「そ、そんな……馬鹿なことが……」

 動揺した細マッチョが震える手を伸ばした。

 女の耳に触れようとする。

 パシッ

 女が手を振り払った。

 咎め気味に細マッチョを見据える女。

 叱咤の視線。

「触れることまで、許可はしていませんが」

「そん、な……嘘だ……嘘だ、嘘だ……」

 あんなにも自信満々で暴いたというのに。

 大立ち回りを、演じたというのに。

 まさかの、人違い。

 見ようによっては超ド級の大恥だが……。

「せ、セラス・アシュレインでないのならっ――」

 細マッチョが口角泡を飛ばし、女を指差す。

「お、おまえはなぜこのミルズにいるぅうう!? 旅の目的はぁああ!? ちゃんと言えなければ、お、おまえは嘘だぁあああ! 嘘っぱち女だぁああ゛あ゛!」

 恥辱が過ぎて錯乱でもしたのか。

 細マッチョの質問が支離滅裂になっている。

 ここにいる時点で、ミルズにいる理由などわかるだろうに。

 が、女はまともに答えた。

「私がミルズへ立ち寄ったのは路銀を稼ぐためです。旅の目的は――」

 ゴソゴソ

 背負い袋のポケットから、女がベールを取り出した。

 細マッチョの目に理解が灯る。

「その、ベールは――ッ」

 あのベールがどうかしたのだろうか?

「お察しの通りです。私はヨナト公国を目指し、旅をしています」

 ヨナト公国。

 ゆうべ宿の酒場で耳にした国名。

 殲滅聖勢とかいうのが強くて有名なのだったか。

「知っているとは思いますが、このベールは聖勢(せいせい)を集めている聖女の呼びかけに応じようとする者の証です」

 聖勢(せいせい)。

 聞き慣れない言葉だ。

 ただ、集団や組織の呼び名だと想像はつく。

「おわかりいただけましたか? ヨナトを目指す旅の途中でこの遺跡攻略の募集を聞き、路銀を稼ぐため立ち寄っただけです」

「ぅ、ぐ……ッ!」

 細マッチョがぐうの音も出なくなっていた。

 周りがざわつき始める。

「あれだけ騒いで、人違いって……」

「一瞬、マジに噂の姫騎士かと思ったじゃん」

「ま、傭兵ギルドの似顔絵とも違うしな」

「つーか言われてみりゃあ、バクオスに追われてる逃亡者がこんな人の多いところへ出てくるわけねぇだろ」

「あのモンクとかいうやつ、まさに”閃光”の速度でバカ晒しやがったな」

 細マッチョがプルプル震えている。

 その瞳に渦巻いていているのは、憎悪。

「許、さん……この屈辱……貴様、許さんぞぉぉ……綺麗な女というのはどいつも、こいつもぉ……覚えておけぇぇ、ミスト・バルーカスぅぅ……ッ!」

 女を指差しつつ細マッチョは広場の隅へ引っ込んだ。

 逆恨みもいいところだろ……。

「…………」

 フードを被り直す女が視界に入る。

 あの女も、引っかかるといえば引っかかる。

「人(・)違(・)い(・)、か」

 その時、一人の傭兵が声を上げた。

「お、来たぜっ!」

 広場の方へ馬車が近づいてきた。

 乗馬した男女が周りを固めている。

 皆、武装していた。

 護衛だと思われる。

 馬車が停止。

 恰幅のいい男が馬車から降りてきた。

 男は、そのままステージに上がった。

 傭兵たちがステージの方へ集まってくる。

「諸君、よくぞ集まってくれた! 存じている者も多いと思うが、改めて自己紹介をしよう! わしは、クレッド・ハークレー! 好事家のハークレー侯爵として知られておる!」

 俺は初耳だ。

 なので、自己紹介はありがたい。

「実はわしの管理するミルズ遺跡でこのたび新層が発見された! 諸君らにはその新層の探索を依頼したい! ただしこの依頼、前払いの報酬は一切用意していない! だが、持ち帰った宝についてはわしがなるべく高く買い取らせてもらおう! 買い取り価格の交渉にも前向きに応じる! それが諸君らへの報酬だ!」

 侯爵は説明を続けた。

 魔物の死体から得た素材は自由にしていいそうだ。

 素材の買い取りも一応してくれるらしい。

 となると……。

 スケルトンキングの骨粉は持ち帰れそうだ。

 出入りの際は荷物のチェックが入るとのこと。

 遺跡に眠る宝は管理者である侯爵のものというわけか。

「そして、ミルズ遺跡のどこかに眠るという秘宝”竜眼(りゅうがん)の杯(さかずき)”を手に入れた者には特別報酬を出す! 報酬は、金貨300枚!」

 傭兵たちがざわつく。

「前より報酬が上がってるじゃねぇか」

「生きてるうちにどうしても欲しいんだろうぜ」

「金貨300枚はすげぇな……」

 けっこうな大金らしい。

 侯爵に指示されて護衛の一人が台に上がる。

 護衛は丸めた羊皮紙を開くと、俺たちに提示した。

 羊皮紙には竜眼の杯の絵が描かれている。

 遥か昔に隠された秘宝だと侯爵が説明した。

 ちなみに、魔法の道具ではないそうだ。

 単なる珍奇な調度品らしい。

「この杯で上等な酒を飲むのがわしの夢でな! きっとこの杯で酒を飲むあかつきには、古代人を征服した王の気分になれるであろう!」

 さざ波のような笑いが起こった。

 愛想笑いが大半だった。

 いいからさっさと進めろ、という空気が漂う。

 空気を察したのか、侯爵が苦笑いで護衛に指示を出した。

 テキパキと護衛が動く。

 参加者の登録作業が始まった。

 列に並ぶ。

 一部の傭兵はすぐ登録手続きが終わっていた。

 何かカードのようなものを提示している。

 おそらく彼らは傭兵ギルド員だろう。

 とはいえ、非ギルド員も名前の記載のみだった。

 似顔絵でも描かれるかと思ったが、それはないようだ。

 ミルズ遺跡の攻略は出入り時のチェックがある。

 宝の持ち逃げが不可能な管理体制。

 俺が必要なのは魔物の素材なので、まあどうでもいいが。

 遺跡の入口は広場を抜けた先にあるそうだ。

 このまますぐ遺跡へ向かったグループもいた。

 俺は一度、準備のため町へ戻ることにした。

 道を行く途中、あの女が歩いているのに気づく。

 女は俺の前を歩いていた。

 ミスト・バルーカスといったか。

 歩調は俺の方が速い。

 すれ違いざま、互いに視線が合った。

 俺は無言で通り過ぎようとする。

「あの」

 女が声をかけてきた。

 ここで無視するのは若干、気が引ける。

 まあ、女には少し聞きたいこともある。

 俺は足を止めた。

 そして言葉を返す直前、一瞬ほど悩む。

 …………。

 そうだな。

 今さら、丁寧口調に変えるわけにもいくまい。

「あんたも、目的地はミルズだったんだな」

 気づいていなかった体で話しかける。

「あなたも例の募集でここへ?」

「……まあな。さっきは災難だったな」

「あの程度、大した問題ではありませんよ」

「だとしても一応、気をつけておいた方がいい」

「何をですか?」

「さっき絡んできたあの男だ。あのあと、怒りと憎悪で顔を真っ赤にしていたぞ」

 女は悩ましげに眉をひそめた。

「たまに私はああして人を怒らせてしまうのです。なるべく穏便に済ませようと心掛けてはいるつもりなのですが……ままなりませんね。それに、今は好まれて近づかれるよりは、嫌われて相手が遠ざかる方が楽ですから」

「色々あって、性格でもねじれたか?」

 微苦笑する女。

「かもしれませんね。では、私はこれで――」

「あんたが人との関わりを意図的に避けているのはわかる」

 場を離れかけた女が足を止めた。

 女の目つきが思慮深いものへ変わる。

「あなたも同じだと、私は感じましたが」

「それを踏まえた上で、少し頼みがある」

「頼み? なんでしょう?」

「俺もこれからミルズ遺跡に入るつもりだ。ただ、必要な道具やらを揃えるのはこれからで……要するに、初心者なんだ」

「ああ、そういうことですか」

 察しがいい。

「あなたは物価に疎かったのでしたね。ふっかけられないように買い込みの際に助言が欲しい、と?」

 頭の回転も速い。

「単純に言えば、まあそういうことだ。助言料は払うつもりでいる」

 店の人間との腹の探り合いは疲れる。

 手慣れた者の知恵を拝借できれば、色々スキップできるだろう。

 相場を知るよい機会にもなる。

 俺はジッと女を見据えた。

「?」

 この女はひとまず信頼に値する人物だと俺は判断している。

 騙されたら――まあ、その時は仕方ないか。

 俺の認識と直感が甘かったと思って、諦めよう。

「その、ですね……実を言いますと、今の私は路銀を必要としています。ですので、それは私にも得のある提案なのです。助言料の話、甘えさせてもらってもよろしいでしょうか?」

「なら、交渉成立か?」

「の、ようですね。任せてください。店主一人一人と交渉するよりは、私一人と交渉する方があなたの労は少ないかと」

「わかった。あんたを信頼するよ。よろしく頼む。それじゃあ、早速――」

 俺は足を止めた。

 女が、手を差し出してきたからだ。

「ミスト・バルーカスです」

「ハティ・スコルだ」

 手を握り返す。

 白い手。

 きめ細かい肌。

 指が細い。

「…………」

 これが武器を持つ人間の手なのか。

 もっと硬い皮膚を想像していた。

 ん?

 女が何やら微妙な表情をしていた。

 ……ああ、なるほど。

 この女、嘘に敏感なんだったな。

「偽名だ」

「え?」

「わかるだろ? 俺もあんたと同じで訳アリだ。宿の方でもこの偽名で通してる。そして今の俺たちにとって、名前の真偽には意味がない。違うか?」

 女はフッと微笑んだ。

「ええ、その通りです」