レイナ嬢が、研究所内を案内しながら良く通る声で説明する。

「この研究所が、他の同じ機関と比べて何が異なるかと言えば、工作精度でしょう」

「と、言いますと?」

留学生を代表して、セイレ嬢が尋ね返す。

「我が研究所では、目分量や曖昧な尺度で部品を製造することを許しません」

そう言って、大小様々な定規や分度器を取り出す。

「これがこの研究所の尺度です。この長さでと言ったらこの長さに合うように、この傾きでと言ったらこの傾きに合うように、可能な限り誤差なく製造します。そうでなければ、このような機械は作れません」

レイナ嬢が顔を向けた先には、小型の蒸気機関が準備されている。

いちいち実用サイズを作っていたら予算が足りないので、見本用に試作された小型模型だ。ただし、きちんと作動する。

「こちらは蒸気機関と呼ばれるものです。動力機関……何かを動かすための力を生み出すものですね。見ていてください」

レイナ嬢の頷きを受けて、研究員が蒸気機関の蓋――蒸気をわざと逃がすために設けておいた穴をふさぐ。

間もなく、内部の圧力が高まり、逃げ場を求めた蒸気がピストンを押し上げ、それがシャフトを通して、見本用にセットしておいた車輪を回す。

「今はわかりやすい車輪状のものを使っていますが、力の方向を変えれば、ドリルを回すらせん運動にも、単純な押し出す力にも変化させられます。もちろん、この見本のように車輪に使えば、馬車を馬なしで走らせることもできます」

留学生の迎えに試作蒸気自動車を使おうか、という話もあったのだが、領内の治安が悪化していることと、万が一事故が起きたら洒落にならないということで見送られた経緯があったりする。

留学生一行は、何やら精緻な動きをしている機械に、顔を寄せてうなる。

遠目に見ている私も、思わずうなってしまった。あの模型、また一段階複雑になっている。

「あの大きさで三段膨張エンジンを作るとは……うちの蒸気機関部門はものすごい凝り方を……」

「へっへー。アッシュを驚かしてやったぜ」

私の呟きを耳にして、模型を準備した研究員は心底自慢げだ。

蒸気機関過激派筆頭のロッケルさんである。

「確かにすごいですけど、よくやりますね」

「なに、ヘルメスがやってる内燃機関はこの間失敗しただろ? このままいけば、蒸気機関で飛行機を作るって話も出るかなと思って、いつそうなっても良いように遊んでみたのさ」

「ヘルメスさんが聞いたら激怒しそうですね」

副所長のヘルメス君は、蒸気機関をダサイと言ってはばからない内燃機関派、中でも星形エンジン過激派である。

当然、自分が飛ばすならば自分が最も格好いいと信じている形で飛ばそうとしている。

ロッケルさんとはしょっちゅう喧嘩になるので迷惑している、とレイナ嬢が嘆いていた。

皆のお姉さんは大変だ。

「この間言ったら喧嘩になった」

うちの研究所は風通しが良いですよね。

陰口を言おうにも、陰にすべき壁が穴だらけというか。

「程々にしてくださいね? レイナ所長の気苦労を増やさないように」

「はは、アッシュに言われてもなぁ」

なんですか。私はレイナ嬢の味方ですよ。

同じ管理職ですからね、彼女の心労はよくわかるから、なるべく負担をかけないよう気遣っているのだ。

「この前、レイナ所長が忙しすぎるって頭抱えてたぜ。どれくらい仕事を押し付けてんだ?」

「え? そうですね、ええっと?」

新兵器の開発と、新兵器運用のための要塞の建築、それから今回の留学生の対応。

これが大きなところですかね。

その他の蒸気機関の応用と、内燃機関の開発は前々から推進していたものだし、農業分野はスイレン嬢に大部分権限が移行しているから任せているとは言えない。あ、そうそう。交通網の整備はどうなってましたっけ。敷設自体は研究所の管轄外ですが、技術的なフィードバックは研究所で受け入れないといけませんしね。新素材を用いた都市再開発はリイン夫人がメインで、研究所がアドバイザー枠だから……。

私が指折り数えていると、ロッケルさんが真顔になった。

「アッシュよ、レイナ所長はすげえ有能だけど、限度ってものがあると思うぞ?」

「それくらいわかっていますとも。ちゃんと改革推進室の方で、研究所に出入りする業務は管理していますから」

余分な情報や直接の交渉が行かないよう、こちらでフィルターをかけているのだ。

ダイレクトアタックを食らわせたらパンクするのは眼に見えてますからね。

「生かさず殺さず、ってこういうことか……」

「誰がそんな物騒なことをしているんですか?」

「いや、ちょいとした独り言だ。ほら、アッシュ、レイナ所長が移動するみたいだぞ」

あ、本当だ。

模型を使った説明が終わったので、実際に稼働している蒸気機関を見に行くつもりらしい。

「では、ロッケルさん、蒸気機関の改良、がんばってくださいね」

その後、工作室で旋盤や穿孔機をぶん回している大型蒸気機関を見た留学生達から、こんなものが必要なのですか、と質問を受けた。

必要なんですよねー。

「例えば、皆さんの領地で、こんなものを作ろうとしたらどうします?」

穿孔機でらせん状の溝を切られた鉄の筒を見せると、留学生達は少し考えこんだ。

「腕のいい鍛冶師に任せる、としか」

メディ嬢が、製造難易度の高さに小声になりながら応える。

「ええ、そうなるでしょうね。では、これが百や二百の数が、一ヵ月内に必要になったら?」

「それは……。アルン、どうかしら?」

「領内の鍛冶工房に動員をかければなんとか……ただ、その場合、不良品が混じるのはどうしても」

そうでしょうね。辺境伯領でも、多分従来の工房でやろうとしたらそうなります。

「では、その筒の作り方をご覧いただきましょう」

簡単である。

まず、鋳造で作られた鉄の棒を用意します。

それを、万力を使って穿孔機に固定します。

蒸気機関にうなりをあげさせ、ドリルを鉄の筒に押しつけます。

するとドリルの大きさに合わせた穴が空く。さらに、穿孔機に別なドリル、溝を切るための工具をセットして、もう一度蒸気機関にうなりをあげさせる。

まあ、実際は、切削の摩擦を減らすため油を垂らしたりしているが、基本的にはこういった具合だ。

「同じことは熟練の鍛冶師ならば手作業でやってのけるでしょう。ですが、この工作機械の使い方を覚えれば、経験が浅い鍛冶師でも同じことができるようになります」

一定の修業期間が、機械力で省力化することができるわけだ。

これでも不良品がなくなるわけではないが、「熟練」の必要経験時間を下げることはできる。

「性能が良いものでも、一つだけだと使い道が限られますからね。特に武器なんかだと、どんな名工の剣だって使い潰す前提ですし」

私なんかだと、名剣一本よりピッチフォーク十本くらいあった方が助かる。魔物退治から農作業まで、ピッチフォーク十本でやっちゃう。

留学生の方々は、手作業でできるものに、こんな複雑怪奇な機械を作る必要性をいまいち捉え切れていない顔をしている。

まあ、おいおい実感して来ることだろう。

こういった機械力は、いざという時に真価を発揮するものだ。いざという時が来てほしい、というわけではないのだが。