「お前ら、心の準備はいいか……?」

「うん」

「……」

俺たちフリーライフの三人は、とある扉の前に立っていた。古い……とても古い扉だ。くすんだ木目に歴史を感じさせる扉に、俺たちは思わずたじろいでしまう。だが、今さら引き返すなんてことはできない。

特に、今日という日を待ち望んでいた優介とれんちゃんは、不退転の覚悟を持ってこの場に立っているはず。緊張こそすれ、引き返すなんて選択肢はあるはずはなかった。

「じゃあ、開けるぞ……」

「「……」」

俺たちの人生に大きな転機をもたらすかもしれない扉。それを開くのは、俺たちのリーダーである優介以外にあり得ない。無言で頷く俺とれんちゃん。それを受けた優介は、重厚な扉を、ゆっくりと……万感の思いを込めて、開いていった。

すると、扉の中から光が差し込んでくる。妖しげな……でも、心を浮き立たせるような光だ。そして広がる目の前の光景に、俺たちは少しの躊躇いを見せ……だけど、その場に長く留まることなく足を踏み出していく。

すると、緊張に固まっていた優介たちの顔が、徐々に朗らかになっていく……。

それもそのはず、扉を開いた先で待っていたのは……。

「「「いらっしゃいませぇ~♪」」」

ピッチピチな美人のお姉さんたちだったんだから。

「ねねね、レンジって何歳?」

「あぁ、今は十八だよ。もうすぐ十九歳だね」

「うっそ~! 私と同い年じゃな~い!? なのに、冒険者として成功してるなんて、すご~い♪」

「いや、そんなことないよ。仲間のおかげだよ」

「ううん、あたし、強い男ってわかるんだ。レンジ、すっごく強いでしょ? 頼もしいね……ね?」

「いやぁ、あはは……」

れんちゃんは、虎柄の猫獣人の娘(ミアリーって名前だそうだ)にしなだれかかられてご機嫌のようだ。

よく、男ばっかりとつるんで、女は嫌いなの? って誤解されるれんちゃんだけど、そんなこたぁない。普通に可愛い子が好きな健全男子だ。男同士のくだらないエロトークだってこなせますのよ?

「ねぇ、お兄ちゃんってどこの人?」

「とっても綺麗な黒髪……ゾクゾクする♪」

「俺か? 俺はジパング出身だよ。ふっふっふっ、珍しかろう?」

「わあ~! ジパング!」

「わかる~! オリエンタルな人だもんね♪」

「「気にいっちゃった☆」」

「いや、参ったな! はっはっはっ!」

優介は、双子のロリ淫魔、パムとパミに両脇を固められ、やたら高いフルーツを「あ~ん♪」されていた。

傍から見たらカモられているのが丸分かりなんだが、まぁ、本人が幸せそうだからあれでいいんだ。金なら、ダンジョンで見つけた財宝なんかを一つ二つ換金しておいたから、たんまりとある。

モテモテ体験と引き換えに、思う存分カモられても大丈夫……だよな? こういうところに来るのは初めてだから、どれだけ金がかかるのかよく分からない。この店を教えてくれたキリングは、「金貨五枚もあれば、三人揃っていい夢見れるぜ」って言ってたけど……まぁ、彼の言葉を信じよう。

「じゃ、貴大。俺はこの子と二階に行ってくるから」

「お~う、行ってらっしゃい」

「お、俺も……な? ちょっと行ってくる」

「あいよ~」

しばらく店の女の子やお姉さま方に囲まれてわいわい騒いでいたが、ようやくお相手が決まったのか、二人は二階へ……「お楽しみ」ができるベッドルームが並ぶ上階へ行ってしまった。そう、俺たちはただ女の子たちと楽しく酒を飲みに来たんじゃあない。俺たち……いや、優介とれんちゃんは、童貞を捨てに来たんだ。

十日ほど前、元の世界に帰るために必要なアイテムを全部入手した俺たちは、身辺整理を行っていた。いらんもんの処分とか、家の掃除とか……そして、後はお世話になった人への挨拶周りを残すのみとなった時、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、心残りが浮かんできたわけよ。

異世界に落ちてきて二年間、ただただ帰還の術を探して回るような日々が続き、この世界を楽しむということをあんまりしていなかったな、と。いや、旅のついでで観光なんかは楽しんだよ? でも、それはあくまでついで……頭をからっぽにして積極的に遊ぼうという気は、帰還という目的に圧し込まれてしまい、いまいち湧いてこなかった。

戻れるかも戻れないかも分からないままでは、不安が頭の端でチラついて、どうにも楽しみに浸りきれなかったわけだな。だから、この二年間は遊びらしい遊びをしてこなかったんだが……その間に溜まった欲求不満が、ここに来て一気に解放されたんだ。

それからは遊んだね……遊びに遊んだ。「モンスター・テイマー」が飼い慣らしたモンスターでレースをしたり、水精が波や流れを起こす屋内プールで泳ぎまわったり……親しい冒険者の連中を誘って、大宴会なんかも開いてみたりした。

楽しかった……これまでの、何かに追い立てられるような緊張感を持った日々の鬱屈が全て飛んで行きそうなほどに楽しかった。俺も、れんちゃんも、優介も、笑いに笑って、はしゃぎまくった。

でも、十日も経てばやることもなくなってきてさ。そろそろ、帰る準備をしようと荷造りを始めたところで……優介がぼそりと囁いたんだ。

「まだ童貞捨ててねえ……」

ってな。

優介が言うには、「元の世界に戻ったら、可愛い子とやれるかどうか分かんねえんだぞ!? バーチャルだったら簡単にやれるけど、リアルだったら難しいじゃん! ここには色街もあるし、もう、するっきゃねえだろ!」とのこと。

確かに、この世界は可愛い子が多い。しかも、獣っ娘や魔物っ娘など、バリエーションも豊富だ。俺たちの世界には、バーチャルでしかそんなのいないからな……優介の説得に動かされ、れんちゃんもその気になっていた。

でも、俺はそんな気にならなかった。

だってさ……こう、風俗とかで童貞捨てたら……負けたって感じがするんだよ。いや、何で負けになるのかはよく分かんないんだけどさ。こう、恋愛結婚で、お互い初めてがよくねえか? 俺はそう思ってんだが……と、伝えたところ、優介に「まぁ、気持ちは分かるが、それはそれ」って言われた。

そんなこんなで、二人に背中を押される形で、結局、色街まで来たんだけど……やっぱり、俺はしないってことにした。多感な時期だったんだな……いや、まだ二年ぐらいしか経ってないけれども。まぁ、妙に恥ずかしがって女も抱けないようじゃあ、まだ子どもだってことだ……いや、まだ童貞だけれども。

二人は、そんな俺を「まぁ、貴大らしいな」って言って笑ってくれたけど、どうやらお店の人……「黒揚羽」の商売女たちは白けてしまったようだ。二人が二階に上がったから、貴方もどう? と誘う煌びやかな女性たちを、「こういうことをするのは、愛がないと……」と断り続けたら、みんな他のボックス席に移動してしまった。

やたら潤んだ目で俺を見つめる淫魔のお姉さん以外はな。

ちびちびと慣れない度数の高い酒を啜ってはむせる俺を見て、「きゅん……!」なんて言ってる。何か、関わり合いになると面倒そうなことになりそう……そう思った俺は、擬音を口に出すなよ、と心の中でツッコミを入れながらも、その淫魔さんを無視していた。

すると、いきなり俺の隣に座り、体を密着させてくるではないか。どんだけ痴女だよ!? い、いや、こういう商売のお姉さんなら、これが普通なのか……? と混乱しつつも、思わずすっと距離を取った。これまで生きてきて、綺麗なお姉さんにここまで密着されたことなんてなかったからな。ちょっと恥ずかしかったんだ。

そして、何食わぬ顔で酒を啜る俺。足を組んで、丸い氷が入ったグラスを片手で揺らしてみたりする。「動揺してませんよー」ポーズだ。そんな俺を、お姉さんは不思議そうな顔で見つめている……うっ、なんだその顔は……! 何もかも見透かされているような……。

「……えいっ!」

「うわっ!?」

またも俺に密着してくる淫魔さん。今度はたわわな胸まで押し付けてくる。お、おのれ、サキュバス! 俺は弾圧には屈しないぞ!!

その後も、やたらと俺にくっつこうとするイヴェッタという名前の淫魔のお姉さんの猛攻を、二人が事を終えて降りてくるまで凌いでいた俺は偉いと思う。いやあ、十代の少年にあの柔らか地獄はきつかったよ……。

「ははは……もう、そのお姉さんと二階に上がればよかったのに」

「いや、れんちゃん、そうは言うけどな……」

「……お前は……意外に……シャイ……だよな……」

「優介、無理にしゃべろうとすんな」

その夜の明け方近く。俺はやることをやった二人と一緒に帰路についていた。れんちゃんはミアリー相手に楽しい時間を過ごせたようで、ロリ淫魔姉妹に絞り取られて骨と皮だけみたいになった優介も、なんだかんだで満足できたらしい。

ただ、優介は自分で立つこともままならないから、俺がおぶっているんだけどさ。今の優介は風が吹けば飛んでいきそうだ……淫魔って怖いなぁ。誘いに乗らんで正解だったわ。

「さ~て、優介が元に戻るまで何日か静養して……それからだな」

「うん……」

「……ああ」

そう、この世界でやるべきことはやった。色んな意味で遊んだし、もう思い残すことはないはず。そんな俺たちが、この世界でするべきことは……。

「みんなにお別れを言おう」

親しい者たちへのお別れ。

それだけだった。