「接岸確認! タラップ用意!」
「よーし、小隊ごとに乗船名簿を確認しろ。同型船が3隻あるんだ。間違えるんじゃねぇぞ!」
「隊長。皇国海軍空母『アマギ』『カツラギ』が沖合に到着。『直掩機発艦セリ』との通信が」
「イマイチ信用できない奴らだが……」
「贅沢言えるほど我らは金持ちではありませんよ」
「それもそうだな。それに沖合からの発艦だとどうしても作戦行動時間が限られる。……お前ら、人生で最も早く仕事をしろ!」
「「ハイ!」」
人類軍は着々と撤退準備を始めている。
稼いだ時間を使ってどこまでできるか。魔王軍が兵站に苦しんでいる中で行っている撤退劇がどこまでうまくいくのか。
「どうやら魔王軍の進撃速度が落ちているそうです。味方の防衛が成功しているということでしょうか?」
「……それもあるだろうが、魔王軍の方『も』補給切れを起こしているのかもな」
「だとしたら、千載一遇のチャンスですね」
「信じたくはないが、神の御慈悲と思っておこう」
撤退劇が喜劇となるか悲劇となるかを決めるのは、人類軍ではないのかもしれない。
---
魔王軍、前線司令部。
臨時に設けられた作戦本部であり、そこには総司令官たる魔王ヘル・アーチェを筆頭に、北部、中部、南部方面司令官、及び参謀、海軍南海艦隊司令官、そして前線兵站担当ソフィア・ヴォルフが会議に出席していた。
「……時間があまりありませんので、率直に申し上げます。物資不足により、これ以上の全面攻勢は不可能です。特に制海権の奪取に失敗した南部方面軍が深刻です」
開幕劈頭、音頭を取ったのはソフィア。
自軍が置かれている状況を素直に話した。取り繕ってどうにかなる問題ではないし、正直に話さなければ信用に関わる。そういう考えだ。
「ですので、これ以上の進撃を控えるか、でなければ限定的な、一方面に攻勢をかけることを提案致します」
どんな叱責も受ける、という気概でその言葉を発した。
勝利を求めて、奪われた土地を奪還するために今まで頑張ってきた前線部隊にとって、補給の失敗による攻勢の中止は屈辱的とも言えるだろうから。
だから待っていた。
けれど、
「まぁ、仕方あるまい。事前とは違う作戦も行ったことだからな。あまり兵站局を責められないだろう」
と、ヘル・アーチェが答えた。
ぽかんと、ソフィアが魔王を見る。そこには肩をすくめて、やや笑みを浮かべる魔王がいた。
そして何かを言おうとしていた他の幹部連中は、最初に魔王がそんな事を言ったものだから急に勢いを止められた。
ソフィアは、自分に罵倒の嵐が飛んでこないようヘル・アーチェが予防線を張ったのだとすぐに理解した。
(……やっぱり、私は最初から最後まで、誰かに頼りっぱなしだったということでしょうか)
そんな風に考えてしまう。
けれどすぐ首を横に振る。違う、それじゃあダメだと。自分の後始末は自分でやる。そう決めて、この会議を開いているのだ。
「いえ、陛下。兵站の失敗は偏に兵站局に……前線兵站担当の私にあります。どんな責めも受ける覚悟です」
「…………ふっ。そうか」
そんなソフィアの態度に、魔王は笑った。
笑みの理由は、よくわからない。
「まぁ、責任追及は後のこととしよう。問題は、人類軍をどうするかだ。限られた物資をどう活用するか、前線部隊の司令官諸氏の意見を聞きたいな」
魔王は出席者のお歴々を見つめ意見を募る。
そこからは、ソフィアの事前予測通りの展開になった。
各々が「是非自分の部隊に優先的に物資を」と主張したのである。表現方法は様々だが、概ねそんな感じだ。
誰もが自分の戦果や評価を気にするものだし、自分の部下ほどかわいいものはない。
それにここで活躍すれば歴史に名が残る。ライバルを蹴落とすのにもいい機会……と思ったりもするだろう。
「ですので、南部方面司令官としての意見は南部方面軍への注力すべきということです」
「なるほど。君達はわかりやすいな」
そして魔王は呆れかえった。
本当に全員がそんなことを言ってしまうのかと。
「まぁ、勝っているからまだいいか……」
と誰にも聞こえないような小声で話す。聞こえたのは地獄耳のソフィアくらいなものだろう。
「で、兵站局としてはどう思うかな?」
「……どの地点での攻勢が、戦略的勝利に導けるかによるかと思います」
「と言うと?」
「現時点において我々の作戦的勝利は揺るぎはないと思われます。ですので、より高次の勝利、即ち戦略的な勝利を得る段階に入っていると思います」
「なるほど。では君の定義する『戦略的勝利』とはなんだ……?」
「それは……」
ソフィアは言葉に詰まる。
魔王軍にとっての最終的な勝利は、大陸から人類を追い出すことにある。そのための戦略的勝利とは、人類軍の駆逐。
即ち、どの地点の人類軍を殲滅すれば効率的か、人類軍の士気を下げられるかによる。
であれば結論は明白。カレリア岬にて半包囲されている人類軍の殲滅だ。
あの人類軍を一人残らず血祭に上げられれば、魔王軍の士気は高まるし、対する人類軍の士気は下がる。
だとするならば選択肢は、南部方面軍への注力。じわじわと前線を上げて海に叩き落とせばいい。空挺部隊の展開も積極的に行われている地域でもあるし、消費物資に目を瞑ればそれが一番だ。
けれど、なぜかその言葉が出てこない。
「……陛下の考えと同じです」
だから、ソフィアは逃げの意見をした。
魔王と同じだと。責任逃れの発言とも言えるだろう。
「そうか。わかった」
魔王はそれをわかっているのか、わかっていないのか、ただ頷いた。
誰もが同じだが異なる意見を言ったとき、会議は平行線で終わる。アキラに言わせれば「時間の無駄」となるだろう。
だから誰かが強烈なリーダーシップで以って決めてしまうのがいい。
勿論それは魔王ヘル・アーチェの方がいい。
けれど不満が残らないような結論を見出すことは存外難しい。
自分の意見が採用されなかった、贔屓の判断をされた、と不満を持って今後の作戦行動に支障が出たら困る。
そうならないようにするためには、感情的にも理屈的にも、合理的な理由が必要となる。
「確か、今は中部方面軍が一番占領地を広げているんだったな」
「はい。中部において我が軍は快進撃を繰り広げており、人類軍は瓦解、既に組織的抵抗はほぼ皆無に等しいです。この機会に我が軍に注力してさらなる戦果拡大を――」
「しかし現在地より東は山岳地帯で、進撃スピードが落ちるんじゃなかったかな? となれば、まだまだ平地の広がる我が北部軍の方が戦果を得やすい。こういうのは兵站局的には『コスパに優れる』とか言うのではなかったかな?」
「いや、ここは南部方面軍に注力すべきだ! 現在、敵が最も集中している地域を放置してしまえば、後の禍根を残すことになる。敵を叩ける好機は今しかないのだぞ!」
「だが南部方面軍は地形的に既に険しく補給路の確保も失敗しているのだろう? それに敵軍が集中しているということはそれだけ予想される消費物資も多くなると言うことだ。南部軍に注力しても焼け石に水。ここは我が海軍に今一度機会を与えてくださらぬか? もし制海権を取れれば敵を孤立させることができるんだ」
「負けた海軍なんかに誰が物資を与えると思うのか!!」
と、平行線から取っ組み合いの喧嘩寸前に事態が悪化する。
魔王の手前そんなことにはならないが、紛糾するのは当然のことだった。
この戦略判断を誤れば後々に響くだろう。色々な意味で。
「諸君。我々は現時点では勝っている。おそらく、最後まで勝てるだろう。だがその勝利を、より確実のものとするために、そして安定的なものとするためには、不安要素は極力排除する必要がある。わかるな?」
混乱する会議場に、ヘル・アーチェが一喝。
彼女の言葉に、一同は揃って頷く。
「海軍カドリアーネ将軍」
「ハッ」
「君に雪辱を晴らす機会を与えよう」
「「「陛下!?」」」
陸軍司令官たちは困惑した。
まず海軍はないだろうと考えていたのに、だ。負けて帰ってきたやつを許す程、魔王とは慈悲深い存在だっただろうかと、彼らは混乱する。
もっともその混乱具合は、当の本人が一番驚いているだろうが。
「将軍。飛竜制空部隊からの連絡が途絶えがちだ。どうやら人類軍はこの岬に戦力を集中しているらしい。だがどうにも、反撃の機会をうかがっているように見えない」
「……と、すると?」
「簡単な事だ。奴らは船を使って逃げようとしているということだよ。ならば我々のやることは、南海制海権を掌握し、南部にて包囲されている人類軍を降伏させることだ。それが出来れば、戦後色々と便利だろう。将軍の奮起に期待するところである」
「は、はい! 必ずや、陛下のご期待に応えるべく、粉骨砕身、全身全霊、乾坤一擲の精神で勝利を捧げたいと思います」
「あぁ。その他各方面軍は物資残量を気にしつつ攻勢を中断し、限定的な攻撃にのみ留めよ。進撃は私の許可なしに行ってはならない。いいな?」
「し、しかし陛下……」
「なんだ? 私の意見に何か不満でもあるのか?」
ヘル・アーチェの言葉には、最高権力者としての確かな威圧があった。
その威圧の前で異を唱えることができる者は多くない。例外は空気の読めないあの「人間」くらいなものだと誰もが思っていただろう。
魔王の言葉に反論する者が出ず、会議は閉幕。
海軍以外の将軍は不満げな顔だった。
一方、ソフィア・ヴォルフは会議の席から立てずにいた。
「…………意を決して、責任をかぶるのもやむなしと思って臨んだ会議だったのに。呆気なく終わってしまいました」
茫然と天を仰ぐ。
なにもなかった、なにもできなかった、ということからくる虚脱感だろうか。
「ソフィアくん、大丈夫かい?」
「……へ、陛下!? す、すみません。すぐに――」
「あぁ、気にするな。そのままで」
立ちあがろうとするソフィアを制して、彼女の隣に腰掛けるヘル・アーチェ。
「君が何を考えているか、心を読まずともだいたいわかっているともさ。だから、大丈夫か?」
「…………大丈夫、だと思います」
「……まぁ、そういうことにしておこう」
優しく、魔王は言う。母親のような笑みを浮かべながら。
「……なぜ陛下は、海軍に注力すると決めたのですか?」
「うん? さっきの、聞いてなかったかな?」
「いえ、聞いてはいました。けれど陛下らしくないと思いまして……多分皆さん、そう思っています」
「そうか……そうかもな。確かにこれは、私らしくないだろう」
「では、なぜ?」
ソフィアが聞くと、ヘル・アーチェは頭を掻く。どう答えたものか、と言う感じではなく、答えていいものか、という眼だった。
「……これは私の考えではないから、かな?」
笑いながらそんなことを言うヘル・アーチェ。
彼女がそんな風に言葉を紡ぐとき、だいたいその背後にあるのは「彼」であることを、ソフィアは知っている。
なら自分は、また助けられたのだろうか。