◇【高雄樹】◇

 東軍。

 彼らの戦場は、無惨の一言に尽きた。

 死体、死体、死体……。

 数えるのも馬鹿らしくなるほどの夥しい死体。

 およそ9割以上が――大魔帝軍側の死体であった。

「あれ、が……S級勇者の力、なのか……」

 だらん、と。

 剣を持つ腕を、白狼騎士団員の一人が下げた。

 視線はその先に広がる光景に釘づけになっている。

 あるオーガ兵は惨たらしく肉体を切り刻まれていた。

 あるオーガ兵は肌が燃え焦げ、細い煙を立てている。

 またあるオーガ兵は、氷の破片が体表に痛々しく張りついている。

 これらは戦いの中で覚醒した高雄聖の固有スキルによるものである。

 【ウインド(ファイア)】

 【ウインド(ブリザード)】

 ベースとなる風能力に付与された二つの他属性効果。

 複合属性とも呼べる固有スキル。

 さらに効果範囲すら広げたこのスキルが、戦場で荒れ狂った。

 使い手の高雄聖は、

「ふぅ」

 と、淡々とした様子で呼吸を整える。

 妹の高雄樹は姉の隣に立っていた。

 尊敬する姉の横顔を眺める。

 疲労している――それがわかった。

 さすがの聖も消耗が激しかったようだ。

 が、はたから見れば余裕そうに映っているだろう。

 聖は疲労感を顔に滲ませていない。

 ずっと一緒にいる妹の自分にしか、その微細な変化はわかるまい。

 そして樹は、

「さっすが、姉貴だな」

 いつもの笑みを浮かべて、いつもの称賛を口にするしかできない。

 いや――これ以上、なんと言えばいいのか。

 この戦場でも、ひたすら姉への尊敬が強まった樹であった。

     △

 当初、高雄姉妹の参加している東軍はジリジリと押され後退を続けていた。

 途中、狭い谷間の道の出口に聖が一人残る案が出た。

 そこで敵を堰き止め他の味方が逃げる時間を稼ぐ策である。

 が、ソギュード・シグムスは谷間を埋め尽くす大群は堰き止め切れないと判断。

 東軍はそのまま谷間の道を通過し、南のノード平原まで全員後退した。

 ここで、神聖連合側の援軍が到着する。

 東軍の戦場の南西方面に援軍用の温存戦力として陣取っていたウルザ軍である。

 魔戦騎士団の率いるウルザ軍と合流したことで、東軍はやや押し返した。

 が、

 ここで前線に、大魔帝がその姿を現す。

 これによって東軍の戦況は一気に不利へ転じた。

 紫(し)と金に彩られた生物要塞めいた体躯。

 そのフォルムは魔界の食虫花めいたおどろおどろしさがあった。

 体表に点在するグミのようにぶよぶよした部位が、青白く発光している。

 身体の端々では蟹の手足を連想させる器官が凶的に蠢いている。

 それはまるで、

 角のようでもあり、

 腕のようでもあり、

 脚のようでもあり、

 翼のようでもあった。

 あるいはそのどれにも当てはまるように思えた。

 不気味な巨躯の中心には人型めいた影が見える。

 が、それはなぜか”影”としてしか認識できない。

 不鮮明であり、実像を視認できなかった。

 影は巨体と融合しているように見えた。

 あれが大魔帝の核――本体なのだろうか?

 大魔帝は黙したまま、何一つ語らなかった。

 ただ魔物を生み出す速度を上げ、自らの軍勢をその場で生み出し続けた。

 魔物が生まれるのは、蛹(さなぎ)めいた形をしたぶよぶよした部位からだった。

 口のように、

 ”ぱかぁ”

 と開き――直後、激しく嘔吐するみたいに魔物の塊が吐き出される。

 なんとなく、漁獲の際に網から甲板へ溢れる海産物を連想させる。

 ぬめった粘液に覆われた生まれたばかりの魔物たちが、立ち上がる。

 その魔物たちが死体から防具を剥ぎ取る。

 同じように死体の武器を取り、魔物たちは戦線に加わる。

 倒しても倒しても、魔物の数は一向に減らなかった。

 高雄姉妹や白狼騎士団が奮戦するも押し返すには至らない。

 耐え続けてもいずれはジリ貧になる。

 ただし――拮抗状態はまだ崩れていなかった。

 これは高雄聖の功績が大きい。

 彼女の固有スキルによる殺害数の桁は他を圧倒していた。

 が、攻勢へ転じるにはどうしてもあと一押しが足りない。

 大魔帝側は元気いっぱいの新鮮な魔物を絶え間なく生み出す。

 一方、こちら側は時間経過で疲労が蓄積していく……。

 何より、大魔帝がさらに前へ出てくれば一気に東軍崩壊の恐れがあった。

 前線に出てきた――といっても、その時大魔帝は遥か遠くに陣取っていた。

 サイズが大きすぎるためどこにいても目視できてしまうのだ。

 その巨体が通過してきた狭い谷間の道は今、おそらくいくらか狭さを失っている。

 大魔帝と東軍の距離自体は、実はまだかなり開いていた。

 そのため、現状の距離だと大魔帝の邪王素の影響は受けないようだった。

 おかげで勇者以外の者も戦闘を継続できている。

 が、ひとたび大魔帝が前進してくれば一斉に瓦解する危険がある。

 その時まともに戦えるのは、邪王素の影響を受けない高雄姉妹だけとなるだろう。

 そんな時、だった。

 女神ヴィシスと金色のS級勇者が、魔導馬に乗って現れたのは。

     ▽

 酸鼻(さんび)を究める魔物の死体群。

 戦闘中、聖は【ウインド】を壁のごとく横に広げて後方の味方を守っていた。

 そして、

「ふぅぅぅぅ……」

 天を仰ぐ者が一人、最前線に立っている。

 男の前方には、大量の魔物の死骸。

 その背後には、生き残った東軍。

 彼を境界線として、その前と後ろで死と生が分かたれているようでもある。

 コキッ、と。

 その男――桐原拓斗が首を傾け、鳴らす。

 桐原の背を眺めながら、ソギュードが女神の隣に馬をつけた。

「で……どう思う、ヴィシス?」

 女神は騎乗状態で樹たちとは比較的近い位置にいた。

 傷一つ負っていない。

 ちなみにソギュードの逆側には騎乗したニャンタンが付き添っている。

 魔導馬から乗り換えた白馬の手綱を握り直し、女神は言った。

「とても素晴らしい戦果ではないでしょうか」

 酷い臭気が立ち込める戦場を眺め、女神が微笑みを湛える。

「大魔帝は退却。しかもこちらは一人もS級勇者を失っていません。ただ――」

 ソギュードが双眸を細め、戦場を見据える。

「いささか引き際がよすぎる、か」

「S級二人の固有スキルの進化を察して、素早く退却を判断したのだと思いますが」

「何やら腑に落ちていない様子だな?」

 東軍の勝利ではある。

 が、女神の表情は固かった。

 会話を聞いていた樹は再び、姉へ視線をやった。

(退却のタイミングに違和感がある、か……女神のやつ、姉貴と同じこと言ってんじゃん……)

 実は聖も女神と似た感想を樹にこぼしていた。

 大魔帝の退却後、高雄姉妹はこんな会話を交わしている。

『あっさり退却しやがって、なんつーか……ひょーし抜けだな』

『S級勇者の固有スキルに脅威を覚えて引いた感じには見えなかったけれど』

『え? そーなん? てっきり、ビビって逃げたのかと』

『そもそも戦っている途中で前進してくる予兆があったのよ。けれど――途中で、踏みとどまったように見えた。そう、まるで何かイレギュラーが起こったかのような』

『マジ? あたし、大魔帝に意思があるとすら考えなかったぜ? 絶対コミュニケーションすら取れない感じじゃね、アレ』

『あくまで私の肌感覚での話だけれどね。それ以前に大魔帝は今回、本気でこの東軍を潰すつもりがあったのかしら? たとえば――自らが姿を現すことで女神や他のS級勇者を南軍から離脱させたかった、とか』

『すげーな姉貴。なんつーか、軍師みてぇ』

『私がそう感じたというだけよ。論拠があるわけじゃないわ』

 大魔帝退却後したそんな会話を思い出しつつ、樹は、背を向けたまま一人佇む桐原を見た。

「……さっき姉貴、大魔帝はS級の固有スキルにビビって逃げたわけじゃねーって言ったよな」

「言ったわね」

「けど、どーなんかな……姉貴の固有スキルもそうだし――アレ見る限り、やっぱS級の力って大魔帝にとっては脅威なんじゃねーの?」

 皆に背を向け、一人離れて立つ桐原。

 彼の先、その上空――

 光を放つ何匹もの金色の龍が、空を飛び交っている。

 魔物の死体の半分は身体の半分を”消滅”させられていた。

 それは”削り取られた”ようにも見えるかもしれない。

 エネルギー体、とでも呼べばいいのか。

 バチバチ火花を散らしながら、制覇した空を飛び回る金色の龍たちの姿。

 この金龍たちがうねり、暴れ回り、魔物たちを殺し回った。

 その様子はもはや一方的な虐殺と呼べた。

 喰い尽くされていったオーガ兵たち。

 抗うすべはなく、金色の勇者の放った金波龍(きんぱりゅう)に無慈悲に惨殺されていった。

 魔物を喰らい尽くした今も金波龍たちは、縦横無尽に空で蠢いている。

 チッ、と。

 桐原が舌を、打った。

「大魔帝は逃がしちまったが……まあ、ようやくこ(・)こ(・)に(・)来(・)た(・)」

 桐原が振り返る。

 彼の瞳は、肩越しに背後の味方を捉えている。

「目が、覚めたか?」

 そう問う桐原の声は、絶対の自信、そして確信を帯びていた。

「キリハラ(王の戦)を目に焼きつけなかった間抜けが、いるはずもなく……ここからようやく、オレが始まる。そう――」

 スッ、と。

 さながら、誇示するみたいに。

 肩越しに味方へ視線を飛ばした姿勢のまま、桐原は、右のてのひらを後方の者たちに向けた。

「これが、キリハラだ」

 ◇【各地にて】◇

 十河綾香たちのいる南軍とのちに合流予定だった残り半分の南軍。

 その軍はマグナルの王都シナドで待機していた。

 が、敵の南侵軍が急激に進軍速度を上げたとの報が飛び込んでくる。

 その進軍速度はあまりに速かった。

 そして王都への到達も迫った時――

 白狼王率いるマグナル軍は残り半分の到着を待たずして、この南侵軍と激突せざるをえなくなった。

 マグナル軍は王都より打って出た。

 が、やがて敗色濃厚となり王都へ退却。

 しかしその数刻後には門が破られ敵に王都への侵入を許してしまう。

 こうして――この一戦は王都を戦場とする激闘となった。

 ほどなくして狂美帝率いる輝煌戦団、及び、ミラ帝国軍が駆けつけ参戦。

 幸い衝突した敵の南侵軍には側近級がおらず、犠牲は多かったものの、神聖連合側は勝利を収めた。

 だがこの戦いによりマグナルの王都シナドは壊滅的な打撃を受けた。

 さらに悪いことに、白狼王がこの王都の一戦で所在知れずとなる。

 現在、生死不明。

 決死の捜索は、今も続けられている。

 …………

     ▽

 一方、西方。

 敵西侵軍はヨナト公国の殲滅聖勢をヨナト領まで押し返していた。

 殲滅聖勢が押していたのに、再び押し返されたのはなぜか?

 敵側近級の参戦により、戦況が一気に不利へ転じたのである。

 大魔帝軍は念願の聖眼破壊を果たすべくそのまま大進撃を敢行。

 側近級ドライクーヴァ率いる西侵軍はヨナトの王都手前まで迫った。

 対するヨナトはここで、聖女のみが起動できる古代兵器”聖騎兵(せいきへい)”を投入。

 戦場浅葱率いる異界の勇者たちと共に反撃へと打って出た。

 大魔帝の軍勢による今回の大侵攻……。

 各地で激戦の模様を呈したが――最も血みどろの大総力戦へと変貌したのは、この西軍の戦いであった。

 ◇【鹿島小鳩】◇

 ヨナト公国、王都。

「――キュリ、ア」

 担架で運ばれている女――聖女キュリア・ギルステイン。

 彼女のもとへ駆け寄ったのはヨナトの女王である。

 クリーム色の担架の布には生々しい血色が滲んでいた。

 それが雫となって、地面にぽたぽたと落ちている。

 青ざめた悲痛な面持ちで聖女を見下ろすヨナトの女王。

 聖女の銀の髪が担架からはみ出て乱雑に散り垂れている。

 美しい銀髪も今や、その領域の半分が血染めとなっていた。

 女王がキュリアの手を両手で掴み、包み込む。

「あぁ、キュリア――あなたが、こんな……ッ」

 先ほど聖女が倒れていた場所には血の水たまりができていた。

 担架上の聖女はというと――見ればわかる。

 瀕死の状態。

 頭部は幸い比較的綺麗に残っている。

 が、身体の方はひどい有様と言えた。

 実際、各部位が千切れていないのは奇跡かもしれない。

 それを奇跡と思えるほど今の聖女はひどい状態にあった。

 そもそも生きているのが不思議なくらいである。

「うちらの治癒スキルが、幸いしましたかね?」

 やや離れた場所で悲嘆する女王を眺めていた戦場浅葱が、口を開いた。

 浅葱は、グループの女子数人を親指で示した。

「あ、なんならついて行かせますヨ? 異界の勇者のスキルは、この世界の魔術やら何やらと比べるとなかなか優秀だそーですし。状態異常スキルを除いては、ですケド」

 女王が血の気の失せた顔を上げる――ひどく、緩慢な動きで。

 彼女の顔には複雑な表情が張りついていた。

 が、数秒もすると彼女はその複雑さを薄めて浅葱に言った。

「お願い、するわ」

「あいあい。んじゃー……戦いが終わった直後で悪いんだけど、そこの三人頼みまする」

 浅葱の指示を受けた女子三名が弾かれたように応える。

「わ、わかったっ」

「えっと――じゃ、行こっ」

「お、おう」

 三人の女子が担架に駆け寄った。

 次いで、弱々しい声の女王と何やらやり取りを始めた。

 やがて担架上の聖女は、女王に付き添われて運ばれて行った。

 遠ざかる聖女、女王、浅葱グループの三人。

 浅葱は頭の後ろに両手をやり、呑気な様子でそれを見ている。

 そんな、戦場浅葱の背後で――

 騎兵チックなファンタジー風のロボット(小鳩にはそう見える)が、半壊状態で倒れている。

 正確には、寄り掛かるようにして半倒壊した建物に倒れ込んでいる。

 このロボット風の巨人は聖騎兵と言うらしい。

 もつれ合った姿勢で騎兵と折り重なっているのは巨大な魔物。

 確か、ドライクーヴァと名乗っていた。

 人語を解するそれらは魔物でなく”魔族”と呼称されるそうだ。

 ドライクーヴァの口には、巨大なランスがぶっ刺さっている。

 ランスの先は後頭部まで貫通していた。

 周囲には壊れた城壁やら、建物の煉瓦やらが散乱している。

 浅葱が背後を振り向き、ドライクーヴァの死体を仰ぎ見た。

「いやけどあれだね、どうにかとどめに間に合ってよかったにゃん」

 口を猫みたいにして、まぶたを少し落とす浅葱。

「側近級とか名乗ってて本気(ほんき)強そーだったからねー……そりゃ刺せるなら、とどめ刺したいっしょー。ボス級の経験値が高いのって、やっぱジョーシキ?」

 そう。

 ドライクーヴァとほ(・)ぼ(・)相(・)討(・)ち(・)の形にまで実際に持ち込んだのは、聖女である。

 が、ドライクーヴァがこと切れる寸前にとどめの役を得たのは戦場浅葱であった。

 浅葱の隣に立つ鹿島小鳩。

 今、小鳩は背後の聖騎兵と、舌を出して死んでいる側近級の死体の方を向いていない。

 小鳩が心配そうに眺めているのは、聖女を載せた担架の消えた方角だった。

「キュリアさん、大丈夫かな……」

 浅葱が、驚いた顔をした。

「い、いやいや……小鳩ちゃん大丈夫? あれでだいじょぶなわけないっしょ……」

「――ねぇ、浅葱さん」

「ほいよ?」

 嘘みたいなサイズの背後の残骸と死体を、眺める。

 今はそれを見ても不思議なほどショックがない。

 なんとなく現実感のない光景だからだろうか。

「この死んでる側近級って名乗ってた魔族……浅葱さんの提案した作戦でしか、倒す手はなかったのかな……」

「ん〜?」

「ええっと、その……聖女さんが相討ち覚悟でやる攻撃以外に……倒す手はなかったのかな、って……」

 浅葱はかすかに口の端を皮肉っぽく緩め、聖女の消えた方角を見た。

「女王ちゃん……なんか言いたそうだったねぇ。大方”あなたの無茶な作戦のせいで私の大事なキュリアがこんなひどいめに!”とでも言いたかったんだろうにゃー」

 女王のあの表情の奥にあった本音。

 あの顔を見た時、小鳩も浅葱が今言ったような意思を感じ取っていた。

「んー、けどさ……結果として聖眼は壊されずに済んだし、この国は壊滅的な被害を受けたけど、魔物に占領されるまではいかなかった。少数の犠牲で多くを救えたんだから、天秤的にはオッケーじゃないかなー……とか、浅葱さんは思うんですが」

「そうかも、しれないけど……」

「こういうのロジハラっぽいかね? ふむふむ、ならポッポちゃんには何か代案があったのかい?」

「……ううん、なかったよ。何も」

「うははは、めんごめんご。嫌な言い方だよね今の。だいじょーび。あたしもさ、文句言うとすぐ代案出せとか言い出すお人って嫌いじゃから。ただねぇ、ポッポちゃん……」

 浅葱の見つめる先。

 そこには、傷ついた兵士たちの手当てを手伝う浅葱グループの女子たちがいる。

 小鳩たちと離れた場所でヨナトの人たちと協力し、せっせと動き回っている。

 あれも浅葱の指示だった。

 浅葱はみんなに、

『まーあたしら勇者組は幸い全員ほぼ無傷で生き残っちゃったからさー……ここで変な不興買わんためにも、疲れててもせっせと献身的に働く姿を見せておこうか。だからみんなごめん、このとーり! 疲れてるだろーけど、もーひとがんばりお願いしていい?』

 こう言って、手当ての手伝いを頼んだのだ。

「あたしさー、どーしよっかなーって考えてたんだよねぇ……ほりゃ、異世界来ちゃったじゃん? なんか色々あったじゃん? で、この先の目的をあたしはどこに置くのよんって話でさー」

 によっとした表情で視線を落とすと、浅葱は、足もとの残骸を軽く蹴飛ばした。

「一つは、この浅葱さんグループ全員が生存すること。もう一つは、浅葱さんグループが全員生存した状態で元の世界に戻ること。とりあえずこの二つを目的にして動くと、いいかにゃーって」

 浅葱グループに限定されているのがやや気にかかったが、

「じゃあ浅葱さんは、みんなで大魔帝を倒すって考えなんだね?」

 小鳩は少し期待を込めてそう尋ねた。

 しかし浅葱はすぐ回答せず、感情の読み取りにくい目でしばらく小鳩を見ていた。

「びみょい」

「え?」

「たとえば、の話なんだけど」

 横髪を指でくるくる弄り、浅葱は続ける。

「元の世界に戻れる方法を持ってるのが、もし仮に女神ちゃんだけじゃなくて……大魔帝とかも元の世界に帰せる方法を持ってるとしよう。んで、もしこのあと大魔帝ちゃん側の方が確実に有利だって状況になって、あたしらが大魔帝の陣営に誘われたとしようか――あ、これは仮の話じゃよ? たとえばの話だからね?」

 言い置き、続ける浅葱。

「もし女神ちゃん側に付くより元の世界に帰れそうな確率の高そーな陣営があったら、そっちについてもあたしの目的って果たせると思うんよねー」

「え、それって……でも……」

「そりゃこのまま女神ちゃん側が勝って元の世界にみんなで帰れるに越したことはないさー。ただねー……人間って基本、勝ち馬に乗りたくなる生き物じゃん? まーそのさー」

 浅葱は屈み込むと、足もとに落ちていた小さな瓦礫(がれき)を拾った。

 その小石ほどの瓦礫を何度も上へ放り、手もとで弄ぶ浅葱。

「小鳩の大大大好きな十河綾香ちゃんとかは、大魔帝の側につくなんて絶対認めなさそうだよねー。でもさー」

 ヒュッ

 浅葱が瓦礫を放り投げた。

 瓦礫は乾いた音を立てて半壊した建物の壁にぶつかり、地面に転がった。

「世の中生き残るのってやっぱ、勝ち馬を嗅ぎ分ける嗅覚を持てるかどうかっしょ。がうがう」

 なんだろう。

 小鳩は浅葱に対し、以前よりもさらに得体の知れない何かを感じていた。

「にしてもさー……さっきの女王様の顔ほんとすごかったよねぇ。大事な聖女ちゃんを犠牲にしたのは紛れもなくあたしだけど、相討ち覚悟の策出してこの国を救ったのも形としてはあたしなわけじゃん? てか、人間てあんな複雑な表情できるんだねー……人間があんな顔できるなんて、小鳩ちゃん知ってた? 面白いよね」

「わたしには……よくわからない、かな」

「”わからない”って返しすっげぇ便利ですなー。まあ、会話はそこで終わりがちになっちまうんじゃケド」

 言って、浅葱はゆったり立ち上がった。

「さぁて、あたしもひとがんばりしてきますかねい。せっかく覚えた新スキル――特に【痛覚遮断(クイーンビー)】なんかは怪我人まみれのここじゃなかなか重宝されるっしょ」

 浅葱はこの一連の戦いで固有スキルを新たな段階へと進めていた。

 S級やA級に劣るとされるB級でありながら浅葱は固有スキル持ちである。

 しかもこの戦いの中で、進化まで遂げた。

 浅葱はこう言っていた。

『あたし思うんだけどさ、アルファベットの勇者のランクづけって中に隠れランクみたいの紛れてそうな気がするんよね。もしかすっとS級の中でも格差があるのかも。たとえば普通は”SUPER”なんだけどその中に”SPECIAL”が紛れてる、とかね。あたしのB級も”B”で始まる何か特別な隠れランクだったり? にゃーんて、ね』

 いや――案外、そうなのかもしれない。

 小鳩は妙な説得力を感じた。

 となると、

(C級やD級の中にも、隠れランクが存在する……?)

 たとえばD級の自分も、隠れ等級だったなら。

(十河さんの役に、立てるかもしれない)

 思わずそんな妄想を抱いてしまう。

「ほれ、ポッポちゃんも行くぜよ。戦いの時はあんま役に立たなかったんだから、こういう時に失点を取り返すのじゃ」

 そう言われて、小鳩は小走りで浅葱に駆け寄った。

 ふぁ〜あ、と大あくびする浅葱。

「ねっむ……てゆーか、あたしの進化した固有スキルってデバフ系が多いっぽいのぅ」

「でばふ系?」

 ピンとこない単語だ。

 浅葱曰く最近だと主にゲームで使用される用語とのこと。

「今まで使ってた【群体強化(クイーンビー)】はバフ系ね。バフ系ってのはさ、みんなをパワーアップさせるって感じのやつ。んで、デバフ系ってのはその逆」

「パワーダウン?」

「そ、基本はね」

 歩きながら浅葱が上体を倒す。

 彼女は再び、足もとに転がっていた小石を拾い上げた。

「んでね? バフとかデバフって、あってもなくてもほぼ無意味なレベルのゲームもあるんだけど、ゲームによっては勝敗を左右する超重要な要素だったりするんだよねー……まーそれ言っちゃうと状態異常もか。このゲーム状態異常の概念存在する意味あります?ってゲームもあるんだけど、ゲームによっちゃ逆に強パラメータを無意味化するレベルの状態異常ゲーとかもあるし」

 ゲームをしない小鳩にはやはり全然ピンとこない話だった。

 ただ、と不意に思った。

 状態異常系統のスキルといえば、

(三森君……)

 小鳩は、俯く。

 浅葱は続ける。

「つまりさ、攻撃スキルだけが戦いのすべてじゃねーのよって話。邪王素振り撒いてる側近級とかゆーの倒せたのも、実際この浅葱さんのバフとデバフあってこそだった感じするしねー。あ、つーか邪王素もデバフっちゃーデバフの部類か」

 ヒュッ

 浅葱が、手中の小石を投げる。

 倒壊した建物の壁面に空いたいびつな穴。

 投擲された小石はそこに見事すっぽりハマった。

 それはどことなく、テニスボールがフェンスの網目に挟まっているのを連想させた。

「ま、そーゆーわけでね? バフとかデバフってのは、見事ハマりさえすれば――」

 うむ、と。

 浅葱は一つ、頷く。

「これほど強いスキルも、他にない」