「着きましたね。ここがラズコーの谷です」

街を出て、北東へ向かうこと約一日。

二日目の朝に、ようやく俺たち四人はラズコーの谷へと到着した。

連なった険しい山々。

その麓に、黒々とした谷がぱっくりと口を開けている。

恐る恐る身を乗り出してみると、谷底からスウッと冷たい風が吹き上げてきた。

陽光が差し込まない分、底の方はかなり気温が低いようだ。

「こりゃ、不人気になるのも無理ないですね」

「そうだな。これだけの高さだと、さすがの私も飛び降りるのは厳しいか……」

「いやいや、飛び降りるってどんな無茶苦茶だよ……」

相変わらずとんでもないことを言いだす姉さんに、クルタさんが呆れた顔をする。

姉さんなら、普通にここから落ちても生きていそうなのが怖い。

天歩で多少は空も飛べるしなぁ……。

「無茶せずとも、谷底へ向かう道がこの先にあります。その前に魔力の測定を行いましょうか」

「ああ、そうだね」

そう言うと、俺はギルドから預かってきた魔力測定器を取り出した。

大きな水晶玉のような装置で、周囲の魔力に応じて色が変化するらしい。

今は……青色だな。

赤くなればなるほど魔力が濃いとのことなので、このあたりは魔力が少し薄めのようだ。

「異常なしだね。じゃあ、次の測定場所へ行こうか」

「ええ」

ギルドが指定した測定場所は計三か所。

谷の上、谷の中腹、そして谷底だ。

ここがそれぞれ青、緑、黄となっていれば正常らしい。

指定の用紙に結果を記入した俺は、そのままニノさんの後に続いて谷底への道に向かう。

「うわ……覚悟はしてましたけど、ほっそいですね!」

「こんな貧弱な足場で大丈夫か?」

岩壁に沿うようにして作られた木の足場。

かなり年季が入っていて、お世辞にも立派とは言い難い。

試しに足を乗せれば、たちまちミシリと嫌な音がする。

「平気だよ。これでも、冒険者がちょくちょく使ってる道だから」

「ええ。鎧を着た男性が乗っても、壊れないぐらいには丈夫にできてます」

そう言うと、ニノさんはあろうことかその場でひょいッと宙返りをして見せた。

さ、さすがは忍者……。

身軽さが売りなだけあって大したものだけど、高いところが怖くないのか?

見ているだけで背筋がゾワゾワっとしちゃったんだけど。

「む、案外しっかりしているな」

「な、なるほど……。でも、危ないからそういうのはやめましょう?」

額に浮いた汗を拭う。

心なしか、腕に鳥肌が立っていた。

俺、もしかして自分で思うより怖いところが苦手かも……?

そう言えば、ここまで高いところにはほとんどきたことがなかったな……。

「ジーク、どうした?」

先を行く姉さんが、俺を呼ぶ。

こうしちゃいられない、急がなきゃみんなに迷惑がかかる。

俺はそっと足場に足を乗せ、恐る恐る一歩を踏み出した。

――ミシッ!

年季を感じさせる軋みに、たちまち背中が丸くなる。

「遅いぞ、早く!」

「そんなことしちゃ危ないですって!」

じれったい俺を急かすように、大きく手を振る姉さん。

この不安定な足場でそんなことするなよ!

注意する俺の声が、少しばかり大きくなる。

すると姉さんは、俺の恐怖心を察したのだろうか。

こちらを覗き込み、怪訝な顔をして尋ねる。

「もしかしてジーク、この場所が怖いのか?」

「ま、まさか!」

姉さんのことだ、ここで怖いなんて言ったら何をするか分からない。

特訓と称して、いろいろ無茶をさせられるかもしれないぞ。

俺は平気平気と虚勢を張ると、出来る限り下を見ないようにしながら足場を歩く。

「……じゃ、進もうか」

「ああ」

俺が歩き出したのを見て、止まっていたクルタさんたちもまた歩き始める。

こうして崖沿いの足場を歩くことしばし。

巨大な岩が大きく谷に突き出しているのが見えてきた。

「あの岩で真ん中だよ!」

「よし、あと少し……!」

あそこまで行けば、少しはましになるだろう。

俺はいくらか歩くのを速めた。

だがその時、不意にしたから風が吹き上げてくる。

かなり強い風で、身体が揺れる……!!

「うっ!」

「ジークッ!!」

傾く俺の背中をすぐさま姉さんが支えてくれた。

良かった、助かった……!

安心感からか、跳ね上がっていた心拍が少し落ち着く。

「ジーク君、大丈夫かい?」

「え、ええ……」

「まったく。怖いのなら怖いと素直に言え」

「す、すいません」

姉さんの勢いに押され、つい謝ってしまう俺。

すると彼女は、俺に向かってそっと手を差し出してきた。

これは、まさか……!

「ほら、握れ」

「い、いいんですか!?」

「当たり前だろう? 何をそんなに驚いている」

「いや、姉さんのことだから……『情けない、もっと修行をしろ!』とか言い出すかなって」

「私は別に、お前をいじめたいわけではないからな? 高いところが怖いのなど、鍛えて治るものでもないだろう」

おぉ……!!

姉さんって、こういう優しいとこもあるのか……。

普段の怖い印象があるだけに、ちょっと意外だ。

俺を鍛えるためにあえて厳しくしてたとか言ってたけど、案外本当なのかもなぁ。

「何を考えている? ほら、早く握れ」

「は、はい!」

急かされたので、少し急いで姉さんの手を握る。

暖かくて、柔らかな手。

女性にしては握力が強いのは、日頃の鍛錬の賜物だろう。

思えば、こうして手を握るのは何年ぶりだろうか。

小さい頃が少し懐かしくなる。

「……こうしてると、昔を思い出しますね」

「な……! 余計なことは、考えんでいいぞ!」

なぜかは分からないが、姉さんの頬が赤くなった。

心なしか、手の温度も上がった気がする。

小さい頃のことが、何が恥ずかしいのだろうか。

するとそれを見ていたクルタさんの頬まで、真っ赤になって膨れた。

「……帰りは僕の手を握ってもらうおうかな」

「え? 悪いですよ。帰りこそは自力で何とかします」

「…………鈍感!」

そう言うと、クルタさんはさらに速度を上げて歩いて行ってしまった。

何か、気に障るようなことを言ってしまっただろうか?

俺は少し動揺しつつも、依頼を遂行すべくそのまま進むのだった――。