Godly shop's cheat fragrance

gossip "Ichigo is waiting for spring"

 放課後の事だった。

 今日のバイトは何だっけかと教室で手帳を開いたら、クラスメートの一人が声をかけてきた。

「やあ。今日もバイトかい?」

 話しかけてきたのは岩本だった。岩本はクラスの人気者ではあるが俺とは余り接点のない人間だ。いや、そもそも俺は誰かと深い接点があったりはしないのだが。

「ああ。頼むからチクんないでくれよ」

 偏差値最底辺の県立高校ではあるが、バイト禁止という校則が一応ある。教師にばれたところでちょっと注意されて終わりだとは思うが、万一にも辞めさせられるのは困る。大変に困る。

「今日はどこのバイトなんだい? 遠藤はいつも違う場所でバイトしているイメージだよ」

 岩本はひょいと机の上に腰を下ろした。

 雑談している暇はないんだがな……。

「詰め込んでるってのもあるが、時給の良いバイトがあったらすぐに変えるしな。……年齢誤魔化して深夜バイトしてるとたまにばれて首になるってのもあるが」

 深夜の土方とか時給良いんだけどな……。

 手帳を見ると今日のバイトは割の良い奴であった。

「今日は何でも屋で、夜逃げの引っ越しだな。飛び込みなんで金がいい」

 岩本が目を丸くする。

「なにそれ? いつもは喫茶店とかじゃ無かったっけ?」

「あれ? 岩本は隣町の喫茶店で働いてるの知ってるんだったか?」

 まぁ割とクラスの連中にはバレてるからな。多分何人かは教師にもバレている。その喫茶店は俺が中学の頃から年齢を誤魔化してずっとバイトをしていた。時給が安い代わりに割と楽なバイトだ。店長も良い人で恩もある。

 今日も人数は足りているのだが出来れば来て欲しいと言っていた。普段なら優先するのだが夜逃げのバイトは1日で5万ももらえる超臨時収入なのだ。これが人数が足りないという話なら涙を飲むが、俺がいなくても回るのなら問題無いだろう。

「夜逃げって……僕たちまだ高一だよ? なんでそんなに金がいるのさ?」

 なんでそんな話をせにゃいかんのだ。

「別に。あって困るもんじゃねぇだろ?」

 あー……アレが吸いたい。

「随分無理してるように見えたからさ」

「無理はしてるな」

 睡眠時間は5時間あるかどうか……。だがどうしても金が必要なのだ。仕方ない。

「遠藤が女の子だったら援交とかするのかな?」

 うーん。想像はつかないな。キモいおっさんに抱かれるとか嫌すぎる。

「どうだろうな。男と女の精神構造は違うらしいし。おっさんの相手が嫌で無ければやってたかもな。どのくらい儲かるもんか知らんけど」

「噂だと1回で3万以上もらえるらしいよ?」

「マジか」

「マジで」

 それは凄いな。ちょっと逆の立場で考えてみよう。超ケバいばばあを相手に……うん。無理だ。

「やっぱり俺には無理そうだな。そもそも援交なんて都市伝説じゃねーの?」

 好きでも無い相手に……とまでは言わないがまるで好意もない相手とそんな事が出来るもんなのだろうか? 見目麗しいなら初見でも大丈夫だろうが、そんな奴はそもそも相手に困らないだろうからな

「クラスの橘さん、やってるってさ」

 やってるって……え、援交?

「……マジ?」

「内緒だからね」

 ショックだ。超絶ショックだわ。クラス一の清楚系美女じゃねーか。ちょっと憧れてたのに……。いや待て、俺も金を用意すればお相手してもらえるのか? 3万は超大金だが……。

「っていうか喋って良かったのかよ」

「本当のことを言うとね、このあいだ高梨がその事を知って、お相手してもらったらしいよ」

 高梨って根暗オタクデブじゃねーか。個人的にはオタクに偏見はないのだが、女子に好かれるタイプからはかけ離れすぎだろう。お金をもらったからといってお相手出来るもんなのか?

「高梨の奴、それをスマホで隠し撮りしていたんだよ」

 なんだそれ、色々怖いぞ。オタクに偏見持ちそう。

「それでほら高梨をいじめてるグループがあるだろ?」

「え? そうなのか?」

 高梨が孤立していることは知っていたが直接的にいじめられているとは知らなかった。俺と同じで周りと合わないだけかと思っていた。

「遠藤はもうちょっと周りに関心を持った方がいいよ……」

「……すまん」

 そんな暇も精神的余裕も無いんだが……いじめはいかんよな。

「まあそれでそのグループがたまたま彼のスマホに写っていたソレを見つけてね」

「なんだそれ、もう秘密でもなんでもねーじゃねーか」

 岩本がクスリと笑う。

「まあその通りなんだけどね。対外的には内緒の話ってなってるよ」

 酷い話だ。

「しかしそんな映像が残ってて大丈夫なのか?」

「それが傑作なんだ。いじめグループが高梨のスマホ映像を橘さんに見せて脅したんだ。何を要求したかは……まあわかるよね」

 さっそく大惨事じゃねーか。

「そしたら彼女「あら、撮影は別途3万円プラスですよ」って高梨に要求しに行ったんだよね」

「……」

 えー。なにそれ。

「ここからは噂なんだけど、後でこの映像をインターネットにばらまかれたくなかったら言うことを聞けみたいな行動に出たらしいんだ」

 ちょっと待て、それまでは見聞きしていたって事か?

「彼女の返答はね「その時は私のお友達がお邪魔しますが大丈夫ですか?」って爽やかに微笑んだらしいよ。悪魔みたいに」

 ……。俺は知っている。こういう時出てくる「お友達」の類いが碌でもないことを。俺は彼女にお願いするという考えをアンドロメダの先まで捨て去った。犯罪だしな。うん。犯罪はいかんよ! ……あーアレが吸いたい!

「……女怖いな……」

「そうだね」

 クスクスと岩本が笑った。

「遠藤は異性に困らなそうだよね」

 岩本が素っ頓狂な事を言い出した。

「はぁ? 困らないどころか今までまともに手を繋いだこともねーよ」

 学校行事は別な。

「そうなの?」

「ああ。そういうお前こそ異性に困ってなさそうだよな」

 見てくれはいいからな。こいつ。

「残念ながら僕も縁はないな」

 ふーん。どうでも良いけど。

「さて、そろそろバイトに行かにゃならんのですよ」

 俺は鞄を持って立ち上がる。

「ああ、邪魔してごめんよ」

 俺たち以外誰もいない夕日の差し込む教室なのに岩本は動こうとしない。

「帰らないのか?」

「ちょっとしたら帰るさ」

 ふむ。まあ関係ないな。俺が教室を後にするため出入り口の引き戸を開こうとしたときだった。

「遠藤は異性に興味ないの?」

 振り返る。

 夕日の逆光で表情がよくわからない。

「無いわけじゃ無い……っていうか興味津々に決まってんだろ。お前だって似たようなもんだろ?」

「そうだね」

 窓の外に見える葉の無いイチョウの木が複雑なシルエットを形作る。

「ただまぁ今はそんなのに構ってる時間はないな。金もかかるだろうし」

 最後は負け惜しみでもあるし、事実でもある。デートとか夢のまた夢だ。

「そっか。僕も似たようなもんだよ」

 岩本は机からふわりと降りるとゆっくりと俺の前まで来た。

「これは話を聞いてもらったお礼」

 そう言って差し出してきたのは小さなチョコだった。

「おう、サンキュ」

「……甘い物は疲れに良いらしいよ?」

「そうらしいな」

 俺はそのチョコを口に入れる。……このチョコってこんな味だったか?

「んじゃ行くわ」

「ああ、頑張って」

 軽く手を振って走り出した。これは急がないと間に合わない。

 俺はこの日常的なやりとりをすぐに忘れてバイト先まで自転車をかっ飛ばした。

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 この時期の日暮れは早い。

 先ほどまで紅く染まっていた空も今は濃紺に包まれていた。電気を付けていない教室は時計の針を確認するのが難しいほどに暗い。

 下校時間を知らせる放送が寂しく響き渡る。

 ひとりぼっちの教室。

 彼女はぼそりと呟いた。

「これが僕の精一杯だよ」

 イチョウの枝が寒風でかさりと揺れた。