シロは、事故死でアークレアへ来たと言っていた。

十年前だったら、まだ園児でもおかしくない歳だ。

それくらいの頃に、母を失い。

その原因に、暴力を振るわれ。

それでも、ずっと、来訪者を迎え続けてきたのだ。

母の後を継ぎ、案内人をやってきたのだ。

幸助が来た時、彼女はその自殺を止め、歓迎してくれた。

前世で不幸になったのだから、此処では幸せにならないとダメだと、言ってくれた。

一体、どんな気持ちで、その台詞を口にしたのだろう。

前世で不幸だったからと言って、善人とは限らない。

それは、幸助だって同じだ。

けれど、ライクはおそらく、その性格故に、幸福になれなかった。

それでも、不幸は不幸だ。

幸不幸の基準は、当人の中にしかない。

だから、ライクのようなものでも、転生は出来てしまうのだろう。

シロは、ライクに殴られた日のことを、覚えているだろうか。

きっと、忘れられはしないだろう。

なのに、そんな闇を、感じさせずに、彼女は笑うのだ。

屈託なく、花のように。

だから、これは幸助の自己満足だ。

シロが此処にいたら、幸助を止めるだろう。

そんな昔のこと、気にしてないとでも言うかもしれない。

でもさ、シロ。

俺が気にするんだ。

俺が、こいつを許せないんだよ。

【黒纏】にて甲冑と直剣を纏った幸助を、ライクが嘲笑う。

「防御姿勢。怯えの現れか? 私は丸腰だぞ?」

奴の背後から、複数の光条が放たれる。

複雑な曲線を描くその姿は、落雷を思わせた。

違うのは、天から地へではなく、中空から幸助へ向かっていること。

剣を振るい、【黒喰】を飛ばす。

しかし、その全てが光条に触れながら、弾けて消えた。

――あの一つ一つが、魔法具持ちクラスの“容量”を備えているッ!?

幸助は咄嗟に【黒葬】を展開。

防壁を出来る限り――間に合ったのは七枚――展開する。

ジュッ、ジュッという音が刹那に重なり、七枚目にて、止まる。

つまり、【黒喰】と併せて『黒』を七回浴びせることで、八回目にて捕食出来るレベル。

それを、小手調べに吐き出すのだから、英雄の称号は伊達じゃない。

「ははっ、ほらどうした! 攻撃をしてこないのか!」

最後の防壁が、薄紙の如く斬り裂かれる。

夕暮れ色の、剣によって。

細身に似合わぬ大剣だ。

だが考えてみれば、英雄クラスの来訪者がレベル50にもなれば、膂力は凄まじいことになっているだろう。

大剣を振るうくらい、木の棒を振るうのと変わらない難度に違いない。

「そら、男児なら、受けてみよ!」

回避不能。

幸助は通常よりも多くの魔力を込め、受け太刀を試みる。

幸い防壁のように刃が断たれることは無かったが、凄まじい威力に幸助は吹っ飛んだ。

絨毯の上を、転がる。

「すまなんだ! 先程の口上があまりに見事なものだったから、加減が必要な程弱いとは、露程も思わなくてなぁ!」

膂力だけではない。

速力も。

技力も。

幸助より断然上だ。

もちろん、パラメータは、全て。

だから?

「さて、ここまでにしておくかクロ! 貴殿の魔法は、灼光で貫けると判明したしなぁ!」

「お前は、相手によって、怒り方を変えるのか」

「……なに?」

「関係、無いだろ。相手が、金持ちの息子だろうと、将軍だろうと、英雄だろうと。自分の大事に思うものを、傷つけた奴が目の前にいるんだ。必要なら、力を溜めるさ。時間を置いて、策を練るのもいい。けど、お前相手に、それが必要とは、思えないな」

「どうやら、彼我の実力差を感じ取ることも出来ぬらしい」

瞬間、ライクの礼装が燃え上がった。

奴自身の意志によるものではない。

「な――」

「――【我が瞳に燃えろ[クラレス・フィルノ]】」

モルモルの魔法である。

三秒注視したものを、発火させる。

モルモルは近視であったが故に超近距離でなければ発動出来なかったが、幸助は違う。

『黒』のみを相手にしていると考えていたライクは、姿を堂々と晒していた。

燃やすのは容易い。

「あぁ、悪いね。その服高いんだっけ? まさか『暁の英雄』殿ともあろう方が、低難易度迷宮に巣食う魔物の魔法ごときに掛かるとは思いもしなくてさ。弁償してやるよ、いくら?」

「…………貴様の命で贖え」

「気ぃ短かいね、カルシウム足りてる?」

奴は地を蹴った。

直線的な疾走だが、速度が桁違い。

だが、それこそが狙い。

「【我が掌が黒を生む[クラハオ・ノアキース]】」

ケケラが使う、『掌で触れた部分から火柱を生む』【我が掌に燃えろ[クラハロ・フィルノ]】の“火柱”を“『黒』”に組み替えた魔法だ。

魔法は適性が無ければ、その成長率や自由度が極端に低くなると言われているが、幸助はクレセンメメオス戦にて『火』の適性を得ていた。

『黒』と混ぜることも、可能と考えたのだ。

奴は咄嗟に下がろうとしたが、ステータスが異常に高いからこそ、自らが生んだエネルギーは容易に相殺出来ない。

その僅かなラグによって、黒き柱はライクの右腕、その肘から先を呑み込んだ。

どこからか、悲鳴が上がる。

お遊びではないと、気付いてしまったようだ。

「貴ッ様ァアアアアアア!!!」

「うぇ、お前の肉不味いな。腐った牛乳みたいな風味」

捕食は味覚を刺激しないが、皮肉として言う。

「お前、戦場を焦土に変えるくらい強いんだろ? でもそれって、頭使う必要ないわけだ。なぁ知ってるか? 人間、使わない部分は、衰えていくんだぜ。それは筋肉も脳も、同じだ」

奴の顔には血管が何本も浮き、破裂せんばかりに隆起した。

顔面は鬼の形相、今にも火を吹きそうな程の紅蓮へと染まる。

「…………ならばッッ! 小細工など通じぬ圧倒的力にて葬ってやる! 私を愚弄した罪、地獄に落ちて償うがいい――【暁之訣[あかつきのわかれ]】!!!」

それを聞いて、逃げ惑う者さえ現れた。

「クロ殿! お逃げください! 都市一つすら破壊可能な戦略級魔法です!」

人の波に流されながら、プラスが叫んだ。

「お前、正気か?」

「私に恥を掻かせた貴様も、その目撃者も、全員殺す! 貴様の暴走を止めたと報告すればいい! 生きているのが私一人なら、どうとでもなる!」

「そんなのが、成立するわけねぇだろう」

「だったら!? 私は英雄だ! 最悪この国から出ればいい! この強ささえあれば、何度でも、何をしてもやり直せる!」

「いいや、その腐った性根ばかりは、どうにも直しようがない」

幸助は自分の行いを恥じた。

自分が怒りに任せて戦った所為で、多くの者を危険な目に遭わせている。

せめてその責任は、取らねば。

――【黒迯夜】を、使ってでも。

奴の右手に、小さな、夕暮れ色の球体が収まっている。

あれが、甚大な被害をもたらす、戦略級魔法とやらか。

呑み込めるだろうか。

いや、呑み込むのだ。

「【黒迯――」

魔法は、結局発動出来なかった。

いや、発動する必要が無くなったと言うべきだ。

「双方それまで」

二人の間に、立つ者が、二人いた。

内、声の主が、戦略級魔法を、視る。

「――【蒼閉降[あおへくだれ]】」

都市一つ壊滅させ得るという魔法が、消えた。

幸助の目を以ってしても、一瞬しか捉えることが出来なかった。

あの球体を包むように、蒼い力場が発生したかと思うと、魔法が消滅した。

魔法だけとはいかなかったのか、ライクの左手すらも、同時に消えてしまう。

「戯れが過ぎますよ、キルパロミデス卿」

蒼い、礼装だ。

蒼い髪に、蒼い眼。

エコナとは違う。

氷というより、深海を思わせる、蒼。

髪が長く、あまりに美形で、声も中性的なので勘違いしかけたが、男のようだ。

「グラムリュネート卿! 何をする! 先に殺し合いを始めたのは、そのガキの方だ!」

「七英雄ともあろう方が、来訪してからひと月も経っていない少年相手に勝負を受けること自体が、あなたの落ち度、と申しているのです。加えて先程の発言、第三王女が巻き込まれることを考慮した上でのものだとしたら、王室に対する反逆罪に問われてもおかしくない」

「…………なら、貴様はどうなのだ! 私の左腕を奪った。これは国家の至宝である英雄を損なう行為。すなわち王室への反逆に他ならない!」

屁理屈にしても出来が悪い反論だったが、それも封殺される。

もう一人の闖入者――クウィンが、そこで初めて言葉を発した。

「……そう。なら――【白[スゥ]】」

一瞬の出来事だ。

奴の右腕も、左腕も、燃えた礼装すら、元通りになった。

「あなたの受けた被害を、『無かったこと』にした。これでも文句があるなら言って。わたしは、あなた達来訪者英雄より、大きな権限を持っている。今この場で、あなたを反逆罪に問い、その存在を『無かった』ことにも、出来る。ねぇ、十秒、待つわ。返事、して」

幸助からは見えないが、その視線を受けているだろうライクのことは、見えた。

幸助を侮っていた彼が、幸助とそう歳の変わらぬクウィンを前に、震えていたのだ。

「わ……わかった! だ、だがクロ! 貴様とグラムリュネート卿には謝罪を要求する!」

「わたし、あなたが悪いって話をした気がするのだけれど。そう聞こえなかったなら、言ってあげる。あなたが、悪い。だから、クロも、ルキウスも、あなたに謝らない。謝る必要、無い。もう一度、十秒、ほしい?」

「……………………………………~~~~ッ、――いや、わかった。引き下がろう」

プライドの塊のような男を黙らせる程の力が、クウィンにはあるということだ。

英雄をやめたがっていた少女が、英雄であることを自慢とする青年を、言葉だけで制した。

そして、驚くべきことに、他の参加客達が戻ってくる。

それも、誰もが平然とした顔をして。

その中から、一人がこちらに進み出た。

「ルキウス~、客の“調律”、済んだわよ」

その人物を、幸助は知っていた。

服装こそ、桜色の礼装に変わっていたが、眼鏡と美貌は、そのままだ。

「エルフィ……?」

魔法医、エリフィナーフェである。

「あらクロ。似合ってるわよその礼装。アタシのはどうかしら?」

「どうして、あんたが此処に」

エルフィは、微笑むだけで何も言わない。

「クロ」

ニュッ、と、クウィンが視界上に身体を突き出してきた。

「あ、あぁ。久しぶり、でもないよな」

「また逢えて、嬉しい。クロは? わたしに逢えて、嬉しい、かな……?」

「あぁ、そうだな。……いや正直言うと、色々ありすぎて、よくわからないよ」

「……どうやら、この場では僕だけが君と初対面のようですね」

グラムリュネート卿とか、ルキウスとか呼ばれていた美青年が、敬礼をした。

「ルキウセウス・ルキウスリファイカ=グラムリュネートと申します。以後お見知りおきを。階級は将軍ですが、軍属の英雄は原則名誉将軍職を賜るので、名ばかりです。『蒼の英雄』を拝命しておりますが、他の者のように、ルキウスとお呼びくださればと思います、クロ様」

「じゃあ、俺のことはクロって呼んでくれ、ルキウス」

「では、そのように」

言って、ルキウスは透き通るような笑みを浮かべる。

「アタシは、エリフィナーフェ・フォルヴァンテッド=ローゼングライス。ある時は町医者、またある時は酒呑み、そしてまたある時は『神癒の英雄』と呼ばれる美女よ」

――英雄だったのかよ。

驚くが、言葉も出ない幸助だった。

クウィンが、自分の番とばかりに、名乗る。

「わたし、クウィンティ・セレスティス=クリアベディヴィア。ルキウスやエルフィより早くクロ、知ってたし、二人より、すごく、強い。最強の、『白の英雄』」

何を主張したいのか、よくわからない自己紹介だ。

「珍しいですね、クウィンが誰かに興味を持つなんて」

「あらあら~、アタシもクロには興味津々よ~。クロもよねぇ?」

なんだか面倒なことになりそうだったので、幸助は話を逸らす。

「いや、それよりもライクを――」

視線を向けると、既にその場にはいなかった。

「彼なら既に構外へ出ましたよ。なにがあったのです?」

幸助は掻い摘んで事情を説明。

ルキウスは頭が痛そうに額を押さえ、エルフィさえ笑みを無くして渋い顔をした。

「話は分かりました。僕の方で調査隊を組織し、事実確認をとってから、必ず然るべき罰を与えると約束します。ですから、個人的に動くのは控えていただけると助かるのですが」

「……あぁ、分かったよ。クウィンは悪く無いって言ってくれたけど、今回のは俺も考えなしだった。ライクの言うとおりだ、先に殺し合いにしたのは、俺だよ。その所為で、危うく他人を巻き込むところだった。済まない」

頭を下げる。

それに、幸助としても、奴に一撃見舞ったのと、その後の無様を見て、ある程度溜飲が下がった。

「でも、アイツの方から、クロに報復する可能性はあるわよね?」

「えぇ、ですからしばらく僕の部下を生命の雫亭とクロの護衛に付けたいと思うのですが、よろしいですか?」

「……ありがとう。頼むよ」

いつの間にか、周囲がざわめき出していた。

英雄が四人も、顔を付き合わせて会話しているのだ、気にもなるだろう。

「ねぇ、クロ」

「なんだ?」

「シロが、そんなに大事?」

「あぁ、恩人だ」

「わたしが殴られたら、クロ、怒る?」

「あぁ、もう、勝手に友達って思ってるからな」

クウィンは、数ミリ単位で、口角を上げた。

どうやら、喜んだらしい。

「ねぇねぇクロ~、アタシだったら~?」

エルフィが、とてつもなく面倒くさい絡み方をしてくる。

「エルフィ、クロに、あまり近付かないでほしい」

「どうしてかしら~? アタシ、クロの主治医だし? 触診くらい全然しちゃうんだけど?」

「精神科医に触診ってあるのか? あってもお前のは要らないし、主治医でもない」

「……わたし、クロの友達、だから。友達なら、手とか、繋ぐ。触りもする、多分」

二人の間で、火花らしきものが散る。

「おやおや、随分と女性に好かれるようですね、クロ」

「物腰柔らかいし、美青年だし、ルキウスの方がモテそうだが」

彼はそれに答えず、透明度の高い笑みを維持している。

「それにしても、随分英雄の集まりがいいんだな。四人も来るなんて」

ライクは既にいなくなったが。

「生憎と多忙な者もいて、全員とはいきませんが、新しき英雄の門出を祝う場ですから、多少は無理を押してでも参加する価値はあります」

「後の三人が、不参加ってこと?」

「いえ、不参加は二人です。おそらく最後の一人もじきに――あぁ、来ました。彼女です」

入り口を見て、幸助は、絶句した。

黒い、長髪の美少女である。

滝のように流れる、黒艶の毛髪を靡かせ、彼女は空を切る。

感情を悟らせぬ切れ長の瞳。

引き結ばれた口元。

笑うとえくぼが出来ると、幸助は知っている。

身長は、少し伸びたか。

深紅の礼装は、不思議な程、彼女に似合っていた。

横で、ルキウスが、彼女の事前情報を、くれる。

「少し気難しい性格なんですが、どうかご容赦を。

彼女が『紅の英雄』

――トワイライツ・クロイシス=シンセンテンスドアーサーです」

そんな奴、知らない。

彼女は、そいつは。

「………………永遠」

元いた世界で、陵辱の果てに凍死した――幸助の、妹だった。