次の日。

クレアがいつもより早く王立学校の門に着くと、リディアが駆け寄ってきた。

「クレア様!もういらして大丈夫なのですか」

「ええ。ご心配をおかけいたしましたわ。素敵なお花とお菓子、ありがとうございました」

クレアは深々と頭を下げる。

竜巻の浄化にクレアが関わったことはあまりオープンにしないことになったが、大臣の娘であるリディアは事情を知っているようで、昨日クレアがレーヌ家に帰るとリディアからお見舞いの品が届けられていた。

花にはリディアが特別な細工をしてくれていて、部屋に一晩飾っただけでクレアの体力はすっかり回復したのだった。

「いえそんな。それよりクレア様、お時間がある時にノストン国のお話を聞かせてくださいな」

リディアが、聡明さを感じさせる微笑みをクレアに向ける。

相手が踏み込まれたくない領域を察して程よく距離を置いてくれるリディアの優しさは、ヴィークにも似たものがあった。

ヴィーク、リュイ、キース、ドニ、レーヌ男爵夫妻……。クレアがこの国で素晴らしい人ばかりに出会えているのは、パフィート国が大国たる所以なのだろう。

初対面の時、『北の方の出身』と微妙に嘘をついてしまったクレアは、今回の事件の後リディアはそれをどう思ったのかをとても気にしていた。

リディアも、それを察してクレアの登校を待たずにお見舞いの品を送ってくれたのだと思うと、今日は一刻も早くお礼を言いたい気分だった。

「リディア様……!もちろんですわ」

クレアはリディアの手をとり、両手でぎゅっと包み込んで答えた。

2人で歩いていると、目の前にニコラが現れた。

「ちょっ……と、クレア様!あな……た、パフィート国の、貴族じゃ、ないんですってね?……道理、で、知らない名前だ……と思った、わ!」

息を切らしている。

きっと、クレアを見つけてから相当な距離を走ってきたのだろう。

「ニコラ様、ごきげんよう。初めは『あの女』でしたのに、私の名前を憶えてくださるなんて……。光栄ですわ」

クレアはニッコリと微笑む。

「……今のは!!」

顔を赤くして、くるっと方向転換をしたニコラに取り巻きの令嬢たちがビクッと驚く。

そして、ニコラは何も言わずに走り去ってしまった。

「ニコラ様……お礼はっ。……リディア様、クレア様、失礼いたします」

令嬢たちは慌ててクレアとリディアに軽く会釈をしてから、ニコラを追いかけた。

「……何をなさりたかったのかしら……。それにしても、ニコラ様は最近ご機嫌斜めで大暴れなのよね……」

リディアがおっとりとした口調で言いながら首をかしげる。

「でも、どこか可愛らしくて憎めないお方ですわね……」

ニコラたちの後ろ姿を見送りながら呟くクレアに、リディアが頷く。

「その通りですわ。私、ニコラ様を見ると愛犬を思い出しましてよ。キャンキャンよく吠える、茶色くてふわふわのとても可愛い子なんですけれど」

「まあそれは」

「さすがにそれは不敬ではないか、リディア嬢」

2人が振り向くと、笑いをこらえるヴィークの姿があった。

「あら、殿下」

リディアはヴィークにカーテシーで挨拶をする。

「ニコラも事情を知っている。あれでも、王族の一員としてクレアに感謝しているはずだ。プライドが高すぎてうまく礼を言えないのであろう。わかってやってくれ」

ヴィークだけではなく、ヴィークの後ろに控える友人達も生温かい微笑みを浮かべていた。

恐らく、彼らもクレアやリディアが感じているのと同様の感情をニコラに向けているのだろう。

クレアは頷いた。

「そもそも、父からニコラ様の最近の不機嫌の理由は殿下だと聞いておりますわ。しっかりお相手してあげてくださいませ」

リディアが澄ました顔で答えると、余裕そうに振る舞うヴィークの肩がぎくっ、と固まったように見える。

面倒ごとを避けたいリディアは普段ほとんどヴィークに話しかけることはないが、ヴィークとリディアは幼馴染で仲が良く、冗談を言い合える仲だ。

(……?)

「クレア、あまり無理はするなよ」

ヴィークはリディアの問いには答えず、クレアに気遣うと行ってしまった。

(……どうしたのかしら)

クレアは、その不自然さに目を止めた。

「クレア様、来月、王宮で夜会が開かれるという話をクレア様はご存知でしょうか」

ヴィークが十分に離れたことを確認した上で、リディアが急に小声になる。

(国王陛下がそのようなことを仰っていたような……)

「ええと、少しだけですが聞いた記憶がありますわ」

「父から聞いたのですが、どうやらヴィーク殿下のお妃探しの夜会のようですわ」

「……お妃」

クレアは、自分の声が上ずったのが分かった。

「殿下のいとこにあたるニコラ様は令嬢の招待名簿に載せてもらえないそうで、荒れているともっぱらの噂ですわ。正式には参加資格自体はあるのですけれど、殿下が拒んでいると」

クレアは、遠ざかっていくヴィークの背中を見つめる。

世界が揺れているように感じるのは、自分が歩いているせいなのだと思い込もうとした。

「……そもそも疑問なのですが、殿下に婚約者はいらっしゃらないのでしょうか?」

クレアは、ずっと疑問に感じていたことを聞く。

「ええ、いらっしゃらないですわ。この国でもノストン国と同様に、貴族子息にはだいたい婚約者がいるものですが……ヴィーク殿下の評価は幼少の頃から国内外ともに、非常に高いですから。令嬢リストから容赦なくニコラ様をはじくのを見ても分かる通り、ふさわしくない女性や家柄の方は選ばないと国王陛下も確信しているのでしょう」

「なるほど、殿下でしたら納得できますわ」

クレアは、動揺を悟られないように口角をあげて笑顔を作る。

「もちろん、すぐにご結婚とはならないはずですわ。結婚は早くても数年後。今は、来年の王太子への即位式に備えて、将来の足場固めを進めているだけですわ」

リディアは続ける。

「夜会には、恐らく私も招待される予感がします。というか、各地の王立学校に通う貴族令嬢が集まる会になるかと……。外から見ている分には楽しいのですけれどね……。私も憂鬱ですし、将来の国王という立場を考えて本当に愛する方をお側に置くことが許されない殿下もお気の毒ですわ」

クレアの瞳を遠慮がちに覗き込むリディアは、何かもの言いたげだった。

―――――

数日後。

レーヌ家に、王城から一通の手紙が届いた。

淡いグリーンのカードで、封筒の表とカードの内側にはクレアがヴィークから借りている懐中時計に刻印されているものと同じ紋章が付いている。

それはどう見ても、イザベラへの夜会の招待状だった。

「クレアお姉さま……これって……」

イザベラが、ぶるぶると震えながら言う。

「うん、ヴィーク殿下のお妃選びの夜会への招待状だね」

レーヌ男爵が極上のスマイルで答える。その笑顔には、有無を言わせない強引さが見て取れた。

「私、行きたくありません!国王陛下主催の夜会なんて、無理ですわ」

「大丈夫ですよ、イザベラお嬢様。私が作法などしっかりとお教えしますから」

泣きつくイザベラを宥めるクレアの前に、マリー夫人が割り込んだ。

「イザベラ。何も、未来の王妃の座をゲットして来いと言っているわけではないのよ。あなたは賑やかしで呼ばれたの!成金男爵家の娘として、しっかり役割を果たしていらっしゃい!」

「……お母様ぁ……」

レーヌ家では、イザベラの我儘は全く通らない。

こうして、イザベラはヴィークの妃探しの夜会へ嫌々出席することになり、クレアは家庭教師としてイザベラに作法や立ち振る舞いをみっちり教えこむことになった。