Hachinan tte, Sore wa Nai Deshou! (WN)

Episode 46: Homecoming After A Long Time.

「ほら、瞬間移動だ。坊主」

「ブランタークさん、また付き合わされるんですね」

「言うなよ……」

 本当に極秘なのかは怪しいどころだが、俺達『ドラゴンバスターズ』の面々は、ブライヒレーダー辺境伯から半ば強制的に依頼を受ける羽目になっていた。

 依頼の内容は、先代ブライヒレーダー辺境伯が我が実家バウマイスター騎士爵家をも巻き込んで多くの人間を犠牲にした、リンガイア大陸最南東部にある魔の森遠征という愚行。

 その無謀な遠征で二千人近くの死者を出していたが、魔の森に残された二千体もの遺体がアンデッドへと化し、そのまま数百年もの月日が流れてしまったら。

 アンデッドは、発生してから長い年月が経てば経つほど、その未練・悲しみ・怨念などが増幅されて厄介な存在になっていく。

 あの王都に多数あった瑕疵物件を見れば、誰にでも理解できる事だ。

 リンガイア大陸において、もっとも南東部に領地があるバウマイスター家の可住地域から未開発地を数百キロも挟んでいる関係で、もし次に魔の森に人が入るとすれば最低でも数百年はかかるはずだ。

 もしその間に、アンデッドがまるで蟲毒のようにその怨念を募らせて強力化してしまえば。

 魔の森のアンデッドによって冒険者に犠牲者が多数出れば、当然その履歴が調べられ、その原因であるブライヒレーダー辺境伯家が悪評を得るはずだ。

 『その数百年後に、ブライヒレーダー辺境伯家があるのか?』と言われると確信は持てないのだが、現時点でブライヒレーダー辺境伯家は千二百年間の歴史があるらしいので、続く可能性はかなり高いはず。

 まだ見ぬ子孫のために、魔の森で彷徨う元遠征軍兵士が材料になっているアンデッドを、まださほど強力ではない内に成仏させる。

 そのために、俺達が現地へと赴く事になっていた。

 こういう大貴族家の恥部に関する依頼を受けている点からも、どうやら俺達は、ブライヒレーダー辺境伯からそれなりに頼りにされているようだ。

 報酬も、口止め料を含めているので結構な額になっていた。

「でもさ、この少人数で大丈夫なのかな?」

「大丈夫だ」

 エルの疑念に、ブランタークさんが即答する。

 多くの魔物が住まう領域に、少人数の冒険者パーティーで挑む理由は前に話した通りだ。

 あまり大勢で押しかけると、それに呼応して魔物が大群で現れてしまうからだ。

 昔の遠征軍の失敗は、ただその一点にあった。

 他にもあるが、それは今は言わないでおく事にしよう。

「少数で侵入すれば、向こうもそれなりの数しか出ないんだよ」

「それは、ここの所の討伐で経験済みだけどさ。でも、それだと二千体ものアンデッドは倒せないだろうに」

「大丈夫だよ。そのための、エリーゼの嬢ちゃんと坊主だ」

 もういい加減成人したので『坊主』は止めて欲しいのだが、ブランタークさんにその気は無いらしい。

 彼からすれば、俺は弟子の弟子である。

 感覚的に坊主扱いなのは仕方ないのかもしれないし、普段公の席では男爵である俺に無礼な口を利くわけでもない。

 さすがに、その辺は弁えているからだ。

「ヴェルと、エリーゼが?」

「ああ、そうだ。一気に油虫を退治するようにな」

 彼が考えた今回の作戦は、チマチマと一匹ずつ倒すのではなく、集まってくるアンデッドを一気に殲滅させるつもりのようだ。

「坊主は、広域拡散魔法は出来るよな?」

「ええ、師匠に教わりました」

 広域拡散魔法とは、簡単に言えば広範囲に魔法の効果を広げる魔法の事だ。

 魔法の効果を広範囲に広げるので、当然大量の魔力を使い、その対象も適切な魔法でないと使った意味がない。

 それに、属性の相性も関係する。

 火属性なら広範囲に火が広がるので、これで広範囲の魔物を焼き殺す事も可能だ。

 たまに、自分が広げた魔法のせいで火に囲まれ、そのまま焼け死んでしまう人もいるらしいが。

 風系統の竜巻なども同様で、逆にあまり意味が無いのは、土や水系統の魔法であろうか?

 ただ全てに意味が無いわけでもなく、土系統では土木魔法などであろうか?

 元から広域に作用する魔法なので、広域拡散をする意味がないという事実は存在していたのだが。

 水系統だと、治癒魔法の広域拡散であろう。

 過去に戦争があった時代、負傷者を集めて一気に治癒するのに便利であったようだ。

 魔力の関係で軽傷者を治すのが限界であったらしいが、それでも、そこまでの魔法を使える人は滅多にいなかったらしい。

 大変に頼りにされていたと、過去に本で見た事があった。

「坊主の広域拡散魔法は、他人の魔法にも使えるよな?」

「ええ」

「じゃあ、意外と楽な仕事になるな」

 ブランタークさんが、作戦を説明する。

 まずは、エリーゼが聖属性の浄化の魔法を使い、それを俺が広域拡散魔法で魔の森中に広げる。

 途中でエリーゼの魔力が尽きたら、ブランタークさんが彼しか使えない魔力補充を行う。

 エルとイーナとルイーゼは、俺達に他の魔物が近付かないよう、その排除が主な任務だ。

「それで、ブランタークさんは助っ人なんですね」

「さすがに、この人数だからな。少数精鋭が基本となるし、助っ人には、相応の実力と口の堅さが求められるわけだ」

 殲滅に成功すれば何の問題も無いのだが、失敗する可能性も考慮して、助っ人にはブライヒレーダー辺境伯に仕えるブランタークさんが選ばれたのであろう。

「では、さっさと行きますか」

「いや、待て」

 六歳になってから十二歳になるまで。

 俺は、バウマイスター家の領地にはなっているが、まるで手が出せていない未開発地への探索を魔法の鍛錬も兼ねて進めていた。

 そのおかげで、魔の森の中には入っていないが、ほぼ全域に渡って自由に移動可能であったのだ。

 なので、さっさと移動して依頼を済ませてしまおうとした俺であったが、それをなぜかブランタークさんが止めていた。

「えっ、どうしてです?」

「先に行かないといけない場所があるだろうが」

「行かないといけない場所ですか?」

「あの魔の森は、一応はバウマイスター騎士爵領内にあるからな。領主に挨拶に行くのは普通だ」

「いや、それはそうなんですけどね……」

 当然気が付いてはいたが、正直気が進まなかった。

 というか、こちらはブライヒレーダー辺境伯家の恥を処理しに行くのだから、せめて向こうが先に挨拶を済ませてくれれば良いのにと思ってしまうのだ。

「はあ……」

「我慢してくれ」

 いくら調査隊すら入れず、あそこに入った事がある人間が俺と魔の森への遠征隊だけである未開地でも、書類上はバウマイスター家の物になっている。

 なので、挨拶に行って許可を取り、獲物の分け前を交渉する必要があるのだ。

 ブライヒブルクのように、そこに冒険者ギルドの支部があれば必要ない。

 冒険者登録さえしていれば、あとはギルドが交渉して税金まで払ってくれるからだ。

 だが、バウマイスター領と未開地には冒険者ギルドが存在しない。

 なので、領主と直接交渉を行い。

 例えば今回であると、アンデッド浄化の過程で得た兵士達の遺品や遠征軍の遺留物に、襲い掛かってきた魔物から得た素材や、魔の森で採集した薬草などと。

 得た物全てから、どのくらいのアガリを収めるのか? 

 支払いは、現物支給なのか?

 ブライヒブルクで売却後に、一定額を現金で納めるのか?

 など、細かく交渉する必要があったのだ。

「(何となく、今更な気もするけど……)」

 子供の頃、散々魔法の修行を兼ねて未開地で収奪に勤しんでいた俺が言うのもおかしな話だが、それとこれでは話が違う。

 というか、ここが俺が悪党な部分だ。

 俺が未開地で勝手に鉱物や獲物の素材などを収奪していても、うちの実家は俺を罰する事など出来ないからだ。

 なぜから、窃盗事件の証明には証拠が必要となる。

 調査隊を入れて、どこに何がどのくらいあるか把握していないうちの実家に、俺の犯罪を証明する能力が無いのだ。

 自分のサイフに幾ら入っているのかも知らない人が、金を盗まれたと騒いでも、警察から相手にして貰えないのと同じ理屈であった。

「……」

「あの、ヴェンデリン様?」

「気持ちはわかるけどな。エリーゼ、少し放っといてやりなよ」

 エルも、俺と同じく実家との関係が微妙なので理解してくれたようだ。

 いくら仕事のためとはいえ、既に捨てたはずの実家に挨拶に行かなければならず、俺は少し憂鬱な気持ちになってしまうのであった。

「はあ……」

「何だよ。そんなに嫌なのか?」

 瞬間移動で、俺は久しぶりにバウマイスター家の屋敷の前に立っていた。

 正直、場所なんて忘れて移動できなければ良いと思ったのだが、なまじちゃんと修練をしていたせいで、数年ぶりにも関わらず瞬間移動の魔法は普通に成功していたのだ。

 俺とエルは、ほぼ同じ立場にはある。

 騎士爵家の相続など不可能な味噌っかすで、己で冒険者として身を立てて独立している身分だ。

 エルは成人になったのと同時に、実家の相続権を放棄している。

 思わぬ幸運で大金を得ていたが、もうそれは別の家の話なので、エルの実家が意地汚く援助など求める事は無いはず。

 あの地獄の地下迷宮攻略から一ヶ月ほどなので、情報伝達速度の関係でこの先どうなるかわからないと、エルも心配そうにしていたのだが。

 翻って、俺の場合はどうであろうか?

 以前に名主のクラウスから、俺こそが次期領主に相応しいなどと言うとんでもない爆弾を放り投げられたので、俺は早々に相続権の放棄をしている。

 というか、陛下から新しい爵位を貰った時点で放棄は確定していた。

 その時に、急ぎ事務的な手続きをお役所に頼んだだけとも言える。

 なお、その時に父も兄も何も言わなかったそうだ。

 そうだなどと言うのは、手紙で全て済ませていたので実際に顔を合わせていないからだ。

 何しろ俺には、バウマイスター家や両親兄弟への執着とか愛情などはあまりない。

 当時六歳のヴェンデリンに転生していて、それ以前の記憶が夢で見た知識であった事と、その後もあまり接触が無いというか明らかに放置されていたからだ。

 別に、虐待とかはされていない。

 家の手伝いなどもしなくても良く、ただ勉学や魔法の修練に時間を費やし、その成果として多少の獲物を飯代として出す。

 有り体に言えば、その程度の関係にしか周囲にも見えなかったであろう。

 俺が魔法が使えると知ってからは、余計にその傾向はあったと思う。

 最南端の辺境貧乏騎士爵家にとって必要なのは、一族と領民達によるある種の閉鎖的な協調関係であり、その関係に俺の魔法は邪魔でしかなく。

 なので、なるべく早く独立して欲しいというのが本音であったのだから。

「今さら、挨拶ってのもなぁ……」

「あの、私は義父様と義母様にご挨拶をしたいですし」

「私もよ」

「ボクも、奥さんその3で」

 婚約者なので三人が挨拶をしたいのは良くわかるのだが、それだけで兄クルトなどに、完全な嫌味だと思われそうな展開である。

 妾がいる父とは違って、兄クルトにはアマーリエ義姉さんしか奥さんがいないのだから。

 男の嫉妬というか、奥さんの数は経済力のバロメーターなので、お前は貧乏だと相手に宣言しているに等しく。

 実際に、それが原因で刃傷沙汰になった貴族もいると聞いている。

 だから、挨拶になど行きたくないのだ。

「表向きは、坊主とアルトゥル殿は同じお館様の寄り子だからな」

 血の繋がりでは永遠に親子なのであろうが、公の立場としては共にブライヒレーダー辺境伯の寄り子同士でもある。

 しかも一応は、貴族同士は同じ陛下の家臣という建て前が存在しているので同じ立場にある事になっている。

 だが実際には、公爵と騎士爵が同じ立場のわけがない。

 領地の広さや経済力にも差があるので、大抵は公爵の方が偉ぶっているのが普通だ。

 そして俺は男爵であり、父は騎士爵でしかない。

 経済力も、言うまでもないであろう。

 気分的に、こんなにやり難いのは初めてだ。

 前世で中年の課長が、『今度、一度定年退職した部長が再雇用で部下になるんだけど、どうしようか?』と思い悩んでいたのを思い出してしまう。

「面倒くさいなぁ……」

 そして現在、親が騎士爵で子が男爵という奇妙な逆転現象が発生している家が存在している。

 勿論、俺自身の事なのだが。

「仕事なんだから、諦めろや」

「わかりましたよ」

 ブランタークさんに言われたので、俺は屋敷のドアをノックする。 

 一応は貴族なので屋敷と呼んではいるが、相変わらずバウマイスター家は零細貴族なようで、その大きさは豪農の家に毛が生えた程度のレベルでしかなかった。

「はい、どちら様で?」

 約三年ぶりの実家であったが、ドアを開けて出て来たメイドに変化は無かった。

 メイドとは呼んではいるが、近所の農家から手伝いに来ているただの老婆なので、三年くらいではそう年を取ったように見えなかったのだ。

 ちなみに、メイド服すら着ていない。

 七十歳超えの老婆なので、あまりメイド服姿を見たいとも思わなかったのだが。

「これは、ヴェンデリン様!」

「やあ、ヘレナ。久しぶりだね」

 思えば俺は、家族などよりも使用人達との会話の方が多い子供であった。

 魔法の鍛錬の成果で得た獲物を渡しながら、普通に世間話くらいはしていたのだから。

「この前に来た商隊の方々が、ヴェンデリン様の噂をしておりました」

 アンデッドになった古代竜に、王国近辺の魔物の住まう領域をを縄張りにしていた老属性竜を討ち、それによって多くの褒賞と爵位を得た事に、教会の実力者であるホーエンハイム枢機卿の孫娘と婚約した事など。

 王都滞在中の、武芸大会や決闘騒ぎまでヘレナは知っていた。

 さすがは、商人とでも言うべきであろうか?

 かなり正確に、情報を南部辺境にまで持ち込んでいたのだから。

「おい、ヘレナさんや……。おおっ! ヴェンデリン様!」

 狭い屋敷ではあるし、仕えている者の大半は既に農作業はリタイアしている老人達でしかなく、俺が戻った情報はすぐに他の使用人達にも伝わっていた。

 続けて、執事のロブスも顔を出す。

 当然執事服など着ていない普通の老人で、彼も農作業をリタイアした七十歳超えの老人である。

 ここでは、ある程度読み書き計算が出来て父の補佐が出来れば、あまり高度な専門性など求められないので勤まってしまうのだ。

「大きくなられましたな。ヴェンデリン様」

「ロブスも元気そうだね」

「いつ、お迎えが来るかわかりませんけどな。ところで、魔法使いとして大きな功績を挙げられたとかで。ヴェンデリン様は、我らの誇りであります」

 家を出るまでは世話になっていたので、俺はなるべく彼らとは笑顔で接していた。

 いや、こういう言い方をすると俺が彼らを鬱陶しいと思っているように感じてしまうかもしれないが、寧ろ逆だ。

 彼らがこれからも安定した生活を送れるように、俺を褒めるのを止めて欲しいと思っていた。

 父はとにかく、兄クルトの事を考えるとそう思ってしまうのだ。

「聞けば、綺麗な婚約者様もいらっしゃるとかで」

「さすがは、王都やブライヒブルクのお嬢様達ですね。お綺麗な方ばかりだ」

「お子が生まれるのが楽しみですねぇ」

 ロブスも、ヘレナも、他の使用人達も。

 エリーゼ、イーナ、ルイーゼを見て、目を細めながら喜んでいた。

 あまりに喜んでいるので、俺はもう他の家の当主なんですとは言えない空気になってしまったほどだ。

「とにかくめでたい」

「ヴェンデリン様がお戻りならば、このバウマイスター家も安泰ですな」

 しかも、話が妙な方向に進んでいってしまう。

 どうやら彼らは、俺が王都での功績を掲げて故郷に凱旋して来たと思っているようなのだ。

 このバウマイスター家の家臣か、もしかすると当主として。

「ヴェンデリン様が、未開地の開発にお入りになられれば」

「ここも、豊かになりますとも」

 更に、話がヤバい方向に進んでいく。

 以前に、俺にこのバウマイスター家を継いで欲しいと懇願して来た名主のクラウス。

 この問題は、俺が法衣貴族として別家を立てた時点で終わっている。

 ところが今度は、名目上はバウマイスター家の領地になっていても、まるで手が出せない未開地の開発に俺が当たればという結論に至ったらしい。

 どうせ持て余している土地なので、それを分与なり売却してしまえば良いのだと。

 一体、領民達に誰が入れ知恵をとも思わないでもないが、このくらいの考えなら誰にでも思い付くはず。

 うちの父や兄クルトからすれば、物凄く不愉快な話なのであろうが。

「(この話題は不味いだろうに……)いや、俺は冒険者として依頼で来ているんだ。父上を呼んで欲しい」

「お館様をですか? 少々お待ちください」

 話を切り上げてから父を呼んで貰うのだが、奥から現れた父は前よりも頭に白髪が増えている状態であった。

 確か、今は五十五歳くらいであったはず。

 この世界ではまだ現役の人も多いが、そろそろ老後の事も考えなければいけない微妙な年頃になっていた。

「久しぶりだな」

「お久しぶりです」

 三年ぶりに会ったのだが、正直何を話して良いのかわからない。

 それは向こうも同じようで、二人の会話はそれだけで終わってしまっていた。

「失礼、バウマイスター卿。本日は、ブライヒレーダー辺境伯様からの要請をお聞きして欲しく参上しました」

「要請か……」

 あくまでもブライヒレーダー辺境伯からの使いであるという態度を崩さないブランタークさんに、父は俺と交互に視線を送りながら渋い顔をしていた。

 父から言わせると、今世の俺が生まれた頃くらいから、バウマイスター家は寄り親であるブライヒレーダー辺境伯によって碌な目に遭わされていない。

 いくら先代の罪とはいえ、そう簡単に割り切れる物はないのであろう。

「父上っ。……っ! ヴェンデリン! 何で生きている!」

「はあ?」

「控えよ、クルト! バウマイスター男爵殿である」

 続けて室内に入って来た長男クルトは、俺を見て大変に驚いているようであった。

 しかし、『何で生きている!』は正直ないと思うのだが。

「兄上、どういう事なのです?」

「いや、それがだな……」

 何か、情報の齟齬が発生しているらしい。

 明らかに慌てている兄クルトに代わって、父が説明を始める。

「中央から、ある噂が流れてきてな。バウマイスター男爵達が、地下遺跡探索で命を落としたかもしれないという物だ」

 間違いなく、情報元はルックナー弟であろう。

 俺達が、初めての依頼で地下迷宮に入ってから一ヶ月と少しほど。

 この僻地に、瞬間移動の魔法以外で情報を流すとなると、商隊では片道でも一ヶ月半はかかる。

 だが、もし腕の良い冒険者などが、己の身一つで山道を急ぎ情報を伝えたとなると、もう少し速度は上がるはずで。

 ギリギリ、俺が死んだかもしれないという噂は得られているはずであった。

 その後の、実は生きていてとんでもない大金を押し付けられた事実は伝わっていないようであったが。

「それは、いつ届いたのですか?」

「昨日だ」

 また、えらくタイミングが悪い。

 それと俺は、今度は明らかに残念そうな表情をしているクルトを見て悟ってしまう。

 この兄は、俺の死を望んでいたのであろうと。

 多分財産目当てなのであろうが、どうせ俺が死んでもクルトの係累には一セントも入って来ない。

 そういう遺言にしているからだ。

 彼の態度を見るに、教えてあげる義理もないのだが。

「(嫌な現実を見たな……)」

 このまま一生顔を合わせなければ、知らずに済んだ事を知ってしまう。

 正直、ブライヒレーダー辺境伯を恨んでしまいそうになる俺であった。

「(坊主、すまん……)」

 そして、そんな俺の気持ちに気が付いてか。

 ブランタークさんは、俺に申し訳なさそうな表情を向けていた。

「とりあえず、中にどうぞ。ブライヒレーダー辺境伯殿からのお話も聞かないといけませんしな」

 俺があからさまに嫌そうな顔をしたのに気が付いた父は、まずはその話は棚上げにし、本来の交渉を行おうと俺達を屋敷の中へと案内する。

 久しぶりに入る屋敷の中であったが、相変わらずというか全く変化が無い。

 豪農に毛が生えた程度の屋敷なので、多分王都の人間なら貴族の屋敷の中とは思わないであろう。

 一応、客も持て成せる事になっているリビングへと移動し、大き目の机で差し向かいで座る。

 所謂、お誕生席と呼ばれる位置に父で、その右隣に兄クルトが。

 左隣が空いているが、そこには名主のクラウスを座らせるらしい。

 今、ヘレナがクラウスの家まで呼びに行っているそうだ。

 今回の交渉では、俺達が得た成果からバウマイスター家側に何%を収めるのかなど。

 計算が必要となるので、それが出来るクラウスを呼んだのであろう。

「(ヴェルの親父と兄貴もかよ……)」

「(エルの親父もか?)」

「(ああ)」

 色々と金には五月蝿い癖に、なぜか田舎の小領主ほど漢字や計数の勉強を怠る傾向にあるのだ。

 漢字などは、中央で小難しい文章を捏ね繰り回すひ弱な連中に任せておけば良く。

 領主たる者が、細かな金の計算などに携わるべきではない。

 こんな事を言って、その仕事をクラウスのような名主に任せてしまうのだ。

 自分も知っていれば、チェック出来るので不正も防げるのに。

 多分、プライドが高いので、習得できなかったら恥ずかしいという理由もあるのであろう。

「(うちも、名主に丸投げだな)」

 エルの実家も、同じような情況らしい。

 エル本人は家を出なければいけないので、ちゃんと勉強をしていたようだが。

 実は、冒険者の漢字を含む識字率と、読み書き計算などの計数能力は意外と高い。

 子供の頃から勉強をしていた貴族の子弟や、教会で教わっていた聖職者などが居るし、他の階層出身者も空いている時間にギルド主催の講習などを積極的に受けるからだ。

 理由は、本部ではないが地方の小さな支部などで。

 在地領主と結託しているようなギルド職員が、隙あらば冒険者に渡す報酬を誤魔化そうとしたり。

 たまに入る緊急依頼などで、書類にして渡す条件を低く設定しようとするからであった。

 知らないと、低い報酬で命を賭けさせられるわけで。

 なまじ生活がかかっているだけに、兄クルトなどよりもよほど真面目に勉強に励んでいるわけだ。

「お待たせいたしました。お久しぶりです、ヴェンデリン様」

 暫くしてから、ヘレナと一緒にクラウスも姿を見せる。

 また前のようにおかしな事でも言うのかと思えば、今回は挨拶だけであり、それが逆に彼の油断ならない部分なのであろうが。

「では、始めるとしますか」

 反対のお誕生日席に俺が、右隣にブランタークさん、イーナの順で、左隣にエル、エリーゼ、ルイーゼと座る。

「ところで、ブライヒレーダー辺境伯殿からの依頼とは?」

 いよいよ、話し合いが始まる。

 内容は、俺達が魔の森で遠征の犠牲者達のアンデッドを浄化するので、その過程で出た成果の何割を収めれば良いかという物であった。

「また兵を出せと?」

 父は静かに話を聞いていたが、兄クルトはブランタークさんの説明を遮り、底冷えのするような声でこちらを牽制してくる。

 また、十五年前の惨劇再びなどと思ったのかもしれない。

「いえ、浄化は我らだけで行います。バウマイスター男爵様ならば、魔法で簡単に現地に行けますから。アンデッド二千体にしても、竜に比べればさほどの事もありませんし」

 口調は丁寧であったが、ブランタークさんの返答は挑発的であった。

 冒険者生活が長い彼からしたら、兄クルトの脅しなどは脅しの類にも入らないのであろうし。

 交渉相手はあくまでも領主である父なので、そこに余計な口を挟むなという事なのであろう。

「そうだな。うちには、浄化のプロである聖女様も居るわけだから」

 エルも続けて、自分の意見を述べる。

 彼からすると、やはり兄クルトは気に入らないらしい。

 実家で自分を散々にいびった、兄達を思い出してしまうのであろう。

「バウマイスター男爵殿達だけで浄化を行うのであれば、うちからは何も言う事はありません。案内役を出そうにも、地理に詳しい者もおりませんし」

 遠征に出た生き残りにしても、ただ何となく方向だけ気にしながら往復していたそうで。

 特に帰りなどは、生死と隣り合わせであったせいで未開地の地理に詳しくなる余裕などなかったそうだ。

 その前に、トラウマのせいで二度と未開地などには行きたくないであろうし。

 多分、五年かけて稚拙ながらも全土を回って詳細な地図を作った俺の方が、よっぽど地理には詳しいはずであった。

 瞬間移動用の簡単な地図を作った後に、時間をかけて内容の補強を行っていたのだ。

「父上……。じゃなくて、バウマイスター卿。浄化に関しましては、こちらで全て行います。あくまでも、その過程で得た成果の中からいかほどを上納するかという事でして」

 これは公式の交渉の席であり、俺と父は別の独立した貴族である。

 なので、敢えて言い直して父をバウマイスター卿と呼ぶ俺であった。

「成果ですか」

「はい。まずは、二千体のアンデッドが装備している武器や防具ですね」

 親子なのに、親子ではない二人の会話は続く。

 アンデッドは、生前の武器や防具を装備し続けている。

 碌に手入れもしないで十五年も経っているのだから、まず一部を除いてクズ鉄以外に使い道はないのだが、中には価値のある物や、遺族に渡せそうな遺品という物も存在している。

 実はブライヒレーダー辺境伯から、持ち主を特定できそうな物は遺族に渡したいので、出来る限り持って帰って来て欲しいと頼まれていたのだ。

「遺品ですか。それは、確かに大切な物ですな」

「五割だ」

「えっ?」

 突然、割って入って妙な事を口走り始めた奴がいる。

 誰であろう、兄クルトであった。

「遺品を持ち帰れないのは辛いよな、ヴェンデリン。冒険者としての任務も達成できないわけだし」

「いくら何でも、五割は暴利だと思いますけど」

 普通、このようにギルドが存在しない領地において。

 領主が冒険者に課す上納金の率は、一割から三割が相場である。

 一概に全員がそうとは言えないが、中央に近い大物貴族ほど率は低く、地方の小領主ほど率が高い傾向にあるそうだ。

 大物貴族は、いち冒険者パーティーの上納金に過剰な期待などしないし、あまり暴利を貪ると評判が落ちるのでそちらの方を気にする傾向にある。

 更に、大抵の大物貴族の領地には冒険者ギルドの支部があるので、実は交渉するケース自体が稀なのだが。

 逆に地方の小領主は、滅多に冒険者が交渉に来ないので、少ないチャンスで大金を得ようと、どうしても高くなってしまうのだ。

 だが、さすがに五割は暴利が過ぎるという物だ。

「クルト殿」

「確かに高いですが、何か文句でも?」

 兄クルトは、自分の名前を非難するように呼んだブランタークさんに厭らしい笑顔を向ける。

「(この野郎……)」

 ブランタークさんが無表情になってしまうが、内心では煮えたぎっているのであろう。

 それと、五割の徴収が絶対に駄目だと言う法もないのだ。

 なぜなら、その領地においては領主の決定こそが法なのだから。

「ところで、バウマイスター卿とクラウス殿の意見はどのように?」

 小さい頃はわからなかったが、間違いなくクルトは俺の事が嫌いなのであろう。

 こうなると、もうまともに話をするだけ無駄とも言える。

 それに、余計な口を差し挟んでくるが、今のクルトは次期当主にしか過ぎない。

 さきほど、俺にぞんざいな口を利いたのは、今の俺が貴族としてよりも冒険者としての立場の前にあるので、問題ないと思っての事なのであろうが。

 ならば、こちらだってクルトなど無視するに限るのだ。

「あくまでも私の意見ですが。遺品になりそうな物は除いて、三割が適当かと」

 クラウスの意見に、父も無言で首を縦に振っていた。

 なるほど、やはりクラウスは油断ならない男だ。

 地方の零細貴族なので、上納金は三割。

 だが、遺品になる物の分は除いてなので、その分は俺達やブライヒイレーダー辺境伯に配慮しているわけだ。 

 そして、父はそれに賛同した。

 ならば、これで決定だ。

 まだ爵位も持たないクルトに、口を挟む権限などないのだから。

「では、遺品分を除く三割で」

 持ち主が特定できないような装備品に、まだ残っている可能性がある遠征軍の遺留品。

 そして、浄化の過程で倒した魔物の素材と言ったところであろうか?

「支払いは、現物ですか? それとも?」

「ブライヒブルクで換金して、その評価額の三割を現金でお願いします」

「わかりました」

 このように、父と話すと話はスムーズに進むようだ。

 支払いが現金なのは、こんな僻地で錆びた鎧や魔物の素材を三割も貰っても仕方が無いからなのであろう。

「誤魔化すなよ」

「てめぇ! さっきから何なんだよ!」

 そして、ここでまたクルトがバカな口を差し挟み、この発言でエルが珍しくブチ切れてしまう。

 剣には手をかけなかったが、席を立ち上がってクルトに近付こうとしたので、俺が慌てて彼を止める。

 ぶん殴りでもしたら、それこそ問題になってしまうからだ。

 更に、ブランタークさんの方に視線を向けると、既に彼は無表情を止めて、クルトを刺すような視線で睨み付けていた。

「ふん、竜殺しの英雄だか知らんが、連れている手下はチンピラだな」

 などと挑発しつつも、クルトの足元は震えていた。

 彼程度の腕っ節で、ブランタークさんやエルに敵うはずなどなく。

 なのに敢えて挑発しているのは、バウマイスター家の跡取りである自分に危害を加えれば大変な事になると知っているからなのであろう。

 そう思って挑発するのなら、せめて足の震えを止めて欲しいものだが。

 正直、見ていて見苦しかった。

「クルト兄貴!」

 そして、更に事態はややこしくなる。

 突然リビングに、俺のもう一人の兄で、今は分家に婿入りしているヘルマン兄さんが飛び込んで来たからだ。

「お前は、呼んでいない!」

「なぜだ! おかしいだろうが! 義祖父や義父達の遺品に、領民達の遺品もあるんだぞ!」

 どうやらヘルマン兄さんは、クルトが自分をこの交渉の席に呼ばなかった事が不満であったらしい。

 遺品の話をしているので、彼は婿入りした分家当主の立場として、遠征で戦死した父の叔父であった前従士長に、その息子達三人に、従軍した兵士達の遺品を求めているようだ。

「遠征に参加した、バウマイスター家側の遺品か。集められる限りは集めるので、後で見て貰って判別して貰うしかないな」

「いや、必要ない」

「はあ? 今、何と?」

「だから、必要ないと言ったんだ」

「はあ?」

「戦死者の葬儀と供養は済んでいる。今更、遺品などいらん」

 クルトのまさかの発言に、ブランタークさんは思わず彼に二度も聞き直してしまう。

 冒険者であろうが、軍人であろうが。

 出先で遺体や遺品などを見付けたら、余裕があれば持ち帰って遺族の返そうとするのは常識だ。

 なのに、それを必要ないと言うのだから。

 ブランタークさんは当然として、ヘルマン兄さんは一気に顔を真っ赤にさせていた。

「(ねえ、どういう事なの?)」

 いつの間にか、席を立って俺の傍にいたイーナがその理由を訪ねてくる。

 もし俺の想像が正しければ、俺達にバウマイスター諸侯軍戦死者の遺品を集めさせると、その手間賃で上納金が減ると思っているのであろう。

 俺は、イーナに自分の考えをそっと呟く。

「(最低……)」

 確かに最低なのだが、クルトからすればもう死んでいる人間の錆びたり薄汚れた品など。

 小銭以下の価値しかないと思っているのであろう。

 ブライヒレーダー辺境伯軍の戦死者なら、もしかすると高価な武具やアクセサリーなどを付けている可能性もあるが、バウマイスター諸侯軍の面子に限ってそういう事は無い。

 つまり、そういう事だ。

「ですが、いくら遺体無しで葬儀を行い、墓を建てたとしても。本人の魂は、現地でアンデッドとして彷徨っているんです。浄化して、遺品を遺族の元に返してあげる。これで、ようやく成仏を」

「残念ですが、お嬢さん。うちのような貧乏領地で二度も供養を行う余裕なんて無いんですよ。聖女様に渡す、大層な心付けも無いですしね」

「私は、そんな物は……」

 さすがのエリーゼも、腹に据えかねた物があったらしい。 

 珍しく強めの口調で、遺品を遺族に返す事をクルトに進言するが、肝心のクルトの態度は『糠に釘』状態であった。

 クルトは、一応エリーゼが教会のお偉いさんの孫なので配慮はしているつもりのようだ。

 だが、発言の後半部分では、何を頼むにも寄付寄付と五月蝿い教会をバカにした口調になっていた。

 図星の部分もあるのだが、エリーゼが今までに浄化で受け取ったお金はあくまでも報酬のみで、寄付金などは一度も受け取った事がない。

 むしろ、貧しい人達のために、定期的に無料で浄化などもしているのだから。

「クルト殿。もういい加減に、無責任に言葉を吐き捨てるのを止めてください」

 と言うか、もういい加減にして欲しい物だ。

 俺は思わず父の方に視線を送るが、父も『処置無し』と言った表情をしている。

 クラウスは、相変わらず無表情のままであったが。

「ヴェンデリン! 貴様! 兄に向かって!」

「そうですね。血統上は、俺はクルト殿の弟ではあります。ですが、公式の立場では俺は独立した法衣男爵なのです。たかが騎士の跡取りの分際で、男爵に偉そうな口を利きますね」

「貴様ぁ!」

 本当は、こんな事を言うつもりはなかったのだが、気が付いたら口にしてしまっていた。

 多分、許容範囲を超えた怒りで、キレてしまったのであろう。

 エルをチンピラ扱いで、エリーゼを守銭奴の生臭坊主扱いとは。

 ここで黙っていると、貴族としても体面が保てないという状態のはずで。

 俺は家臣と婚約者をバカにされたのだから、言い返す権利もあるはずだ。

 俺の挑発的な言葉に、ブランタークさんも、父も。

 ヘルマン兄さんですら、先ほどの怒りを忘れて唖然としているようだ。

「そもそも、俺達の交渉相手はバウマイスター卿なのですよ。なぜ、ここであなたが偉そうに口を出すのですか? 挙句に、人の従士長をチンピラ扱いして、婚約者を生臭扱いとは」

 他にも言いたい事はあったが、これ以上言うと収まりが着かなくなる可能性があった。

 特に、計算も漢字も出来ないは父にも当て嵌まる。

 言うと拗れる可能性があったので、ここで罵詈雑言は止める事にする。

「(ヴェルって、先日の件でストレスが溜まっていたのと違う?)」

「(そうかな?)」

 俺が、暴発するとでも思ったのか?

 ルイーゼも、いつの間にか俺の腕を掴んで抑えに入っていたようだ。

「(しかし、酷いお兄さんだねぇ……)」

「(今、知ったさ)」

 というか、クルトは俺が家を出て貧しく惨めにでも暮らしていないと、そのプライドが保てないのであろう。

 その癖、自分で何かを努力するという事も無い。

 父も同類だが、漢字や計算などを全く覚えない。

 俺は始めから知っていたのだが、それでも前世で大学に受かるくらいは勉強はしている。

 この世界でも、魔法の特訓で手を抜いた事など一度も無かった。

 加えて、少しでも領地の生活を豊かにしたいのなら、せめて将来のために、未開地に人を出して地図くらい作り始めるのが普通だ。

 俺だって、瞬間移動で正確に移動するために、五年以上もかけて地図は作っていたのだから。

 父の爵位と領地が継げる安定した立場なのだから、それが出来ないのなら静かにしていれば良いのに。

 家を出た弟達に抜かれると、それが悔しいので実際に会うと嫌味が口から出る。

 今度王都に行ったら、エーリッヒ兄さん達に報告しておくべきであろう。

 嫌な思いをするので、なるべく行かない方が良いと。

「依頼を終えたら、一度ここに戻って来ます。その時に、バウマイスター家、ブライヒレーダー家双方の遺品を選別し。残りの売却益の三割を納めるという事で」

 もうこれ以上、ここに居たくなかったのだ。

 何か話せば、クルトが揚げ足を取ってくる。

 なので、条件だけ決めてとっとと仕事に戻るべきであろう。

 男同士の話し合いなので、母や義姉さんとまだ会っていなかったが。

 俺がこの屋敷に長時間居るのを、クルトが認めるはずもない。

 残念だが、これ以上の滞在は双方に不幸しか呼ばないので、俺達はすぐに席を立って屋敷を出る事にする。

「ヴェンデリン様。今日は、お泊りにならないので?」

「いや、俺達は冒険者だから野宿でもするさ」

 アンデッドの浄化は、出来れば早朝の日が昇った直後から始めた方が効率が良いはず。

 今は昼なので、今日は魔の森の近くで野宿をする予定にしていたのだ。

 冒険者なのでその準備はしているし、野宿くらい出来ないと冒険者とは言えないのだから。

「せっかく戻られたのです。せめて一泊くらいは」

 早朝に起き、瞬間移動の魔法で飛べば同じ事だが。

 今までのクルトとのやり取りを見て、それを平気で言えるクラウスがある意味凄いなと、俺などは思ってしまう。

「しかしだな」

「大切なお仕事でございましょうから、ここは万全を期した方が宜しいかと。本屋敷でなく、ヘルマン様のお屋敷でお泊りになれば宜しいと」

 確かに、クラウスの言う事にも一理はある。

 それに、当主の息子が里帰りをしたのに、一泊もしないで領地を出て行ってしまえば、それはバウマイスター家側の面子を潰す事になるであろうと。

 言わなくても気が付かせてくれるクラウスに、やはりこいつは油断がならないと感じていた。

「それで、宜しいでしょうか? ヘルマン様」

「ああ……」

 俺達とクルトの争いを見て絶句したままであったヘルマン兄さんだが、クラウスに声をかけられて我に戻ったようだ。

「双方共に、頭を冷やした方が良いか」

 こっちが先に喧嘩を売られたような気もするのだが、ここで変に反論してクルトがまた騒ぐと、時間を無駄にしてしまう。

 俺達は、無言のままで首を縦にふっていた。

「バウマイスター卿、本日はヘルマン殿の屋敷でお世話になります」

「大したもてなしも出来ませんが。ヘルマン、任せるぞ」

「はい」

 何とか、交渉も無事に終わり。

 無事かどうかは微妙なところだが、上納金の件は形が付いたので良しとする事にする。

 あまり縁の無い家族ではあったが、エル達にはとんでもない醜態を見せたというべきであろうか。

 とにかく、後味は悪かった。

 あとは、俺にとって、もうこの屋敷は全くの他人の屋敷なのだなと。

 自覚させられる事になるのであった。

「すまんな」

「ヘルマン兄さんが謝る事でもないでしょうに」

「ここ二~三年、何かおかしいんだよな。クルトの兄貴は」

 バウマイスター家の本屋敷を出た俺達は、ヘルマン兄さんの案内で彼の屋敷へと向かっていた。

 共にバウマイスターの家名を持つ、代々従士長を勤める家で、先代の当主は俺達の祖父の弟であったと聞いている。

 ところが先代は、例の魔の森遠征で三人の息子達と共に戦死し。

 三人共、子供が娘しかいなかったそうで。

 長男の最初の娘に、ヘルマン兄さんが婿入りして家を継いだのだ。

 ヘルマン兄さんが、俺以外の面子に自己紹介を兼ねて説明していたのだが、みんなどこか納得いかないような顔をしていた。

 それもそうであろう。

 いくら家臣とはいえ、親戚筋の家の男手を全て出兵させて全滅させてしまったのだ。

 更に、その後継に本家から次男を婿として入れた。

 何か、意図的な物を感じてしまうのであろう。

「言いたい事はわかるけどな」

 長男のクルトは除くとして、目の前のヘルマン兄さんは当時にはもう十八歳前後であったはず。

 なのに、本家からは一人も従軍させていない。

 まるで、全滅する事がわかっていたので、わざと出さなかったと言う風にも受け取れるのだ。

 そして、男手が全滅した分家に、多過ぎる息子を婿に入れて家を乗っ取る。

 陰謀論かもしれないし、事実かもしれない。

 少なくとも、そう疑われても仕方の無い情況であった。

「親父は、危ういと思ったんだろうな。だから、本家からは子供を出さなかった。分家は、最低でも一人くらいは戻って来ると思ったんじゃないかな?」

「それにしても……」

「ああ、エルヴィン君だったな。おかげで、新婚当初は針の筵だったさ」

 分家の人間からすれば、ヘルマン兄さんは家の乗っ取りを謀る父の尖兵にしか見えなかったであろう。

 なので、相当に苦労しているはずだ。

「どうやって、馴染んだんですか?」

「簡単な事さ。分家の人間になって、本家の都合よりも分家の都合を優先させる」

 先ほどの、バウマイスター家側の遺品を寄越せという陳情も、確かに分家の都合が最優先だ。

 分家だって、戦死した先代当主やその息子達の遺品が欲しいはずだからだ。

「それを、ヴェル達への手間賃を惜しんで断ろうとしやがって」

「どうせ、拾えるだけ拾って後で選別するんだから、大した手間でもないんですけどね」

 拾った物は魔法の袋に収納しておけば良いので、他の冒険者とは違って荷物が重いという事もないのだから。

「交渉されて、上納金の率が下がるのを恐れたんだろう」

「セコっ!」

「確かに、お嬢さんの言う通りにセコいよな」

 ルイーゼの率直な感想に、ヘルマン兄さんも一切否定はしなかった。

「さてここが、俺が当主を務めるバウマイスター分家の屋敷だ」

 見た感じは、本屋敷よりも少し造りが小さくて外見も少し古いような気がする。

 多分、本屋敷に気を使っての事なのであろうが。

 元々、本屋敷ですら豪農の家に毛が生えた程度なので、そんな気遣いも考えないといけないとは、ただヘルマン兄さんの苦労が偲ばれるという物であった。

「ただいま」

「旦那様、おかえりなさいませ」

 本屋敷と同じく、七十歳近い使用人の老人が出迎える。

 やはり、人件費やら、住み込みで働かせるほどスペースに余裕があるわけでもないようで、分家の使用人も農業をリタイアした老人達が主戦力となっていた。

「マルレーネは? お客さんがいるから顔を出せと伝えてくれ」

「はい、私はここにいますよ」

 そんなに広い屋敷でもないので、ヘルマン兄さんの奥さんはすぐに顔を出していた。 

 年齢は、二十代半ばくらいであろうか?

 親戚だからなのか?

 髪の色は同じブラウンで、顔立ちも少し似ているような気もする。

「あら、噂の竜殺しさんね。お久しぶり」

 そういえば、又従兄妹の関係になるのに、俺は一度も彼女と顔を合わせた記憶がなかった。

 いや、確かクルトとヘルマン兄さんの結婚式で二度顔を合わせているはずだ。

 変に知己になって、継承問題で結託されても困るからなのであろう。

 一回だけ、父から紹介されて挨拶をしただけであったが。

 そして式の間中も、俺は出された飯を食っていただけなのだから。

「そうだ。クルト兄貴が絶賛敵視中のな」

「良い年して、本当にケツの穴が小さい男ね。あのバカは」

 そんな下品な事を言う女性には見えないのだが、彼女はクルトをボロカスに貶していた。

 いくら親戚同士でも、これまでの経緯を考えると仲良しなはずもないので、納得は出来るのだが。

「あの、次期当主にそんな陰口を叩いて大丈夫なんですか?」

「大丈夫よ。たまに、本人にも言っているから」

 顔を引き攣らせたイーナからの質問にも、マルレーネ義姉さんはサバサバとした物だ。

 彼女からすれば、本家の人間は祖父と父と叔父達の仇。

 そして、分家の人間も意見を同じくしている。

 何となく想像は出来たが、胡散臭い名主のクラウスの件と合わせると。

 次第に、この領地はいつまで存続可能なのか疑問に思ってしまうのだ。

「お客様は歓迎します。それが、あのクルトと喧嘩してきた人達なら余計にね。あと、この村って本当にお客さんが来ないのよ」

「確かに……」

 ここに居た頃に見た外部の人間といえば、少なくとも俺は商隊の人達のみであった。

 なので、この領地では基本的にお客さんは歓迎される。

 外の情報に飢えているので、それを聞きたくてしょうがないからだ。

「どうぞ、中に」

 マルレーネ義姉さんの案内で屋敷の中に入ると、外部とは違って中は本屋敷よりも綺麗に整えられているようだ。

 外部は本家が五月蝿いので粗末にして、内部は造りも合わせて内装なども綺麗にしている。

 多分、ヘルマン兄さんや沢山いる分家の女性陣が整えたのであろう。

 先代従士長の奥さんと、戦死した息子三人の奥さん達に。

 マルレーネ義姉さんとその妹を始めとする、俺の又従姉達にと。

 残りの男性陣であるヘルマン兄さんを始めとする婿達は、どこか所在なさ気にしていた。

 この家は、完全に女性優位の家のようだ。

 そして、彼女達は反本家で纏まっている。

 婿達も、家に馴染むために。

 ヘルマン兄さんなどは、元からさして実家に愛着など持っていないので、早くこの家に馴染むためにさっさと反本家になってしまったのであろう。

 というか、あの家庭環境ならば、クルト以外はよほどのマゾでもないとそうなってしまうのだ。

 これが、リビングに案内されてお茶を出された俺達が見た、このバウマイスター分家の第一印象であった。

「(表面上は従士長の家柄で親戚なのに、潜在的な反本家って……)始めましてじゃないのか? ヴェンデリンです」

「何年も前から、早朝に出かける姿は見ているわ」

 マルレーネ義姉さんを始めとする分家の人間は、俺が子供の頃に魔法の修行で外に出かける姿は目撃していたようだ。

 ただ、彼女達は全く話しかけて来なかった。

 反本家の立場を隠そうともしない分家なので、俺と接触する危険性を理解していたのであろう。

 今は、俺が別家の人間なので問題はないと思っているようだ。

 それに、今の俺達はこの領地を訪れた冒険者という立場の方が強い。

 本家が泊めない以上は、分家が面倒を見る必要があると思ったようだ。

 バウマイスター騎士爵領の、面子の問題として。

「それに、お爺さまやお父様の遺品を回収に行ってくれる冒険者を泊めるくらい。常識のある人間なら当然よ」

 そう言いながら、マルレーネ義姉さんは一瞬本家の方角に視線を送る。

 クルトのバカぶりと、老いて彼を止められなくなっている父を内心で非難しているのであろう。

「なので、ブランターク様も機嫌を直して」

 マルレーネ義姉さんは、そう言いながら未だに怖い表情のままのブランタークさんに、何か別の液体が入ったカップを差し出していた。

「いや、すまん。久々に、ブチ切れるところだった。へえ、ハチミツ酒か」

「うちの特製ですよ」

 ブランタークさんは、自家製のハチミツ酒を貰ってようやくご機嫌が直ったようだ。

「良い味だな」

「うちの秘伝ですから」

 俺は、正直驚いていた。

 普段の食事が、硬い黒パンと薄い塩スープのこの領地で、まさかハチミツ酒などという贅沢品が出てくるとは。

「あのな、ヴェル。おかしいのは、うちの実家だから」

 ヘルマン兄さんが言うには、婿入りしてから気が付いたのだが。

 どこの家でも。

 少なくとも、従士長をしているこの分家では、もう少しまともな飯が出るそうなのだ。

「そうなんですか?」

「うちとて普通に節約は心がけているけど、飯は普通に食べるから」

 農作物以外は、代々従士長の家なので普通に狩りや採集で賄っている。

 何でも分家の教育方針のようで、マルレーネ義姉さん達も普通に弓は使えるらしいし、罠などの仕掛け方も必修事項なのだそうだ。

 本家では主にプライドの関係で、『女性に弓など持たせるのはもっての他』という事になっているそうだが。

 他にも、初期的ではあるが養蜂でハチミツを得ていて、それを材料にハチミツ酒なども造っている。

 今、ブランタークさんがお替りを要求したのが、その成果であった。

「それを聞いて安心しました。またあのメニューかと思うと」

「うちは女性が多いからな。ちゃんとした料理くらい出るさ。本家の場合は、半ば脅迫的に節制を心がけている部分があるし」

 少しでも多くの現金を保持していたいという、明確な目標があるためであろう。 

 でなければ、最初に上納金を五割などと言わない筈だ。

 分家の方は、そこまで堅苦しいと毎日の生活で息がつまるから程ほどにという方針のようであったが。

「夕食まで時間がある。ゆっくりとしていてくれ」

 とはいえ、珍しい外部の情報を持っている客である。

 エリーゼ達女性陣三人は、マルレーネ義姉さん達に捕まって、王都のファッション情報などを根堀り葉掘り聞かれていたし。

 エルやブランタークさんも、婿達に王都などの情報や冒険者稼業などについて聞かれているようだ。

 そして、俺はと言うと……。

「すげえ! 本当に、竜殺しの英雄様がいる!」

「お父さんの弟だって、本当だったんだ」

 ヘルマン兄さんの子供達を始めとして、分家の子供達多数に囲まれていた。

 しかし、子供の目とはとても純粋で綺麗な物だと思う。

 二十五歳で、この世界のヴェンデリンに憑依して十年ほど。

 合算すると三十五歳を超える、心が薄汚れた俺から見ると眩しいくらいであった。

「レオン、俺は嘘なんてつかないけどな」

 一番の年長者であるレオンは現在七歳で、ヘルマン兄さんの長男にして、この家の跡取りである。

 他にもクラーラという四歳の妹がいて、彼女もその純真な瞳で俺を見つめていた。

「俺も、叔父さんですか」

「いや、ヴェルが八歳くらいの時からずっとそうだから」

 実は、昔からヘルマン兄さんに子供が二人居るのは知っていたのだが、年齢や性別や名前なども知らなかったのだ。

 顔を合わせたり、下手に可愛がったりすると。

 それだけで、父に文句を言われそうな気がしていたからだ。

「思うに、今まで接触が無くて正解でしょう。今のクルトの態度を見るに」

 あの男の事だから、俺が実家を乗っ取るために従士長の家の跡取りに好かれようと媚を売っているとか思われかねないからだ。

「確かにな。でも、もう今更だろう」

 確かに、もう今更なのだ。 

 勝手に疑って、勝手に苦しんでいれば良い。

 そう思った俺は、子供達に次々と魔法の袋からお土産を出し始める。

 せっかく実家に行くので、アマーリエ義姉さんやその子供達の分も含めて準備していたのだ。

 今の時点で渡すと、彼女がクルトに何か言われかねないので、魔法の袋に仕舞ったままだったのだが。

「何でも出て来る、魔法の袋だ」

「さすがに、先に入れていないと出てこないさ」

 俺はそう言いながら、レオンを先頭に王都で購入したお菓子や、ボードゲームなどの玩具を渡していく。

 相手は子供なのだが、お土産を渡す順番も貴族は気を使わないといけないのだ。

 レオンは、この分家の跡取りで。

 妹のクラーラを除くと、他の子供達は外に嫁に出たマルレーネ義姉さんの妹や従妹達の子供なので、序列はハッキリとさせないといけないからだ。

 そういえば、徳川家光が子供の頃にそういう話があったような気もするのだが。

「ありがとう、ヴェンデリン叔父さん」

 まだ十五歳なのに傷付く呼び方であったが、この世界では珍しい事でもない。

 みんな結婚が早いのと、年齢差がある兄弟が多いので、どうしてもそうなってしまうのだ。

「竜退治のお話を聞かせて!」

「聞かせて!」

 時間はあるし、クルトの事など思い出したくも無い。

 なので俺は、子供達に骨竜を退治した話などをし始める。

 子供達は、お土産の飴を舐めながら懸命に話を聞いていた。

 こういう光景を見ていると、久しぶりに心が洗われるような気がする。

 一時間ほど話したであろうか?

 子供達はまだ話をせがんでいて、俺も時間があったので良いと思ったのだが、そこに思わぬ人物が姿を見せる。

「さすがは、バウマイスター男爵様。ヘルマン様のお子達にも大人気ですな」

「クラウスか……」

 俺と分家の組み合わせだけでもクルトにとっては危険なのに、そこに名主のクラウスが現れたのだ。

「あの……、マルレーネ義姉さん?」

「何か頼みたい事があるって、強引に押し入られてしまって……」

 以前に、俺が次期当主になったら協力するとまで言ってしまう、反本家の立場を取る分家なので、裏の行動が怪しいクラウスの行動に掣肘など加えないのであろう。

 分家からすれば、クラウスと本家の仲が悪くなるのは好都合なのであろうし。

「頼みたい事?」

「はい、少し冒険者としての仕事からは外れますが、決して危険な仕事ではありませんので」

 突然、俺達に仕事を頼む怪しい名主クラウスの存在に。

 さてどう対応した方が良いのかと考えてしまう俺。

 久しぶりに里帰りと、それに伴うゴタゴタはまだ始まったばかりであった。