How to Escape from an Implacable Man

14. Thread of livelihood

色々と話した結果、私はおばさんと共に山小屋で生活することにした。

おばさんの名前はミルティルさんと言った。

夫であるクラウスさんと、ここでお皿や水差しなんかの生活雑貨を窯《かま》で焼き、町へ売って生計を立てているんだそうだ。まぁ、クラウスさんは、昨年病で亡くなってしまったそうなんだけど。

「息子が一人いたんだけどね、これが手紙の一つも寄越さない薄情者で」

濃茶の髪を撫でつけながら、どこか遠い目をしたミルティルさんは少しだけ涙ぐんでいるようにも見えた。

「まぁ、そんなことはどうでもいいのさ。それよりアンタのことだよ。ヒドい男に捕まってたもんだね」

巻き込まれても、何も分からないまま―――もしくはあの人から嘘を吹き込まれるよりは、と私はミルティルさんに正直に経緯を話した。

「ま、男運の残念な者同士、一緒に住むのも悪くないさね」

拒絶されることも覚悟していた私は、優しい言葉を掛けられて、つい涙をこぼしてしまった。

慰めてくれたミルティルさんに縋るようにわんわん泣いてしまい、本当に迷惑なことだったと思う。そのことが、自分がいかに気を張っていたかを思い知らせた。

何とか、人の目を気にすることのない平穏な暮らしを。

私の望みを理解してくれたミルティルさんは、共同生活をすることにイヤな顔一つしなかった。

今日もミルティルさんは、焼きあがった小皿やポットを担いで山を下りて行った。

小屋に残された私は掃除・洗濯をこなし、山から焼き物に使う粘土を掘り出したりしている。

壊れた小屋は、初めての大工仕事に戸惑いながらミルティルさんの指示の元ですっかり修復している。身体強化や軽量化の魔術陣がいかに便利なものなのか、改めて実感したのは言うまでもない。丸太だって軽々だもんね。力持ち!

それでも、ふとした隙間に思う。

一通りの仕事を終えて、ダイヤモンドに血を落とす。

蒸発する水のように、じゅわっと小さな音を立てる自分の血を見ながら、このままではいけない、という強迫観念が私をざわつかせる。

考えるんだ。

魔術の道を選ぶなら、考えることだけはやめてはいけない。

そう何度もお師さまに言われたことを思い出す。

魔術を使って何を為したいのか。そのためにはどんな構成が必要なのか。最終的には新しい陣を。

じっと手を見つめる。

私にできること。陣を描くこと。刺繍。力仕事。家事。魔力の蓄積。薬草の調合。

指折り数えて行く。

今の居候の身では、ミルティルさんに迷惑になってしまう。せめてお金を稼ぐことをしないと。

誰にも迷惑をかけたくない。誰の負担にもなりたくない。

そうじゃないと―――

「そうじゃないと?」

続くはずの言葉は、何故か私の心にある淀んだ不安の沼から姿を現すことがなかった。

◇  ◆  ◇

「マリーちゃん。今日も売れたよ。アンタの作った薬とハーブ。なんかわたしの食器よりも、そっちが目当ての人が多くなったみたいさね」

町から戻って来たミルティルさんは、頬を上気させながら工房に居た私に報告してくれた。

「ほんとですか? よかったー」

ゴリゴリ ゴリゴリ

「それに、アンタの作ってくれた外套と長靴、本当にスゴいね。雪道でもあったかいし、楽々だよ」

保温と軽量化を付与しただけだが、予想以上に好評だったようだ。

ゴリゴリ ゴリゴリ

「そうそう、これが次の注文だよ」

「あ、はい。―――あー、ヘレンさんやっぱり追加注文してきたんですね。本当に冷え性なんですねー。っと、腰痛の湿布はヴァンさんですか。こう毎日冷えると腰も痛みが激しくなるんでしょうか」

ゴリゴリ ゴリゴリ

私は受け取った木札を確認しながら、どの薬草が必要なのか頭の中にリストアップしていく。

「さて、わたしも追加のお椀を作ろうかね。マリーちゃんが提案してくれた模様付けのおかげで、随分と売り上げも伸びたし」

「本当ですか? やっぱりお花とか鳥とか蔦模様とかあると、食卓も賑やかになりますしね。ミルティルさんの描く模様ってホッとするっていうか、あったかい気持ちになるっていうか」

ゴリゴリ ゴリゴリ

「誉めても何も出ないよ、マリーちゃん。―――それとも下心でもあるのかい?」

「え、っと、新しい鉢が欲しいかなー、なんて。その、素焼きでいいんですけど」

「まった割っちまったのかい?」

「うぅ、面目ないです」

しょぼん、と項垂れる私に、ミルティルさんは「しょうがないねぇ」と笑って肩を叩いてくれた。

「その代わり、また釉薬を作っておくれよ。ほら、この間の青い色がなんだか評判でねぇ」

「そうなんですか? あんな藍色に近い青だと、絵付けもできないし料理もあんまり美味しく見えないかなーって思ってたんですけど」

ゴリゴリ ゴリゴリ

私はすっかり分厚くなってしまった研究ノートをめくり、失敗作として扱っていた釉薬のレシピを探す。

「ミルクシチューや、緑の野菜がよく映えるみたいでね。それに珍しい色だから、って買ってくれる人もいてね」

「へー、そうなんですね。ちょっと意外です」

ゴリゴリ ゴリゴリ

「……そろそろいいかね、マリーちゃん」

「はい? あ、すみません!」

私は慌てて部屋にいくつも並んだすり鉢に次々と指先で触れて行った。

部屋中を埋め尽くしていた低音が一つ、また一つと減り、程なく沈黙が戻った。

「マリーちゃんは全然気にならないのかい?」

「はい。どうも考え事に没頭すると、周囲の音とか遮断しちゃうみたいです」

この部屋にあるすり鉢は、私が作ったものだ。人の手を使わなくても自動でごりごりと薬草を潰してくれる便利な道具である。

何かの足しになれば、とミルティルさんから陶器の作り方を習った私だったが、どういう理屈なのか作品に魔力が帯びてしまうのだ。おそらくは、ろくろで成形する時に集中した私が無意識に魔力を込めてしまったり、手汗やなんかが混ざってしまったりすることに起因するんだろう。

指向性もなくただ魔力を帯びた陶器を世に出すわけにはいかなかった。どんなきっかけでその魔力が解放されてしまうか分からないからだ。魔術師が悪意を持って使えば、皿爆弾や花瓶爆弾にもなってしまう。

とにかく、売り物にはできない。

それならば、自分で使う道具にしてはどうだろう、と提案してくれたのはミルティルさんだった。知らない誰かに魔力を流用されるのがダメなら、自分で使えばいい、と。

試行錯誤の結果、出来上がったのがこの自動すり鉢である。鉢と棒それぞれに陣を彫り込み、さらに遠隔操作できるよう私の体の一部―――この場合は髪の毛を埋め込んである。

それで薬の調合も随分と楽になったのだけど、これがまたうるさいのだ。常にすり鉢が十個ほど動いている状態なのだから仕方がない。慣れてしまった私はもう気にならないけれど、同じ工房で作業するミルティルさんから騒音苦情を受け、ミルティルさんがいる時はすり鉢を止めるというルールが出来上がった。

「マリーちゃんみたいに魔術が使えるのはホントに便利だと思うけど、その結果を見ると、良いことばっかとも言えないさね」

ろくろの前に座ったミルティルさんが苦笑する。

「ま、何にしても鉢の扱いには気を付けな。……それとも、ちょいと多めに焼いておこうかい?」

「ぐ、気を付けたいんですが、多めにしてくれると助かります」

ミルティルさんにお願いした鉢はすり鉢ではなく植木鉢である。これも自分で作れれば良いんだけど。

薬の材料となるのは薬効のある葉や実、根など植物由来のものが多い。もちろん、冬の山にそんなものは生えていない。

それならば、材料をどうしているか?

答え……自家栽培している。

種や苗さえ手に入れば、あとは成長促進の陣を使って強制的に成長させることができる。お師さまもこれを使って薬を作っていた。種→成長→新しい種を収穫というサイクルができるので、元手をゼロにすることが可能なんだけど、こうやって短期間で世代を重ねると薬効が弱くなってしまったり、薬効が変わったり、それどころか毒に転じてしまったりするので、濫用はできない。冬を乗り越えるまでのつなぎだ。

話がずれてしまったが、どうして鉢を割ってしまうのか。

残念なことに、これも私の魔力の強さが原因だった。一ヶ月から半年かかる成長を、半日から一日かけて行うのが理想だし、お師さまもそうしていた。だが、魔術陣の発動時に込める魔力を間違えてしまうと、たった一時間、ひどい時には三分ぐらいで成長させてしまうため、急激に膨張した根の体積に耐え切れず、パリンと割れてしまう。しかも収穫の隙もなく次世代の実を落として枯れてしまうので、目的の葉が手に入らないという事態にもなる。

それを少しでも回避するために、せめて魔力を帯びてない鉢を使うようにしたのだが、たまに、というかちょくちょく失敗しては植木鉢を壊してしまうのだ。

ちなみに、今日の失敗原因ははっきりしていた。

「まさか、くしゃみで魔力が入るとは思いませんでした……」

陣の発動時はよかったのだ。

今日も成功~♪と鼻歌を歌っていたところまでは良かった。

鼻がムズムズとしたと思ったら、くしゅん、パリン。

くしゃみで植木鉢を壊す女です。はい。

「そうそう、今日もゲインさんからアンタのこと聞かれたよ」

熟練の手つきでろくろを回すミルティルさんが、私を痛い記憶から呼び戻した。

「またですか?」

「あぁ、そちらに居候している薬師を町に呼んでくれって」

「そうですか……」

ミルティルさんに薬草や薬の委託販売をお願いしてから、何度か同じような誘いを受けている。

ゲインさんというのは、隠居した前の町長さんで、まだまだ町の色々な所に発言力を持っている人だ。

町には数日に一度通ってくる医師が一人だけ、薬が欲しければ高い金を払って医師の診察とともに手に入れるか、山一つ越えた町、ウォルドストウまで行くしかない。夏はともかく雪深い冬山を越えるのは危険だ。

だから、ミルティルさんの居候である私を何とか町に呼び寄せようとしているのだ。ミルティルさんにお願いして、旅の薬師とだけ言ってあるので、春になれば雪溶けと共に出て行ってしまうと危惧している。

いや、実際、そのつもりなんだけど。

ミルティルさんにはまだ言ってないが、可能な限り王都から離れたいし、この国を出ることだって考えている。

自由の欠片もないあの生活を思い出すと、胸がくっと痛くなった。

「せめて、私の代わりに接客してくれる人が居ればいいんですけど」

私はすり鉢から薬草を一つ一つ別の瓶に移して行った。

もちろん、遠隔操作である。瓶とすり鉢を載せたマットに陣を描いてあるのだ。気味悪いと思われるかもしれないが、私の髪の毛も編みこんである。遠隔操作をする時に起点となる自分の身体の一部があると、とても安定するのだ。

なんでわざわざ遠隔操作かって? だって、手とか汚れないし、手からバイキンとか入っても面倒だし。

「接客、ねぇ」

ミルティルさんも、二つ目の植木鉢を成形しながら考えてくれる。

「マリーちゃんの場合、事情が事情だからね。それを受け入れてくれて、口の堅い人間ってだけならともかく、接客するからには、それなりに薬草の知識とかないとダメだろ?」

「ですよねー」

それなりに薬草の知識があるんだったら、その人が町で開業すればいいんだし。

「いっそ、マリーちゃんがもう一人いればいいのかね、なんて」

私がもう一人いたら、その子があの人に連れ去られるだけなんじゃないかなぁ。

いや、それはそれでいいかもしれないけど。

「もう一人、か」

私はぼんやりと呟いた。

もう一人の私ならいる。あの農村でまだ家族と一緒に暮らしているんじゃないかな。もしかしたら、恋人とかいたりして。

別れた頃は瓜二つだったけれど、成長した今は、私とは別の顔立ちになってるんだろう。

もう名前も忘れてしまった私の双子の妹。

口に出していたのか、ミルティルさんが「顔が違うもう一人のマリーちゃんか」と呟きながら二つ目の植木鉢をろくろから外していた。

「顔が、違う……?」

「マリーちゃんがそう言ったんだろ? 双子だからって成長してまで顔が同じとは思えないって」

顔が、違う、もう一人の私?

頼まれていた藍色の釉薬のことも忘れ、私はぶつぶつと必要な魔術陣の組成を考え始めていた。