I Favor the Villainess

231. All Beginnings (1)

※クレア=フランソワ(一(・)周(・)目(・))視点のお話です。

「進捗はどうかね、クレア」

その言葉は質問というよりも、結果を知った上での避難の色を帯びていました。

ここはアメリカ政府が運営する研究施設にある研究所長室です。

わたくしは呼び出しを受けてここにいます。

所長室は研究所の他の部屋とは違い、どちらかというと一般企業の社長室のような設えになっています。

目の前にいるのは、この研究所の所長を務める人物です。

典型的なアングロサクソンの容姿をしており、年齢は五十代くらい。

研究者としての実績よりも、経営的な手腕を買われて所長の地位を与えられた人です。

わたくしはこの人がとても苦手でした。

「……鋭意進行中です。時間はどうしてもかかりますが、わたくしの研究は――」

「言い訳は聞きたくない。結果は出ていない。つまりはそういうことだな?」

わたくしの言葉をぴしゃりと遮り、所長はわたくしを詰問しようとします。

「人類に残された時間は少ない。悠長に君の研究を待っている暇も金もないんだ」

「……もうしわけございませんわ」

悔しいけれど、所長の言うことには一理あります。

人類は今、存亡の危機に立たされているのですから。

「これでも君には期待していたし、時間も金も与えた。だが、これ以上は待てん。期限を切らせて貰う。あと半年だ」

「そんな! 以前から申し上げています通り、わたくしの研究には短期的な視点ではなく長期的な――」

「政府が研究資金を絞り始めた。ヤツら、いよいよ自分たちの身を守ることだけを考え始めている」

「――!」

それはつまり、大多数の一般人を見殺しに、自分たちだけ逃げようということ。

あるかどうかも分からない、宇宙の楽園を目指して。

「これは決定だ。半年以内に結果を出せ」

「……かしこまりましたわ」

わたくしは失意の内に所長室を出ました。

冷房の効いた廊下が、実際の温度以上に肌寒く感じます。

「どうでしたか、クレアさん? また所長のお小言ですか?」

自分の研究室に戻ると、同僚のレーネが軽口を叩いてきました。

わたくしと同じくらいの年齢の研究者で、ふんわりとした亜麻色の髪の快活な女性です。

わたくしはそれには取り合わず、所長に見せるはずだったプレゼン資料を机に放ると、自分の椅子にへたり込みました。

「……何かあったんですか?」

わたくしの様子が流石におかしいことに気がついたのか、同僚が気遣わしげな声を掛けてくれます。

「半年で結果を出さなかったら、クビらしいですわ」

「はあっ!? そんなの無理に決まってるじゃないですか!?」

レーネは血相を変えて悲鳴のような声を上げました。

「わたくしもそう言いましたわ。でも、所長は取り合ってはくれませんの」

「はーっ、これだから文系は。あの人たち、研究っていうものがどういうものか全然分かってないですよね。成果が確実に出せる研究なんていう都合の良いもの、あるわけないのに」

レーネはぶちぶちと不満を並べ始めました。

彼女は所長の悪口を言いたいのではなく、わたくしに共感を示そうとしてくれているのです。

「ありがとう、レーネ。救われますわ」

「いえいえ。でも、困りましたね。半年ですか……」

「ええ。彼(・)女(・)をフルに使っても、半年はきっと厳しいですわ」

わたくしの娘とも言えるそれ。

わたくしの半生をかけた、研究の集大成。

「あ、丁度いいじゃないですか。これからどう動くべきか、彼女に聞いてみましょうよ。何かしら助言を貰えるかも知れませんし。タイムちゃーん!」

そう言うと、レーネはわたくしの白衣の袖を引っ張って、研究室の隣にあるラボへの扉を開けました。

「こんにちは、レーネ。どうかしましたか?」

合成音声とは思えないほど流暢な英語で、彼女――タイムは答えました。

The Artificial Inteligence for Mankind――略称タイム(TAIM)は、人類が陥った窮地を解決するべく設計された最新鋭の人工知能です。

わたくしの研究は彼女を作り上げ、彼女を使って人類を救うことでした。

二十一世紀の終盤、人類はその存亡が危ぶまれています。

前世紀から危惧されていた環境問題は結局今になっても解決されず、気温の上昇とともに海水面が上昇し、この百年で海岸線は数キロに渡って陸地を削っていきました。

夏はクーラースーツなしでは数分と活動出来ないほどに気温が上昇し、冬は逆に氷点下二桁は当たり前の日々が続きます。

気候変動は農作物を直撃し、深刻な食糧不足が慢性化しています。

二十一世紀初めにはいずれ百億人に近づくと予測されていた人口は、実際には数をどんどん減らし、今では全世界で十億人を切っている状態です。

その数億人も科学の恩恵を受け続けなければいつ死滅してもおかしくなく、人類は現実味を帯びた滅亡の二文字に震えながら生活しています。

環境破壊の責任を押しつけ合って、初めこそいがみ合っていた各国政府ですが、そんなことをしている場合ではないという危機感から、ここ数年は事態打開のために協力関係を結ぶことが進んでいます。

この研究所もその一環です。

ですが、進みすぎた環境破壊は既に手の施しようがないほど深刻化し、人類が総力を挙げて挑んでも解決の見通しは全く立っていません。

「クレアもこんにちは。私に何かご用ですか?」

タイムの機体の前に浮かび上がった女性のホログラムがこちらを見ている。

彼女がタイムのインターフェイスです。

銀髪に赤い目をした、少し人間離れした妖精じみた容姿をしています。

「ええ、ちょっと困ったことになりましたの。相談に乗って下さる?」

「喜んで」

タイムはわたくしが作った人工知能です。

彼女は分散型コンピューティングを応用して作られた、量子コンピューターの合議制を採用したAIです。

表面上は単一の人格を有しているように見えますが、内部的には数百からなる異なる特徴を持った個別のAIの集合体です。

タイムの演算能力――ひいては思考能力は、人間を遙かに凌駕します。

「所長に半年で結果を出せ、と言われましたわ。それについて、あなたの意見を聞かせてちょうだい」

わたくしの問いに、タイムは少し考える様子を見せてからこう答えました。

「現状のままでは半年以内に結果を出すことは難しいでしょう。私の能力では事態の解決策を見いだすのに、あと数年は見て欲しい所です」

「……ですわよね」

いくら超高性能のAIとはいえ神ではないのです。

そうそう都合の良い答えが返ってくるはずもありません。

わたくしは想像通りの答えに少し落胆するとともに、ある種の諦観を感じていました。

「一つ、提案を申し上げてもいいですか、クレア」

「なんですの?」

「私やクレア、レーネだけでは、半年で結果を出すことは不可能だと推測します」

「そうですわね」

「ですが、ここにもう一人、ある人物を加えた場合、本当に僅かな確率ですが、短期に有益な結果が得られる可能性があります」

「!」

希望が繋がった……?

「誰ですの、そのある人物というのは?」

わたくしは結果が出せるのなら、多少高額な報酬を要求されてもその人物を引き抜くつもりでした。

「日本のある研究者です」

「名前は?」

わたくしの問いに、タイムはこう答えました。

「大橋零。魂の量子化の専門家です」

その名前は、やがてわたくしにとって忘れられないものとなるのでした。