Godly shop's cheat fragrance

Episode 38: The Cockroach Family and the Grip of Despair

「よお、ドドルさんよ? お前、たしかどっかの村の村長やってなかったか?」

「な、なに?」

 足を払われて、ひっくり返ったまま、ドドルは目を丸くした。

「俺は忘れてねぇぜ? てめぇが見捨てた村の事を」

 どくん。

「俺は覚えてるぜ? てめぇが真っ先に逃げたのを」

 どくん。

「俺は知ってるぜ? てめぇのせいで、幸せを引き裂かれた人間を」

 背後で、ギロとクラリの気配がする。

 二人がドドルに向ける負の感情。

 どくん。

「 俺は お前が 許せねぇな 」

 一歩、一歩と踏み出す。ドドルがそれまでの剣幕が嘘のように顔から血の気が引き、地面を後退っていく。

「俺は、約束した、ギロと、クラリと、てめぇにふく——」

「アキラ兄ちゃん!」

 びくんっ!

 俺は突然のギロの叫び声に身体を引き攣らせるように止めた。

「兄ちゃん! 兄ちゃんは言ったよな!? そいつをぶん殴っても意味が無いって! 金を毟ってやるのが一番きついんだって! 嘘だったのかよ!?」

「ぅあ?」

 俺は、今、何をしようとしていた?

 右手を見る。

 硬く握りこまれた拳だった。うっすら血が滲んでいる。見る人間が見れば、螺旋の波動がどす黒く渦巻いているのがわかっただろう。

 群衆の中に、この露店街を警護する兵隊の姿もあったが、そいつらでさえ引き攣った表情でその場に立ち尽くしていたのだ。

 おい、俺。

 おい、アキラ。

 おい、遠藤明喜良(あきら)。

 今、お前は何をしようとした?

 その握った拳で何をしようとした?

 なんで回りの人間は俺を恐ろしげに眺めているんだ?

 俺は、右手を、見た。

 血の滲んだ拳だった。

 途端、全身から血の気が引いた。

 ゾッとした。

 俺は、何をしようとしていた?

「いつから(・・・・)……いつからだ?」

「ククク……、最初はゴブリンの巣の一番奥じゃったかのう?」

 真横からの唐突な言葉に、ばっと振り向くと、額から2本の小さな角を生やした少女……ファフが、酒瓶を指で弄んで立っていた。

 いつからとか、どこからとか、そんな感情は彼方だ。

「なんだって?」

「ククク……、次はドドルが村から逃げ出したと知ったときだったかの?」

「……」

「ククク……、我が覚えているのは、後はそこな幼子と約束したときじゃったか?」

 明確に。

 ファフはそれを明確に言い放った。間違い無く、何かの確信を持ってだ。

「なぜ……言ってくれなかった?」

「ククク……、愚問じゃな。ワレはそんなヌシも嫌いでは無い」

「俺は……」

「あの、ファフさんはずっと気付いていたの?」

「ククク……、エルフの娘よ。お主も気付いておったろう」

「ファフさんほどハッキリ気付いていたわけではないんです……ただ、ずっと思っていたんだ。何か本来のアキラさんと、違うんじゃ無いかって」

「ククク……」

 ファフはそれ以上語るのをやめた。

「……ファフ。俺は、この感情(・・)が嫌いだ。次からは教えてくれ」

「ククク……」

「頼む」

「ククク……、貸しじゃぞ」

「ああ」

 その後、小さく喉の奥で笑うファフ。

 顔を上げれば、恐怖で固まったままのドドル。

 俺はゆっくりと深呼吸した。

 俺の武器はなんだ?

 拳か? 槍か? 違うだろ? ええ!? アキラ!!

 一瞬紅い何かがよぎった気がする。

 俺は最上級の笑みを浮かべて言った。

「ドドル様。ここは天下の往来です。お話があるのであれば、別の場所でゆっくりお伺いしますが。いかがでしょう?」

「ふっふひ!? ひはっ!?」

 醜いその顔をさらに醜悪に歪ませながら立ち上がろうとしてコケた。

「しっ! 知らん! 貴様など金輪際しらん! 近づくな! この悪魔めぇぇ!!!」

 ドドルは無様に、地面を這いつくばって、群衆の中へ消えていった。

 しばしのち、俺はゆっくりと息を吐いた。

「……ふう」

 息が漏れる。

「アキラさん……」

「すまなかった。全然気付いてなかった」

「いえ。アキラさんはずっと一人で頑張ってましたから」

「そう言ってもらえると、少し気が楽になる」

「ククク……」

「……すまないが、少し休みたい。車に戻って良いか?」

 ヤラライに目配せすると、小さく頷いてくれた。

 何も聞いてこない親友に感謝しかない。

「あ、私も一緒に行くよ!」

「わかった、あとは頼むぜ」

「了承」

 俺はフラフラと歩き出す。さっと肩を出してくれたのはラライラだった。

 ——一人で頑張ってるのはお前の方じゃ無いか。

 そう思いながらも、今だけはその暖かい肩を借りることにした。

 そして——。

「な、なあ角の姉ちゃん。アキラ兄ちゃん大丈夫かな?」

「ククク……、あやつはこの程度で折れるようなヤワ(・・)な心をしておらんて。心配するだけ無駄じゃ」

 俺たちが立ち去った後の露店でのことだ。

「そうか……アキラ兄ちゃんすげえんだな」

「ククク……、そうじゃ。あやつは凄いんじゃ。その真っ黒な心がの」

 チラリ、とヤラライがファフに視線を移す。

 それに気付いていながら、ファフは小さく呟いた。

「ククク……。見えてきたの」

 少女とは思えない、暗いくぐもった笑いを、いつまでも、いつまでも荒野の風に、ファフは流していた。

 ◆

「最悪だぜ」

 俺はキャンピングカーまで戻ってくる。

 ここの所の大工事で周辺の様子はまるっきり変わっていた。

 湿った土が剥き出しになっていた地面の上にはみっしりと石が敷かれ、西スラムはもうスラムとは言えない程度まで再開発が進んでいた。たった数日でここまで工事が進んでいるのにはもちろん理由がある。

 鍛冶ギルドと服飾ギルドが、全力で投資しているからである。実は途中からアデール商会も噛んでいる。さすがに服飾ギルドと鍛冶ギルドだけでは資金が回らない。

 他の商会は、鍛冶ギルドと服飾ギルドが何かしら大きな動きをしているのは気がついていたが、送り出したスパイが全員裸で帰ってくるような始末だ。だが、アデール商会だけはちがう。

 俺……アキラ(・・・)というたった1つの繋がりを利用したのだ。

 簡単に言えば、俺の名を使ってカマを掛けたのだ。もちろん海千山千の服飾ギルド長だ、そんな事は承知の上で、秘密の共有を図ったらしい。

 契約内容までは聞いていないが、まぁ順当に行けばミシンの販売ルートや服の販売ルートに絡んだ物だろう。

 実際飛ぶように売れているYシャツを、まるで制服のように着込み始めたのがアデール商会なのだ。

 すでにこの街では大量にYシャツを入手できるというのは1つのステータスになっていた。

 もっとも着ているのは下働きなどの話で、ロットンの様な最前線に立つ商人は各々の武装(・・)で臨んでいる。

 まだ建物にまで手が付いてるのは一部だが、地面に関しては、すでに街中と遜色ないだろう。

 その関係で今日はハッグに残ってもらっていた。

 車を動かせるのがハッグだけだからな。

 実際キャンピングカーの位置は、城壁沿いにずれていて、その地面は石畳へと姿を変えていた。

 依り代(・・・)の女性たちは、スラム住民の好意で、今はそれなりの建物に匿ってもらっている。もちろん知っているのはごく一部の人間だけだ。

「……今日一日で、見違えたな」

「うむ。ワシもちっとだけ手伝ってやったからの」

「金は?」

「回りの奴らと同じだけはちゃんともらったの」

「小銭だな」

「しかたなかろ」

 これはスラムの人間を雇うという約束の第一弾だろう。

「で?」

「んむ?」

「最近ずっとなんかやってただろ」

「なんじゃ、気付いておったんか」

「なんとなくな」

 ここのところハッグはほとんど徹夜でずっとトンカンやってたのだ。俺のような間抜けでも気付くってもんだ。

 ミシンに発想を得た、新しい発明品か何かだろうと踏んでいる。

「まぁちょうどええ、ちとお主用の武器を作っておってな」

「……武器?」

 きっと俺の表情は酷く不機嫌なものになっていたことだろう。

「……ふん。その様子ではようやく気づいたか」

「やっぱりハッグも気付いてたんだな」

「なんとなくじゃよ」

「なんで教えてくれなかった?」

「こういう事は自分で気づけんと、意味はないからの」

「生憎、ファフに指摘されたんだよ」

「ふん。ならば問題なかろ」

「どういう意味だ?」

「ムカつくが、あの娘、不必要なところでは黙っておるだろうよ。それにお主、しっかり自分で理解しておるではないか」

「遺憾なことにな」

 俺は天を仰ぎ見た。

「ファフさんは……」

 ラライラが会話に入ってくる。

「なんで教えてくれなかったんだろう?」

「今ハッグが言ってたろ。俺が気がつくタイミングを……」

「本当にそうなのかな……?」

 どうだろうな。とは続けられなかった。

「まぁいいや、それで? 武器ってなんだよ」

「ふむ。ファフと耳長の意見も取り入れての、なかなかの業物が完成したぞ」

「へぇ?」

 武器を使う事に興味は無いが、業物と言われればやはり気になるのが男って生き物だろう。

 昔日本刀好きの上司がいて、全国の博物館なんかに付き合わされたことがある。

 東京国立博物館で、一本の刀を前にして涎を垂らして何時間も悦にいっている上司の横にいるのは死ぬほど苦痛だったな。

 ただまぁ、あの妖艶な日本刀の美しさという物は、少し分かる気がする。

 西洋刀もなかなか味わい深い物があるというものだ。

 ちょっとだけ、ちょーーーーっとだけ、期待してハッグの差し出す武器を手に取った。

「……」

 たぶんだが、俺の思考は10分は止まっていたと思う。

 そのあいだハッグとラライラが雑談していたような気もするが、全く頭に入ってこない。

 俺は、思いっきり、その武器を地面に叩きつけた。

「ドリルじゃねぇかあああああああああああ!!!!」

 今日一日のハードボイルドモードが一気にすっ飛んだ。