◇【ウルザの王】◇

 ――黒竜騎士団、墜つ――

 その激報(げきほう)は大陸中を駆け巡った。

 人々はこの報に大きな衝撃を受けた。

 が、話はここで終わらない。

 五竜士の死に関する情報はいまだ錯綜のさなかにあった。

 理由は一つ。

 誰が五竜士を殺したのか、という謎が残っているためである。

     ▽

 マグナル王国。

 その北の大国の最南地方に建つ古城。

 名を、魔防(まぼう)の白城(はくじょう)。

 白城以南に広がるは大遺跡帯。

 別名、金棲魔群帯。

 陥落した大誓壁は北の要。

 この白城は南の要といえた。

 城内の集狼(しゅうろう)の間。

 各国代表が円卓を囲み、顔を並べている。

 マグナルの白狼王(はくろうおう)。

 背後に控えるは、白狼騎士団の副長。

 ヨナトの女王。

 背後に控えるは、ヨナトの聖女。

 ミラの狂美帝。

 彼の配下を傍に置いていない。

 ウルザの魔戦王(ませんおう)ジン。

 背後に控えるは、魔戦騎士団の団長。

 アライオンの堅王(けんおう)。

 背後に控えるは、女神ヴィシス。

 白城は各国の代表が集うのに程よい位置にあった。

 現在、マグナルの北には大魔帝の軍勢が留まっている。

 各国代表は精鋭戦力を伴って訪れていた。

 危急があれば即座に精鋭を動かしての対応が可能。

 当然、各国とも十分な戦力を国に残してはあるが。

「よもやあの五竜士が、固有部隊ごと全滅とはな」

 おもむろに口を開いたのは白狼王。

「おれは決してバクオスによい感情を持ってはいないが、五竜士――特に、シビト・ガートランドの実力は認めざるをえなかった」

 鋼を思わせる硬い声。

「して、五竜士死亡の報は本当に事実なのか? あの”人類最強”が死んだとは、おれにはいまだ信じられんのだが」

 白狼王が問いを投げた。

 投げられたのは、ウルザの魔戦王ジン。

 白狼王が座しているのはジンの正面の席。

 ジンは内心ため息をついた。

(相変わらず、愛想の欠片もない男だ……)

 質問がジンへ飛んできた理由は明白。

 黒竜騎士団がウルザ領内で壊滅したからだ。

 が、ジンも大した情報は持っていなかった。

(えらいことになってしまったものだ……といっても、黒竜騎士団のウルザ入りを拒否するわけにもいかなかった……)

「五竜士の死体はワシも確認しておる。彼らの死体は先日、バクオスへ引き渡し済みだ」

 空席へ目をやるジン。

 バクオスの皇帝はこの集いに不参加を表明した。

 仕方あるまい。

 大陸最強を誇った自国戦力が一夜にして壊滅したのだ。

 五竜士の死はバクオスにとって痛手過ぎる。

 マグナルの白狼騎士団。

 ヨナトの聖女。

 ミラの狂美帝。

 ウルザの竜殺し。

 アライオンの異界の勇者。

 各国の要といえる最大戦力。

 バクオスはそれを失ったのだ。

 今は自国であれこれ奔走しているのだろう。

「現在、黒竜騎士団の件は調査中にある。これまでに得られた情報では……まあ、すべてが明らかになったとは言えぬでしょうな」

 卓に肘をつき、白狼王が唸る。

「ふむ」

 白狼王がジッと黙視してきた。

 威圧感を与える広い肩幅。

 薄い灰色の瞳。

 冬の荒れ地を思わせた。

 虚偽があれば掬い取ろうとしている目だ。

 嫌な目つきである。

 が、ここで目は逸らせない。

 逸らせば先の言を偽りと勘違いされる。

(やれやれ)

 ジンとしては調査など早々に打ち切りたい。

 ネーア侵攻の頃から不安はあったのだ。

 黒竜騎士団。

 目と鼻の先に彼らがうろついている状況。

 先日など強引に入国してきた。

 ウルザにとって黒竜騎士団は目の上のたんこぶであった。

 だが、それが消え去った。

 今回の件はウルザからすれば朗報だったのである。

(このままバクオスが、弱体化してくれれば……)

 願ったりかなったりである。

(本音を言えば、五竜士を殺した者に褒美を出したいくらいだ)

 調査は女神の機嫌を損ねぬ程度でいいだろう。

(もしウルザに忠誠を誓う者なら、爵位を与えるのと引き換えに魔戦騎士団へ入団させるのも手かもしれん……いや、さすがに騎士団入りはまずいか。そうだな……他国の心情を考慮すれば、騎士団入りはまずい……)

 後ろ暗い点はないと判断したのか。

 白狼王の視線が他の者へと移る。

「今回の件、アライオンは何か有力な情報を?」

 彼の視線は女神を捉えていた。

 アライオンの王ではなく。

「女神よ」

 堅王が呼びかけた。

「かしこまりました」 

 上品に会釈し、女神が前へ出る。

 彼女は堅王の隣に立った。

 今日も神の名に値する美しさである。

(あの落ち着きぶりも、見習いたいものだ)

 ウルザの王たる自分よりも堂々としている。

(いや、女神に場数で勝る者などおらぬか。あの腰の据わり方も、当然なのだ……)

 神族が羨ましい。

 年を重ねても容姿が変わらないのだから。

(寿命という概念すら、あるのかどうか……)

「私もすべてを知っているわけではありませんが、入ってきた情報をまとめるくらいはしております。黒竜騎士団は、セラス・アシュレインを追っていたようです」

 これはジンも把握済みだった。

 ヨナトの女王が反応する。

「ネーアの元聖騎士団長ね? バクオスに侵略された際、姿を消したとか」

「我がウルザを訪れていたようです」

 ここぞとばかりにジンは答える。

「彼女は聖なる番人(ホワイトウォーカー)という賞金稼ぎに追われており、ついこの間まで南の地方にいたと聞きました。どうも逃亡中は、精霊術で変装していたようですな」

 女王にはつい白狼王より丁寧な対応になってしまう。

「追っていた賞金稼ぎたちは、今どこに?」

「闇色の森で彼らの死体が発見されています。死体は黒竜騎士団の面々と同じく、森の魔物や獣に食い荒らされてひどい状態だったようですが……」

「セラス・アシュレインの死体は見つかっているの?」

「見つかっていません。ただ、血塗れになった衣服の切れ端が発見されていまして……おそらく、相当な深手を負っているのではないかと」

 女王が黙考する。

 眉間に深いシワが寄っていた。

「すでに息絶えて、死体を獣に食われているかもしれないわけね。精霊術で変装して、ミルズで治療を受けているという線は?」

「五竜士の死後、何者かが傷の治療のためミルズを訪れた形跡はありません。ミルズ近辺の人家も一応あたらせましたが、匿っている様子はありませんでした。また、人のいる方角を避けたのか、セラス・アシュレインがさらに南へ向かったと思しき足跡が発見されています。何より――」

(積極的に調査していると、ここで主張しておかんとな……あと、王としてそれなりに頭が回るということも)

「出血量から考えますと、魔術師ギルド秘蔵の最高位の治癒術式、聖女殿の持つ回復呪文、異界の勇者の持つ特殊能力あたりを用いていなければ、まず助からないかと」

 夥(おびただ)しい出血量。

 血に飢えた獣や魔物から逃れられるとも思えない。

 女王が鋭く尋ねてきた。

「傷を治癒できる未知の精霊術がある可能性は?」

「ぅ、ぐっ」

 ジンは言葉に詰まった。

 精霊術には詳しくない。

「なかったと、記憶しておりますよ?」

 答えたのは女神。

「私もこの大陸で長らく生きておりますが、治癒を施す精霊術は存じておりません。何よりそんなものがあるのでしたら、移動する前にまず出血を止めるのではありませんか?」

「なるほど、確かにそうね」

 納得した様子の女王。

 ジンはひと息ついた。

(そういえば、女神の所有する廃棄遺跡があるのも闇色の森だったか……)

 ジンは知っている。

 あそこは地下墓地とは名ばかりの場所。

 本当は女神が”廃棄物”を送り込むための場所だ。

(とはいえ今回も、調査隊の報告に特に変わった点はなかったようだし……ウルザとしては、あまり深く関わりたくないところだな……)

 と、女神がこちらを見ているのに気づく。

 媚びた笑みを浮かべるジン。

 彼は女神を恐れていた。

 逆らうなどもってのほかだ。

 先日、ウルザにいたヴィシスの徒を女神が呼び戻した。

 ヴィシスの徒は各国の監視役とも言える。

 が、ウルザに監視役を置いておく必要はない。

 女神はそう判断した。

 ジンが逆らわないと、確信しているからだ。

(ええっと……わ、話題を闇色の森の方向から変えた方がよいのか?)

「と、ところで――ネーアと言えば、かの聖王の話はもうご存知ですかな?」

「聖王? 確か王の座を退いたのちは、バクオス本国で隠居暮らしをしているのだったかしら」

 女王が話題に乗ってきた。

「昨晩、亡くなったそうです。どうやら死の直前は正気を失っていたようで”早くここへ死体を持て”などと、意味のわからぬことをずっと喚いていたとか」

 白狼王が鼻を鳴らす。

「戦いもせず自国を明け渡し、己は敵国の領地で悠々自適に余生を送るなど……王の風上にもおけぬ男だったな」

 白狼王はバクオスを嫌っている。

 大魔帝降臨後にネーアへ侵攻したためだ。

 が、一切抵抗せず降伏した聖王にも一家言あるらしい。

(無意味に討ち死にするよりは、マシとも思えるが……)

 さりとて話の流れが変わってホッとするジン。

 彼はさらに別方向へ舵を切った。

「しかし対大魔帝の戦力として貴重であった黒竜騎士団亡き今、今後について女神殿はいかにお考えですかな?」

 女神が微笑む。

「黒竜騎士団の離脱は我々”神聖連合(しんせいれんごう)”にとって確かに大きな痛手でした。ですから今後はより一層、異界の勇者の存在が重要となってくるでしょう」

 女王とジンへ視線を飛ばす女神。

「このたびは四恭聖や竜殺しを快く派遣してくださり、アライオンは深い感謝の念を表明します。ああ、マグナルは対大魔帝の最前線ですので多くは望みません。狂美帝も、大魔帝の軍勢が本格的に動いた際はよろしくお願いいたしますね?」

 ミラの狂美帝。

 ファルケンドットツィーネ。

 金髪の美青年。

 彼はずっと黙って会話を聞いていた。

 毛先を弄りながら。

 最初の挨拶以降、ひと言も喋っていない。

「巨魔来たりて、栄えしは、アライオン」

 狂美帝がポツリとそう述べた。

 透明感はあるが湿り気も含んだ声。

 朝露のような声と評したのは、誰だったか。

 女神が笑顔を強める。

「あらあら? 何やら、含みのある言い方ですねぇ?」

「根源なる邪悪が現れると、他国はアライオンの勇者に頼らざるを得なくなる」

「それは仕方がありません。この世界に生きる者は一人残らず邪王素による負荷を受け、本来の力を出せませんから。この世界で生まれるためか、勇血の一族ですら負荷の影響は免れませんし」

 だから異界の勇者が必要となる。

 邪王素の影響を受けない異世界人。

 神族ですら邪王素の負荷は免れない。

「そしてアライオンは召喚した異界の勇者に対し説明をし、説得し、育てなくてはなりません。もちろん他国の手厚い支援には感謝しております。ですが、勇者を召喚するすべを持つのはアライオンだけです。ゆえに勇者と共に歩む宿命も、我がアライオンが背負わねばなりません。いわばアライオンは、重責を負った被害者でもあるのです」

 女神がニッコリ笑う。

「責を負う者に、正しき対価を。さてさて、今の説明に何かご不満がございますか? 狂美帝?」

 狂美帝が細く息を吐く。

「神殺しの伝承を?」

 女神が両手を合わせ、苦笑する。

「あの、そのお話って長くなりますか? この場でする意味のあるお話なのでしょうか? 大丈夫ですか?」

「…………」

「え? ここで黙るというのは一番だめな反応だと思うのですが……あの、もしかして私が間違っていますか? つまりこの世においては、あなたがすべて正しいということでよいのでしょうか? 自分の方がズレているかもしれないと考えたことなど、ひょっとして一度もありませんか? 大丈夫ですか?」

 狂美帝がフッと微笑んだ。

 何かを確認できて満足した。

 そんな笑みに思えた。

「話の腰を折って悪かった、ヴィシス」

 白く細い手を差し出す狂美帝。

「続けてくれ」

「相変わらず狂美帝は変わったお方ですねぇ〜。あ、でも勘違いなさらないようお願いいたしますね? あなたが守るのは私ではなくミラ帝国ですからね? 輝煌戦団のお力、頼りにしていますね?」

「その話、長くなりそうか?」

「え? もうおしまいですよ?」

 ジンは冷や汗をかいていた。

 会話の当事者ではないのに。

(つ、つくづく空気を読まぬ男だ……だが、あれでミラ帝国における最強の戦士でもあるというのだから、不思議なものだ……)

「ではでは、お話を戻しましょう」

 女神がさらに一歩前進した。

 堅王よりも今は前へ出ている。

「先日、大誓壁を占拠した大魔帝の軍勢に動きが出始めたのはご存じのことと思います。我々連合も気を引き締める必要がありそうですね。我がアライオンも異界の勇者の成長を、より急ぎましょう」

「五竜士を欠いた今だからこそ、各国がより強く手を取り合う必要がありそうね」

 女王が言った。

 彼女の背後に控える聖女。

 聖女が狂美帝へ視線を送る。

 二人は犬猿の仲と聞く。

 白狼王が、硬そうなあごを撫でた。

「改めて各人へ問いたいのだが……くだんの五竜士殺し、セラス・アシュレインの仕業と思うか?」

 皆、薄々勘づいている。

 セラス・アシュレインではない。

 別の”誰か”だ。

 が、誰も思いつかない。

 異界の勇者たちはその時、全員アライオンにいた。

 各国の主戦力もウルザ南方にはいなかった。

(名のある勇血の一族か? いや――)

 相手はあのシビト・ガートランド。

 生半可な相手ではない。

(対抗できそうな者といえば、四恭聖、竜殺し、勇の剣……あとは、ヴィシスの徒か?)

 いずれも当時の現場にはいない。

 聖なる番人も死んでいる。

(名の知れた勇血の一族の線も薄い、か……そういえば、金棲魔群帯に隠れ住むとされる禁忌の魔女などは、どうなのだろうか? その強さは、あまり聞こえてこぬが……)

 ともかく心当たりがない。

 まだ世に名を知られていない隠れた強者なのだろうか?

 ジンは一つ提案してみた。

「人側の者であれば、対大魔帝の戦士として招き入れる手はあるかもしれませぬな」

「魔族の仕業だとすると、厄介ね」

 女王が言った。

 白狼王が問う。

「マグナル以南での魔族の確認報告はない、だったな?」

 その時、

(ん?)

 白狼王の配下が部屋へ入ってきた。

 白狼騎士団の副長にその配下が何か耳打ちする。

 次いで、副長が王に小声で囁く。

 白狼王は一つ頷くと、正面へ向き直った。

「黒竜騎士団を壊滅させたと主張する者が、ウルザにて見つかったそうだ」

 ジンは慌てて振り返った。

 背後の魔戦騎士団の団長へ。

 ウルザにて、と言った。

 自国の話だ。

 なのに、他国の方が早く情報を掴んでいる。

 どういうことなのか?

 視線で問い詰める。

 が、騎士団長は戸惑った様子で首を振った。

 白狼王が続ける。

「自分たちが用いた呪術によってシビト・ガートランド以下、五竜士を死に追いやったと触れ回っているらしい」

 ジンは思い出した。

 国内で最近”呪術”が噂になっているという報告を。

(自分たち? その者たちは、集団なのか?)

 ジンの抱いた内なる問いに答えるように、白狼王が言った。

「黒竜殺しを名乗っているのは、アシントと称する呪術師集団だそうだ」