学院の授業というものは、基本的に受けるものは決まっているが、完全に強制されているというわけではない。

朝から放課後までびっしりと授業が埋まっているのではなく、週に二、三回程度ではあるものの、自分で予定を定められる時間というものが存在しているのだ。

その時間は訓練場に行っても構わないし、授業の予習・復習をやっても構わないし、学友達との雑談に費やしても構わない。

極論を言ってしまえば、何もしなくても、寝ていてすら問題はないのだ。

何をして過ごすのかは、完全に生徒の手に委ねられている、ということである。

これは王立学院という、低学年の者でも比較的早熟な者が多いからこそ出来ることなのだろうが……まあ、そういったことはいいだろう。

ともあれ今日のその時間に、ソーマはとある場所へとやってきていた。

それは訓練場の一角であり、ただし放課後にやっているような実験じみた真似をしに来たわけではない。

どちらかと言えば剣術の授業を受ける際のそれに近く……端的に結論を言ってしまえば、斧術科の実技にお邪魔しに来たのであった。

何をしても構わないというのは、他の学科の授業に行っても構わない、ということなのだ。

勿論本気で邪魔をしに来た場合はつまみ出されるが、単純に参加するだけであればそれは許されている。

ちなみに斧術科の実技であった理由は、ちょうどこの時間にやっていたというのは当然だが、それ以上にやはりカミラがその授業を担当していたというのが大きいだろう。

というか、ほぼそれだけが理由のようなものだ。

剣術科も、実技の選択で剣術を選んでいなければ候補としてあったかもしれないが、選んでいた以上今回は除外である。

というのも、今回ソーマがわざわざ他の学科の授業へとお邪魔に来たのは、気分転換のためだからだ。

別に何があったというわけでもないのだが、ずっと同じことをやっていたらそのうち飽きてしまうかもしれない。

その回避の為、ということであった。

ともあれ。

「さて、んじゃ今日も始めるとすっか。っと、ああ、ちょっと見慣れないやつがいるかもしれないが、気にすんな。ただのかかしだとでも思っとけ」

「先生、さすがにかかしは酷いと思うのであるが?」

「人の授業に気分転換のために参加していいかとか言い出すような馬鹿はかかしで十分だろ。それじゃ、いつも通り始め!」

ソーマの抗議は華麗にスルーされ、そうして授業が始まってしまったわけだが、ソーマがそこで首を傾げたのは、いつも通りとか言われても当然のように分からないからだ。

だがそれは周囲をしばらく観察していればすぐに分かった。

思い思いにペアを組み、それぞれが僅かに間合いを取りながら得物を構える姿を見れば、その推測は容易である。

つまりは、模擬戦ということだろう。

厳密にはそこまでしっかりしたものではないのかもしれないが、まあ似たようなものなはずだ。

そして同時に、なるほどと頷く。

斧術科の実技はこうして行われているのかと、そう思ったからだ。

剣術の授業も似たようなものと言えば似たようなものだが、あっちは主にリナが直接指導し鍛えるパターンである。

その後に互いに打ち合ったりもするが、それはそこで教わったことの確認であったり試しであったりするので、この授業の趣旨とは明確に違う。

この授業のそれは、どちらかと言えば――

「ふむ……相手を客観的に見て、そこからの指導であるか。しかも、数十人という数を同時に見ての。……以前から思っていたことではあるが、先生はやはり先生としての資質がかなりあるであるな」

「お褒めにあずかり恐悦至極、とでも一応言っちゃあおくが、何でおまえは他人事なんだよ」

「いや、実際他人事であるというか、指導を受けようにも不可能であるし?」

それはソーマが斧術を使う事が出来ないとか、それ以前の問題だ。

この授業にはまず前提として、相手が必要なのである。

しかしソーマ以外の者は早々に相方を決めてしまい、他に余っている者はいない。

つまり。

「ふーむ、これが噂の、はーい、二人組作ってー、からの即死コンボであるか。まさか我輩が引っかかるとは思ってもみなかったのである」

「何処で噂になってんだよ何処で。とはいえ、これは確かにちと困ったな……適当なとこに混ぜるにしても、私のとこの生徒をそう簡単に壊されちゃあたまらんしな」

「先生、さっきから妙に失礼な気がするのであるが?」

「おまえの普段の行いのせいってことだろ。……ま、余ってないってんなら仕方ないな」

そう言うと、カミラはおもむろに背中から得物を引き抜くと、構えた。

その先に居るのは当然のようにソーマであり……それにソーマは首を傾げる。

「先生……?」

「おいおい、分かってるくせにとぼけるんじゃねえよ。仕方ないから私が相手をしてやろうってんだろ?」

「生徒達のことを見なくていいのであるか?」

「それも大事だが、生徒を放っておく方がまずいだろ? それに今日は幸いにも、講師は私一人じゃないしな」

「ふむ……」

確かにその場を見渡してみれば、明らかに生徒ではない者が二人ほど、混ざっていた。

多分そうなのだろうと思ってはいたが――

「いいのであるか? おそらくは講師になったばかりの先生を評価しにきたのであろう?」

「別におまえとやり合いながら、周囲の観察もすればいいってだけのことだ」

「……ほう? 随分と我輩舐められたものであるな」

「おまえが剣を使うっていうなら、確かにそんな余裕はないがな。だがこれは斧術の授業だぞ? おまえも斧を使う必要があるし……確かおまえ、斧は使った事がないって言ってたよな?」

その言葉を聞きながら、ソーマは自らの手元へと視線を向けた。

そこに握られている得物は、使い慣れたものでなければ、そもそも剣ですらない。

この授業が始まる直前に渡された、斧であった。

剣の道を究めるにあたり、幾つか他の武器に触り使ったこともあるソーマだが、確かに斧は使ったこと自体がない。

そのことはカミラにも話したことはあったが、どうやら覚えていたようである。

だが。

「ふむ……まあ、先生がそのつもりだというなら、こっちとしては望むところなのである。今のところ、我輩の一敗なわけであるしな」

「それまだ覚えてやがったのか……ったく。ま、だがこれで二敗目だな」

「ふんっ……五分に戻してみせるのである」

そんなやり取りをしながら、ふと、ソーマは違和感にも似たものを覚えていた。

というのも、カミラはあれ以来何だかんだ言いながら、どんな形であれこうしてソーマと立ち会ってくれたことはなかったからだ。

しかし今回はカミラから、積極的に構えすらした。

そこに違和感のようなものを覚えたのである。

とはいえ正確に言うならば、それは多分変化なのだろう。

何が理由なのかは分からないが、カミラは何故かあの頃よりも変わり、こうしてソーマとまたやり合ってくれるようになったのだ。

そこに違和感があるのは、単に以前との違いに慣れていないというだけのことであり、悪いことではない。

いや、むしろ望ましいとすら言えるだろう。

何せソーマはこれでも、結構負けず嫌いなのだ。

あの時の雪辱を果たせるというのならば、例え得物が何であろうと、やらない理由がなかった。

それにこれは確かに斧であるが、剣と同じように刃がついているのだ。

ならばこれもある意味では剣と言えるのではないだろうか?

そう思えば、何となく問題なく使えるような気がして来た。

「……なんかはやまったっつーか、嫌な予感がしてるんだが……?」

「気のせいであろう。さてそれでは、我輩達もやるとするであるか」

「……ま、そうだな。それじゃ、やるか」

その言葉を合図に、僅かに距離を取り、互いに構え合う。

そこからさらなる合図は、必要ない。

ほんの少しだけ、重心を落とし――

――剣の理・龍神の加護・戦意高揚:縮地。

直後ソーマはカミラへ向けて、全力で地を蹴った。

激しい音が鳴り響いていた。

それは聞き慣れたものであり、高揚すら覚えるものだ。

新任の講師が行っている授業を、二人の講師はその音を聞き、光景を眺めながら、頷いていた。

「初々しいやり取りというのも、たまにはいいものですな」

「ああ。自分達にもこんな頃があったなと思い出せる上、これから先何処まで伸びるのだろうと、思いを馳せることも出来るからな」

そんな会話を交わす二人は、斧術科の中でも古参に位置する講師である。

担当する生徒達は基本中等部以降となっており、そこまでいけば皆ある程度完成されてしまう。

あとはどれだけ自身の技量を、スキルを伸ばせるかという段階であるため、こんな光景を作り出すことはほぼないのだ。

それでもかつて似たようなことをやっていたこともあり、自然とその頃のことを思い出してしまう。

しかしそこで自分達が何を考え、口にしていたのかに気付いた一人が、その口元に苦笑を刻んだ。

「っと、これではまるで私達が年寄りのようですな」

「……確かにな。寄る年波には勝てないとはいえ、若い気持ちだけは捨てたくないものだ。もっとも……気持ちだけでは、どうにもならないものもありそうだが」

「ですな。……正直、現役の頃でさえ、私はあのどちらともまともに打ち合える気はしませんよ」

「なに、それはこちらも同じことだ」

その場を見回していた二人の視線は、いつしかそれが当然のように、一箇所へと集まっていた。

それはこの場に存在している中で、最も激しい音を響かせている場所だ。

相対しているのは、自分達が見に来た新任の講師と、一人の少年である。

「やろう……斧使ったことないなんざ、よく言ったもんだな。っていうか、おまえそれ剣技だろ!?」

「いや、本当のことであるし、それに斧で剣技を使ってはいけないという決まりはないのである」

「決まりがあるとかないとか以前に、普通は出来ないんだっつの! ったく、相変わらずのこの規格外は……!」

話によれば、講師の方は上級の斧術スキルを持っているそうだ。

中級でしかない彼らでは及びもつかないその動きは、確かにそれを納得させるに十分であり……だがやはり驚きなのは、少年の方だろう。

何せその講師に追いすがるどころか、徐々に押してすら居るのだから。

周囲の者達もそれを意識してか、次第にその動きは緩慢になり、やがて魅入られたかのように、止まった。

二人の挙動を一瞬たりとも見逃すまいと、ジッとその光景を見つめる。

本来であればそれは、注意すべきことだ。

だが彼らがそれを注意しなかったのは、自分の授業ではなかったことと、彼らもまたそれより二人の動きを注視していたかったからである。

とうに現役を退き、身体は劣り技のキレすら鈍り始めて来てはいるも、決して向上心を失ったわけではないのだ。

「ううむ……これはまた、金でも取れそうな光景ですな」

「確かに。出来るならば、武闘大会の開会式あたりにでもやって欲しいものだ」

「いやいや、それは逆に、その後の大会が色あせてしまうのでは?」

「だがかといって、閉会式にやったらそれまでのものを台無しにしてしまいそうだぞ?」

「……惜しいですな」

「ああ、実に惜しい……」

そんな言葉を交わしている間も、その光景はより激しさを増していた。

普通斧同士の戦いというのは、どうしても大味となってしまうものである。

元々斧術というのは基礎スキルの中では火力が最も高いこともあり、手数ではなく一撃の威力を求め、高める傾向にあるからだ。

しかし目の前のそれは、そんな常識など知ったことかとばかりに、激しい音を幾度も重ねている。

決して一撃が軽いわけではないのはその音からも明らかであり、だが同時に数もを生み出しているのだ。

さらには、足捌きの鈍さを揶揄されることも多い斧術使いだが、二人のそれはやはり常識を外れている。

ある意味では斧術使いらしくないほどに動き回り、しかし放たれる一撃一撃は、誰よりも斧術使いらしい。

それは出来ればずっと見ていたいような光景ではあったが、同時にそれは無理だろうということも分かっていた。

明らかに少しずつ、形勢が傾いていっているからだ。

まるで今までの動きが準備運動だったかのように、或いは、ようやく慣れてきたと言わんばかりに、少年の動きが講師のそれを上回り始めていた。

そして。

「……いや、本当に惜しいな」

一際大きな音と共に、一つの斧が宙を舞った。

ついに決着がついてしまったのだ。

何となくその後を視線で追いながら、講師の一人は呟き、その後で視線を下ろす。

そこでは嬉しそうにしている少年の姿と、悔しそうにしている少女にしか見えない講師の姿があった。

それを眺めながら、もう一度だけ呟く。

惜しいな、と。

「……まったくですな。確かあの彼は、魔導科なのですよね?」

「らしいな」

その時二人の脳裏には、ほぼ同じ光景が過ぎっていた。

彼が成長し、自分達が彼に斧術を教えることになったら、というものである。

それはとても魅力的に思え――

「まあとはいえ、無理なことは言っても仕方がないな。二重の意味で、だが」

「……ですな。もし彼が斧術科だったのだとしても、正直教えられる気がしませんし」

「……ああ」

むしろ自分達が教えられる側なのではないだろうかと、そんなことを思いながら二人は苦笑を浮かべ、直後にその両手を持ち上げる。

惜しいのは確かだが、今見せられたものは間違いなく心を揺さぶられるようなものであった。

ならばそれを見たものがすることは、一つだ。

賞賛と羨望と、僅かに苦い想いを込めながら、二人は少年達へと、惜しみない拍手を送るのであった。