昼休みが終わり、始まった五時間目の授業は、やはりと言うべきか特に何事もなく過ぎていった。

そのまま終わり、ただ、その後の休み時間に関しては、今までとは少し違うこととなっている。

アイナの席に級友達が群がる事がなくなったのだ。

アイナの様子に変化があったわけではなく、単に昼休みのことを鑑みてのことだろう。

転校初日から質問責めにしては疲れて当然だということに、ようやく気付いたらしい。

まあ、実際アイナが本当にあの程度のことで疲れていたのかは疑問ではあるが、そうして皆は気遣うようになったのである。

結果、本日初めてソーマの隣の席は賑やか過ぎる状況から解放されたというわけであった。

もっとも、賑やか過ぎなくなったというだけであって、賑やかであることに違いはないのだが。

「質問責めはなくなりましたけれど、それでもアイナさんが大人気ということに変わりはないんですね……」

「まあ、転校初日であるし、質問をしなくなったとしても話したいことは色々とあるであろうしな」

「それって結局あまり変わっていない気がするのですけれど?」

「いや、一応気を遣いながら話しているようであるし、違いはあると思うであるぞ?」

そんなことを話しながら、次の授業の準備を進めていると、ふとフェリシアから何か言いたげな視線を感じた。

視線を向け、首を傾げる。

「ふむ? どうかしたのであるか?」

「いえ……その、気のせいかもしれませんけれど、アイナさんと何かありましたか? 昼休みの終了間際に戻って来た時もそうですけれど、今も何となくアイナさんはソーマさんのことを意識的に見ないようにしているように感じるのですけれど……」

「ほぅ……」

よく見ているものだと、感心しながら呟きを漏らす。

確かに、昼休み以後、アイナは意識的にソーマのことを見ないようにしているようであった。

ほぼ間違いなく保健室から戻ってくる途中でした会話が原因なのだろうし、あるいはこうしてアイナの言ったことを気にする素振りすら見せずにフェリシアと変わらず会話をしているところにも思うところがあるのかもしれない。

ただ、へそを曲げている、というよりは、自分はもう知らないという意思表示のようなものだろう。

とはいえ、そのままをフェリシアに伝えるわけにはいくまいし――

「ま、ちと意見の相違があった、といったところであるかな。要するに軽い喧嘩のようなものであるし、そう気にするようなことでもないであるよ」

「そう、ですか……」

納得している様子ではないが、納得してもらうしかない。

フェリシアのことが原因だということを知ってしまったら、この少女が気にしないわけがないのだ。

それは本意ではなかった。

まあ、まだ何がどうなのかということは何も分かってはいない状況ではあるが……きっとその考えが変わることはあるまい。

そんなことを思いながら、一瞬こちらを睨みつけるように見つめてきた瞳に、軽く肩をすくめて返すのであった。

六時間目もやはり何事もなく終わり、そして今日の授業はそこで終わりであった。

結局授業そのものに変わったことはなかったということであり、授業そのものに関しては気にする必要はない、ということなのかもしれない。

とはいえ、まだ一日が終わっただけだ。

明日になったら何か起こらないとも言い切れないため、油断をすることだけは出来まい。

あるいは、そもそも今日眠りに就いたと思ったらあっさり夢から覚める、という可能性もなくはないが……まあ、ないと考えていいだろう。

既にソーマはこれが夢である可能性はほぼ捨てている。

夢であったのならば考えても仕方ないということもあるが、何よりもこの状況は現実感がありすぎた。

これで本当は夢だったというのであれば、現実でも常にこれは夢なのではないかと疑わなければならなくなりそうだ。

ともあれ。

「さて、では帰るとするであるか」

「そうですね……ソフィアさんからも、今日は出来れば早く帰ってくるように言われていますし」

「ふむ……」

その話は初耳であったが、そう口にする事がなかったのはフェリシアの表情を目にしたからだ。

どことなく照れたようなその顔に、ふとある予感が頭を過る。

今日はもしてかして、何か特別な日であったかと思い、直後に返答が頭に浮かぶ。

なるほどと思ったのは、フェリシアの表情の意味を理解したからである。

どうやら、今日はフェリシアの誕生日ということになっているらしかった。

ただ、十八歳の、という言葉が続けて浮かんだことに、首を傾げる。

高校の二年で迎える誕生日ということは、普通は十七の誕生日のはずだ。

ということは――

「シーラは日直であるか?」

しかし、浮かんだ疑問は一先ず脇に退けておいた。

疑問の一つや二つが増えたところで、今更だ。

どうせ後で纏めた考えなければならないのだから、これもその時についでに考えるので問題あるまい。

それに、本来のフェリシアは一歳どころでなく年上なのだ。

ならばこの状況で一歳程度年上だからといって、どうということがあるはずもなかった。

「そうですね……お昼には特に何も言っていなかったですが……一応シーラの教室に寄ってみますか?」

「ふむ……そうであるな、それほど手間がかかるわけでもないであるし」

本来朝もシーラが一緒だったようなので、帰りもそうなのだろうと思って言ってみたのだが、やはり正しかったらしい。

そしてシーラが何年何組であるのかは、会話の途中で調査済みだ。

一年七組らしく、二階の階段脇の教室である。

ほぼ帰り道の途中と言っていい位置にあるため、途中で寄るのは何の問題もなかった。

既に帰宅の準備も終えているため、あとは本当に帰るだけである。

しかしそうなると必然的にアイナの席の後ろを通ることになるわけだが……アイナは自分の帰り支度に集中しているかのように、こちらへは視線一つ向けることすらない。

フェリシアがそんなアイナとソーマのことを心配そうな顔で交互に眺めているが、こればかりはどうしようもないことだ。

心配ないとばかりに苦笑を向けると、そのままアイナの席の後ろを抜け――

「ではアイナ、また明日なのである」

「……ええ、また明日」

返答があったことには少し驚いたが、さすがにその程度は取り繕うということか。

そのことにフェリシアは少し安心したようで、安堵の表情を浮かべながらアイナへとまた明日と挨拶を口にしていた。

アイナも挨拶を返し――それに紛れさせるように、小さな声が耳に届く。

「――今夜、気をつけなさい」

それは間違いなくアイナの声で、だがその時には既に自分の帰り支度へと戻っていた。

おそらく今の声量から考えるに、自分にしか聞こえてはいないだろう。

間違いなく意図的にそうしたものであり、だからこそソーマも何事もないかのように歩みを続ける。

帰り支度までやる気なさげな伊織にも挨拶を告げ、教室を後にし……去る間際、教室の中へと向けた視線の中で、アイナはジッとこちらのことを見つめていた。

その視線の強さは、まるで本当にこれが最後だとでも言いたげであり、だがソーマは小さく肩をすくめる。

どうやら今夜何かが起こるらしい、ということは分かったものの、逆に言えば分かったのはそれだけだ。

何も分かっていないのと大差はなく、ならばソーマの対応が変わるわけもない。

まあ、何だかんだ言いながらも、アイナがこちらのことを気に掛けてくれているということも分かってはいる。

だが、それはそれだ。

アイナの言った言葉は頭の片隅に置いておきながら、自分は自分のしたいようにするだけである。

未だ見つめてくるアイナの視線を感じながらも、ソーマはフェリシアと共に帰宅の為に足を進ませるのであった。