様がいてくれるから。

そう思って、私は他人事のようにヴァンという子を観察する。

ヴァン様は、明らかに特別な存在だった。パナメラ様が最初に村を見た時にも警戒心を露わにしていたが、実際に会ってよりそれが強くなっていたようだった。

城に住んでいた私には分からなかったが、この小さな領主が村を見違えるほど強く、豊かにしたらしい。

凄いなぁ。

ぼんやりとそんな感想を抱く。

私とは真逆の存在だ。パナメラ様と初対面で堂々と会話をし、見るからに彼を慕っている部下がいる。

きっと、彼はなんでも出来て、父と母の期待にも応えてきたのだろう。才能に溢れ、実力を持ち、自信を滲ませている。

嫉妬して醜い気持ちになってしまいそうで、私は辛くなった。

なぜ、私と彼はこんなにも違うのだろう。

なぜ、彼ばかりがこれほど恵まれているのか。

そう思って暗く沈んでいたが、彼が突然笑い出し、パナメラ様の言葉を否定したのを見て、私は顔を上げた。

「僕がつけてもらった部下はそこのカムシンという子供と、メイドのティルの二人だけ。大して金銭も貰えませんでしたよ」

そんな言葉を聞き、私は混乱する。

まるで、冷遇されていたかのようなことを口にしたが、そんな筈は無いだろう。もし私のように扱われたなら、こんなに堂々と出来ないと思う。

だが、彼は自分が家を追い出されたと言った。

その言葉に嘘は無さそうで、自虐的に笑った横顔を見て、私はヴァン・ネイ・フェルティオという少年に強い興味を抱いたのだった。