「――断るのじゃ!」

穏やかに告げられた直後、開口一番にそう叫んだのは何故かヒルデガルドであった。

しかも胸を張りながらの姿は無駄に偉そうであり、思わずソーマは溜息を零す。

「いや、何故貴様が答えるのである? しかも何故か偉そうであるし」

「だってアレの言葉じゃぞ? どう考えても胡散臭すぎるじゃろう。そもそも世界の管理はアレの管轄じゃろうに、何故ソーマが手を貸さねばならぬのじゃ」

どう考えても私的な思考が見え隠れするものの、言っていることには一理あった。

というか、正直ソーマも思ったことである。

素直に話を聞くには少々その言葉は胡散臭かった。

神であるということを疑っているわけではなく……むしろ、だからこそ、だろうか。

神の言葉を信じるとろくな目に遭わないというのは、古今東西共通した事実に違いあるまい。

「やれやれ……自分の言葉が信じてもらえない、というのは悲しいものだね」

「ふんっ……自業自得なのじゃ。とはいえ……それとは別に、貴様が何を企んでいるのかは聞いておくべきだとは思うのじゃがな」

「企むって……何のことだい? 彼にこの世界を救ってもらう必要があるということは……この世界に危機が迫っているということは事実だよ? もちろんそれは、ボクが何かを企んだ結果引き起こされることでもないしね」

「ふむ……世界の危機、であるか」

随分と大きく出たものではあるが、相手は何せこの世界の神だ。

一概に否定出来るものでもなかった。

「具体的にはどういったものなのである?」

「ソーマ……? そやつの戯言に乗ってやる必要はないと思うのじゃが……」

「企みを聞いておいた方がいいと言ったのは貴様であろう? 何をどう判断するにしても、まずは話を聞いてみなければ判断することも出来んであろうよ」

「むぅ……それはそうなのじゃが……」

「ま、動機は何でもいいさ。話を聞いてくれさえすれば、キミ達は確実に無視することは出来ないだろうからね」

「そう言われると途端に聞く気が失せるわけであるが……それにしても、『達』であるか」

「うん。まあ、おそらくキミは既に薄々察してはいるだろうけど、キミを五日も待たせたのって実はヒルデガルドが来るのを待ってたからなんだよね。もっと直情的にここに来るかと思っていたんだけど……意外とそうじゃなかったんだね?」

「意外とはどういう意味なのじゃ……! というか……我を待ってた、じゃと?」

「そうだよ? これからキミ達にしようとしているのは、そういう話だからね」

厄介ごとであろうことは、それこそ最初から分かりきっていたことである。

ゆえに特に慌てるようなこともなく、早く話せとばかりに視線を向ければ、ソレはそうこうなくっちゃとばかりに笑みを深めた。

「ぬぅ……? 何やら貴様ら目と目で分かり合う、みたいな雰囲気を醸し出してる気がするのじゃが……?」

「気のせいであろう。それで? どういうことなのである?」

「そうだね……とはいえ、話すと言っておきながらもどこから話すべきか結構迷うんだけど……まあ、最初から話しちゃうのが無難かな。うん、というわけで――実のところこの世界はとっくの昔に滅んでいるはずだったんだ、と言ったらキミは信じるかな?」

「滅んでるはずだった、であるか?」

「うん、今から数百年前……もう少し厳密に言うならば、約五百年ほど前に、ね」

その言葉でソーマがピンと来たのは、幾度かそれ関連の出来事に関わったことがあるからだろう。

具体的な年数までは知らなかったが、数百年前というのは何度か聞いたことのある言葉であり――

「ふむ……つまりは、邪神によって、ということであるか?」

「さすがだね。そう、この世界は本来邪神……狂って堕ちてしまった神の手によって、滅ぼされてしまうはずだった。けどそうはならなかった。他ならぬその邪神自身が、世界が滅ぼされるよりも先に討たれちゃったからね。とある英雄達の手によって」

「ふんっ……英雄達の手で、とは、よく言ったもんなのじゃな」

「それはどういう意味かな?」

「そのままの意味なのじゃ。我もその話は聞いたことがあるのじゃが……確かその英雄達は、突如この世界に現れた、という話だった気がするのじゃが?」

「そういえば、我輩も聞いた覚えがあるであるな。邪神を討った英雄達は異世界人だったとかいう話であったか?」

そう言って視線を向ければ、ソレは正解とでも言いたげな笑みを浮かべた。

世界を滅ぼすほどの存在である邪神が暴れている時に、それを止める力を持った人物が、偶然異世界から現れる。

そんな都合のよすぎる偶然が起こってたまるか、ということだ。

「ボクはヒルデガルドとは違って、この世界を管理するためだけに産まれた神だからね。この世界と完全に一心同体だから、この世界が滅びればボクも滅びてしまう。神だって死にたくはないんだから、最善の手を打ったまでのことさ」

「そこまで言うのであれば、貴様自身が何とかすればよかったじゃろうに。二柱しかいなかったということは、力は同等だったのじゃろう?」

「ボクも出来ればそうしたかったんだけどね。生憎と戦闘系の権能は全部彼女の方の管轄だった上に、根本的に無理だったんだよ」

「根本的に無理……? まさか攻撃することが出来なかった、というわけでもないであろう?」

「いや、実はそのまさかでね。言っただろう? 僕はこの世界を管理するために産まれた存在だ。管理する対象に害を与える権限は与えられておらず……堕ちてしまっていようとも彼女もまた管理する側の存在だからね。攻撃するどころか傷一つつけることすら出来なかったのさ」

「うん? それだとおかしい気がするのじゃが? ならば邪神も同様に、管理するべき世界を殺すことなど出来ぬはずじゃろう?」

「そのはずなんだけど……多分彼女は違ったんだろうね。堕ちたからではなくて、きっと最初から世界を壊すための権限が与えられていた」

「それは何のためにである? まさか世界が自殺するために与えたなどというわけではないであろうし……」

「いやー……実はその通りなんだよね」

「……は?」

「世界は自殺するために、彼女にそんな権限を与えていたのさ。ついでに言うのであれば、彼女が狂って堕ちてこの世界を滅ぼすことまで含めて、全て規定路線だった。最初からそうなるように決められていた、というわけだね」

「誰にである?」

「――もちろん、世界にさ」

それはソーマにとって今一つ納得することの出来ないものであったが、どうやらヒルデガルドにとっては違ったらしい。

何かを納得するように頷いていた。

「なるほど……それを世界は自らの運命と定めた、というわけじゃな」

「まあ、キミには分かりづらいかもしれないけど、世界っていうのは割とそういうものでね。辿るべき可能性の最も高い未来を予め予測しておいて、その通りに動こうとするんだ。その果てに自身の滅亡が待っていようとも、気にすることなくね」

「ある意味それが最も自然だということじゃからな。そして世界が不自然なことをしてしまえば、その影響がどこまで及んでしまうのかは分からんのじゃ。だから我らはそれを運命と呼び、その通りに従うことを是とするのじゃが……」

「ま、ボクは色々と特別だからね」

そう言っておどけたように肩をすくめたものの、実際話を聞く限りではその通りなのだろう。

それがどういう意味でかはともかくとして。

「ふむ……まあ何となく分かったではあるが、しかしその話がどうかしたのであるか? 言ってしまえば五百年前のことであり、邪神が討たれたことで世界の滅びは去ったのであろう?」

「いや、実は去ってはいないんだよ。確かに要因となるべき存在はいなくなったんだけど……世界自身が諦めていないんだよね」

「ああ……まあ、そういうことならば、そうじゃろうな。運命とまで定めたのであれば、それは絶対に遂行すべきことなのじゃ。五百年が経っていようとも……というか、世界からすれば五百年なんて誤差の範囲じゃからな。世界からすれば失敗したから次に向けて動き出した、的な感覚じゃろう」

「そういうことだね。だけど前回同様、ボクは手出しすることは出来ない。だからキミ達を呼んだ、というわけさ」

話に矛盾はなく、確かにそれは納得できる話ではあった。

だが――

「それで、何故我輩達が呼ばれることになるのである?」

「というか、それだったら普通に呼べばよかったじゃろうが」

「ボクも出来ればそうしたかったんだけどね……そうすると、世界に察知される危険性があったのさ。キミ達をボクのところに呼び寄せるなんて、何か企んでいますって宣伝してるも同然だからね。まあ結局は変わらないのかもしれないけど、少しでも可能性の高い方を選ぶべきだろう? ああちなみに、キミ達を呼んだのは……キミ達にこの件を託すことにしたのは、まさに今言ったことが理由だよ。キミ達は世界に対抗することの出来る数少ない人物だからさ」

「それは、戦力的な意味……というわけではないのであるよな?」

「うん。他の人を、たとえばエレオノーラを選んだりしないのは、ボクが直接動かないのと同じ理由さ。どうにかしようと思ってもどうにも出来ないんだよ。世界が望んでいることに対抗するには、普通の人では不可能だからね」

「ふむ……確かに我は元神で龍人でもあるため、純粋にこの世界の人類とは言えんじゃろうしな。とはいえ、ソーマは肉体的には普通にこの世界の人類じゃろう?」

「むしろ彼の方が重要なんだけどね。本当の意味で対抗出来るのは彼だけだろうし。魔王――世界の反逆者と世界に認められたキミでなければ、ね。何故ならば、キミこそがこの世界を滅ぼすべく世界に選ばれたのだから」

「……我輩そんなことをしたいとか思ったこともないであるが?」

「まあそこら辺は色々と理由があってね。追々説明していこうかと思ってるんだけど……その前に、ボク達に協力してもらえるか聞いてもいいかな? キミだからこそ、その気もないのに色々教えちゃうと問題が出る可能性があるからね。ああ、もちろん協力してくれるなら、相応の報酬を支払うと約束するよ?」

「ほぅ……? 強制ではないのであるか? 協力しなければ死ぬことになるのだから、とか言われるとでも思っていたのであるが」

「まさか。それじゃあ悪神じゃないか。ボクは善良な神だからね。望まないことを無理強いすることはないし、そして働いてくれた者にはちゃんとした対価を支払うのさ」

どの口が言うのじゃ、などとヒルデガルドが呟いたものの、それは華麗にスルーされた。

笑みを浮かべたまま、それでもその瞳には真剣そのものの色を乗せ――

「ボクはこれでも神だからね。大抵のことは出来るし、大半の願いならば叶える事が可能だ。たとえば――魔法を使えるようになるとか、ね」

さあ、どうかなと、問いかけてきたのであった。