Godly shop's cheat fragrance

Episode 39: Wilderness Observation Diary

■■■ <紅鎖>チェリナ・ヴェリエーロ ■■■

 私の忠実な影が部屋に入ってきました。

「どうしましたか? こんな朝早くに」

 影にはいつでも自室に入る許可を与えているがこの時間にやって来るとは珍しい。

「対象が商会の近くにいます」

 彼はそれだけを言った。情報の精査をするのは私の役目です。

「理由はわかりますか?」

「不明」

 彼は要注意人物です。空理具(くうりぐ)の秘密保持の点でも当商会で囲い込んでおきたい人物です。

「場所を教えて下さい」

 私は影に場所を聞いてその場所に向かいます

「おはようございますアキラ様」

 彼は変わったタバコをふかしてノンビリと船を眺めていました。商人のカンから偵察しているとは思えません。

 ですので素直に何をしているかと尋ねると、長期滞在するはめになったと返ってきました。

 実はその情報はすでに掴んでいます。

 とても信じられる情報では無いのですが、彼は何かの神の使徒である可能性があるのです。

 もっともそれが事実の可能性は低いでしょう。しかし重要なのはアイガス教がそれを重要視している点なのです。ただの流れの商人では無いのです。

 ダメ元で私の商会に誘ってみましたがけんもほろろです。

 彼の反応は私の知る誰とも違います。

 もし私が商人に声を掛ければ誰であれ喜んで尻尾を振ることでしょう。ところがアキラは面倒くさそうに手を振るだけなのです。

 その反応が可笑しくて頬が緩んでしまいます。

 ところがそんな時間を邪魔する無粋な部下がやってきます。

 叱りつけてやろうかと思いましたが、彼の持ってきた話でそれどころではなくなります。

「お嬢様! 大変です! コベル・ピラタス国王陛下が視察にいらっしゃいました!」

 私は悲鳴をあげていたと思います。

 まさか自ら商会に訪れるとはいくらなんでも反則です。

 私は商会に駈け出しました。

 半ば無意識に、誰かの手を掴みながら。

――――

 商会に戻ると待っていたのはまごうことなきこの国の国王コベル・ピラタスⅡ世陛下でした。

 10年ほど前まではもう少しマシな見た目をしていたと記憶しているのですが、今では豚のように肥え太っています。元の顔が良いだけになんと勿体無い事でしょう。

 もっともどんなに容姿が整っていても、この男性と添い遂げる気はありません。私は生涯商人として生きたいのです。それを支えてくれる男性こそ私の理想とする人間なのです。

 しかしこの豚……ピラタス陛下から再三にわたるアプローチは留まるところを知りません。国王という仕事に暇な時間などほとんどあってはならないはずなのですが、事あるごとに私を呼び出しては、やれ妾になれ、妻になれとおっしゃるのです。

 私の記憶が確かであればすでに2桁以上のお相手がいるはず。いったい何が良くて私のような一商人の娘に固執するのか……。

 最近は病気や航海を理由に招待を躱していたのですが、まさか国王陛下自らが一商会に訪れるとは……。

 陛下にはむしろ憎悪しか抱けないと理解……できないのでしょうね。

 私は当たり障りなく挨拶をしたつもりですが、しばしのやり取りの後、陛下が妙な事をおっしゃいました。

「その男は誰ぞ? まさかフィアンセではあるまい?」

「え?」

 ようやく私はアキラの手を握りしめていたことに気が付きます。慌てて手を離しましたが後の祭り。

 陛下に誤魔化そうとして、妙案が浮かびます。

 彼を無理やり相談役として商会に取り込もうとしたのです。

 彼は人が良いのかため息混じりで私の話に乗ってくれました。

 陛下もごくごく稀には良いことをしてくれます。

 折角の縁です、彼を手放すつもりはありません。まずはどこまで利用できるか全ての引き出しを開けさせましょう。

 などと捕らぬ狸の皮算用をしていると、陛下は全てを吹き飛ばす爆弾を投下しました。

 嵌められた。

 それは完全に罠でした。

 王家より直接頼まれていたジャガイモの輸入量を偽装されたのです。今更複写を渡したところでこちらこそ偽証罪で捕まるかもしれません。

 陛下の狙いは明らかです。代わりに私の身柄を求めるのでしょう。

 まさかここまで稚拙で直接的な手段を取ってくるとは想定外でした。

 もう、この国は終わりかもしれません。

 急速に生きる気力が抜けかけた時でした、アキラが妙な横槍を入れてきます。

 彼なりに助けてくれているようですが、それはただの時間稼ぎにしかなりません。

 それでもすがるように彼の言葉に合わせて、無理やり外に出ます。

 そして廊下に出るとアキラの態度が一変しました。

 言葉遣いが荒く、態度もそっけなく変わったのです。しかしそれ自体は問題ありません、影から報告も受けていましたし、彼と私は対等でなければならないでしょう。

 彼は人のいない倉庫に行くと真剣な顔で言いました。

「約束しろ、これからやることは絶対に他言無用にすると」

 私は言葉が続きませんでした。

 全ての状況がソレを認めろと。

 だから私はこう続けたのです。

「もしかして、神の力を使っていただけるのですか?」

 どれだけマヌケな事だろう。彼は法皇でも何でもないのです。ですが確信がありました。

 そして彼はその特殊な能力を持って私を救ってくれたのです。

 神の御業(みわざ)をもって。

――――

 次の日もアキラは港の見える高台でタバコを吸っていました。

 随分と高いものだと思うのですが、彼は躊躇(ちゅうちょ)無く2本目に火を点けます。

 気になったのはタバコではなく、奇妙な空理具(くうりぐ)でした。

 空理具(くうりぐ)にはいくつかの形がありますが一般的に流通している形はたったの二つです。一つは金属の球に持ち手をつけたもの。もう一つは袋や箱で沢山の荷物を収納できるものです。

 もちろんさまざまな形の空理具(くうりぐ)は存在するので、そういったものかもしれません。

 彼の持っているものは透明な長方形の箱に金属の蓋がついているようです。透明な部分はペットボトルと同じ材質でしょうか?

 しかし金属の蓋がついているので、その部分が空理具(くうりぐ)としての機能を持っているのかもしれません。

 ところがアキラが「ライター」と呼ぶ物は空理具(くうりぐ)ではなく、誰でも何度でも使える着火器具というではないですか。

 アキラはそれがどれほど凄いのかわかっていません。

 空理具(くうりぐ)をカードにするアイディアといい、彼の価値観はいったいどうなっているのでしょう。

 さて、どうやって「ライター」を仕入れる話に持って行こうかと悩んでいたら、彼から話を振ってくるではありませんか。

 一番最初にペットボトルの商談をしたときとは大違いです。彼はあの時イニシアチブを取るために全神経を張っていたというのに、今はまるでタバコを一服するついでといった体(てい)で話を進めるのです。

 少し悔しくて猛烈に安く買い叩こうと提案した金額が、まさかそこから半額で良いと言われるなど誰が考えるでしょう。

 彼の気が変わらないウチに商談を進めます。

 彼がボソリといった1万個の取引、すぐにそれに飛びつきたかったのですがさすがにそれは危険すぎます。裏があるのかもしれません。

 私は30ほど買い取ることにして話を終わらせました。

 アキラは……この面倒くさそうな態度の時ほど侮れない商人だと、ようやく理解したのです。

――――

 衝撃でした。

 それを説明する言葉を私は知りません。

 あえて言うならば、巨大なハンマーで頭をかち割られたとか。巨大な鉄芯で脳天を貫かれたとか。とにかく生まれてからこれほど感情を揺さぶられることがあったでしょうか。

 兄を交えて輸出品の話をしているとき、アキラが何気なく言った言葉……。

 ハブ港、流通拠点、経済自由都市、経済特区。

 それは私が目指すこの国の姿。

 決して豚に搾取されるだけの痩せ細っていくだけの、枯れた老人のような国でなく。若くて活気のある美しい国。商人が商人としてどこまでも力を振るえる自由の国。

 私は「彼ら」の言葉を思い出して、首を振る。一瞬「彼ら」の言葉とアキラの言葉が重なってしまったのです。

 それは違う、同じであってはならないのです。

 だけれどそれは私の中で信じられないくらい大きくなっていると、このときの私は気がつくことが出来ませんでした。

 ……もし。

 この時気がついていたら。

 あんな未来にはならなかったかもしれません。

 ……。

 いや、きっとこれは必然だったのでしょう。

 私はこの時、心の奥底にこの理想を刻んでしまったし、その熱は今を持っても消すことは出来ません。

 それでも変えられるものならば、今すぐこの時に戻って全てをやり直したいと思うほどに。

 ……後悔はやめましょう。

 話が逸れてしまいました。

 その時の私に戻りましょう。

 3人での話しを終えて、アキラと食事をしながら特産品の再確認。

 私は完全に頭に入っているし、今更なにか新しい発見があるとも思わないが、異邦人というものはたまに想像もつかない事を言い出すものです。この時もそれを期待して特産品一覧を見せていました。

 しかしアキラの目に止まったのはリストの品目ではなく、リストそのものでした。

 彼は木版に興味が行ったようです。

 情報を残すものに木版と羊皮紙以外に何があるというのでしょう?

 彼の言っていることがまったくわかりません。

 すると彼は例の能力を使ってでしょう、あるシロモノを取り出します。

 それはそれは立派な本でした。

 彼はそれを見せてくれました。

 それは常識を逸したものでした。

 一体何をどうすれば色のついた絵をこれほど大量に封じられるのでしょう。

 一体誰がどうやってこれほどにリアルな絵が描けるのでしょう。

 一体何故これほどわかりやすく技術を余すこと無く記載しているのでしょう。

 普通技術書というのは他人にわからないよう、ありとあらゆる暗号を使って記載するものです。

 本人以外理解できないよう記載されるのが当たり前なのです。

 それが前半は字さえわかれば子供でも理解できるように、後半もきっと試行錯誤すればたどり着けるように事細かに技術が記載されているのです。背筋が凍えてしまいます。

 下手をすれば殺されて奪われる品物です。アキラはまるで理解していません。ですが私は商人です。ならばこれを利用しない手はないでしょう。

 正直「紙」とか「和紙」というシロモノを想像するのは難しいですが、これは必ず金になると商人のカンが囁きます。

 するとアキラが「紙」とはその本のページの事だと教えてくれました。

 内容に圧倒されていて気が付かなかったのですが、ページは薄く何百ページもありました。羊皮紙を重ねた一般的な本であれば、この厚みでも情報量はこの数十分の1……いや百分の1にしかならないでしょう。

 そこでようやく「紙」の恐ろしさに気づいたのです。

 薄くて軽い。それだけでどれほど貴重な品物かが。

 私はすぐに幹部を集めて極秘裏に試作品を作るよう指示を出しました。

 これが完成したらこの閉鎖した国に風穴を開けられるかもしれません。

 しかし折角の興奮した空気は次の仕事で一気に抜けてしまいます。

 レッテル男爵との会食が待っていました。