二つの背中が消えていった扉を見つめながら、エレオノーラは目を細めた。

それは扉の向こう側を見通そうとしているようにも、何か別なものを見ようとしているようにも見えたが……当然のようにそれで何かが見えるわけもない。

諦めたように視線を切ると、エレオノーラは隣の主へと顔を向けた。

「よろしかったんですの?」

「なーに、最初はあんなものだろうさ。自分が望むものを提示されたところで、それに慌てて食いつくのは足元を見てくれって言ってるようなものだからね。逆にボクは彼がそこまで迂闊じゃなかったことに安堵したぐらいだよ」

「そうですの……」

エレオノーラはその言葉に若干不満そうに唇を尖らせるものの、それ以上言葉を重ねるようなことはしない。

他でもない主の決定なのだ。

不満はあったところで、それに従うのは当然の義務である。

とはいえ――

「信じられない、かい?」

「あっ、いえ、サティア様のお考えを否定するわけではないのですが……その、正直……」

「協力してくれるとは思えない、か」

「……はいですの」

――サティアからソーマ達への嘆願の返答は、一時保留というものであった。

とりあえず少し考えたいとソーマは告げ、ヒルデガルドと共につい先ほどあの扉から出て行ったのである。

聖都に来たものの、まともに街を見ていないということで街の様子を眺めながら考えたいということであったが……そのまま帰ってしまったところでエレオノーラは驚くことはないだろう。

そのぐらいこちらに協力してくれる気がないように見えたのである。

「特にヒルデガルドさんは大分頑なだったように見えましたし……」

「ん? ああ……ヒルデガルドに関しては、実際にはそこまでではないよ」

「え、そうですの?」

「うん、頑なだったように見えてはいただろうけど、あれは半ばポーズだからね」

「ポーズ……?」

「彼からすれば何だかんだでボク達は初見の相手で、ここは敵地も同然の場所だからね。彼が拒否しやすいように、彼女は敢えて大袈裟なまでに否定のポーズを取っていたのさ。まあ私情も混じってはいただろうけど、無駄に言動が過剰だったのもそのためだね」

「そうだったんですの……」

基本的に観察に徹していたというのに、まるで気付かなかった。

これでは完全に『瞳』の名折れだ。

落ち込み溜息を吐き出していると、ふと苦笑を漏らされた。

「いや、キミが落ち込む必要はないよ。アレは見た目こそキミと大差ないけど、実際に生きている年月はキミよりも遥かに長いからね。まあ昔に比べると随分と人っぽくなったものだけど……五十年も人の間で揉まれるようにした甲斐があったってことかな? あの頃の彼女は、龍である自分が人と共に歩めるのかとか悩んでいたしね。そんな心配を今はしていないようで何よりだよ」

「……正直に言えば、それもまた不満ですの」

「うん? 何がだい?」

「あの方は間違いなくサティア様に恩があるというのに、それをまったく感じていないように見えるところが、ですの」

「ああ、それは仕方ないんじゃないかな? 嫌がらせだってのも嘘ではないしね。それに表には出そうとしないけど、アレで結構恩は感じてるとは思うよ?」

「表に出さなければ意味がありませんの……」

そしてだからエレオノーラは、彼女のことが嫌いなのだ。

偉大な存在だということは分かっているけれど、この『瞳』で見通すことが出来ず、その本心を知る事が出来ないから。

あるいは、それはある種の嫉妬なのかもしれないけれど。

「ま、ともあれ、彼女は実質的にそこまで問題じゃない。そもそも彼が同意さえすれば、彼女もなし崩し的に同意することになるのは目に見えてるしね」

「となると、あとは彼の判断次第ですの? ということは、思っていたよりも分は悪くなさそうですわね」

「いや……それはどうかな?」

「……サティア様の考えは違いますの?」

確かにソーマは乗り気という感じではなかったものの、それほど拒否的な反応を示していたわけでもなかった。

改めてしっかりと説明をすれば頷いてくれそうな気もしていたのだが……。

「彼はきっと身内に弱いタイプだからね。一度身内と判断した相手のことになると物凄く甘いけど、その分他の相手に対してはシビアだ。見知らぬ相手でも自分の手の届く範囲ぐらいならば助けようとはするだろうけど……敢えて手を伸ばすことはしないんじゃないかな。特に自分に優先すべきことがある状況では」

「……つまり、わたくし達を助けてくれる可能性は低い、ということですの?」

「彼は自分のことをよく分かってもいるからね。確かに彼の力は強力だけど、剣という起点が存在する以上は真の意味で万能にはなりえない。大事な人達を助けようとするならば、その近くにいるのが最善なのさ。そしてきっと、それでも世界の危機は救えてしまう。大勢の見知らぬ誰かの屍は周辺に転がっているだろうけど……彼の大事な人達は無事に済むだろう。彼の力ならば、一国を守るぐらいならばどうとでも出来るだろうからね」

「それは……」

何かを言おうとして、エレオノーラは結局口を閉ざした。

それはそれで、確かに一つの正解だからだ。

特にエレオノーラは、ソーマが自分達に協力してくれるとなった場合、どういうことをしなければならないのかということをほぼ正確に予測出来ている。

それを考えれば、自分の大切な人達だけを助けようとするのは間違いではない。

ただ――

「……それでも手を伸ばして欲しいと思ってしまうのですから、わたくしは勝手な人間ですわね」

「それはキミの美点でもあるとは思うけどね。なるべく多くの人を助けたいと思うのは、まあキミが『瞳』なのもあるかもしれないけど、キミの人間性の表れなんだろうとボクは思ってるよ」

「……ありがとうございますの」

「礼は必要ないさ。それと……多分キミの心配は杞憂で終わるだろうしね」

「……もしや、何か企んでいる、ということですの?」

「キミまでそう言うのかい? おかしいなぁ……ボクほど清廉潔白な神は他にいないと自負してるぐらいなのに」

確かに素晴らしい神であることは同意するところではあるのだが……エレオノーラですらもふとした拍子に眉をひそめてしまうぐらいには、正直この主は胡散臭さも兼ね備えているのだ。

その言動のせいであるのは間違いないので、嘆くぐらいならば色々と控えて欲しいのだが、それを口にすることはない。

恐れ多いだとかいうことではなく、単純に無駄だということを知っているからだ。

「ま、企んではいないけど、このまま彼が帰る事がないというのはほぼ間違いがないよ」

「……どうしてそう言いきれますの? 彼が魔王だから……というわけではありませんわよね?」

「正解ではないけど、間違いでもない、ってところかな? 魔王なんて呼び方をしてはいるけど、要するにそれはただの世界がつけた目印だ。それ以外の意味はなく……でも、目印であることに違いはないんだから……」

「彼の近くで何かが起こる可能性が高い、と……?」

「わざわざ勇者召喚なんてものにまで干渉した挙句、魔王の復活なんてことにまで手を貸してあげていたみたいだからね。その果てに見つけた候補者だ。世界が何もせずに見過ごす可能性の方が低いだろうさ。というか……そんなことがなくとも、どう考えても彼自身がトラブルを吸い寄せる性質を持ってるからね。今この近くは色々とアレだし、まあ間違いなく何かが起こるんじゃないかな?」

「……それは教えなくともよかったんですの?」

「聞かれなかったし、それに追々教えるとは言ったからね。それもその一つだってことさ」

そういうことを言っているから胡散臭い扱いされるのだが、言っても仕方のないことである。

二重の意味で。

溜息を押し殺しながら、エレオノーラは扉の方へと視線を向けた。

そこから去っていった二人の姿を探そうとするも、やはり『瞳』の力を使っても見つけることは出来ない。

それに色々な意味のこもった息を吐き出しながら、エレオノーラはせめて全てが良い方向へといってくれることを、隣に祈るべき対象がいるのを知りながらも願うのであった。