Goddess, Help Me!
15 VS Succubus King 4
隠し扉をくぐって繋がる通路の先にあったのは、メディスムルトの私室だった。
寝室……なんだろうか。
リオナーが持ち運んだ私のベッドを思い返す。ここに来る途中の通路脇に置かれていたあれも充分なサイズだと思うけど……奥にデン! と置かれたベッドは更に二回りほど大きい。
調度品も贅を凝らした質の高そうなものばかり。
流石は魔王の私室といったところか。
ただセンスに疑問を感じずにはいられない。だって雰囲気がさ……
きょろきょろと周囲を見渡す私を長椅子に降ろして、メディスムルトは傍らに膝を付く。
少し乱れたドレスのドレープを丁寧に整え、静かに頭を垂れた。
「ご助力、誠にありがとうございました。……切り抜けましたな」
盛大な溜息は安堵からくるもののようだ。
どういうことかと聞いて呆れた。
先程の二人組、実は相当な実力者だったらしい。
淫魔族の魔王城―――つまり今いるここは、その種族性ゆえに昼間はどうしても手薄になる。そうだよね、夜の時間帯に無双されるなら昼間に攻め入ろうって誰でも考えるよ。戦いに素人な私にだって思い付く。
だから魔王城は複雑に入り組んだ構造の上、様々な罠が張り巡らされているそうだ。
侵入者を罠で足止めして時間を調節し、淫魔に有利な時間帯になったら隠れ潜んだ者が一斉に襲いかかる、という迎撃態勢が基本。
情報漏えいは命に直結する。だから一歩でも城に足を踏み入れた侵入者の命は必ず刈り取るらしい。眷属に堕ちたオズロスや今回のサニは例外中の例外だそうだ。
で、今回は罠をことごとく見抜かれた上、迷路のような城の中を迷いなく一直線に進まれた。
「恐らくは、サニと呼ばれた人間が己の呪術の欠片を導き手にしたのでしょうな」
「あの気持ち悪いニュルニュルっていま何処にあるの」
「玉座の間、腐花(ふか)共の中心部に」
「……捨ててないんだ……」
「一瞬でも女神様の御身に触れた物を、そう安易に処分できるものでは御座いませんぞ!」
出たよ変態発言。
使い道の無い代物をいつまでも手元に置いたって仕方が無いでしょ……物を捨てられないタイプか、この男。
そんな訳で、大したダメージも与えられず時間稼ぎも出来ないまま勇者達に城内を進まれた。
侵入者の気配に気付いたと同時にリオナーは迎撃の指揮を執るため玉座の間から移動した。少年の判断で、三人のパーティのうち一番御しやすそうな一人を選んではぐれさせ、物量作戦を仕向け、残りの二人を腐花達にぶつけることにしたらしい。
ちなみに謎植物を腐花"達"と複数呼びするのは、蔓性の細い植物が寄り固まってシャンデリアのサイズを形成しているからだって。まとめてフカちゃんと呼ぶのはリオナーだけみたい。
腐花のフカちゃん。何の捻りもない。
「フカちゃんってそんなに強いの?」
「この時間帯の同族に換算しますと、中位の者百人分と同等の働きはしますぞ」
昼の淫魔が弱すぎるのか、それともフカちゃんが強いのか。
判断に困る表現だ。
「メーさん、落ち着いているように見えたよ」
「動揺しては隙が生じます。はったりというやつですな」
「リオナーも?」
「御意。特に……サニでしたか、呪術師の実力は想定以上でした。二人同時に来られたら腐花共といえど際どかったでしょうな」
危なっかしいな! 魔王城って最終防衛ラインなのに。
今更ながらに冷汗が出てきた。
「……サニを魔族にするっていうのも、もしかしてデタラメ?」
「いえ、眷属を欲しがる魔竜の心当たりが御座いまして。いくら実力があろうと、一人に執着する性格は淫魔には向きません。魔竜の眷属に堕としてオズロスの足枷にでもなれば丁度良いかと。……あ奴、最近また調子付いておりますからな……魔竜(ヘビ)に巻き付かれて動きを鈍らせる程度が適当でしょう」
淫魔としての働きは評価するが、誰彼かまわず食い散らかすのはいただけない、と呟きが続く。
「ともあれこの局面は無事乗り越えました。女神様のご加護に感謝申し上げます。目覚め切れぬお身体にご負担をお掛けしまして、重ね重ね申し訳御座いません」
美貌が伏した。
毛足の長いラグに額を押し付けようとするメディスムルトを慌てて止める。
もう土下座はお腹いっぱいです……
―――起きたら抱っこされてて。
リオナーからハーレム勇者の顛末を聞いて。
女勇者とサニがそれぞれフカちゃんと戦う姿を見せられて。
最初はお喋りだけの穏やかな夢かと喜んだけど、やっぱりとんでもなかった。一歩も歩いていないから体力的な疲れは無い。でも精神的な疲労が激しくてぐったりしている。
残り僅かな精神力を土下座姿で削られるのは本気で勘弁して欲しい。
「……私は何もしてないよ。メーさんとリオナーの作戦勝ちでしょ」
青年が顔を上げた。上目遣いが色気ダダ漏れでちょっと怖い。
メディスムルトの美貌には慣れてきたつもりだったのに、こういうちょっとした仕草にドキッとさせられる。同時にふと感慨深くなった。……既視感(デジャヴ)?
胸の奥のモヤモヤを紛らわすつもりで改めて周囲を見渡す。
「それにしても……凄い部屋だね、ここ」
白と淡いブルーで統一された調度類。天井に吊るされた繊細なシャンデリア。フリルやレースをふんだんにあしらった寝具類。可愛らしい小物達。
魔王の私室とはとても思えない。そう、どこか、
「……懐かしい」
ポロッと言葉が零れた。言って、自分の発言に自分で首を傾げる。
初めて入った場所なのに、どうして?
ヒュッと息を呑む音がして青年を見下ろした。見開かれた紅玉と視線がぶつかる。
―――だばぁ。
えっ……
何故泣く!?
堤防が決壊したように、綺麗な瞳から大粒の涙が流れ出す。驚いて、盛大に頬を濡らすメディスムルトを凝視した。
薄い唇が二度、三度と開きかけては閉じる。
何か言いたそうだけど言葉が出てこないみたい。
「あ、いや別にメーさんの趣味を否定する気はないよ!? 乙女な趣味があったなんて凄く、じゃなくて、えーと、ちょっとだけビックリしたけど!」
「……」
「自分の部屋を自分好みに設えるのって普通だし、その」
慌てて言い募る。
メディスムルトが唇を引き結んだ。眉根を寄せて感情を堪える仕草にギュッと胸が詰まる。
どうしてそんな顔をするの?
訳が分からないよ。今までの夢も不思議なことばかりだったけれど、今夜は与えられる情報が多すぎて理解が追いつかない。
そっと手を伸ばす。濡れた頬を撫でる指をメディスムルトは黙って受け入れた。
拒まれなかったことに少しだけ安堵して、ついでのように頭も撫でてみる。パールグレイの髪は相変わらず艷やかで素晴らしい手触りだ。
よしよし。いい子いい子。ほら、もう泣かないで……
って涙が大増量なんですけど―――っ!?
「うぐっ」
跪いた体勢の青年から唐突にタックルを受けた。
軽く息が詰まる。
メディスムルトと長椅子の背もたれに挟まれて若干息苦しい。腰と背中に回された腕に力が篭る。若干どころか結構苦しくなってきた。ゴツい巻角が当たって痛いし。
でも跳ね除けるのは躊躇われた。
抱き締められるというよりは、縋り付かれたようで。玉座で仕掛けられたときと違って性的な意図を全く感じないから。
胸の辺りに濡れた感触が広がっていく。泣きじゃくる幼子を慰めるように私からも彼に触れた。やんわりと抱きしめて背中に手を添え、もう一方の手で頭を撫でる。
静かに涙を流す青年に寄り添って、どれくらいの時間が経っただろうか。
いい加減苦しくて軽い酸欠に陥りそうになりかけた頃、ようやくメディスムルトに開放された。
ホッとしたのも束の間、長椅子に預けた背が引き寄せられる。
前に傾いた私を腕の中に抱え込んで青年がスクッと立ち上がった。
今度は何なの!?
戸惑う私に何の説明もないまま、つかつかと歩いて向かった先は大きなベッド。天蓋を片手でサッと引き払って、メディスムルトはシーツの上に私を降ろした。
顔が引きつる。
なにこの急展開。
「あの、メーさん、私」
「もう待てない。これ以上待ちたくない。……早く、お目覚め下さい……!」
絞り出された声に漂う悲壮感。数度瞬いて、やっと彼の言葉が脳内に染み込んできた。
え、目覚め……?
今日のメディスムルトは思わせぶりな言動が多くて、『待てない』の意味もやっぱり分からない。
けれど『目覚めろ』っていうのは、きっと『夢から覚めろ』ってことだ。
この世界から出て現実に戻れ、って意味。つまり『もう寝ろ』って言ってるんだね。
「っ、ご無礼を」
「……ん、いいよ。私も疲れたからそろそろ寝たいし」
ベッドに連れて来られて焦ったけど色っぽい意図は全く無いみたい。拍子抜けしたというか、こういう所がメディスムルトらしいというか。……迫られてもそれはそれで困るからいいんだけどさ。
勝手に慌てたり焦ったりした自分自身が恥ずかしい。
湧き上がる照れ臭さを誤魔化すようにモソモソとシーツの上を這う。
「玉座の間が整いましたらお連れ致します故、今はこちらでお休み下さい。―――我が女神に、深く穏やかな眠りを」
赤い目許に涙を残してメディスムルトが切なげに微笑む。
ベッドに横たわる私の額や頬に口付けが降りた。そっと閉じた瞼の左右交互に触れる温かい感触。
直後、唐突に不自然なほど激しい眠気に襲われた。
抗う気力すら沸かず、呼吸する度に全身の力が抜けていく。
導眠の魔法とかあるのかな―――そんな思考を最後に、私の意識は途絶えた。