Fukushuu Kansuisha no Jinsei Nishuume Isekaitan

82 ◇ White Hero, Expectations S

静かでありながら切実で、揺らぎはないのに切迫しているのが分かるその声は、幸助の鼓膜を這い、脳髄を揺らした。

出逢った頃から一貫して、クウィンは英雄をやめたがっていた。

それを忘れたわけではない。

いくら故郷とはいえ、ダルトラは自国の英雄を殺してしまった。

彼女の自由になりたいという願望が爆発的に高まるのは自明の理。

もう耐えられないと考えるのは自然の成り行き。

初対面の時、幸助は彼女の苦しみも英雄がどんなものかもよく知らずにそれを肯定した。

彼女が幸助に何を見出したか、大凡(おおよそ)の想像もつく。

誰だって肯定されたい。

誰だって尊重されたい。

きみは間違ってないと、きみは正しいと、きみはきみのままでいいのだと、言って欲しい。

でも現実はそんなに甘くなくて。

言いたいことも言えず、言ったところで否定されるということの方が多い。

そんな人生の中で、誰もが否定した自分の考えを優しく後押ししてくれる人間が現れたら。

心を許してしまうのは、仕方の無いことだ。

クウィンは幸助に期待している。

自分を英雄の呪縛から解き放ってくれると考えている。

出逢った時と今とで、考え方が変わったわけではない。

彼女が英雄をやめることで誰がどんな被害を被ろうと、それはクウィンには関係が無い。

けれど、『暁の英雄』ライクと『霹靂の英雄』リガルを欠いた状態で『白の英雄』まで失うのはとんでもない損失だ。

友として願いの成就を手助けしたいという想いはあるが、だからといって無責任に請け負うことも出来ないのだ。

クウィンは、幸助の胸の内を理解しているのかいないのか、やや昏い光を湛えた瞳でこちらを見つめていた。

「……お前の考えは、初めて逢った時から忘れてないよ」

「そ、っか。期待、していい、の?」

戦争を終わらせたら自由にしてくれるという約束を王と交わしたが、何年掛かるかわからないというのが実情だ。

クウィンの我慢は、きっとそこまで保(も)たない。

「どう、かな……」

結局、曖昧に言葉を濁すことしか出来なかった。

それが、幸助は悔しかった。

背負うものが大きくなり過ぎて、自分の手でどうにか出来る範囲を逸脱しているように思えてならない。

全てを救えるなどと傲慢な考えは持っていないが、救いたいものの数は確実に増している。

それだけの力が自分にはあるのか。

無かったとして、どうするのか。

悩みの種は尽きない。

「プラス・ラプラティクス=ガンオルゲリューズ、ご用命に従い参上致しました!」

よく通る声だった。

名乗りの通り、現れたのはプラスだ。

星を散りばめたような黄金(こがね)色の毛髪と瞳。

生真面目そうな顔とその雰囲気を助長させる眼鏡。

軍人をやめて以降も癖が抜けないのか、挨拶時にダルトラ式の敬礼を使用する。 

「あぁ、わざわざありがとうな」

彼女は前述の通り軍人ではないので、喪服に身を包んでいる。

そういえば、過去の日本では白い喪服が正装だったと聞いたことがあるが、少なくともダルトラでは黒が一般的らしい。

「クロ殿の頼みとあっては否(いや)もありませぬが……」

プラスの言いたいことは分かる。

彼女は英雄の末裔として英雄の役目を引き継ぎたいと考えていて、その壁となるステータス値を幸助との訓練で補おうとしていた。

だがリガルの件以後、幸助は中々彼女の訓練に付き合えずにいた。

そもそもプラス自身が、それを頼まなくなったというのもある。

気を遣ってくれたのだろう。

「プラスの目的もちゃんと覚えてるよ。それに関しては、もうすぐそっちに連絡が行くと思う」

「そっち……と言いますと?」

プラスはまったく見当がつかないといった風に首を傾げる。

「それは、来てからのお楽しみだな。……エコナ」

プラスへ微笑みかけ、その後で幸助はエコナを呼んだ。

さり気なくクウィンの腕を剥がし、エコナのもとに屈みこむ。

「俺とトワは仕事があるんだ。プラスと一緒にいてくれるか?」

事前に伝えていたことだが、改めて確認する。

エコナはこくりと頷いて、それからプラスに頭を下げた。

「今日はよろしくお願いします、プラスさん」

葬儀の間、プラスにエコナのことを頼んでおいたのだ。

プラスはふっと相好を崩し、「こちらこそであります」と柔らかい声で返した。

「あのさー、コウちゃん」

トワが不貞腐れたような顔をしている。

「なんだ? ジュースなら買ってこないぞ」

「違うしっ。そうじゃなくて、あの、つまりー……コウちゃんって女子の知り合いしかいないの?」

場の空気が凍った、ように幸助は感じた。

「いや……まさか、そんなことはないが」

「じゃあ名前挙げてみてよ。ルキウスは無しね」

貴重な一人が候補から削られてしまった。

「……まずは、マスターだ。生命の雫亭の店主。次に……タイガだ。飲み友達で、一緒に迷宮攻略したこともある。後はだな――」

「酒場で逢うだけの人禁止ー。もっとプライベートで積極的に逢う人限定で」

なんてむごい真似を……と幸助は絶望した。

「……グレイ。知ってるだろ? 魔術師の」

ちなみに幸助とグレイの関係は今後も続くことになるだろう。

単に友人ということではなく、幸助の献策が採用されれば彼の手を借りる必要が出てくるからだ。

ともかく貴重な同性の友人である。

その後先んじて軍関係者も禁止されたので、数少ない知人らの名前も出せなくなった。

幸助は大いに焦る。

もしかして俺……男友達少ない?

トワは「非モテ男子だったくせに……生意気」と呪詛でも吐きかねない表情で呟いている。

プラスは我関せずとばかりに視線を逸らした。

エコナは「大丈夫です。クロさんは多くの方に慕われていますから……!」と励ましてくれている。

クウィンは興味無さ気だったが、幸助が立ち上がるとすかさず身を寄せて来た。

と、そこで再びドアノッカーの音。

「エルフィだよね? わーすごい、男女比一対五だー」

トワのどこか責めるような口調に、幸助は何故か言い返せなかった。