クレスト・アルージェ。十八歳。

王立騎士団に所属し、まだ新米と言われる階級ながらも、文武ともに評価は高い。

無愛想ながら、その冴え渡る美貌は貴族の令嬢たちに人気があり、将来性も十分とあって、婚約の打診が後を絶たないとか。

元々、家を継ぐ長兄の補佐役に就くことを求められていたが、「多くの領民の為でなく、自分が認めたただ一人のために命を使いたい」と親を説き伏せたという逸話が広まっているらしい。真実を知るであろうハールさんは何も語ってはくれなかったので、本当かどうかは分からない。

現在、妙齢の娘をお邸に住まわせている――という噂が出回る前に、ここから逃げられたらいいなぁ、と思う。

そこまで考えたところで、私は小さくため息をついた。

二週間かけて使用人とのささやかな交友を重ね、情報を集めて整理してみたところで、突破口は見える気配がない。

唯一の慰めは、軟禁状態の私に対する同情があると分かったことだろうか。それでも皆、主人が怖い。

そりゃそうだよね。表情は乏しいから何考えてるかよく分からないし、ぷっつん切れたら人の首だって絞めちゃうような主人だもんね。

……あぁ、なんだか哀しくなってきた。

私はすっかり秋めいてきた庭園を見下ろす。相変わらず刺繍の許可が下りないので、読書か散歩の二択しかないのだ。

窓を小さく開ければ、爽やかな風が私の黒髪を弄ぶ。

「……じゃ、庭園を適当に散策して、時間を潰しますよ」

「誠に申し訳ありません。主人の用事が片付きましたら、すぐに呼びにやらせますので」

「いや、時間より早く来たオレが悪いから、気にしないで」

微かに聞こえた会話は、どうやら玄関口から漏れたものらしい。

私の決断は早かった。

「庭を散歩します。護衛お願いしますね」

二人の護衛に声をかけ、少し弾むような足取りで部屋を背にした。

―――目的の人物は、すぐに見つけることができた。

庭の各地に設けられたいくつもの東屋、そのうちの一つに彼は座っていた。護衛が制止するより先に、私の方から声をかける。

「ここに先客がいるなんて、珍しいですね。お客様ですか?」

すると、栗色の髪を持つその男性が振り向いた。年齢・体格ともにお邸の主人と同じぐらいだろうか。私を見るなり、その藍色の瞳が大きく見開かれた。

「もしかして、マリー?」

はて、知った人だったろうか、と私は首を傾げる。

困ったような苦笑を浮かべた彼は、覚えてるわけないよね、と頬を掻いた。

「マリーツィア様」

私と彼の間に立った護衛のサアラさんが厳しい声を上げる。

もしかしたら、私と外部の人間を接触されないように言われているのかもしれない。あの過保護な主人ならそんな命令をしていてもおかしくない。

だが、せっかくのチャンスをみすみす逃すつもりはなかった。

「サアラさん。この方は正式なお客様でしょう? 危険なことなど何もないわ」

戸惑うサアラさんを押しのけ、「すみません」と目の前の男に頭を下げる。

「いや、気にしてないよ。えぇと、サアラと言ったかい? オレはクレストの友人だし、今日は前もって予定していた訪問だ。マリー嬢に何かすることはありえないし、もし、それでも問題があるというなら、直接オレからクレストに話す。―――それで一旦、下がってもらえるかな?」

穏やかな口調ながら有無を言わせない雰囲気に、サアラさんは相棒のエルミナさんと視線を交わし、小さく頷いた。

「どうぞ、必要以上にマリーツィア様に近づかれませんよう」

「あぁ、やっぱりそういうことね。了解」

私は納得した様子の彼に勧められるまま、東屋のベンチに腰掛けた。

「オレはカルル・バルトーヴ。実は君とは二回顔を合わせているんだけど、覚えてないよね?」

「カルル、様ですか?」

私は記憶を手繰り寄せる。だが、いつ会ったのかも思い出せずに、小さく首を振った。

「いや、一度目は四年前だし、二度目は……君が女給をしていた時だから、覚えてなくても仕方がないよ」

女給、食堂で働いていた時だろうか。でも、おそらく貴族だろうカルルさんが、地元密着の食堂に来ることなんて―――

「もしかして、騎士様、ですか?」

「そう、巡回の時に、君の働いていた食堂へ行ったことがあったんだ。びっくりしたよ。クレストの女神様がこんなところにいるわけないって思ったし」

あはは、と人好きのする笑顔を浮かべたカルルさんを横目に、私はぐぐっと拳を握り締めた。

まさか、とは思うが。

「あの、その話を、もしかして」

「あぁ、もちろんクレストに話したよ。マリーによく似た子を見たって。別の名前だから別人だろうけど、成長したらあんな風になっているだろうね、とか」

お ま え が 元 凶 か!

食堂で楽しく働いていた私が、ここに拉致軟禁されたのも、全てお前のせいか!

私は心の中の粛清リスト第二位に「カルル・バルトーヴ」と書き記した。もちろん一位は誰とは言わないが不動のままである。

今は護衛の目が常にある状態だから、付与魔術を仕込むわけにいかないけど、監視が緩んだらお前に不幸を呼び寄せてやる!

「君がこの邸に来てくれたおかげで、あれだけ刺々しかったクレストが随分と人間らしくなったんだよ。本当に、なんてお礼を言ったらいいか」

そりゃ、人一人軟禁して会話すら不自由させるような状況に追い込めば、多少は愉快にもなるだろうよ!

罵倒の文句を上げ連ねたいのをぐっと我慢し「そうなんですか」と曖昧な返事に留める。

落ち着け、とりあえず使用人以外の人間と話すチャンスを無駄にしちゃいけない。あの人の知り合いなら弱みの一つや二つ知っているだろう。黙って吐け。

「あの、……あの方のこと、もっと聞かせていただいてもいいでしょうか?」

ランチの常連だった金物屋のマーゴットさんがよく言っていた。「男はいい気にさせて、奢らせて貢がせてナンボだ」と!

ありがとうマーゴットさん。あの時、聞き流してごめんなさい。遠いこの地であなたの教えは役に立ってます。

「クレストのこと? いいよ、なんでも教えてあげる。なんでも聞いて?」

「その、あの方にも恐れるものがあるんでしょうか?」

まさに弱みを探ろうとした私の質問に、何故かカルルさんはぶっと吹き出した。

「マ、マリーが、それを言っちゃうんだ?」

痙攣する腹を押さえながら答えるカルルさんの目は「何これ面白い」と如実に語っている。そんなに変な質問をしたんだろうか?

「そんなの決まってるよ。あいつが恐れているのは何よりマリーが」

「そこで何をしている」

びっくぅっ!と肩を震わせたのは、目の前のカルルさんだけでなく私もだった。

「えーと、あれー、クレスト? 用事はもう済んだのかなー?」

「あぁ、お前が来てると聞いたからな、早めに切り上げた」

「用事が片付いたら、誰かを呼びにやらせるって聞いてたんだけどなー?」

一本調子で質問を重ねるカルルさんの口元が、引きつっているのが見える。彼の視線は私の後ろに立っているであろう人物に向いているが、私は恐ろしくて振り向けなかった。

声のトーンがいつにも増して低い。非常に怒っているような気がする。

「下手な者を呼びに行かせると、お前の毒牙にかかるからな。先月も一人、若い使用人が使い物にならなくなった」

「おいおい、かわいい子の前でそんなこと言うか? こないだだって、若いメイドさんと、ちょこっとお喋りしてただけで―――」

「マリー、二度とこいつと言葉を交わすな。穢れる」

私は恐る恐る振り向いた。

陽光に透けた金髪は、微かに吹く風に弄ばれ、きらきらと輝きを放つ。逆光で影になって表情は読み取れないが、そのエメラルドの瞳は明らかな瞋恚《しんい》を含んでいた。随分前に宗教画で見た、人間に審判を下す天の使いを思い起こさせる。

「けがれる、というのは、どういう意味でしょうか?」

平静を装って尋ねると、「そのままの意味だ」と即座に返って来た。

「私はこの方と楽しくお喋りをしていただけです」

ベンチに座ったまま見上げていると、より一層の威圧感に泣きたくなった。

「そ、そうだよ。マリーが健気にもクレストのことを聞いてくるから、オレが面白おかしく答えてやろうと思って―――」

「俺のことを?」

潮が引くように瞳の中の怒りが消え、私は彼に小さく頷いた。弱みを調べようとしていたと知れたら、また厄介になるかもしれないが、ここはカルルさんの言う通りにした方が良いと本能的に悟っていた。

そのままじっと見上げていると、何故か彼は口元を押さえてふいっと横を向いた。

その視線の先に誰かいるのだろうか、と同じ方向を向いてみても何もない。

知人ならば彼の考えていることが分かるかも、とカルルさんを見ると、何故か腹を抱えて呼吸困難に陥っていた。

「ひっ、く、くるし、……これ、どんな、喜劇っ」

何がそんなにツボに入ったのだろう。

私はもう一度彼を見上げようとして、そこに姿がないのに気付いた。

「ぐほっ!」

いつの間にかカルルさんの脳天に拳骨を落としていた。思った以上に素早い動きをする人だ。気を付けよう。

「マリー、俺のことを知りたいなら俺に聞けばいい」

「ちょ、クレ……まじで痛ぇ」

私は涙目のカルルさんと彼を見比べた。

「あ、あの、カルルさんの頭、冷やした方がいいですよね。誰か呼んで手当てを―――」

「マリー」

おろおろとする私の手を掴んで来た彼は、そのまま私を立たせた。

「ここはいい。金輪際、こいつに近寄るな」

「でも―――」

私は彼の顔を見つめる。こんな口の軽そうな情報源を逃してなるものか、と決意を固くするが、目の前の無表情にくじけそうになった。

「マリー」

咎めるように名を呼ばれ、私は項垂《うなだ》れた。

「クレスト、ちょっと厳しいんじゃないかい?」

さっきまで頭を押さえて呻いていたはずのカルルさんが、救いの手を差し伸べてくる。

「そんなかわいい子を手元に囲っておきたいのは分かるけど、あれもダメ、これもダメ、なんて息が詰まっちゃうよ」

おおぉ! 予想以上の救世主! 私は思わずキラキラした目でカルルさんを見つめた。

「かわいい子だし、邸の外にも出したくないって言うのは分かるけど、もっとやることがあるだろう?」

「やること、だと?」

「今度の雷王祭に、二人で仲良く出掛けたらいいじゃないか。――マリー、雷王祭は、雷神ソールのお祭なんだけど、王都中央のハミリア庭園で大きな篝火を作ってお祈りするんだ。見てみたいと思わない?」

篝火? お祭? お邸の外に出られる?

なんだか面白そうな単語に、私は思い切り頷こうとして

「えぇと」

ちらり、と隣の彼を見上げた。

「行きたいか」

なんだかイヤそうな顔をしている、ような気もする。相変わらず表情が乏しくてよく分からない。

「見てみたい、です」

すぐ目の前の彼とは身長差が頭一つ分以上もあるため、自然と上目遣いになる。

また、ふい、とそっぽを向かれた。

そうだよね、やっぱりだめだよね。いくら強力な救世主の後押しがあっても。

「一つ、聞くが」

自然に俯いていた私は、ぐいんと彼に向き直った。

「どうしてカルルの名前を呼ぶ?」

「? カルルさんは、カルルさん、ですよね?」

質問の意図が分からず、私は首を傾げた。

「俺の名前を覚えているか」

「えぇと、クレスト・アルージェ様です」

はっはっはー、この憎い坊ちゃんの名前を忘れているわけがないだろう。忘れちゃったら粛清リストの意味がないから!

あれ、何だかカルルさんがパントマイムしてる。

口だけをパクパクして「あ・ま・え」と指を差す。甘えろってこと? そんな無茶な。

「あの……?」

何故か不機嫌モードになってしまった目の前の美青年は、じっと私を見つめている。

ふと、いつだかの会話を思い出した。

そういえば、名前で呼んで欲しいとか何とか言っていたな。

意図的に名前を呼ばないようにしていたのは、目の前の暴君を血の通った人間として認識しないためだったんだが。

まぁ、名前で呼ぶぐらいで外出許可が下りるんだったら、丁度いい取引材料なのかもしれない。

「えっと、お祭、見てみたいです。……クレスト様」

すると、彼の手が私の頭を柔らかく撫でた。

「分かった。検討する」

今、一瞬だけど、笑った? この人……?

唖然とする私を置き去りに、同じくびっくりした顔のカルルさんの首根っこを掴んで彼――クレスト様は去って行った。