食堂で夕食をとるキースは、今日も今日とて質素なメニューに舌鼓を打っていた。
自由に何でも食べていいと約束したのは週に二度だけなので、今日はいつもの筋肉を作るためのメニューである。
高蛋白低カロリー。炭水化物は殆どなし。味気はないが仕方ない。こういうところだけは律儀なキースなのだ。
それをもぐもぐ食べていると少し離れた席に座る女性エルフ達の話し声が聞こえ始めた。
盗み聞ぎするつもりはなかったのだが、誰かと一緒に食事をしているわけではないので黙っているとその声が耳についてしまう。
「だから、王妃様がずっとポーっとなさってて、どこか具合でも悪いんじゃないかって大変だったんだから」
「そう言えば王様も具合が悪そうでお昼頃にお医者様を執務室にお呼びになったって」
「姫様が体調を崩された日からだよね~?風邪でも流行ってんのかなぁ?」
その一連の出来事の真実を唯一知っているキースは冷汗を垂らしながらサラダを口に突っ込んだ。
どうやらあの日、マシュアとミアは相当仲良くしたみたいで、ナイアも今日逢った時に「お母様の様子が」と言う話題を振って来たくらいだ。
これはいよいよ本格的にナイアに弟か妹が生まれるのを覚悟しなければいけないと原因を作った張本人は考えていた。
そんな馬鹿な事を考えている間にメイドエルフ達の話題は次に移っていた。
掃除道具を新しものにして欲しいとか、寒くなってきて水拭きは辛いとかいった話題から、一人のエルフが思い出したように、
「あ、そう言えばさあの噂聞いた?」
「うわさ?うわさって?」
「だから、あのプールの話」
キースはプールの話題が出ると咀嚼を止めて今度は間違いなく話を盗み聞きをした。
プール?彼女達が言うのだからそれは間違いなく宮殿のプールの事だろう。その俺のプールに一体何が?
何故か自分の物になっているプールの話題に聞き耳を立てて話を聞いたキースは、その内容に生唾を飲み込んだ。
メイドエルフの話はこうだった。
最近夜になるとプールから物音が聞こえるそうだ。ジャバジャバと水を勢いよく跳ね上げる音である。
断続的に響くその音に不審に思った兵士が見に行くと、プールの中には人影はおろか明かりさえついていない。
こんな場所に誰かいるはずないと施錠を確認していると、どこからか水の滴るぴちゃんぴちゃんという音が響てくる。
誰だと慌ててプール中を探すが薄暗いプール内には誰の姿も見つけられず、怖くなった兵士が建物から飛び出し鍵をかけて離れようとすると、また中から水の跳ねる音が響き始めるのだった。
そんな体験談が一人や二人ではない大勢の兵士から寄せられ、ここ最近急にあのプールは幽霊が住んでいると言う噂で持ち切りなのだそうだ。
話が終わると聞いていた他のメイドエルフが「やだ~」とか「こわ~い」とか言うのをキースはもう心にとめる事が出来なかった。
何故ならその心は既に考え事で埋め尽くされていたからだ。
プールに出る幽霊。いや幽霊ならまだいい、もしそれがまたあのはぐれ精霊か何かだったら……。
ナイアとレオノラの歌には気を付けていたつもりだったが、最近は聖樹祭や元日の歌披露の為に練習の時以外も歌を口遊んでいる二人である。
もしかしたらその声に呼ばれてまたぞろ変なのが来てしまったのかもしれない。だとすれば一年に二回も精霊に襲われたという事で絶対調べが入る。
歌のせいだとバレて怒られて引き離される二人。そんなのは色々宜しくない。
溜息をついたキースは、しょうがないかと溜息をつくと、この件を人知れず解決しようと心に決めた。
その為にはまず腹ごしらえだと、立ち上がって厨房に向かい、特大のステーキを頼むのだった。
§§§
深夜、部屋を出たキースは【マリシ天の外套】を羽織って一人プールへと向かった。
アイシャを呼ぼうかどうしようか迷ったが、また怪我をされるのは正直御免だったし、それにいざとなれば一人の方が遠慮なく魔法を使える。
今のキースは契約魔法使いなのだ。その気になれば冷却系の魔法は使いたい放題である。
しかし元々攻撃魔法が死ぬほど苦手なので、強大な力を得た現状だと全く制御が出来なかったりする。
この間試しに少し遠くまで転移魔法で飛んで行って、冷却系の高位攻撃魔法を練習したら、湖を氷つかせてしまうところだった。
あの時は傍に獣もいなかったからよかったが、もし誰かいたら間違いなく大惨事である。
力を持つべきものではない者が持つとこういう事になると言ういい例だった。
それはさておき、そうして覚悟を決めてプールに向かうキースは念の為に用意した魔道具を詰め込んである鞄を確認して建物の扉をくぐった。
鞄の中には本当に幽霊だった時の為に前に都で買ったムドー=オダの悪霊退散用御札が入っていた。
緊張しながら進むキースは、いざ本当に精霊か何かで対処しきれないくらいの存在だったらケツまくって逃げようと思っている。
その時は急いで夜鶲を呼んで退治して貰えばいい。最終的にチビッ子ドラゴン頼みとは実に情けなくてキースらしい。
【マリシ天の外套】の気配遮断効果をフルに使ってスニーキングするキースはプールの入り口で確かにジャバジャバと言う音を聞いた。
これは本当に誰かがプールにいてプールの水を掻き回しているか、さもなくば……。
メイドが噂話として語っていたかつてこのプールで溺れ死んだ貴族の霊とか言った話題が思い出されてキースはゾクっとなる。
勿論そんな過去がない事はとっくに確認済みだが、彷徨う霊魂が自分が死んだ場所と同じような場所を住処にする場合があると聞いた事がある。
「……ルーについてきて貰えばよかったかも」
猫にまで頼るようになるとは本格的なビビりである。しかし怖いものは怖いと泣きそうな顔でそっと進むキースはそこで見た。
プールの端から端までを全力でクロールする……褐色肌の女騎士、アイシャの姿を。
思わず立ち止まり口をポカンと開けて見つめるキースの前で、アイシャは何も気づかずに怒涛のクロールを続けている。
その速さは水棲人類に勝るとも劣らず、少し前まで泳げない泳げないと泣いていたのを誰も信じないであろうほどの見事さだった。
今もまた華麗にクイックターンを決めたアイシャはザバザバと水を掻き分けて今来たところを戻ってゆく。
昼間普通に任務をこなしておいて、よくあれだけ体力がもつなと驚くと同時に、謎の水音の正体が分かって呆れるキースである。
【マリシ天の外套】を脱いだキースは、プールサイドに近づくと疲れて泳ぐのをやめたアイシャに声をかけた。
「何してるんですかこんな時間に」
「へ?……う、うぁあああああ!!きーすぅ!!お前何してるんだぁ!!」
「だからそれを先に聞きたいのはこっちですよ」
呆れ顔のキースを見て盛大に驚いているアイシャはその言葉に「え?」と言うと視線を泳がせた。
明らかに挙動不審で、何か大きな隠し事をしているような趣である。そんなの絶対知りたいし、何よりプールの幽霊をやっていた理由は問い質すのが筋である。
誤魔化しの台詞を吐こうと必死に頭を巡らせるアイシャは、
「えっと、だから、これは……その、あの……体力作りに」
「こんな真夜中に?俺にも秘密で?」
「あ、う、だ、だから……それは、えっと……えっとぉ」
これは放っておいたら言う気がない奴だ。そう判断したキースはアイシャの弱点を突いて喋らせる事にする。
「……もしかして逢引きですか?」
「ふぇ!?」
「誰か……俺に内緒で男性と逢ってたんですか?」
「ち、違うぞ!!誤解だ!そんな誤解やめろ馬鹿者!!」
「じゃあどうして!!……こんなに時間にプールでなんて……絶対そうだ……アイシャ、俺以外に男の人が」
顔を背けて哀しげな声を出すキースにアイシャは慌てて泣きそうな顔になる。
誤解だと言っているのに聞いて貰えない。どうすればいい?そんな混乱の中でキースはトドメを刺すように、
「……もういいです。分かりました。アイシャが他に好きな人が出来たんだって、よく分かったよ」
「ち、がうぅ……ちがうんだぁ……ちがうよぉ」
もうガチ泣き一歩手前のアイシャは涙腺を熱くする哀しみに首を左右に振って誤解だと必死に訴えた。それに対して何も言わず立ち去ろうとするキースにアイシャは急いでプールから上がると、
「ちがうんだぁ!!わ、わたし……わたし、風邪ひきたくて!!風邪ひいて……キースに看病して欲しくてぇ……だから、だからぁ」
「はぁ?」
あまりに予想の斜め上を行っていたアイシャの台詞にキースは演技するのも忘れて間抜けな声を出した。
それにも気づかずアイシャは水を滴らせながら瞳から大粒の涙を零し顔を歪めて、
「わ、わたし、べるなと、ないあさまがぁ……ぐす、か、かんびょう、されたってきいてぇ……うらやましくてぇ」
「だ、だから風邪をひきたくて毎晩プールで泳いでたんですか?何だってそんな面倒臭い」
「だって……ひっぐ!だってなぁ、わたし、お腹出して寝ても……お風呂上がりに下着だけで過ごしても、おこたで寝ても……風邪ひかないんだぁ!!だからぁ!!」
なんつー健康優良エルフだ。キースは呆れるのを通り越して感心してしまう。
感心しながら整理するとつまり、ベルナやナイアから看病の話を聞いたアイシャはそれが羨ましくて堪らなくなった。
だから自分も風邪をひいてキースに一日中甘えたくなったのだが、如何せん身体が丈夫すぎて全然風邪をひいてくれない。
困ったアイシャは、そうだ!プールに行こう!!と決めた。仕事終わりにプールで限界まで泳いで冷えた身体で部屋に戻りパンティー一枚で寝れば絶対風邪をひくとそう思ったのだ。
しかしここ数日のアイシャを見ているキースは知っていた。アイシャが風邪はおろかくしゃみの一つもしていなかった事を。
あまりにも健康。あまりにも頑健。子供の頃から鍛え抜いた肉体はちょっとやそっとではへこたれないらしい。そう生んで育ててくれた父母に感謝すべきである。
だが今のアイシャにしてみればそれは何よりも不幸な事で、こんな幽霊なんて噂が立つほど泳いでも結局念願の風邪は引けず、おまけにキースに浮気と疑われてしまった。まさに悪夢だ。
「だ、だがらぁ、う、うわぎじゃないぞぉ、ぐす、ぐす!うぇえ、うわきじゃないんだぁ……うぁああ!」
毎夜の水泳疲れに風邪を引けないストレス、そこに浮気の疑いが合わさってアイシャはボロボロ泣き出した。
子供みたいなその顔にキースは笑いそうになりながら、急いでアイシャを力一杯抱きしめた。
「ごめんなさい。疑ってごめんアイシャ……本当に悪かったです」
「う、うたがっちゃだめだぁ!ぐす、ぐっす!わたし、きーすだけ、なのに……きーすに、かんびょう、してほしかったからなのにぃ……うぇえ」
「ああ、もう泣かないで下さい。本当にごめん!謝るよ……でも、可愛いアイシャがこんな秘密で何かしてたら不安になっちゃうの分かって下さい」
「うぅう、だって……だってぇ……いったら、あきれられるとおもったんだ……」
その通りである。良く分かってらっしゃる。
けれどキースはそんな心のツッコミを表に出さずあくまで優しい声で、
「い~え、呆れたりなんてしませんよ。俺に看病して欲しくてなんて……すっごく愛おしくなっちゃいます。困ったアイシャだなぁ、これ以上アイシャのこと大好きにさせないで下さい」
喜びそうな言葉を片っ端からかけるキースに、ようやくアイシャは泣き止んで、そして嬉しい言葉の数々に胸をときめかせた。
それを証明するように抱き締める腕に身を預けてくるアイシャに、これはこのまま慰めセックスをしてあげた方がいいと感じたキースは、
「アイシャ、身体冷たくなっちゃってますね……毎日こんなに頑張ってたんですか?」
風邪ひく為に頑張ったと言うのは変な言葉だが、アイシャは素直に「うん」と頷いた。
水の滴る身体を撫でるキースは、競泳水着越しに感じる引き締まったボディを摩りながら、
「風邪なんてひいちゃダメですよ?健康なのが一番なんですから。だから温かくしてゆっくり疲れを取らなきゃ。今から俺の部屋でお風呂に入りましょう?薬湯にして、その中でマッサージしてあげます」
それは看病ではないが、他の誰も経験していない行為だとアイシャは思った。して欲しい。是非して欲しい。
精一杯頷く涙目のダメ騎士にキスをして、キースは部屋へと転移魔法を使って飛んだ。
もし精霊や幽霊で逃げなければいけなくなった時の為に酔い止めを飲んでおいたのでゲロは吐かない。
それでも若干ふらつきながらお風呂の用意をしたキースはその間に幽霊騒ぎの事を聞いた。
アイシャはキースがくれた消音魔道具を一応持っているが、それはあくまでアイシャの部屋用でプールの大きさには足りなさすぎる。なので音が漏れてしまっていたのだ。
そして見回りに来た兵士からバレないように身を隠して、常のその兵士の死角に入るように移動し続けたのだそうである。それが水音足音だけの姿なき存在の正体である。
幽霊の正体見たり枯れ尾花……の諺を思い出させるアイシャの説明に、ヤレヤレと溜息をつきながらお風呂準備を終えたキースは、
「さ、それじゃ入りましょう。こっちに……き……て」
部屋で待っているアイシャを呼びに行って固まった。その固まりはプールで泳いでいたのがアイシャだと知った時の固まりよりも強かった。
だがそれも仕方のない事だろう。何せ見慣れているアイシャの身体が、見慣れているはずのその褐色エロボディが……物の見事にバキバキに割れた筋肉腹筋を浮かべていたのだから。
それはキースでもまだ到達していない完璧なシックスパックだった。
恥ずかしそうに腹筋を撫でるアイシャは「み、みるなぁ」と弱々しく言うが無理である。こんな立派に見事でそして何よりエロ過ぎる身体、見ない方が無理と言うものだ。