クレスト様の本気の問い掛けに、私は諦めるしか選択肢はなかった。

ぽつり、ぽつりとここへ連れて来られてからのことを呟くように伝える。

手首を縛られていたため擦り傷ができたこと。

クレスト様とカルルさんに付きまとっていると言われ、赤毛のお嬢様に扇で叩かれたこと。

魔術師に引き渡される予定だと言われたこと。

別れの手紙を書き、血判を押したこと。

抵抗した際に、腕を捻り上げられたり、頬を叩かれたりしたこと。

お嬢様に「キズモノ」にしろと命じられた男達に服を裂かれ、胸やお尻を―――

「君を守ると言いながら、恐ろしい目に合わせてしまった」

男達に身体をまさぐられたことを思い出し、震える私をクレスト様が壊れ物を扱うように柔らかく抱きしめた。

「違います。私がいけないんです。魔術師に目をつけられるようなことをしたのだって、私が『マリー』を取り返そうとしたせいです。お嬢様に邪推《じゃすい》されたのだって、訓練を見学したいと言ったせいで―――」

何より、クレスト様に昏睡の魔術陣を使ってしまった後ろめたさに、私の喉が詰まる。

「マリー。君のせいじゃない。俺が君を守りきれなかったのがいけない。こんなことなら、ずっと俺の傍に置いておけば良かったんだ。どうしても連れて行けない時は、俺の部屋に―――」

私はぎょっとした。

なんだか言ってることが軟禁から監禁にグレードアップしてる!

「ち、違います。クレスト様」

さすがにそれは、私の胃がストレスでやられそうだ!

っていうかこの遣り取り、誘拐前にしてたのと似た流れになっちゃってる!

「お願いですから、私をちゃんと見てください。十二の頃とは違います。一人前の魔術師ですし、もう十七なんですよ? 自衛手段だってありますし、生計だって立てられます。魔術でクレスト様の手助けもできるんです」

クレスト様は私の言うことをきちんと理解しているのかしていないのか、真っ直ぐに私を見下ろしていた。

「クレスト様に『私を守りたい』っていう意思があるのと同じで、私にだってやりたいことはあるんです。だから―――」

「そうして自由を与えれば、君は俺以外の誰かに会いに出て行くんだろう?」

だー、もう!

誰かこの人どうにかして! 話が通じない!

「クレスト様にだって、私以外に、カルルさんやハールさん、アマリアさんや、騎士団の皆さんっていう繋がりがありますよね? 私にだってお師さまやデヴェンティオでお世話になったミルティルさんやリリィさん、ゲインさん。ウォルドストウの食堂のおかみさんや常連の皆さんみたいに繋がりがあるんですよ」

「それは、俺のことはどうでもいいと?」

「違います。その中で好きとか嫌いとか、一緒にいたいとか、別れたいとか色々あるんです」

懸命に口にしながら、何故か顔もおぼろげな父親と、双子の妹の姿が脳裏をよぎった。

「そうやって、人って選んだり、選ばれたりしていくんです」

私は、お父さんに選んでもらえなかったけど。

「だから、そもそもその選択肢さえなくしてしまおうっていうクレスト様の考えは、間違ってるんです」

そこまでして、言いなりにさせたいんですか。強制された方が不幸になるかも、なんて思わないんですか。力で何でも解決できると思ってるんですか。とまで畳み掛けたい所をぐっと堪える。

ダメだ。言い過ぎは良くない。逆上したら何するか分からない人だ。

「……それなら、マリー?」

「何でしょう」

「君が俺を選ばないなら、俺を殺せ」

……。

ど う し て そ う な っ た!

「君に選ばれないなら、俺の生きる意味はない。君が俺の唯一の『祈り』だから」

はい、重いです。勘弁してください。

よくよく考えたら、たった一人の人間が傍から離れたから死ぬってどれだけ思い込みが激しいの! これがデヴェンティオで隣に住んでたリリィさんがよく口にしていた「女々しい」ってやつなのね。よっく分かりました!

「……クレスト様。お互いに少し冷静さを欠いているようなので、この話は後回しにしても良いですか?」

とりあえず拉致《らち》された先でする話ではない、と私は問題を棚上げすることにした。

◇  ◆  ◇

夜明けと共にやって来たカルルさん率いる騎士団によって、私とクレスト様は救出された。

表向きは「不審な物音がすると付近の別荘管理人から通報を受けた騎士団が、拘束されていた被害者を救出した」ことになっている。いや、あの鐘の音が本当に外にまで響いていたらしいんだけど。

別荘に居た使用人(二名ほど重傷)は捕らえられ事情聴取を受けることになり、最終的には「別荘の持ち主である某令嬢が氷の貴公子への恋に狂い、薬を使って拉致・監禁し関係を迫った」という一大スキャンダルに発展した……らしい。

すべて後になってカルルさんから伝え聞いたものだが、その裏にはピア卿という貴族と、後ろ盾だけは強力な協会魔術師の存在が見え隠れしているものの、トカゲの尻尾切りで罪に問える証拠もないとか。

徹夜に近い状況にも関わらず、クレスト様はいつも通りお仕事に出かけた一方で、私は一通りの手当ての後、慣れ親しんだ自室のベッドでばたんきゅ~……してたはず。

してたはず、なんだけどなぁ?

どうして目を開けたら、目の前に美形の寝顔があるのかなぁ?

ついでにここ、私の部屋じゃないみたいなんだけどさぁ?

(だいたい、何があったのか想像つくけど……)

クレスト様帰宅。

出迎えがないので私の部屋へ様子見。

寝ていたので一人で食事をとる。

クレスト様が寝ようとする時間になっても爆睡中。

自室にお持ち帰りして抱き枕←今ココ!

(逆に言えば、それ以外の理由が考えられないっていうのもおかしな話かしら)

相変わらず思考回路は理解できないけれど、行動パターンは読めて来た。

ついでに、ここから脱出するのは不可能。さすがに昏睡《こんすい》の魔術陣なしには逃げられる見込みはない。

それでも起こさないようにそっと手を動かし、自分の胸元のネックレスを探し当てた。すっかり馴染んだダイヤモンドのトップに触れ、意識を集中させる。

体中を滞りなく魔力が循環しているのを感じる。久しぶりの解放感に涙が出そうになった。魔力を指先に集め、ダイヤモンドへ流し込む。血などの体液を使うより面倒な手順を踏むし、移すのに時間がかかるが、魔力を貯めることはできる。集中できないほどに疲れれば、きっとまた眠りの海に逃げることができるだろう―――

「マリーツィア」

「ひゃっ?」

突然、耳に侵入してきた甘い声に、私の身体が跳ねた。ついでに集中も途切れた。

「やはり起きていたな、マリー」

恐る恐る目を開ければ、どこか冷えた眼差しの氷の貴公子サマが私を見つめていた。

「す、すみません。クレスト様を起こさないように、と思っていたんですが」

彼の手が私の頬を優しく撫でた。

「もう、痛まないか」

「はい、腫《は》れも引きました。ご心配をおかけしました」

この美貌を至近距離で拝むのは心臓に悪いので、離れていいですか、と尋ねたいのを堪《こら》えて口を噤めば、彼の目が細められ、口の端が僅かに持ち上がった。

(あれ、これって『笑った』ってこと?)

珍しいものを見た。

「明日も俺は仕事で邸を空ける。君はこの部屋で待つんだ」

私は自分の耳を疑った。

なんだそれ。笑顔で人の気を緩めといて爆弾落とすってどんなですか。

っていうか、まさかの監禁宣言ですか?

「え、と、この部屋で、ですか?」

「勿論」

即答された。

「あの、私、ちゃんと自分の部屋がありますし」

「駄目だ。あと、刺繍《ししゅう》も含め、魔術に関わることも禁止する」

「え、では、私、昼間は何をして過ごせば―――」

「アマリアを付ける。若い女性は会話だけで時間を潰せるだろう。あと、読書に制限は設けない」

それ、アマリアさんを監視に付けるってことですよね?

完全に監禁する気満々ですよね!

「あの―――」

「もう二度と、あんな思いはしたくない」

私の反論は、苦しそうなクレスト様の独白によって押し留められた。

「俺の前から、姿を消すな。マリーツィア」

呟いたクレスト様は、私を強く抱きしめた。

◇  ◆  ◇

「本当に申し訳ありません、マリーツィア様」

「いえ、謝っていただいても……。アマリアさんは何も悪くないわけですし」

「わたくしも、ハールも、クレスト様をお諌《いさ》めしたのですが、力が及ばず、説得できませんでした」

二人がけのソファにちょこんと座った私の目の前で、アマリアさんがひたすらに謝って来た。

「アマリアさんの仕事は大丈夫なんですか?」

「朝、一通りの指示は出していますから、トラブルがない限りは問題ございません」

本当に無茶振りをするなぁ、ここの主人は。アマリアさんだって、何人かのメイドを束ねる立場の人なんだよ。それを私の監視役にするなんて、何を考えてるんだ。

「その、監視…いえ、私に付いているのは、アマリアさんじゃないといけなかったりするんですか?」

「マリーツィア様と一番長く接しているのがわたくしですから、クレスト様もマリーツィア様に一応、配慮したとは、思うのですけれど……」

あぁ、やっぱり、アマリアさんも困ってるんだなぁ。

さて、どうしたらいいかな。

「アマリアさん」

「はい」

「この部屋を出ること以外の、禁止事項って何があるんですか?」

「針を含む全ての刃物をお渡しすることがまず第一です。その他ですと、ペンなど書く物も全てこの部屋から撤去させていただきました。読書をなさる場合は、読みたい本をお申し付けいただければ、書斎からお持ちする形となります」

「……うわぁ」

「大変申し訳ありません」

思わず呻《うめ》いたら、アマリアさんにまた謝られてしまった。

さて、どうしたものか。

(さすがにもう、魔術陣を描けるような抜け道はないか)

私は、大きく息を吐いた。

「アマリアさん。午前中は私、基本的に寝て過ごすことにします。昼食後は読書。お茶の時間にはさすがにお喋りしたくなると思いますので、アマリアさんか他のお喋り上手な人で良いので付き合ってください。―――クレスト様が意見を変えられるまでは、このような形で過ごそうと思いますので、スケジュール、というかシフト組んでもらえますか?」

私の提案に、アマリアさんの目が大きく見開かれた。でもすぐに立ち直って、目線を落とし、自分の中で整理をつけたのだろう。「わかりました」という返事をもらえた。

「あと、私の部屋から宝石箱を持って来てもらえますか?」

すると、アマリアさんの顔が曇《くも》る。

「あの、ダイヤの入ったものでしょうか」

「はい」

「差し支えなければ、用途をお聞きしても?」

あぁ、また持って逃げると思われてるのか。まぁ、そうだよね。うん。

「宝石には人の心を落ち着け、静める効果があると聞いたことがあります。正直に言えば、今の私の心は、クレスト様に対する怒りで荒れ狂っているんです。でも、他の人に八つ当たりするわけにもいきませんし、気休め程度でも、あればいいかな、と」

アマリアさんがすごい痛ましそうな表情でこっちを見つめた。理由が理由なだけに納得してくれたけど、今日のお茶はハーブのブレンドティーに致しましょう、と言われた。本気で心配してくれたらしい。

アマリアさんに呼ばれた別の若いメイドさんが持って来てくれた宝石箱からダイヤモンドのイヤリングを取り出すと、私はソファに寝転ぶ。はしたないと怒られるかもしれないとも思ったが、アマリアさんは寝やすいようにクッションやらブランケットやらを用意してくれた。

「おやすみなさい」

扉近くで控えているアマリアさんに告げると、私は目を閉じた。

やることは昨晩と一緒だ。

手の中のダイヤモンドに魔力を注ぐ。集中力が切れれば眠りの淵に落ちて行くだろう。

そもそも、クレスト様は魔術師を誤解している。

たとえ魔術陣を記す物がなくても、頭の中で新しい魔術の構成を考えることはできるんだ。

単に試行錯誤ができないだけ。

魔力の流れを意識しながら、私は先日まで両腕にはめられていた魔術封じの銀環について、自分だったらどう構成するだろうかと考え始めた。

今まで生活に直結した魔術陣しか構成したことがなかったから、きっと手間取るだろう。でも大丈夫。時間は腐るほどにあるんだから――――。

そうでも思わないと、とてもやっていられなかった。