仕事用の鎖帷子を一枚着て、その上にワンピースを纏ったシャーリィは、牛皮のブーツの紐を強く結んで気合を入れる。《勇者の道具箱》という規格外の魔道具を持つシャーリィの冒険支度は極めて簡素だ。普通の冒険者なら大荷物になるであろう古竜との戦いを前にしても、一見すれば街を散策する少女の様にしか見えない。

あっさりと支度を済ませ、いざ朝食の準備をしようとした時、姿鏡に自分の全身が映っているのが見えた。

「……むぅ」

姿鏡の前の自分の顔や服装を見てから不服そうに唸り、クルリと一回転。フワリと広がるワンピースの裾と、十年以上前から目つき以外変わっていない童顔が合わさって、十九歳で止まった外見が三つか四つは年下に見えた。

「……これでもっと老けていれば、母親に見られるのでしょうか……?」

半不死者(イモータル)になってしまったのだから仕方のない事とはいえ、どうもこの外見のおかげで母親っぽさが感じられないのではというのが最近の悩み。事実、シャーリィの実年齢を知らない大人は大抵「お嬢ちゃん」とか呼んでくるのだ。今年も街の外から来た二十歳そこらの若い冒険者にもそう呼ばれたことがある。

(まぁ……いくら説明しても信じなかったので投げましたけど)

文字通り、物理的にだ。シャーリィは少なくとも自分が侮られる外見をしているというのは間違いないと思っている。冒険者の間で勇名轟かす《白の剣鬼》でも、実物を見たことが無い者には単なる町娘にしか思われないのだ。

……もっとも、この世のものとは思えない、美の化身とまで称されている時点で普通の町娘にも思われていないことが多いのだが、それはシャーリィも知らない事実だ。

(個人的にはマーサさんのような割烹着が似合う女性になりたいですね……それが無理ならエプロンが似合う女性に)

母親らしい姿=割烹着とエプロンという時点でシャーリィの母親像はやや偏っているが、本人は割と本気だったりする。少なくとも、三十の女が白いワンピースを着て少女のようだと思われるのはどうかと思う。

(いえ、ワンピースが嫌いなわけではありませんが……動きやすいですし、私の好みでもありますし)

基本的に、衣服類は穴が開いたり落ちない汚れが付着しない限りは着続けるのが信条だ。ここ五年近く、ワンピースを買い替えなければならない状態になること自体が非常に珍しいシャーリィからすれば、新しい服を袖に通すことは滅多にない。

しかし、シャーリィは精神状態までもが十九歳で止まっている。世間では自分の身なりに最も気を遣う年頃だ。シャーリィはソフィーやティオの衣服が最優先で、双子の娘を着飾るのが細やかな楽しみなのだが、別に自分の服装を蔑ろにしているわけではない。

確かに娘たちに費やした時間の余りで自分の事をこなしているような親バカだが、それでも好きな服装の一つや二つくらいはある。こういう裾が長いワンピースがまさにそれだ。

今の暑い季節には見ているだけでも清涼感があるし、決して華美ではないシンプルさもシャーリィ好み。

「……ふふ」

だからついついワンピースの裾をつまんでもう一回転してしまうのだ。幾ら精神年齢も止まっているからと言っても実年齢を考えれば不相応だということは分かっている。しかし好きなものは好きなのだから仕方ない。

(こんな所を誰かに見られたら、恥ずかしさで死ねますね)

そろそろ朝食の支度もしなくてはならないし、シャーリィは厨房へと向かおうとしたのだが、不意に気配が二つこちらを伺っていることに気が付いた。

「っ!?」

「あ」

「……見つかった」

自宅とはいえ気配の探知を怠った迂闊さを呪ったシャーリィ。その視線の先には、顔だけ覗かせてこちらの様子をうかがうソフィーとティオの姿が。

「み、見ましたか……?」

「え? うん、まぁ」

「鏡の前でクルッて回ってるのは見てた。二回くらい」

それはつまり、母親の威厳的に娘に最も見られたくない姿を二度にわたって見られてしまったということ。シャーリィは羞恥に染まる顔を両手で覆い隠し、しばらくの間体を屈めて縮こまった体勢から戻れなくなってしまった。

「見られたよりにもよって娘に見られた母親としての威厳が吹き飛びましたあああああああ恥ずかしい恥ずかしい穴があったら入りたい穴が無くても掘って入りたいどうしてこんな時に限って周囲の気配に気を配ってなかったんですか私大体なんなんですかクルッていい年した大人が鏡の前で何をしているんですか本当にもう幾らあの時は新しい服で少し気持ちが舞い上がっていたとはいえあんな醜態を晒してしまうなんてもう死ぬしか……」

「だ、大丈夫だってママ! 別におかしいとは思わなかったから!」

「ん。ちょっと可愛かったくらいだし」

食堂のテーブルに置かれたパンや卵料理、燻製肉にサラダというありふれた朝食を作った本人が羞恥で顔を晒せない状態になっている両隣で、ソフィーとティオはあまりフォローになっていないフォローを入れていた。

双子の言葉に嘘はないが、どうやらシャーリィが受けたダメージは計り知れないらしく、延々とブツブツ呟いていて周りの客が不気味がっている。

「でもそっか……ママって私たちの服はじっくり選んでる割りには自分の服は適当に選んでるから、なんだか悪いなって思ってたけど、ちゃんと自分の服装も拘ってたんだね」

「あの……そのような目で見られると余計に恥ずかしいのですが……!?」

ソフィーから向けられる生暖かい目に、シャーリィは羞恥に震えた。よもやそんな目を娘に向けられるとは思いもしなかったので、尊厳に対するダメージが余計に酷くなっている。

「と、とにかくっ。私は今から仕事に行きます。夕食は少し過ぎると思うので、先に食べていてくださいね」

「了解。行ってらっしゃい、お母さん」

顔を赤くしたまま席を立ち、早足でタオレ荘から出るシャーリィを見送る。そんな母の背中を見つめていたソフィーとティオは互いに顔を見合わせた。

「……今更だけど、ママって自分の時間あんまり作ってないよね?」

「ん。余った時間と手間で自分のことしてるって感じ」

二人は考える。日頃から過酷な戦いに身を置いている母に何か出来ることはないかと。

「……料理?」

「包丁とか火を使うのは危ないから二人だけでやらないように言われてるし、マーサに手伝ってもらうのも気が引けるし、お母さん今日遅くなるから……代わりに洗濯は?」

「それは何時もやってることじゃない。部屋の掃除も同じようなものだし……」

子供だけでも出来ることは常日頃日課のようにこなしているため、思い付きで実行しようとしても何をすればいいのか悩む。とりあえず厨房まで食器を洗いに行くと、厨房の反対側からマーサの声が聞こえてきた。

『だからさ、この季節にはやっぱり酸味のあるもの食いたいってお客が多いんだよ。夏バテの防止にもなるしね』

白髪の双子は互いに顔を見合わせる。二人は共通して同じ考えを抱いていたからだ。

「そういえば、ママってミカンとかレモンとかの匂いと酸味が好きだったよね?」

「一昨年のお母さんの誕生日もそれで乗り切ったと思う」

柑橘類はシャーリィの好物で、二年前はミカンを使ってマーサに手伝ってもらいながらゼリーという包丁を使わない冷菓を作ったらとても喜んでくれた。夏バテに酸味が良いというのなら、アイデアの焼き増しになるが柑橘類で冷菓のような感触を用意すれば喜んでくれるのではないだろうか? そう考えた二人は部屋に戻って打ち合わせを開始する。

「お小遣いで果物買ってもアレだよね? 元々、ママが働いて手に入れたお金だし」

「だったら丁度いいのがある。ほら、森レモンとか」

それは辺境の街の子供が森で遊んでいる際に駄菓子代わりに食べる、妙に癖になる強い酸味を持つ果実だ。森に生えている黄緑色をしたレモンのような果実だから森レモンと子供たちは安直に呼んでいるが、正式名称はフォレストクエン。虫や動物が嫌う匂いと酸味で食べられないように進化したが、人間の嗜好からすればポピュラーな食物だ。

農家で栽培もされており、自然の森に生えているフォレストクエンは栽培された物よりもやや苦みがあるが、それでも十分美味に調理できると、以前マーサから聞いたことがあった。

「丁度生ってる季節だし、今から採りに行ってお菓子作れば、お母さんも仕事帰りに食べれるし」

「うん……良いかも! 疲れて食欲無くてもゼリーなら食べられるだろうし!」

方針が決まり、帽子を被って森へ向かうことにしたソフィーとティオ。そしてフォレストクエンを探す人員として、ベリルとルベウスも召喚した。

「それじゃあ、出発!」

「おー」

「「ピーッ」」

タオレ荘近く、街の中にまで侵食している森林は、日光を遮る格好の遊び場だ。猛暑の日照りに弱い白い肌を持つソフィーとティオには非常にありがたい環境で、木々を吹き抜ける風の涼しさもあって、日中は此処で過ごすことも多い。

「去年……どこで見かけたっけ?」

「確か……こっちだったと思う」

この森は今よりも小さい頃から見知った庭のようなものだが、いかんせんそれなりに広い。初めて入った子供なら問答無用で迷子になるくらいには広い。故に街壁が見える場所から奥へ進まないというのが暗黙の了解で、街壁の内側に生えているフォレストクエンの木を探し始める。

去年の夏の記憶を頼りに、ソフィー主導で行動を開始し始めた二人と二羽。街の外へと通じる森と言っても、冒険者という天敵が多くいる街に魔物のような危険生物が森に生息したことなどこれまで一度たりともない。せいぜいゴブリンが一匹が盗みの為に近寄ってくる程度だが、今年の春辺りにとある冒険者の手によって辺境周辺のゴブリンの巣は全て根こそぎ滅ぼされているらしい。

だから辺境の子供たちは安心して森を駆けまわっているのだが、今日に限ってはなんだか雰囲気が違うと、ティオは漠然と感じていた。

「……?」

「どうしたの? ティオ」

「ん……何か、森の中に居るような気が……?」

自分でも何故そんな違和感を感じているのか説明がつかないが、強いて言うなら誰かに見られている……そんな何処か気味の悪い感覚がティオの本能に警告を告げていた。

「私はそんなに気にする必要ないと思うけど……他の子たちが遊びに来てるだけじゃないの?」

「そうなのかな……? そうなのかもだけど……んー」

何か釈然としない不安を抱えるティオを見て、ソフィーは仕方ないと言わんばかりに薄い胸を張って手を差し伸べる。

「しょうがないなぁ。ほら、お姉ちゃんが手握ってあげるから」

「いや、そういうのは間に合ってるから」

お姉さんぶろうとしたらバッサリと辞退されて項垂れるソフィー。そのまま違和感を感じながらも、さっさとフォレストクエンを摘んでタオレ荘に戻ろうという結論に至った二人は、更に森の奥へと進んでいく。

「あ! あった!」

「ん。ちゃんと生ってるね」

そして太い樹木の森が邪魔して建てることの出来ない街壁の延長線付近で、目当ての果実を見つける。駆け寄って一人一個ずつ摘んで帰ろうとしたその瞬間、無数の人間の腕がソフィーとティオの背後から忍び寄り、幼い体を雁字搦めに拘束する。

「っ!?」

「あ、危なっ!?」

という、鮮烈なイメージが先んじて(・・・・)二人の脳裏に叩きつけられ、左右に分かれて咄嗟に横へ逃げるように跳ぶと、つい先ほどまで彼女たちがいた地点を異様に長く伸びた無数の人間の腕の束が通り過ぎて行った。

「あっ!? 時計がっ!?」

いくつもの腕の内の一つの指先が掠めたのか、シャーリィを呼び出すための魔道具である懐中時計を首から下げるための紐を引き千切られ、二人そろって少し離れた場所へと落としてしまう。いざというとの防犯グッズの喪失により顔を青くするソフィーとティオ。そんな幼子たちの心境など踏み躙るように、化け物は卑しい笑みを浮かべてにじり寄ってきた。

「ティ、ティオ! あの人!」

「確か、お母さんの妹の……」

醜悪。その二文字が似合いそうな人間の手足を無数に束ねたような巨体で、唯一まともな首から上の美男の顔は二人は知らないが、その怪物の胴体に取り込まれているドレスを着た女は見覚えがある。

帝国との神前試合で新しい母になるのだと言われたシャーリィの妹、アリスだ。化け物の体から無数に伸びる指と腕がその肌と同化し、ドレスや金髪は乾いた血で汚れている。俯いてグッタリとしていることから生きていることすら疑わしい。

「ど、どうしよう……!?」

防犯グッズは取り落とし、目の前の怪物のおかげで拾いに行く足が動かせない。下手な動きをすれば攻撃されると、本能が体を制止しているのだ。その上、街への戻り道を塞がれるというオマケ付き。

正に絶体絶命。そんな幼気な少女たちを前にして嗜虐的な表情を浮かべた怪物……グランは人間の手足を束ねたかのような悍ましく太い両腕をそれぞれソフィーとティオに伸ばした瞬間。

「ピーッ!」

「ピィーッ!」

ベリルとルベウスがそれぞれの主を守るように立ち塞がった。巨大な怪物と鳥。たとえ精霊と言われても外見からは判別できないその頼りない構図に双子は咄嗟に二羽を庇おうとするが、青い隼と赤い鷹がその嘴を開くと、昼の明るさを塗りつぶすほどの光芒が収束される。

「「ピィーッ!」」

そして、一閃。嘴から一直線に解き放たれた青と赤の閃光が、グランの両腕を容易く消し飛ばした。