ひと月前、私は奇妙な依頼を受けた。

私はアマルチアの酒場で給仕として働く傍ら女優として舞台に立っているのだが、先月の公演後、赤い髪をした男が楽屋にやってきて言われたのだ。

「オデット・ブリーズ!

アンタの芝居気に入った!

俺が座長を務める一座の舞台で一幕演じてはもらえねえか!」

それだけならばよくある客演依頼だ。

だが、その後がおかしかった。

その男……ド(・)レ(・)イ(・)ブ(・)の提示した出演料はとんでもない高額だったのだ。

他の役者にも同じような額を出しているとすれば、とても芝居小屋の座席料でまかなえるものではない。

そして、演じる脚本の内容も奇妙なものだった。

演劇で扱う物語と言えば英雄を主人公とする冒険譚が主流なのだが、今度演じるのは世界を征服しようとしている悪い魔法使いたちの物語と変わり種だ。

悪い魔法使いたちはイデアの部屋と呼ばれる組織を作り、人間と魔族を戦い合わせ両者が疲弊したところを攻め込んでこの世を支配するつもりなのだが、最終的には超強い戦士によって皆殺しにされてしまうというお話である。

正直、ウケるとは思えない。

一応物語の体裁は取り繕えているけれど、細部の雑さが目立って大味というか……

ようするに出来の悪い脚本だ。

座長を名乗ってはいるが他の団員も皆、アマルチアで活動している役者たちで私の顔見知りばかり。

彼らもまたドレイブに高額な依頼料で釣られたらしく、彼が何者なのかを知っている者はいない。

だからドレイブは大商人とかの道楽息子で下手の横好きで演劇をやってみようと思い立ったのだろうと私は結論づけた。

上流階級にしては粗野な物言いや振る舞いが目立つが、野蛮なソーエンの人間ならばこんなものだろう。

サンタモニア語を使えるだけでも上出来ではないか。

この出演も割の良い臨時の仕事と割り切れば悪い話ではない。

それに脚本が悪いならば役者の力でどうにかすればいいのだ。

私の手腕が試される時だ。

「やあやあ! われこそはせいぎのきし!

おまえたちのわるだくみもここまでだっ!」

……問題は役者の中にも私のジャマをする者がいることだ。

「ドレイブさん……

その、もうちょっとなんとかなりませんか?」

「え? なんとかって何を」

依頼人の男、ドレイブはギョロりとした目で私を見る。

その三白眼の圧力に私は気圧されてしまう。

「いや……なんでもないです」

「ハハハ。まあ、こちとら素人だからよ。

いい塩梅にフォローしてくれや」

ドレイブはそう言ってニカッと笑う。

演劇好きならば自ら出演したい気持ちもわからないでもないが、いかんせん下手すぎる。

台詞回しは大声でセリフを読み上げるだけの棒読み。

身体能力は高いのだろうが、ゆらゆらと身体に芯を置かない立ち回りは舞台上では不格好に見えてしまう。

極めつけには他の役者のセリフや動きと合わせるという意識がまったくないので会話の受け渡しがろくに出来ず、ひとり舞台で浮いてしまっている。

その下手な芝居を堂々と披露するのだから共演する私はたまったものではない。

「さーて、今日の稽古はこれくらいにして飲みにでも行くか!

オデット! ついて来な!」

「ええっ!? 今日もですか!?

そろそろ本格的に仕上げていかないと……

公演は来週ですよ」

「大丈夫、大丈夫。

なんとかなるさ」

そう言ってドレイブは稽古場を後にし、私も渋々付いていった。

行き先はアマルチアでもかなり高級な部類に入る酒場だ。

彼は金に糸目をつけず高級な酒や料理を頼むので、ご相伴に預かるのも悪いことばかりではない。

「なんだかんだ言って従順だな、嬢ちゃんは」

「スポンサーがお酒を飲んで喧嘩して公演が潰れたりしたら困りますから。

ていうか嬢ちゃんってなんですか。

私はお嬢様どころか天涯孤独の身ですけど」

「ふーん。なんとなく良いとこの嬢ちゃんの匂いがしたんでな。

気に食わねえなら変えようか?

うーん、愛人ちゃんとか?」

「失礼ですね! 私まだ17ですよ!

結婚だって諦めていません」

「17ぁぁ! 嘘だろ……

俺の知ってる17歳ってもうちょっとションベンくさい感じなんだが」

「どうせ私は老け顔ですよ!」

私が怒るとそれが愉快なようでドレイブはクククと笑う。

ソーエン人はオーガよりも怖いと言うけれど、目の前のこの男はただのチャランポランにしか見えない。

「ドレイブさんこそお坊ちゃんじゃないんですか?

フラリと知らない街に現れてお金に物を言わせて劇団の真似事をしてみたいだなんて庶民の行動ではないでしょう」

「お坊ちゃんねえ……

まあ、親には可愛がられているかな」

「それはようございますね」

私は乱暴に彼のグラスをひったくってお酒を注ぐ。

私だってもう少し運命が違っていれば、今頃は広い屋敷で蝶よ花よと愛でられ、使用人達にかしづかれて、舞踏会で婚約相手を品定めするような日々を送っていたのだ。

転機は7年前。

サンタモニアの伯爵だった父が突然改易にあった。

しかも酒に溺れた父は、酒場からの帰り道でチンピラと喧嘩した挙句帰らぬ人となった。

残された家族は追われるように領地を離れることになり、慣れぬ下働きをしていた母も心労で倒れ父の後を追った。

身よりもなく年端のいかない私は住んでいたあばら家も追い出され、街の裏路地でドブネズミのような暮らしを始めることになった。

だが、どんな暗い場所にでも救いの糸は垂らされるものだ。

少女趣味の酒場の主人にうまく取り入れたことで酒場で働くことができるようになり、給仕をしながら店に来ている踊り子に踊りを習って舞台に立つようになった。

元々、貴族令嬢の嗜みとして踊りを学んでいたのが幸いし、手足が伸び切る頃には街でも評判の踊り子になった。

亡き母を彷彿させる美貌の持ち主となった私に寄って来る男も少なくなく、彼らからのお小遣いを貯め、2年前にこのアマルチアに流れ着いた。

そして以前と同じように酒場の給仕と踊り子の仕事をしながら暮らしていたのだが、その酒場にアマルチアの市民で結成した劇団が客としてやってきて、彼らに見初められて仲間に加わることになった。

演劇は良い。

踊り子と違って酔っぱらいのいやらしい目で見られることなく素面の客の喝采を浴びることができるし、全く自分とは違う他人の人生を体験できることも楽しい。

芸を磨き、仲間たちと協力しあって一つの舞台を作り上げられる喜びはいくらお金があっても味わうことが出来ないものだと思う。

その快楽を堪能できる私は特別な存在なんだと酔いしれることができる。

子供の頃に思い描いた未来とは幾分違う形だが、今の私の毎日は充実していて、楽しい。

ずっとこんな日々が続けばいいと思いながら私は毎晩、一人寝床につく。

「ん……うぅ……」

頭が痛い……

昨日お酒を飲んだんだっけ……

今日の稽古に差し支えなければいいんだけど、と考えながら手をついて起き上がろうとすると硬い感触が手に伝わる。

「ん……?

ンンンーーーーーーっ!?」

驚きのあまり私はベッドから転げ落ちてしまった。

「ううん……寝相の悪い女だな」

と、私と同衾していたドレイブが寝ぼけた声で言った。

「ど、ど、ど、ドレイブさんっ!

え!? ヤダァ……」

「失礼なヤツだなあ……

俺だってお前みたいな酔いどれ女とだなんて御免こうむる。

安心しろ。

なんもしてねえよ」

彼がベッドから身体を起こして、ようやく頭が回り始める。

ここは街の宿屋だ。

たしか、ドレイブが借りているという……

てか、酔いどれ女とな?

「フフン。ドレイブさんも見た目によらず紳士ですねえ。

私のような美女と同衾して手をつけないなんて」

私は妖艶に舌で唇を舐めながら声をかけてみるが、

「自惚れんな、酔いどれ。

わりーけど、お前なんかよりいい女を普段から抱いているんだ。

誘い文句は俺に見合う女になってからにしな」

と鼻で笑われた。

私は屈辱に腰を砕かれベッドに顔を突っ伏す。

「しかし、まあ演劇はいいよな。

お前の辛酸舐めてきた経験もいい芸の肥やしになる」

「えっ……私、なにか喋りました?」

私の言葉にドレイブはクククと笑いを堪えながら、

「没落令嬢の成り上がり物語。

酒の肴に最高だったぜ。

お前の芝居を見る目も変わりそうだ」

と、うそぶいて彼は部屋を出た。

部屋に一人残された私は、

「サイアク……」

と力なく呟くのであった。

それから数日が経ち、ドレイブの芝居は相変わらずだったがそれなりに観れる舞台になって来た。

『イデアの部屋の野望』と演目名が大きく描かれたチラシが街の到るところに貼り出されたことで公演が近くなって来たことを肌に感じて私の身も引き締まる。

ドレイブも心を入れ替えたのか稽古の後の酒に私を付き合わせることもなくなり、夜まで稽古して帰り道は私を家まで送ってくれる。

「あと3日かぁ!

楽しみだなあ、酔いどれ!」

「ソーデスネ……」

私の呼び名は酔いどれになってしまった……

お嬢様でも愛人でも間違い無いんだから妥協しておくべきだったかと思う。

「ドレイブさんはお国のもの以外に舞台を観られたりはしていたんですか?」

「おう。イフェスティオの帝国劇場でも観劇した。

アレは最高だったなあ。

座長がとんでもない天才で脚本も演出も芝居もこの世の物とは思えねえ位素晴らしかった。

お前もその気があるなら紹介してやっていいぞ」

イフェスティオの帝国劇場といえば大陸最大の劇場だ。

そんなところで公演する劇団ならばそれは素晴らしいものだろう。

「是非お願いしたいです。

もっとも、イフェスティオには当分行けそうに無いですけれど」

イフェスティオ帝国との国境付近にあるアイゼンブルグが魔王軍に占拠されているのは私も知っている。

比較的アイゼンブルグに近いこの街は次の標的になるのでは無いかと怯える民も多い。

「おとぎ話みたいに魔王軍を追っ払ってくれる英雄が現れたら良いんですけどねえ。

アハハハハ」

私はドレイブに笑いかけるが、ドレイブはいつになく真剣な……いや殺気立った顔をしていた。

「……酔いどれ。

俺が合図したら家に向かって走れ。

そして鍵をかけてすぐに寝ろ」

低い声でそう言った彼の目が見開かれたかと思うと、

「行けっ!!」

と言って振り返り、後ろに向かって飛んだ。

その動きはあまりに早く、私が次に彼の姿を目視したのは私たちの後方にいた少女? にドレイブが襲いかかった瞬間だった。

ドレイブの目にも止まらない打撃が少女を襲う、が少女は片手でそれをいなして反撃する。

「え……えっ? ええええっ!?」

私は突然の事態に困惑し、彼の言っていたことを完全に失念して棒立ちになっていた。

走りながらドレイブと少女は拳を打ち交わしている……のだと思う。

肌や衣が叩き合う乾いた音が打楽器の演奏のように夜道に響き渡る。

酒場で客の殴り合いの喧嘩を見たことは数知れないが、彼らの体捌きはそれらとは比べ物にならないほど素早く見惚れるほどに高度だ。

そして、果てしない打撃の応酬の末に少女が放った足払いでドレイブは尻もちを突く。

すかさず少女が左腕で突き出した刃物のようなものがドレイブの眼前にピタリと止まり、二人の動きは止まる。

するとドレイブはクククと笑い始め、

「なかなか腕を上げたみたいじゃねえか」

と少女に語りかける。

「物騒な挨拶を交わせる程度にはな」

と返す少女。

そして、ドレイブは少女をガッと抱きしめた。

翌日、稽古場でドレイブは少女をみんなの前で紹介した。

「コイツはク(・)リ(・)ス(・)。

俺のダチで舞台役者をしている。

で、コイツには俺の代役をやってもらうから宜しく皆の衆」

と、突然の発表もつけ加えて。

「ちょっと! あと2日しかないんですよ!

そんなの無理に決まって」

「大丈夫だ。問題ない。

この大根役者を舞台に立たせることに比べればな」

私の抗議をクリスは遮った。

「そうそう問題ない、問題ない。

お前らだって下手くそな素人に同じ舞台に立たれるより経験者の美男子の方がいいだろう」

「美男子……」

この少女のような風貌のクリスは男だという……

そんじょそこらの美人女優が裸足で逃げ出すレベルの美貌の持ち主だというのに……

「もっとも経験と言っても舞台に立ったのは一回きりだが。

それに片腕を失っている」

「大丈夫大丈夫、お前ならやれるさ。

隻腕の騎士ってカッコいいじゃん。

その槍もなかなかの業物だし」

ドレイブはいつも以上に上機嫌だ。

ようやく妥協できるレベルにまとまってきた舞台を引っ掻き回されるのは面白くない話だけど、ご自慢のクリスとやらを目の前でイジメ……もといシゴいてやるのは面白そうだ。

ちょっと顔立ちが綺麗だからどこぞの座長に気に入られて芝居小屋の舞台に立たせてもらったのかもしれないけれど、演劇はそんな甘いものじゃないって経験豊富な私が教えてあげる。

……なんてとんだ思い上がりだった。

このクリスとかいう子、メチャクチャに上手い。

当然のごとく台本は一晩で頭に入れてきているし、発声、滑舌、所作と言った基本スキルはもちろん、何より感情の表現がとんでもなく器用だ。

セリフを交わしていると彼の放つ感情に呑まれそうになる。

演じるを通り越して登場人物を憑依させたかのように自然で存在感のある芝居は舞台経験一回きりの役者とは思えない完成度で彼を鍛え上げた演出家の力量を感じずにはいられない。

しかもドレイブの書いた脚本や演出にケチまでつけてガタガタだった舞台をあっという間に立て直していく。

その様に私以外に集められた役者たちも脱帽していた。

「世の中にはすごい人がいるんだなあ」

いつもより密度の濃い稽古に疲労困憊の私は稽古場の床に寝転がってそう呟いた。

「フフン。酔いどれも俺の秘密兵器のすごさを思い知ったか」

私のつぶやきを聞きつけたドレイブは自分のことのように勝ち誇る。

「ねえ……いったいあなた何者なの?」

「義理に厚く気前のいい、ごく一般的なソーエン人だが」

「はぐらかさないで。

あんな逸材がいるのならわざわざ私たちを寄せ集めなくても舞台を作ることできたんじゃない。

いったい、何を願ってこの公演をしようと思っているの?」

私の問いにドレイブは少し考えて、

「世界平和……かな?」

なんて答えてきた。

バカバカしくなって私は詰問するのをやめた。

結論から言うと私たちの公演は大成功だった。

席料も安く、大々的に広告を打っていたこともあって200人以上収容できる箱が昼も夜も埋まり、肝心の上演内容の評判もなかなかだった。

特にクリスが演じる美貌の隻腕の騎士は観客たちの心を掴み、カーテンコールでは男女問わずクリスの名前を叫ぶ観客で溢れた。

「ああ! もうっ!

やってらんないわよ!」

私は芝居小屋を出たところで一人叫んだ。

他のみんなは芝居小屋の中で酒盛りを始めている。

「何あの子! 突然出てきて観客の喝采独り占め!

あの無茶苦茶なドレイブに一ヶ月も付き合わされて酒の相手もさせられてその結果がコレ!?

あーあ、目先の金に釣られるとロクなことがない!!」

私はわざと大きな声を出して路上で叫ぶ。

中で盛り上がっている連中に水を差せればいいな、なんて思いながら。

しかし、路上で騒いでいたせいか私の元に3人のローブ姿の人が寄ってきた。

「何よ。なにか文句あるの?」

私がそう言うと、

「お前に聞きたいことがある」

と威圧的に言ってきた。

女の声だ。

「お前はイデアの部屋について知っているのか?」

私は鼻で笑いながら答える。

「見えなかった?

私も舞台に立っていたんですけど。

アンタたちもクリスちゃんの出待ち?

どいつもこいつも、フンッ!」

私が踵を返して小屋に戻ろうとしたが女たちに阻まれた。

「ああもう! うっとおしいなあ!

どいてーー!?」

女たちはローブの下から抜き身の剣を取り出した。

「イデアの部屋に近づく者には死あるのみ」

全く感情の乗っていない無機質な声でそう言って女は剣を振り上げた。

殺される?

と、思ったその瞬間だった。

芝居小屋の木の壁が吹き飛んで、中から人影が飛び出してきた。

「ようやくかかってくれたな!!

一人も逃すんじゃねえぞ!

クルス!」

飛び出してきたのはドレイブとクリスだ。

二人とも剣を手に持っている。

「分かっている」

クリスはそう言うと一撃でローブ姿の女を切り倒す。

私は膝から崩れ落ち、ドレイブとクリスがローブ姿の女たちを切り倒していくのを呆然と眺めていた。