それはレオノラをどうやって丸め込もうか真剣に考えているある昼下がりの事だった。
いつもよりちょっと早い時間に目を覚ましたキースはお腹が減ったので食堂へと向かう為身支度を整える。
何せ昨日の夜もママになりたがっているエルフちゃん達を明け方近くまで可愛がってあげていたのだ。寝起きで腹も減るだろう。
部屋を出て顎に手をやり、渋い眼差しで最低な計画を練る下種男キースは食堂へと向かう道すがら溜息をついた。
アイシャとの事は何とかかんとか上手く持って行けたが、問題はあのお嬢様である。
持ち上げる事が何よりも大事なレオノラにアイシャと同じ無視作戦は通用するまい。
下手をすれば機嫌を損ねて恐ろしい事になってしまう。
だから全然別な作戦をたてなければいけないのだが、それが結構難しい。
「う~~~~ん。どしたもんだろ」
悩めば悩むだけそれに連動して金玉がムズムズしてくる。
「……取り敢えず、今晩アイシャでも抱きながら考えますかね」
女を抱きながら別な女を堕とす方法を練ろうと言う、実に素晴らしい思考回路の持ち主である。
そんなキースが中庭が見える辺りに差し掛かった頃、廊下の反対側から大きな声で名前を呼ばれた。
顔をそちらに向けると、そこには元気いっぱい満面の笑みを浮かべて駆け寄ってくるナイアの姿があった。
「姫様」
キースが呟くと、腕を掴んだナイアが嬉しそうに顔を見上げてきた。
「キース様、こんな所でお逢いできるなんて!嬉しいですぅ」
「そ、そうですね」
同じ宮殿に住んでいるのだから顔を合わせる事くらいあるだろうが、それでもナイアには充分幸せな事なのだ。
その隣ではアイシャが羨ましそうな顔でキースに甘えるナイアを見つめていた。
ここは前みたく怒った方が怪しまれないんだけどなぁ、とキースは思うのだが、今のアイシャにそれを願うのは酷である。
「ところで姫様は何のご用事で?いつもなら今頃はお部屋でご昼食の筈では?」
「今日はね、天気がとってもいいので、中庭でお昼を食べる事にしたんです。今ベルナ達が昼食をテラスまで運んでくれているのです」
それでお付がアイシャだけだったのかとキースは納得した。
今日は日差しも暖かく風もないので、外でランチを取るにはぴったりの日だとキースも思い、「それはいいですね」と微笑んで頷く。
するとそれを見たナイアが良い事を思いついたとでも言うような顔で、
「そうだ!キース様もご一緒しませんか?ご一緒にお昼食べましょう!」
「え?」
「ベルナとかねアイシャの分も作って貰ってあるのです!だからキース様の分も」
「い、いえそんな」
「是非!是非そうして下さいキース様!わたくしキース様とお昼ご一緒したいです!」
とってもいい提案を思いついたナイアは目をキラキラさせてキースの手を握る。
いつもはお勉強か、夜に逢いに行く時しか一緒にいれないキースとご飯を食べれるなんて。
身体中を性的に開発されているナイアは、しかしまともなデートすら経験が無いのである。
それ故にお昼を一緒に食べたりとか手を繋いで歩くと言う事に凄く憧れを持っている。
キースはそんなナイアに見つめられ、「喜んで」と返事をする。
本当はレオノラの事とかを食事をしながら考えたかったのだが、今日くらいは仕方がないだろう。
許諾を貰えた事に飛び跳ねて喜びを表すナイアに手を引かれて、キースはテラスに向かった。
ナイアが色々と今日のランチのメニューを説明してくれるのを聞きながら三人で中庭に出た時だった。
肩にガシッとし何かが食い込むのを感じてキースが「え?」と声を上げ肩を見た次の瞬間。
グワァアァアアアアア――――――――――ッ!!!!と空に向かって引き上げられ――たと言うより連れ去られた。
「だわぁあああああぁぁァァーーーーーーーー………!!!」
キースの情けない悲鳴のドップラー効果で遠ざかってゆくのが分かる。
ナイアとアイシャが驚きの表情で見上げた時には、キースの姿は米粒よりも小さく真昼の星の様に見えなくなってしまった。
「………ほみゃ?」
「………はへ?」
姫と騎士の間抜けな声が小さく漏れて、その後に、
「はみゃあああああ!!キースさまぁあああ!!え?ええ!?キース様!アイシャぁ!キース様が攫われちゃったよぉ!!!」
「あ、ああ!あわああああ!キースぅうううう!!えええええ!?ナイア様!さ、さ、攫われてしまいましたぁ!!!」
取り乱す二人の声に中庭や廊下にいた兵士や使用人達が集まって来るのにそう時間はかからなかった。
§§§
ブラックアウトと言う現象がある。
体軸に対して下方向に急激な重力がかかると、血液が脳へと届かなくなり脳虚血を起こして失神する人体の不思議である。
この世界では竜騎兵や魔動箒なんかに乗る者に起こり易い現象で、それを防ぐ為の魔術や服が編み出されている。
しかし、キースはそんな目に遭うなんて予想もしていなかったわけで、勿論そんな魔術をかけてるわけも服を着ているわけもなく。
結果あっさり失神してしまった。
次に目が覚めたのは何だか妙に揺れる床の上だった。
自分が何処にいるのか、何をしているのかさっぱり思い出せず、寝ながら上を見ていると抜ける様な青空が見えた。
雲一つない空を見て、靄がかかっていた脳味噌がはっきりとしてくると、考える事が出来る様になり、自分が何かに引っ張られて空へと連れ去られたのだと思い出した。
慌てて身体を起こし周りを見渡す。するとそこは飛行船の甲板だった。
「……え?あ……飛行船?」
青い大空原を泳ぐ大型飛行船。その甲板でキースは気を失っていたのだ。
雲の上を泳いでいるので本来なら気圧は低く、寒くて風も凄まじいが、飛行船全体に保護魔法がかかっているので温度も肌に感じる風も最適状態である。
だが何故自分がこんな場所にいるのか全く理解出来ないキースにはパニックで眩暈が起こり出す。
それは脳虚血のせいではなかったが、吐きそうになっていると、
「治癒魔法はかけたはずなんやけど」
突然かかった声に驚いてその方を向いた。するとそこには一人の女性が椅子に腰かけキースを見下ろしていた。
年の頃は20代前半。ショートヘアの黒髪で目は瑠璃色、肌は健康的に日焼けしている。
やけに露出が多い服装は東方独特のドレスで、そのドレスから覗く爬虫類の様な手足と頭から生えた角を見た時、キースはおしっこをチビりそうになった。
間違いなく亜竜種である。しかも『尊貴なる血脈』である。
そう言えばどことなく夜鶲に似た顔つきだなぁと思っていると、その亜竜種の女が椅子から立ってキースに近づいて来た。
攫われた理由、こんな場所にいる理由、そんなものははっきり言って一つしかない。
ああ、こりゃ終わったな。ほんとにほんとに終わっちゃったな。キースは諦めに顔がニヤけてしまう。
幾ら夜鶲の魔力が使えるからと言って、キース自体のポテンシャルが上がっている訳ではない。
なので成体になった亜竜種に、ガチで向かってこられて勝てる道理は万に一つもないのである。
(そっかぁ……夜鶲様バラしちゃったかぁ……誤算だなぁ)
てっきりあのチビッ子は誰にも言わないと思っていたが、まさかまさかこんなに早く身内に助けを求めるとは、とんだ計算ミスである。
自分に向かって歩いてくる健康的なエロスを漂わせる夜鶲の身内に違いない美人な女性を見て、死ぬ時は痛くないのがいいなと思っていると、
「……ほそっこい男やな。夜鶲はほんまにこんなんが好きなんか?」
「へ?」
しゃがんで視線をあわせ上から下までジロジロ見てくる女にキースが冷や汗を垂らす。
好き?夜鶲がキースを好き?言っている意味が全く理解出来ない。
そんなキースがしゃがんでいるすぐ傍に、何かがドスンと振って来た。
「ひっ!」と悲鳴を上げ、キースが横を見ると、そこには泣きそうな顔の夜鶲が翼を広げて立っている。
相変わらずチビっちゃくて前髪ぱっつんでロリ可愛い。
「迦廼(かの)姉様!!」
悲鳴にも近い声を上げる夜鶲は姉――迦廼の名を呼びそして隣にいるキースを見て「ひぃいい!!」と本当の悲鳴を上げた。
「おお、夜鶲やっと起きたんか?お寝坊さんやなぁ」
「朝までしつこくからんできて夜更かしさせたのは姉様じゃろうが!!それより!!な、なな何でその男がここにぃ!!」
夜鶲が指差すキースを見て迦廼が「ああ」と呟いた。
「何でて、姉ちゃんが紹介せぇ言うとるのにちっとも会わせへんから、ならしゃーないなと思てこうやって」
「攫って来たのか!?」
「人聞き悪い事いーなや。ちょい来てもろただけやんか。なぁ?」
いえ、攫われました。キースは視線でそう訴えかけるが、完全に無視されてしまう。
「何でぇ!!何でそう言う勝手な事するんじゃぁ!!馬鹿姉様!!あほーーー!!」
「誰がアホじゃ!妹に護法盟約まで結んだ好きな男がおるって聞いたら一目会ってみたい思うんわ普通の事やろ!違うか!?」
「す……好き?」
キースが首を傾げて疑問に思った部分を繰り返すと、夜鶲が顔を真っ青にした。
「まだ成体にもなってへんちゅーのにどうしてもて護法盟約まで結んだ相手なんやろ?そんな、うわ!こら夜鶲何すんねん!!!」
滔々と話を続けようとする迦廼に飛び掛かって口を塞ごうとする夜鶲は顔を泣きそうに歪めて何度もキースを見た。
「ち、違うぞ!!違うんじゃ!!嘘じゃぁ!嘘じゃからなぁ!!!」
「何が嘘や。昨日の夜にそうやって説明したのは夜鶲やんか」
「うるさ~~~~い!!迦廼姉様のアホ!!アホ馬鹿!!そんなんじゃから義兄様に浮気されるんじゃ!!」
「ぐが!それ関係ない!今のこの話に何の関係もないやろ!!なんでウチの恥を人前で晒すねん!!」
「あああああ!!ばかぁーーーーー!!!」
そう叫ぶと夜鶲はキースの襟首を掴んで翼を広げた。太陽の光が漆黒の皮膜を透かして見せていた。
「ぐえ!!」と服に首を絞められて引き潰された蛙みたいな声を上げるキースを持ち上げて夜鶲は飛行船から飛び出した。
見た目こそチビッ子の夜鶲だが、その胸に如意宝珠が埋まっている限りはトロールさえ持ち上げて頸をへし折れる強力の持ち主である。
背はそれなりにあるが学者タイプのキースなんて難なく軽く持ち上げる事が出来る。
キースは今度は失神する訳にはいかないと急いで魔法杖で耐重力用の魔術と風などの影響を受けない様に保護魔法を自分にかけた。
真っ青な大空を凄まじい速さで飛ぶ真っ赤な顔をした泣きそうな夜鶲。
護法盟約があるので落とされる心配はないが、少しでも機嫌を損ねるのは拙いなと思いつつ、キースは口を開いた。
「お、お久し振りですね夜鶲様……」
「………」
「お元気でしたか?お変わりありません?」
「…………」
「……何か言って下さいよ俺の事が大好きな夜鶲様」
「誰がお主を大好きなんじゃぁあああ!!!」
やっと返事をしてくれた夜鶲にまるで子猫のように首根っこを掴まれているキースは大空散歩にお股をキュンとさせ軽口を続ける。
「いやだって、さっきあの人が……か、かの様?でしたっけ?お姉さまですか?」
「……そうじゃ!そうじゃけど……姉様の言ってた事は嘘じゃからな!!全然大嘘じゃからな!!」
「嘘って、俺の事が好きってやつですか?」
「そうじゃ!それじゃ!!」
キースは空中で胡坐をかき腕を組むと言う器用なポーズをして考え込んだ。
「それは、迦廼様が仰ってた事が嘘って事ですか?それとも夜鶲様が迦廼様に嘘をついたって事ですか?」
実に的を射た的確な質問に夜鶲が息を詰まらせた。
「うぐ!あ、ううぁ……」
羽ばたきが遅くなり空を駆ける速度が遅くなる中で、キースは更に突っ込んだ。
「どっちなんです?嘘はどっちなんですか~。俺はどっちの理由で連れ去られたんですか~」
「……ううっ……わ、儂が迦廼姉様に嘘をついたんじゃ……」
「それはつまりキース・ブロックハウンドと言う名前の超ナイスガイの天才魔導師を好きになってしまったと、そう言った訳なんですね?」
「ああ、キースと言う名前の史上最低の存在が既に神への冒涜ともいえるゴミ屑クソ人間を……好きになったと大嘘こいたんじゃ」
これだけ罵倒されてもキースは心に掠り傷一つ付ける事無く夜鶲を見上げて問いかけた。
「しかしまた何でそんな事を……はっ!実はもしかして身体を重ねた回数だけ心の距離が近づいて本当はいつの間にか俺の事を」
「アホか!抱かれた回数だけお主の事を嫌いなっとるわい!!」
「それじゃなんでそんな嘘ついたんですか?理由を教えて下さいよ~」
夜鶲は唇を噛み締め眉を顰めた。
本当は死んでも理由は言いたくないが、迦廼がキースを連れ去って来てしまった現状ではそれも出来ない。
言いたくない。もうこれでもかと言うくらいに言いたくはないが……夜鶲は喉の奥から絞り出す様に昨夜の事を話し始めた。