Goblin Kingdom

それは、ゴブリンの王が生まれるよりはるかに前。

一人の人間と一匹のゴブリンの物語である。

その時代ゲルミオン王国は聖騎士の制度により、一人の騎士に西方領域を所領として与えると言う処置を取った。鉄腕の騎士ゴーウェン・ラニード。王に仕える古参の騎士であるばかりでなく、個人としての武、あるいは戦においての駆け引きの上手さにおいてはゲルミオン王国でも屈指の人材だった。

もっとも後年彼が得意としたのは新兵を育て上げるという領主としての職責だったが、領主としての辣腕を奮うのはもう少し後になってからである。

その年、未だ西域は未踏破地域が数多く存在し、アシュタール王直々の遠征により、やっと魔物の襲撃が静まると言うような有り様であった。

最後の遠征となるアシュタール王の親征により、王は魔物の襲撃により生き残った冒険者を拾う。そしてその青年がゲルミオン王国に仕えるのもこの年からである。名前をガランド・リフェニン。後年嵐の騎士と呼ばれることになる聖騎士も、未だに魔物の襲撃から生き延びることが出来た幸運な冒険者の一人だった。

アシュタール王最後の親征は、苛烈を極めた。

鉄腕の騎士ゴーウェン、隻眼の騎士ジゼという２名の聖騎士を従えながらも、全体的に見れば押され気味であった。一度などは王の座所に魔物に侵入されると言う事態にまでなったのだから、その襲撃の激しさが知れるというものだ。

親政を終えた王は、あまりの多くの被害に涙を流し西域の本格経営に乗り出すことを決意。己の右腕たるゴーウェンをして、西域を治めさせることにしたのだ。

アシュタール王は有能と言って良い王である。その年、在位２３年。若くして王位を継いでから、己の才覚を頼りに聖騎士の国の王となった傑物であった。己の右腕と信ずるゴーウェンを西方の領主にするだけでなく、更にもう一策加えることにする。

当時シュシュヌ教国に居を構えていた人物を、王都に呼び寄せて西域経営の補佐を頼んだのだ。

“東方の賢者(トゥルク・メルシ)”と王都で呼ばれた者の名をファルミア。ファルミア・デ・フローリア。かなりの変わり者として有名ではあったが、同時に象牙の塔でも認められた学識豊かな壮年の淑女である。

東方の賢者と呼ばれた彼女には、もう一つの渾名があった。“人形遣い”魔物を使役すると言う特異な魔法を学問として研究していたためである。

魔法というものは、神々の戦から後に人間が使えるようになったのだという。

神々の数だけあった魔法の種類は、後に人間に使いやすいように整理されいき、火、水、土、風の４大属性と、それ以外の亜種に別れるようになった。４大属性の中でも、特に火の属性は人間にも扱いやすく、最も偉大な属性だとして約３００年の時を経て人間の世界に大きく広がった。

だが同時に廃れていく魔法を惜しむ声も多かった。

そこで知識の集積と、村研究発展のための機関として成立したのが“象牙の塔”である。先の４大属性に加えて、光、聖、闇、死、雷、木、金……ありとあらゆる種類の魔法の知識が集められ、保管されていた象牙の塔である。

ファルミアはその中で、闇を研究することに没頭した。彼女自身適性があったのは言うまでもないが、彼女がその研究をするのをゆるされたのは、知恵の女神の加護を受けていたのも大きかった。

後に白の長老となるターニャ・フェドーランや、赤の長老となるセリオン・ハーロンと並び称せられた彼女の才能は、既にその地位についていた青の長老、美貌のフロイド・ベルチェンによって広く認められることとなっていた。

長年に渡る研究と彼女の惜しみない努力の結果、一つの結果という果実を彼女は実らせることになる。魔獣の使役。闇魔法の最も難しい分野とされるその分野に、彼女は確実な足跡を残したのだ。

だが、彼女はそれで満足しなかった。

魔獣が可能であったなら、魔物も可能なはずである。

理論上では可能なそれを彼女はどうしても試したかった。比較的危険の少ないゴブリンで、それを試した結果彼女はなんと初めてにして成功をおさめる。

象牙の塔は彼女の業績を賞賛し、いずれは白の長老になれるとの太鼓判を押されるほどであった。

人は欲深い生き物である。彼女はそれでも満足できなかった。

魔物すらも、従えることのできる自身の魔法は世に言われるように４大属性に劣るものではない。それを彼女は証明したかったのだ。

彼女はフロイド・ベルチェンに別れを告げると、一路西方ゲルミオン王国へとその足を向けたのだった。彼女の後ろには、奇妙に愛嬌を持ったゴブリンが彼女の荷物を持って同伴していた。

「ご主人さま、今度はどちらに？」

「ああ、ゲルミオン王国というところだよ」

「げるみおん？」

首を傾げるゴブリンに、ファルミアは大げさな手振り身振りで言った。

「おお、騎士たらん者よ、いざ西を目指さん！　そこには騎士たちの国がある！　身分の貴賎、男女の差異、人種年齢など一切を不問としよう！　ただ騎士たる力を証明せよ！　我が王の名はアシュタール・ド・ゲルミオン！　ってね」

「凄い、凄いです」

目を輝かせて頷くゴブリンに、彼女は微笑む。

「ま、この前お芝居でやっていたのさ。西域辺境第一の強国。それがゲルミオン王国だよ」

「僕の仲間も、いますか？」

「そうだね。居たらいいね」

嬉しげに笑うゴブリンに、ファルミアは頷いた。

それが決して叶わぬ希望だと知りながら。

◇◇◇

ゴブリンを連れた女が来た。

当初ゲルミオン王国での彼女たちの第一印象は、巨大な衝撃となった。

“人形遣い”の２つ名を不動のものとしたファルミアは、貴族街の一角に屋敷を与えられ騎士の国としては異例の厚遇を受けることになる。

折しも彼女たちが訪れた時は、未踏破地域に楔を打ち込む形で開拓が進められ、魔物の被害が激増していた時期である。後年に起こったオークの狂化とまではいかなくとも、己の縄張りを侵された魔獣、魔物達が反撃とばかりに人間を襲う案件が続出していた時期であった。

それゆえに彼女の魔物を使役する術に期待が集まっていた。

彼女の魔法を使えば、凶悪な魔物を手懐け、襲ってくる魔物と戦わせることが出来るのではないか？　西域開拓に乗り出したアシュタール王の狙いはそこであったし、増え続ける被害に頭を悩ましていた王にとって、藁にも縋ると言う気持ちがあったのは否定できない。

ある日には、彼女が王の前で手懐けたゴブリンを披露するということもあった。王座には、壮年の王たるアシュタール。未だ武の気配を濃厚に漂わせたその雰囲気は、騎士の国の王たる威厳に満ちていた。その周りを守るのは、名だたる聖騎士達だ。

「おはつに、おめにかかります。王様」

ぺこりと頭を下げるゴブリンに、アシュタールは目を細める。

「ほぅ、まさにゴブリン……」

鉄腕の騎士ゴーウェン、隻眼の騎士ジゼも目を見開いてその様子に驚いていた。何よりもゴブリンが流暢に言葉を話しているということさえ、彼らには驚きであった。

「子供を中に入れているわけでは、無さそうだが」

未だ半信半疑のゴーウェンやジゼは、王の許しを得るとしげしげとゴブリンを観察する。

「危険はないのであるか、ファルミア殿？」

「それは我が魔法をお疑いということでしょうか？」

ジゼの質問に気分を害されたファルミアの硬い声。眉をひそめたジゼだったが、ゴーウェンは間に入って事なきを得る。

「このゴブリンは、戦えるのでしょうか？」

ぎろりと、音がするほど鋭い視線をゴーウェンから浴びたゴブリンはその殺気に驚き、ファルミアの後ろへ隠れてしまう。

「こわい、こわい、こわい」

「……大丈夫」

ゴブリンの頭をぽんぽんと叩くファルミアは、ゴーウェンに非難の視線を向ける。

「む、これは失礼した。どうも粗忽者でしてな」

「ゴブリンといえば、凶暴さが目立つが単独だとこのように臆病にもなるのか……」

王の言葉に、聖騎士の二人は頭を垂れてゴブリンから離れる。

「なかなか興味深いことだ。ファルミア殿、しばし我が国に留まり研究を続けられよ」

「有難き幸せ」

それからの彼女は多忙だった。

与えられた一件の家に長居することもなく、彼女はゲルミオン王国中を飛び回り研究を続ける。与えられた家はゴブリンが家事をこなして一日を過ごすことが多くなっていた。

◆◇◇

ファルミアとゴブリンがゲルミオン王国に来てから３年目、彼女の研究は大きな成果をあげようとしていた。２匹の魔獣を交配させることにより、家畜化に成功していたのだ。

人を親と認め、人を襲わない魔獣の育成。家畜化と言っても良い。彼女の成果はすぐさまアシュタール王に献上され、王から絶賛とさらなる厚遇が約束された。

「ご主人さま、良かった」

「うんうん、我ながら自分の天才具合に惚れ惚れするようだよ」

自宅で東方の葡萄酒を飲みながら、彼女は上機嫌で笑っていた。主人の上機嫌に、ゴブリン自身も嬉しく、料理など作っていた。

「この調子で行けば魔獣の被害を減らせるし、人と魔獣の共生という私の夢も現実味を帯びてきたね」

「人と魔獣のきょうせい？」

首を傾げるゴブリンに、ファルミアは笑った。

「そう、生きとし生ける者達は決して争うばかりではないと思うんだ。共に手を携えて生きていけるなら、それに越したことはない」

どこか憂いを込めたその視線に、ゴブリンは主人を元気づけようと明るい声を出す。

「ご主人様、優しい！　みんな仲良し、良いこと！」

「うん、そうだね。私の願い、私が生きている間に叶わないかもしれないけれど、それでもいつかきっと……いろんな種族が手を取り合う時代が来ると思うんだ」

掲げる理想の異端さと高さゆえに、彼女は象牙の塔をでなければならなかった。

かの塔は研究のための施設である。

「そうだ。君にこれをあげよう」

彼女の懐から取り出された本を、ゴブリンは受け取った。

「本……」

「文字を読むことを覚えなさい。最初は私が教えてあげよう」

優しく微笑むファルミアに、ゴブリンは嬉しそうに頷いた。

ファルミアとゴブリンがゲルミオン王国に来て４年目は平穏にくれる。彼女は先程の研究成果を更に進めるための、資料の収集に余年がなく、そのためには相応の時間が必要だった。

家にいる時間も増え、その間彼女はゴブリンに文字を教えることに費やした。

ゴブリンは元々その才能があったのか、あるいは彼女の期待に応えるのが嬉しかったのか。めきめきと文字を読むことを覚えていった。

そうして５年目、ゲルミオン王国にとっても彼女たちにとっても運命を決する出来事が起こる。

オークの狂化である。

◆◆◇

５年目となるファルミアの研究は、開拓村にも導入され三角猪の家畜化を進めた一角猪(ホーンボーア)などが開拓村では生み出されていた。

だが、王都を震撼させる情報がその年のホルスの月に駆け巡ることになる。

開拓村の壊滅。それも、村人は全滅である。彼女の生み出した家畜化された魔獣も全滅したのだ。

外堀などに残った屍から、敵はオークだと推測された。問題はその規模である。なにせ生き残った者がいないほどの猛威を奮うオークである。聖騎士を派遣するのは決定事項としても、それに率いさせる兵力が問題となっていた。

折しも、南方の自由都市群とは、関税を巡っていざこざが絶えない時期でもあった。

あまりに兵力を集中させれば南方の領土を切り取られる可能性すらある。アシュタール王は大陸中央の強国シュシュヌ教国に調停を頼むと共に、西方に兵力を集中することを決定した。

「聖騎士ゴーウェン、聖騎士ヴァルドー、各々手勢を率いてオークを壊滅させよ」

聖騎士ジゼは南方警戒をさせるとともに、東方からヴァルドーを呼び寄せ、彼ら２名をしてオークの狂化を止めようと、アシュタール王は策を巡らす。

２人の聖騎士は堅実な用兵をもって、この自体に対処しようとした。

開拓村には防備を固めさせるとともに、開拓村を回ることによって、事態の沈静化とオークの被害を減らすことにした。何よりも恐ろしいのは開拓村の民が、恐怖にかられてその土地を見捨てることである。

彼ら２人には政治的な縛りと、予測不可能なオークの襲撃を撃退するという困難な任務が与えられたと言って良い。

だが２人の聖騎士は共に優秀で、協調性に富んでいた。

常に連絡を取り合い、定期的な情報交換を実施しながらオークの姿を探し求めたのである。

「此度のこと、オークの狂化というらしい。“人形遣い”殿がそう言っていた」

「敵は、豚もどきか」

「そのようだ。しかし１０日が経過するが、オークの姿はあったか？」

「否。村に被害は無いが……」

２回めの情報交換で彼ら２人は、訝しみながらもオークの姿を捕らえられずにいた。それもそのはずで、この頃オークの群れは南方に下り、自由都市群の辺境領域にて猛威を振るっていたのだ。

「森へ帰ったと言う可能性は？」

「無いとは言い切れないが、かつて東部でオークの狂化現象があった際には、奴らは一切退くことを知らなかったという」

「油断は禁物、ということか。だとすれば一体何処に、こちらの意図を見極めて動けるわけもあるまいに……」

ゴーウェンは首を傾げ、ヴァルドーは無言のままに首を傾げた。

「急報！」

そして彼らのもとに最悪の情報とともに報せがもたらされる。

「オークの群れが、南方に出現！　聖騎士ジゼ殿が対処にあたっていますが、その数があまりにも多く！　援軍を要請されています！」

「裏をかかれたか！」

舌打ち混じりに吐き捨てたゴーウェンとヴァルドーはすぐさま軍を引き返す。

◆◆◆

突然現れたオークの群れにゲルミオン王国の王都は大混乱に陥った。

まっすぐに王都に迫りつつあるオークの群れである。その数およそ５００。途上にある村々には、既に避難勧告を出しているとはいえ、その被害は計り知れないものだった。その緊急事態にアシュタール王は、城下にいた冒険者を緊急招集。

即席の戦力として、対抗すべく戦力の集中を行っていた。

そんな緊張の中ファルミアも忙しかった。王城で重ねられる会議では、魔物に対する情報を求められることが多くなっていた。ゲルミオン王国内では、彼女は魔物魔獣研究の第一人者である。

当然王からの質問は多く、貴族達の質問にも応えねばならない。

元々あまり人付き合いの得意な方でないファルミアは、日々の会議で心身をすり減らしていった。元々細かった食は、更に細くなり元気がなくなっていく。

そんな様子にゴブリンは心を痛めたが、さりとて彼にできる事は家事をすること程度である。彼女の為に心込めて料理を作るが、彼女は半分も食べずに食器を突き返す事もザラであった。

ゴブリンはなんとか彼女に喜んでもらいたかった。

彼の主人は、魔法が大好きであると彼は知っていた。

彼は以前彼女から教えてもらった文字を必死に勉強して、魔法を会得することに成功する。それを彼女の前で見せれば、彼女は喜んでくれる。そう思っての行動だった。

ほんの僅かな、ボタンの掛け違いで運命と言うものは変わるものだ。

その日深夜になって帰宅した彼女に、始めて出来た魔法を見せたゴブリンだったが、彼女から浴びせられたのは、怒声だった。

「ご主人さまっ！　見てください。魔法です！」

「……私が、私が自分の魔法の研究もできずこんな苦労をしてるのに！　お前はっ……」　

てっきり喜んでもらえると思ったゴブリンは、主人の怒声に驚き縮こまってしまう。言いたいことも口に出せず、震え上がったゴブリンに、彼女は決定的な一言を放ってしまう。

「出て行け！　出て行ってしまえ！」

そのまま机に突っ伏すと彼女は泣き出してしまう。

「ご主人さま……」

彼女からもらった魔法の本を胸に抱いたゴブリンは、肩を落として家の扉を開けた。

一通り泣き腫らして、冷静になった彼女は家の中にゴブリンの姿がないことに気がつく。

「おい、まさか……」

その時になって彼女は、自分の言った言葉の意味を正確に捉えたのだ。

「私は、なんてことをッ！」

家を飛び出すとそのまま王都中を彼女は探しまわった。

だが、結局彼女のゴブリンを見つけることは出来ず、彼女は失意の内に時間に流されるしかなかった。オークの狂化は鎮圧され、その功績として若い冒険者が準聖騎士の地位を射止めることなど、彼女には全く関係なかった。

王からの感謝も、謝絶し彼女は王から与えられた家を買い取ると半ば隠棲のような生活を始めることになる。

◆◆◇

老ゴブリンは、目を開ける。

長い夢を、昔の夢を見ていたようだった。

外から喚声が聞こえ、体を起こして外の様子を伺った。

「おお、長老殿。ご覧あれ、王の精鋭達ですぞ」

水術師の若いゴブリンが、彼に声をかける。優しくうなずきながら、彼が指差す方を見れば、整然と居並ぶ若きゴブリン達の姿があった。

人間の世界から流れ込む豊富な食料は、偉大なる王の功績である。その食料を元にして、今やゴブリンの王の勢力は、拡大の一途を遂げていた。

「……ゲルミオン王国は、滅びるであろうの」

「はい、我が王の力の前には人間の国など、風の前の塵に同じでございましょう」

「……わしも行こうと思う」

「は？」

「わしも、戦に加わらねばならん」

「ですが、深淵の砦の管理もございましょう」

老ゴブリンは首を振り、若い水術師の肩を叩く。

「任せる」

「はっ、ですが……」

「老い先短い者の頼みじゃ、聞いてくれ」

僅かな逡巡の後に頷く若いゴブリンに、老ゴブリンは優しく微笑む。

「ご主人さま……」

生きておいでになるだろうか、と彼は内心で問いかける。

もらった本は、もうなくなってしまったが……。

彼は一本の槍を杖代わりにして、旅立ちの準備を始めた。