* アリシア視点 *

ネネアとマルス君の戦いは、一分にも満たないものだった。

いや、あれは戦いですらなかった。

その証拠に、ネネアの放った殺気に対して、焦りや恐怖など全く感じていなかった。

彼は顔色一つ変えなかった。

戦いという認識をしているなら、少なからず殺気も出るはずだ。

だが、彼からはそれすらも感じなかった。

圧倒的な実力差があったのだ。

完全に私のミスだ。

実力行使に出ようとした私が選択を誤った。

ファルトの言う通りだった。

慢心が招いた結果だ。

そう認めざるを得ない結果が出ている。

私は、相手の実力を正しく把握しようとしていなかったのだ。

戦ってはいけなかった。

うまく言葉で彼を懐柔すべきだった。

今からでも、どうにかしなくてはならない。

「俺は戦ってもいいんだが、ファルト先輩いいのかよ?

ここであんたが負けたら、生徒会としては旨くないんだろ?」

逡巡している間に、マルス君とファルトの間で会話は進んでいく。

「おれが二年に負けたなんて知れたら、学院全体のパワーバランスは崩れるわな」

そうだ。

もし生徒会のメンバーが負けたという噂が広がれば、我々の影響力は地に落ちる。

代わりに大きくなるのは、マルス君個人の影響力だ。

私は彼のことをほとんど何も知らないが、もし彼が何かの拍子に暴走したとしたら。

殺しまではなくとも、この学院の生徒を奴隷のように扱う。

そういった可能性だって皆無ではない。

そんな扱いを受けるのは、力がないせいだと言われたらそれまでの話だ。

そうさせない為に、今までどおり私達が上手く生徒達を管理しなければならない。

管理をする側の我々が、秩序を守れない状況など作ってはいけない。

だが今、私自身のミスで面倒な状況を作ってしまった。

今までなら、こんなことは起こりえなかった。

彼は二年で我々は三年だ。

余程の天才でない限り、一年の差は大きい。

だからこそ、上級生が下級生に負けることなどあるはずがないと考えてしまった。

それは、私達が下級生の頃からそうだった。

実力差を感じ、歯向かうことはできない。

仮に勝てたとしても、集団になれば上級生に勝てるわけがない。

正しい力関係が成立していたのだ。

しかし、目の前の少年がそれを狂わせた。

今までの考え方は通用しない。

なら、どうしたらいい?

選択肢は一つだ。

どうにかしてマルス君を味方に引き入れるしかない。

「――ま、待ちな――待ってください!」

考えはまだまとまっていない。

だが、二人の戦いを止める為に、私は声を上げた。

一斉に生徒会室中にある目が私に集まった。

一年生は不安そうな眼差しを私に向けた。

エリシャさんも少しそわそわした様子だ。

ラフィさんは逆にわくわくと目を輝かせている。

ファルトは頬をポリポリと掻いた。

マルス君はただ真っ直ぐに私を見つめていた。

何かを言わなければならない。

マルス君を懐柔する為に、何かを。

どうしたら彼を懐柔できるか?

人を懐柔する為に一番必要なことは何か?

賄賂だろうか?

彼の欲しいものはなんだ?

いや、それだけではダメかもしれない。

何かこちらも譲歩を見せなければいけいはずだ。

いや、そもそも一番確かめなければいけないことは、彼が生徒会に入る意思があるかどうかだ。

まず、話はそれからだ。

「マルス君、いきなり実力行使に出ようとしたことについては謝ります。

ネネアの行動も全て私の責任です、申し訳ありません」

席を立ち謝罪をする。

「いや、別に大丈夫だぞ。

気に入らなければ実力でどうにかする。

ここではそういうルールなんだろ?」

私の謝罪を受け入れた上で、マルス君は事もなげな顔でそう言った。

「改めて確認させてください。

あなたには、生徒会に入る意思が全くないのでしょうか?」

もし少しでもその意思があるのなら、懐柔できる可能性は残されているのだが、

「今直ぐに決めろと言うのなら、生徒会に入ることはない」

では、時間を置いて考えてもらうことはできるということか?

だが、その結果ノーと言われてしまえば、彼を生徒会に留めさせることはできない。

だとしたら、別の方法で彼を繋ぎ止めなければ。

「……たとえば……そう、たとえばですが、何か望みはありませんか?

生徒会に入ることで、あなたの望みが叶う可能性もありますよ?」

「望み?」

マルス君は聞き返し、

「はい、もし叶えられる範囲であれば要望にお答えできますが」

「俺の望みは、友達が欲しいってことくらいだな」

予想外の言葉だ。

「友達?」

思わず聞き返してしまった。

「ああ、ここの生徒でいるうちに友達を作りたいと思ってる」

まさかそんなものが望みだなんて。

だが……それは利用できるのではないだろうか?

「友達を作りたいということなら、やはり生徒会に入るべきです!」

とりあえずそう言っておく。

言い訳は後から考えればいい。

「理由は?」

マルス君が聞き返してきた。

多少は興味を持ってくれたようだ。

なら、

「はい。生徒会とは全ての学生の頂点に立つ生徒の集まりです。

他の生徒たちから、尊敬の眼差しを向けられるのは当然です」

捲くし立てるように言葉続けた。

だが、

「ラフィは別に、生徒会の方を尊敬してはいませんが?」

兎が余計な口を挟んできた。

ニコリと可愛らしい笑みを浮かべてはいるが、どこか皮肉も感じられる。

この兎はマルス君を生徒会に入れることに反対のようだ。

「勿論、万人がそうだとは言いません。

そう言った傾向にあるという話です。

エリシャさんもそうは思いませんか?」

私はエリシャさんに話を振った。

元々生徒会に所属していたエリシャさんなら、私の意見に賛同してくれるはずだ。

彼女は責任やメリットを考えた上で、当時生徒会に所属していたはずだから。

「……生徒会に所属できることを栄誉に感じる者にとっては、そうかもしれません」

やはりエリシャさんは賛同してくれた。

彼女とマルス君はどういう関係なのだろうか?

エリシャさんとラフィさんの二人を連れてきているということは、親しい間柄であることは間違いないはずだ。

だとしたら、これを利用しない手はな――

「ですが会長、そうでない者も多くいます。

生徒会という看板よりも、その個人がどんな人物であるかが一番重要ではないでしょうか?

それに、生徒会に所属しているからという理由で関係を持ちたいと考えるのだとしたら、そこから生まれた関係は打算のみの関係になってしまいます」

エリシャさんが口にしたのは、否定的な意見だった。

彼女もマルス君を生徒会に入れることに否定的なのだろうか?

「……ですがエリシャさん。

メリットがあるから友人関係というのは成立するものです」

打算のない人間関係など存在しない。

それを認める者がいるとすれば、そんな者は信用できない。

「否定はしません。

ですが、それだけではない関係もあると私は思います」

エリシャさんは甘い事を言っている。

私は理想の話をしているのではない。

「マルスはどう思う?

友達って、打算で考えてなるものかな?」

視線を私からマルス君に移し、エリシャさんが聞いた。

「いや、そんな面倒なことは考えないな。

付き合っていく上で損得はあるんだろうが、そんなことは友達になってみないとわからないだろ?」

答えが決まっていたようにマルス君は言った。

「そうだよね。

マルスならそう言うと思った。

私とマルスが最初に会った時だって、マルスは私と直ぐに友達になってくれたもんね。

結果としてだけど、私はマルスと友達になることで多くのメリットがあった。

それは事実だけど、最初の付き合いは損得で生まれたわけじゃない」

口だけでならどうとでも言える。

行動で示してこそ、言葉には価値が生まれるのだ。

「メリットがあったからこそ、今の関係があるということでしょ?

デメリットがあるなら付き合いは継続しない」

「私との関係は、マルスにとってデメリットになることが多かったんです。

でも、マルスはそれでも私の友達でいてくれました」

だとしても、デメリットがメリットを超えなかったそれだけの話だろう。

「ならば聞きましょう。

マルス君はエリシャさんと友達でいることに、メリットを感じていますよね?」

「……アリシア先輩、俺はそんな深いことは考えてないんだ。

正直な話、この学院に入るまで、俺は友達ってものがどういうものなのかもわかってなかった。

今だって、友達ってなんだって問われたら答えられない。

でもさ、傍に誰かがいてくれるってのは、そんな悪いもんじゃないとは思ってる」

私には理解できない考えだ。

「私は、マルスの友人になる人は、こんなマルスに答えられる人になって欲しいんです。 相手のことを思って、お互いの為になるような行動が自然とできるような関係を築いてほしいんです。

そうなる為の努力ができる人であってほしいんです」

それは理想だ。

彼女は理想を語っているだけだ。

「ではあなたは、マルス君との付き合いで自分の身が窮地に陥いる可能性があるとして、それでも彼との友人関係を継続することはできると?」

「口で言うほど簡単なことじゃないとはわかっています。

今の私はまだ弱いです。逃げ出したくなるかもしれません。

だからこそ、彼の傍にいられるくらい強くなりたい。

マルスの友でありたい。その想いに嘘はありません」

逃げ出したくなるか。

本人を目の前によくも言えたものだ。

だが、だからこそその気持ちが偽りでないことが伝わってくる。

「先輩、そもそもそんな状況にはならないよ。

もし何かあったなら、その時は俺が全力で助ければいいだけだろ?」

当然のことのように言ったのはマルス君だ。

なるほど……。

この二人と私とでは、考え方がまるで違う。

打算うんぬんで話をするべきではなかった。

「つまり、あなたもマルス君が生徒会に所属することには反対なのですね」

「私は、マルス自身が考えた上で生徒会に所属するというなら、反対はしません。

ですが、会長が手練手管でマルスを利用する為に生徒会に所属させようとするならば、それには反対します」

結局は本人の意思。

このまま彼を懐柔することは難しいだろう。

私が今ここで何を言っても、墓穴を掘ることにしかならなそうだ。

「私がここで何を言っても無駄だということはわかりました。

マルス君、ここまで好き勝手言っておきながら、身勝手なことはわかっています。

ですが、もう一度生徒会に入ることの意味を考えてみてはもらえないでしょうか?

もう、答えを直ぐに出して欲しいとは言いません」

彼を生徒会に所属させられる可能性はまだある。

情報の委員会(コミュニティ)を使い、生徒会の必要性を流布すれば彼の考えも変わる可能性だってあるはずだ。

「……わかった。

とりあえず考えてはみるが、結果は約束できない」

「ありがとうございます。

今はそれだけで十分です」

もう失敗できない。

だが、まだ取り返しは付く。

「……それと、虫のいい話ですが、もう一つお願いをしてもいいでしょうか?」

「なんだ?」

「我々は今後あなたに危害を加えるような行動は一切しません。

ですので、ファルトと戦うという話はなかったことにしていただけませんか?」

マルス君とファルトを戦わせるわけにはいかない。

彼は当代最強でいなくてはならない。

それがこの学院の為になるのだから。

「ああ、構わないぞ。

振りかかった火の粉は払わせてもらうが、俺から無駄に手を出そうとは思ってないし。

ファルト先輩の力は気になるが、またどこかで見せてもらう機会もあるだろうしな」

私も確認しているが、ラスティーやネネアは先に手を出していた。

彼自身に、そこまで凶暴性はないのかもしれない。

どちらにしても、圧倒的強者というだけで危険ではあるが。

だが、考えてみれば友達を作りたいという目的があるのだから、下手に生徒たちに暴力を振るうようなことはないのではないか?

そんなことをすれば恐れられるだけだ。

……そうなると、私が情報の委員会(コミュニティ)を使って行なった工作は、彼にとっては非常に都合の悪いものになってしまった。

このことは知られてはマズいだろう。

「おれとしても、マルスに胸を借りてみたかったが、まあ立場を考えれば仕方ないわな。

でも、訓練くらいならいいだろ?」

私に聞くファルトに、

「……勝敗が決するようなものでないこと。

誰にも目撃されないこと。

必ず私を立ち会わせること。

この三つの条件を守れるなら」

それだけ伝えた。

「アリシアから許可が出たぞマルス後輩」

「なら、機会があれば頼むよ先輩」

直ぐに訓練に向かうつもりはないらしい。

続けてマルス君は、

「それとさファルト先輩。

この後よかったら、一緒に飯でもどうかな?

先輩も男子宿舎に住んでるんだろ?」

そんなことを言った。

「おお、いきなり先輩を飯に誘うとは。

だがいいぞ、付き合おう。

少し話したいこともあるしな」

どうやら二人で食事を取ることに決まったらしい。

ファルトが少しでもマルス君と仲良くなれば、彼を懐柔できる可能性は高まるかもしれない。

といっても、ファルト自身にそんな打算はないだろうけど。

「じゃあ、話はもう終わりでいいか?

なら宿舎に戻って飯にしたいんだが?」

私に確認を取ってきた。

「……はい。

生徒会への所属に関しては、一考ののち必ず連絡をください」

「ああ」

そうしてマルス君は席を立った。

ラフィさんもそれに続くように席を立つ。

しかし、エリシャさんは席を立たず、

「マルス、私はまだ会長と話があるから」

そんなことを言った。