シャーリィをギルドの客間の前まで案内したユミナは、ドアノブを掴んだところでその動きを止めた。

『だーかーらー! 折角の機会なんだからちょっとくらい冒険しても良いじゃん!』

『いーや、良くない! ちょっと冒険なんてレベルじゃねぇから! 明らかに自殺行為だって言ってんだよ!』

中から聞こえてくる若い男女の喧騒……というよりも怒鳴り声が外まで聞こえてきて、シャーリィは首を傾げ、ユミナは眉間を抑えながら嘆息する。

「あの二人はもぉ~……こんな時にまで喧嘩しなくても」

「一体何の騒ぎですか?」

「あぁ、先ほど説明した新人冒険者さんのパーティなんですけど、その内二人は昔からのライバル? みたいな関係らしくて、事ある毎にあんな感じでして」

血気盛んな新米冒険者同士の喧嘩はそう珍しくはない。しかし受付嬢であるユミナが何時もの事の様にぼやいていたり、人を待っている状態でも構わず喧嘩するあたり、よほど仲が悪いのか、あるいは喧嘩するほど仲が良いというべきか。

『お二方、いい加減になされ』

『あだっ!?』

『おごっ!?』

建物が震えるかのような喧騒は、落ち着きのある声の後に続いたゴッ! という何かを殴ったような音と共に収まりを見せる。

「どうやら終わったみたいですね」

「はい。次の喧嘩が始まる前に中に入っちゃいましょう」

ユミナに促されるままに客間に入ると、シャーリィはそこに居た冒険者たちを軽く一瞥する。

頭を押さえて蹲るのは少年少女と言っても差し支えが無さそうな若い外見の冒険者で、その内の一人、少女の方の耳が尖っている。

そんな二人の間で仁王立ちしながら両の拳を握っているのは、見覚えのある(・・・・・・)戦斧を背負った牛頭の亜人、ミノタウロスだ。

「あ……!」

そして最後の一人。茶髪の少年冒険者は見覚えがある。以前ゴブリンの巣で全滅しかかったパーティの生き残りである魔術騎士だ。

どうやらあの後も冒険者を続けていたらしい。シャーリィの顔を見ると僅かに表情を明るくしている。

「はい、そこまでです! まったく、新しく加入してくださる冒険者さんが来ているっていうのに騒がれたら困ります」

「す、すいません」

「まったく……あんたのせいで怒られちゃったじゃん」

「はぁ!? 元はと言えばお前が――――」

「お二人とも?」

再び喧嘩し始めそうな雰囲気を出しそうになったが、ユミナの冷たい営業スマイルとミノタウロスの拳が持ち上げられたのを見て、肩身が狭そうに縮こまる。

「ようやく静かになった所で、自己紹介を。ささ、シャーリィさん、どうぞ」

机を挟んで対となるソファの片方にシャーリィとユミナが座り、その対面に残りが座る。

一人大柄なミノタウロスの男は座らなかったが、本人は特に気にした様子も無い為、ユミナは雰囲気を和らげようと若干陽気な口調で話を勧めた。

「シャーリィです。職業は前衛の剣士です」

しかしそんなユミナの思惑とは裏腹に、余りに簡潔な自己紹介によってその場に沈黙が下りる。

「えっと……それだけ、ですか?」

「他に一体何を求めているのですか?」

取りつく島もない素っ気なさに項垂れるが、気を取り直して対面に座る冒険者たちを促すと、まず牛頭の冒険者が前に出た。

「吾輩はこのパーティの頭目を務めているアステリオスと申す。シャーリィ殿とはこの街で同じ時期に冒険者になりましたが、こうして話すのは初めてでしたな」

「そうですね。お互い話すことも自己紹介することもありませんでした。職業は僧兵といったところですか?」

「いかにも」

勇猛な種族にしては珍しい温和な雰囲気だが、彼の出で立ちを見て一人納得する。

背負う武器はミノタウロスの伝統的な戦斧だが、彼は法衣に身を包み、首には認識票と一緒に天の女神の紋章が刻まれた小さな鐘が下げらている。

種族を問わずに信仰を集める天空神の鐘は教徒の証だ。ならば教えに従って穏やかな気性となるのもある意味当然だろう。

穏やかさの中にある確かな風格が何よりの証。猛々しい性格で説法を説く僧侶など何処にもいない。彼は真実、清廉の中に勇猛さを兼ね備えた僧兵なのだろう。

「そしてここに居る者たちが、吾輩が指導している冒険者です」

「じゃあアタシから!」

前のめり気味に手を挙げたのは背丈が低い、胴部を覆い隠す甲冑を身につけた、鮮やかな栗色髪を持つ息を呑みそうなほどの美少女だった。

好奇心に輝く金色の大きな瞳に亜人の証である尖った耳。恐らくホビット族なのだと推測する。

ギルドに登録しているという事は十五歳以上なのだろうが、同じく尖った耳を持つエルフ等の種族にしては身長が低すぎる。その童顔も合わさって、下手をすれば娘たちよりも年下に見られかねない。

「アタシの名前はレイア! 職業は魔術弓兵! ……ちなみにハーフエルフだからホビット族と間違えないように」

「…………」

驚きの声をギリギリ飲み込んだのは、我ながら機転が利いていると称賛せざるを得ないシャーリィ。

ハーフエルフは文字通り人間とエルフの混血児で、人間の三倍は長いが、純血のエルフと比べて寿命が短いのが特徴だ。

しかしエルフだろうとハーフエルフだろうと、二十歳過ぎくらいまでは人間と同じように成長するはずなのだが、目の前の少女がとても成人しているように見えないのはどういうことか。

「次は俺か。俺の名前はクード、職業は斥候だ」

中肉中背といった体つきをした黒髪黒目という、この辺りでは珍しい色の人間は動きやすさ重視の為か、最低限の防具を纏った軽装と腰に大きめの道具袋とナイフを下げた少年だ。

まさにレイアとは真逆の見た目通り。幾らか気位が高そうな目つきをしているが、それと同じくらいの警戒心の強そうな眼をしている。

「ええっと、前は自己紹介しそびれましたから改めて。最近パーティに入った魔術騎士のカイルです。この間は助けて貰って本当にありがとうございました」 

「え? 何々? 知り合い?」

「うん、まぁね」

そして最後に茶髪の少年の名前を聞き、シャーリィは改めてこの場に居る者たちの認識票を眺める。

Aランクに相応しい風格を備えるアステリオスは銀で、それ以外はヒヨッコとも言える青銅の認識票。必然、シャーリィは首を傾げた。

「とりあえずパーティとして依頼に赴く分には構いませんが、Eランクにドラゴン退治は早すぎませんか? 貴方たちを交えて交戦し、守り切れる保証は一切ありませんよ?」

EランクだろうとSランクだろうと、受ける事が出来る依頼に制限はない。単純に実力に自信の無い者は自分に見合った依頼しか受けないか、少し冒険して痛い目を見るか死ぬかのどちらかだ。

冒険者ギルドは決して馴れ合いではない。どんな依頼でも死ぬ可能性や重傷を負う可能性が存在する以上、それら全ては自己責任となってギルド側は一切の賠償をしないというのが、定められた確固たる規則だ。

「実際、アステリオスさんはともかく、Eランクがドラゴンとの戦闘に出て来られても足手纏いにしかなりませんし。正直、新人訓練などと言っている場合ではなくなるのではないかと」

容赦のない正論に若い冒険者たちは苦い顔をする。恐らく言われなくても、彼らは重々承知しているのだろう。

強敵に挑むのは規約上問題は無いが、それはバカのすること。たとえ高ランクの冒険者が付いていると言っても、Eランク冒険者がドラゴンと戦うのは自殺と同義だ。

「貴女の言い分は尤も。ですがそれに語弊がありますな」

シャーリィはジッとユミナの方を見る。自分の失態に気付いたのか、彼女は両手を合わせて謝罪の意を示した。

「ご、ごめんなさい。説明が少し足りませんでした」

「いえ、どっちにしろこの場で詳しく聞くつもりでしたからそれはいいのですが……そう言えば、今回の依頼は元々他の魔物の討伐に行った時にドラゴンと予期せぬ遭遇(エンカウント)したことから始まってましたね」

「ええ。カイル殿が加入する前の話なのですが、お察しの通り元々我々がジュエルザード鉱山に棲み付いていたバッドボノボの群れの討伐に赴いたら……」

バッドボノボとは、主に山に群で生息する猿型の魔物だ。

中には魔術まで使用する個体が存在するほどの極めて高い知能を持つ魔物で、手足は細く近接戦闘には向かない代わりに投石や魔術で人を襲うが、落ち着いて対処すればEランクでも討伐できる、武器を持った集団戦闘を得意とするゴブリンとは相互互換と言える弱い魔物である。

「知恵ある魔物の群れをドラゴンが従えていた、と。最近よく聞く話ですね」

「然り。流石にEランク二人を連れては討伐は不可能と判断して即座にギルドへ戻ったのですが、そこで一つ問題が発生しましてな」

「逃げる途中で、アタシの装飾品に付いてた宝玉を落としちゃってさ」

アステリオスの言葉を引き継いだのは、何かが嵌め込まれた丸い跡を残す首飾りを手にぶら下げるレイアだった。

「ウチの家系に伝わる、王国で言うところの成人祝いの装飾品なんだけど、加工した大きい金剛石を使った大昔の職人が作った物らしいんだよね。で、ドラゴンに追いかけられてる途中に落としたらバッドボノボがそれを拾うのを見て……多分ていうか、ほぼ確実に今頃ドラゴンの巣にあると思う」

おどけた様な仕草だが、事の深刻さを表情に表すレイア。先祖代々伝わる家宝を無くしたとなれば、太陽の様に快活な印象を暗く染めるのも無理はない。 

「なるほど、新人育成だけが理由では無いという事は理解しました。ようは巣に溢れ返っているであろう金剛石を見分けるために連れていけ……そういう事ですか」

ドラゴンが巣に溜め込む宝石で最も多いのは金と銀、金剛石の三つだ。Aランク冒険者が撤退を選択することから察するに、見かけたドラゴンは成体になってそれなりの時間が経った個体なのだろう。

件(くだん)の竜の巣に存在する金剛石の総数は不確定だが、シャーリィ自身もその中から見たことも無いレイアの金剛石を見分けられるとは思えない。

「本当なら私がドラゴンを退治した後にでも取りに行けば良いと思いますが……そうもいきませんか。ちなみに宝石を相場で買い取るだけの資金は?」

「ない」

ギルドと政府が結んだ数少ない締約により、ドラゴンが溜め込んだ財宝はドラゴン退治に何らかの形で貢献した冒険者が帰り際に持てる分だけ持ち帰る事が出来るが、持ち帰らなかった残りは後日国に仕える軍人や騎士が押収しに行き、国庫に納められる。

ドラゴンスレイヤーが巨万の富を得るという詩があるのはそうした事情があるからだが、逆に言えばドラゴン退治に欠片も貢献していない冒険者に財宝を持ち帰る資格は無いどころか、巣に立ち入る事すら許されない。

狩りに付いて行くだけ行って、自分は何もせずにハイエナの様に宝石を掠め取ったとしても、後で神官の《センスライ》で見破られて財宝を押収されるどころか、冒険者としての信頼まで失うことになる。

例えシャーリィが譲渡したという形にしても関係が無い。騎士が掲げる騎士道と似たようなもので、名誉ある竜退治の報酬を何の対価も支払わずに冒険者が得ようとするのは、冒険者の暗黙の了解に反する恥ずべき行為なのだ。

「そこで吾輩も考えました。鉱山を拠点とするドラゴンが従えるバッドボノボの群れ、彼奴らの討伐依頼はまだ有効でしてな。我々は貴方がドラゴンと戦う露払いとして、邪魔な猿たちを討伐しようかと」

アステリオスがテーブルの上に置いたバッドボノボ討伐の依頼書には、ドラゴン発生と太い字で殴り書きがされていた。

「つまり、私とパーティを組んだ上での二重依頼、ドラゴンが従えるバッドボノボを殲滅することで自分たちもドラゴン退治に貢献した事を証明する……それが本命ですか」

「無論、新人育成の為というのも嘘ではありませぬぞ? 高度な戦いは全容を理解できなくても、魔術で遠くから覗き見るだけでも糧となるもの。それに若手の安全を気にしておられるのでしたら心配無用」

厚い胸板を反り、鐘がカランと涼やかな音色を奏でる。

「吾輩、これでも結界術を最も得意としておりましてな。相手がどれほど強大な竜でも、最低限彼らを逃がすことは出来ますが故」 

「ギルドマスターからも、アステリオスさんの提案は問題なしと太鼓判を押されました。とは言っても危険なのは違いありませんし、残る問題は他の新人さんが付いて行く気かあるかどうかですが……」

ユミナがそっとカイルとクードに視線を向けると、カイルはしっかりと頷き、クードは仕方ないと言わんばかりに頭を掻いた。

「危険なのは分かってるけど、僕も行きます。会ったばかりだけど、同じパーティだし」

「同感だ。このチビに貸しを作るのも悪く無いしな」

「誰がチビだ、このチンピラ一年生!」

「いっでぇっ!?」

恐らくコンプレックスであろう身長のことを刺激したクードは、レイアに向う脛を踵で力一杯蹴られてピョンピョンと跳ね回る。

「何すんだこのクソチビっ!」

「またチビって言ったな!? 表に出ろ! 今日という今日は泣かせてやるんだから!」

「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて……ぶっ!?」

カイルは慌てて止めに入ろうとしたが、クードの肘が顔面に突き刺さる。そんな哀れな魔術騎士を無理矢理交えて取っ組み合いを始める二人に、残された三人は呆れた視線を向けた。

「……何時もこうなのですか?」

「ええ。指導係として恥ずかしい限りですが、どうやら幼少の頃からの喧嘩友達というものらしく、ペンが転んだ勢いでも喧嘩を始めるのが日常茶飯事でしてな」

「私が客間に入る前も喧嘩していましたが……その時は何があったのです?」

「ドラゴンとの戦いに参加するかしないかで」

「そこは死にたければどうぞご自由にと言いたいところですが……」

出会って三十分も経ってないが、シャーリィは二人の性格を少し把握した。

好奇心が旺盛な無鉄砲と少し口が悪い慎重派。そして互いに沸点は低めと、若者が喧嘩するにはうってつけの条件が揃っている。

「だがこれでも戦闘時には足を引っ張り合うようなことをしないのが、不思議なところです」

「なるほど。喧嘩するほど仲が良い、という事ですか」

「「良くないっ!」」

ピッタリと、全く同じタイミングで響いた怒声がギルドを揺らすのであった。