「ヴィーク、リュイたちはまだお仕事中かしら」

クレアは、さりげなく水を向ける。できれば、皆が揃ったところで話がしたかった。

「いいぞ、呼ぼう」

クレアの望みをすぐに理解したヴィークは、側近たちをクレアの部屋に呼び寄せる。クレアもディオンに戻るよう声をかけた。

彼はヴィークの指示通り、ロビー横のミニキッチンでゆっくり茶葉を吟味していた。

「お邪魔しまーす。わあ。離宮の部屋って結構広いんだね」

ドニがはしゃぎながら入ってくる。重くなりそうな雰囲気のときに、こうして明るく振る舞ってくれるのがドニらしい。クレアの話の内容を察知しているらしいキースとリュイも、特にドニを止めることはしなかった。

ヴィークにリュイ、キース、ドニ、ディオン。

全員が席についたことを確認して、クレアは切り出す。

「皆のことを急に呼び出してごめんなさい。話したいことがあって」

「うん。待ってた」

リュイの柔らかい表情に、クレアは背中を押される気がした。

「この前は、私の『逆行』の話を信じてくれてありがとう」

クレアの言葉に、皆が微笑む。温かい雰囲気を感じて、緊張で小さくなっていた心に勇気が灯る。

「私が逆行している理由は……このパフィート国と、故郷ノストン国の関係悪化を防ぐためなの」

「……どういうことだ」

ソファの背もたれに寄り掛かっていたヴィークが、身を前に乗り出す。

ヴィークは、クレアがある『悲しい出来事』を起点として逆行していることは認識していた。しかし、その『悲しい出来事』に国家間のことが関わっているとまでは想定外だった。

「この前、私がした話を覚えている? 私が……将来、パフィート国の盾になると」

「ああ」

「私は、今回はパフィート国に留学生として来ているけれど、逆行前の人生ではノストン国の王立貴族学院を追われた身だったの」

ヴィークたちが息を飲む気配がするが、クレアは気にせずに続ける。

「1回目の人生で、私は期待通りの魔力を目覚めさせられなかった。それで、家にも学校にも居場所がなくなって逃げてきてしまったの。でも、途中でヴィーク達に出会って、パフィート国に誘ってもらった。リンデル島で魔力を目覚めさせた後は、ある男爵家に間借りをして暮らしつつ、ヴィークの計らいで王立学校に通わせてもらっていたわ」

「そんな経緯があったのか……」

ヴィークは両手を組み、額にあてた。驚いている様子は伝わってくるが瞳に憐憫の色は見えず、クレアはホッとする。

「それで……あるときパフィート国の使節団に同行してノストン国を訪問することになったの。私が本来の魔力を目覚めさせていることを知ったノストン国王や父は、私をパフィート国に帰さないと言ったわ。でも、私は残ることを拒んだ。その結果、二国間の関係は悪化の一途。それで、やり直したいと思っていたら巻き戻ってしまったの」

クレアは起こったことをほとんど話したが、ヴィークと婚約していたことだけはどうしても言えなかった。

しかし、ヴィークとクレアの婚約を抜きにこの話を語るには無理がある。なぜなら、パフィート国は強大な力を誇る大国だ。いくら国の盾に成りうる力を持つとはいえ、たった一人の魔術師の存在と隣国との関係を天秤にかけるのは、どう考えても不自然だった。

「……話の全体像は何となく把握した」

ヴィークの人差し指が、彼の膝の上でトントン、と動いている。

クレアは、『来る』と思った。

「俺との関係は」

予想通りの核心を突いた、あまりにもストレートすぎる質問にクレアは目が泳ぐ。

「……今より、もっと仲がよかったと思うわ」

苦心の末、消え入りそうな声で言う。瞳を見つめて答えるのが、クレアの精一杯だった。

「……なるほど」

彼のエメラルドグリーンの瞳が一瞬大きく開かれた後、元の穏やかな色に戻る。

ヴィークには、その答えで十分だった。

クレアの答えにキースと目配せをし合っていたリュイが、口を開く。

「ほかには?」

クレアはこの先をどうしても言いたくなかった。しかし、悲しい未来を防ぐためには隠しておくわけにいかない。

それに、リュイのことだ。前回、逆行を証明するためにクレアが話した内容から既に察しているのは明白だった。

「……白の魔力を持つ私の妹のせいで、リュイが大きな傷を負ったわ」

「そっか」

リュイは顔色一つ変えずに答えたが、ヴィークたちの空気が少しぴりっとしたのを感じる。

「私は、未来を変えるためにここにいるの。でも、正直に言って規模が大きすぎる話で……。私一人では変えられないわ。だから、皆に力を貸してほしいの」

クレアは、頭を下げた。

クレアの緊張を解くように、ヴィークが自信たっぷりに言う。

「それは大丈夫だ。なんでも協力するから安心しろ。これは、パフィート国の問題でもあるからな」

「しかし、ノストン国にクレアの魔力を隠しておくわけにはいかないのか?」

キースが不思議そうにしている。

「それは……今から1年後ぐらいに史上最悪クラスの魔力竜巻が発生する予兆があって、私がそれを浄化することになるの。マルティーノ家の長女しか成しえないから、隠していても噂で知られてしまうと思うわ」

「魔力竜巻を、浄化」

リュイが驚きで目を見張る。

「……って、魔力竜巻が起きるのか!?」

「正確には、起きないわ。予兆で収められるから」

焦っている様子のキースに、クレアは穏やかな視線を送った。

「でも、それなら隠すんじゃなくて、今から少しでも友好的な関係を築いておく方がいいよね。そして、良きところでクレアちゃん貰いまーす、って……痛っ」

ドニの言葉を深読みしたリュイが、ドニの足を踏んだ。

ヴィークは少し考え込んでいる様子だった。

しかし、この友人達にはクレアを意思に反してノストン国に送り返すという考えは無いようだ。それがうれしくて、クレアはそっと俯く。

(私は、ここにいてもいいのね……)

「……以前から、少し考えていたんだが。『扉』を設置してもいいかもしれないな」

「扉……?」

思いもよらないヴィークの提案に、クレアは顔をあげた。

「それ、いいねー! ノストン国の王都ティラードでも遊べる! 異国の女の子!」

「ドニ、そんなことのために王宮の魔術師を消費するのはやめて」

楽しそうなドニをリュイが冷めた目で睨んだ。そして、話が理解できず困惑した表情のクレアに説明する。

「『扉』は、転移魔法の起点・終点となる場所のことだよ。設置するのに膨大な魔力と時間がかかるけれど、一度造ってしまえば行き来は楽になる。楽になるとは言っても、ウルツとティラードを一度行き来するのに、青の魔力を持つ魔術師の一日分ぐらいの魔力は必要になるけどね」

「そんなに便利なものがあるのね」

「ただ……防衛上のデメリットも多く、国家間では設置された例がない。しかし、今回のケースは扉があることで、ノストン国にいざというときすぐにクレアを呼び寄せられるという安心感を与えられるな」

「確かにな……。しかし、議会でその案を通すのは大変だぞ、ヴィーク」

キースは頭を抱えている。

「この案を通す見込みは……正直、無くはないんだ。当然、クレアとは別の口実で進めた上でだぞ。ただ、そちら側の事情にもタイミングがあってな。もう少し、待ってくれるか」

「ええ、もちろん。……皆、本当に、ありがとう」

クレアが逆行の原因となった出来事を話すのを怖がっていたのは、ヴィークとの婚約を知られるのが気まずかったからだけではない。

クレアは、あっさり『それなら留学が終わったら帰るべきだ』と言われることが怖かった。というより、心の底から4人を信頼している分、そこまでの関係ではないと気付かせられることの方が恐ろしかったのかもしれない。

「とにかく、クレアが心配しているような展開にはさせない。だから、安心しろ」

クレアの真向かいに座るヴィークは、真っ直ぐにクレアの心を揺らす。

彼の透き通った瞳は何でもお見通しだ、とクレアは思った。