ベイルに描いてもらった地図の最後の一か所に、俺はやってきた。
そこは一見、誰もいなさそうな廃村だった。
廃墟が多く、腐敗のにおいがかすかに漂っている。
「あそこだな」
一軒だけ、比較的まともな民家を見つけた。
ベイルが描いた地図には、廃村のどこか、とひと言あったが、犯人が人質と一緒にいることを考えれば、居住性の高い建物であることは予想できる。
廃墟の影を利用してその民家へと近づいていくと、半球状の防御魔法のようなものが一帯に張られているのがわかった。
二階の窓からは、閉めたカーテンの隙間から一人が外を監視している。
偽メイリ誘拐時のような、お気楽犯人グループではないらしい。
もっともあのときは、外敵対策を立てる前に踏み込んだわけだが。
気配を周囲に同化させ、さらに接近していく。
民家から死角になる場所を選び、防御魔法に近づき、そっと『ディスペル』を発動させた。
バリィン、と小気味いい音を立てあっさり消えてなくなると、中から声が聞こえる。
「なぁ、外の防御魔法、なくなってんぞ?」
二階の窓から外を見張っていた男が、異変に気づいたらしい。
「不具合かなんかだろ? 張り直してもらおうぜ」
正面から堂々と入ってもいいが、密かに行動するのなら、上から下に行ったほうがいい。
塀から敷地内に侵入し、外壁をよじ登り二階の窓付近にやってきた。
窓をノックし、死角に隠れる。
さらにもう一度ノックすると、壁越しに人が移動する気配があった。
ギイ、と建てつけの悪い窓が開いた。
「窓に今何か当たった……?」
さっきの見張りの男が頭を出してあたりを見回すと、そばに隠れていた俺と目が合った。
「ッ!?」
「じゃあな」
頭を両手で掴み、強引に一八〇度回す。
ゴギン、と鈍い音がする。おかしな方向に曲がった頭を、音が出ないようにそっと離す。
開いた窓から中を覗くと、他には誰もいなかった。
もう一人いたはずだが、防御魔法の報告をするため下へ行ったようだ。
部屋の扉は開けっ放しで、すぐそばに階段があることがわかる。
中に入ると死んだ男の懐をまさぐり、投擲用のナイフを三本見つけた。
切れ味がよさそうないいナイフだ。
それを借りることにして床に耳を当てると、二人の話し声がする。片方は女だった。
階段をのぼる足音とともに、ぶつぶつと独り言が聞こえた。
「あんのクソ女……エラそうにイキがりやがって……いつか犯す……!」
「楽しそうな計画だな。俺も混ぜてくれ」
「――ッ!」
階段を上ってきた男と目が合うと同時だった。掴んだナイフを投げる。
風を切り裂く小さな音とともに、ナイフが男の額に突き立った。
「だ、れ、ぁ…………」
倒れそうになる男を抱え、部屋の中に運ぶ。
張り直してもらう、と言っていたから、もう一人の女は魔法使いなんだろう。
死体の額に刺さったナイフを抜き、血をぬぐう。
「ちゃんと見張りなさいよぉー? どうせ、あんたたちそれくらいしかできないんだからー」
横柄な女の声が聞こえてきた。
俺はゆっくりと階段を下りていく。
そこには、青い髪の少女がいた。腰に両手を当てて眉間に皴を作っている。
「彼らは見張りすらできなかったみたいだ」
俺を見ると、その表情が驚きから警戒に変わった。
「お仲間は死んだぞ」
「っ! ……わ、私の防御魔法を壊したのはあんたね!」
「ああ」
俺から距離を取ると、少女の足下に青い魔法陣が広がった。
スムーズで速い。
だが、発動させているのは、攻撃魔法ではなく防御魔法の類いだとわかった。
「『フォースフィールド』!」
ガキイイン、と硬質な音が響くと、半透明の防御壁が女の三六〇度に展開された。
外にあったものと同じ魔法だ。
「ふっふっふっふ……! これであんたは私に指一本触れられないんだから!」
「いや、接触するつもりはないから、別に何でもいい」
「へっ……? ……た――戦いなさいよ! 別に何でもいいって何!? 人質を取り戻すために来たんでしょーが!」
この女、俺が戦う気満々だと思っているらしい。
邪魔な人間は排除するが、人質の救出と誰の指示で動いているのか知りたいだけだ。
「それはそうだが」
それを聞いた少女は、また胸を張って腰を両手にやった。
「ふっふっふっふ……! その子を閉じ込めている部屋だって、私がいないと開けられないんだから! どーだ!」
どうだ、と言われても……。
「おまえの防御魔法は、俺には通じない」
「って言うのよ、みんな。小娘の防御魔法だって侮ってたら――」
「『ディスペル』」
バリィン、と女が作った防御魔法一瞬にして消え去った。
「「…………」」
一瞬女がシュンとすると、プルプルと首を振った。
「だから言っただろ」
「『フォースフィールド』!」
ガキイイン、と再び魔法結界が現れた。
「……小娘の防御魔法だって侮ってたら、痛い目見るんだから……!」
「やり直した……」
この女、今の一連のやりとりをなかったことにする気か?
ポーズも取って完全にカッコをつけている。さっきはここまでやりたかったらしい。
「どう!? 私の魔法は!? どうせ無理なんだからさっさと帰りなさい!」
「『ディスペル』」
バリィン。
「………………『フォースフィールド』!」
「『ディスペル』」
「……」
じりじりと俺は女に迫っていく。
「ふ、『フォースフィールド』!」
「『ディスペル』」
俺から距離を取ろうと後ずさりしていた少女の背が、ついに壁についた。
少女がどんどん涙目になっていく。
「ふぉ……ふぉ、『フォースフィールド』……」
「『ディスペル』」
「……ぐすん……」
他の魔法は一切使わない。
こいつ、まさか……。
「『フォースフィ』」「『ディスペル』」
バリン。
「こ……これしかできないんだからぁぁぁ、もぉやめてぇぇぇぇ!」
へたり込んだ少女が、えぐ、ひぐ、と泣き出してしまった。
俺は悪くない。むしろ悪党はそっちなのに。
なんだ、この変な罪悪感は。
ごしごし、と袖で目元をこすり、立ち上がった。
「油断したわね! 『フォースフィールド』!」
「それは攻撃するときのセリフだ。『ディスペル』」
ガキン、と現れた魔法結界は、バリンとすぐになくなった。
「う、うぅぅ……もぉ、やだぁぁぁぁ……」
またへたり込んで泣く少女に、ハンカチを渡した。
「使え」
「……うん……。優しい……」
メイリが駄々をこねたときのように、頭を撫でる。
「おまえに危害を加えるつもりはない。話を聞かせてほしいだけだ」
「……や、優しくしたってダメなんだから……」
「泣いてばかりじゃ、可愛い顔が台無しだぞ」
ずいっと顔を覗き込んで、頬にできた涙の痕を指の腹でふいてやった。
「や、優しくしないで……。す、好きになっちゃうでしょぉ……」